終章 英雄の行方
第1話 幕引き
「『夢幻』『フェンリル』『フランベルジュ』を回収しました。ラインハルト様の御身の無事も確認。」
「よかった……『
「イオリアが深手を負っていますが、命に関わるものではないそうです。騎士長とルディからの報告です。間違いはないでしょう。」
「ありがとう。やはりあなたに来てもらってよかった。でも、いまの騎士長はあなたですよ、カーシャ。」
赤い髪に白い肌を持つ、鼻筋の通った女性騎士、現天空神教会神殿騎士団騎士長、カーシャ・オルビスは、『女クラウス』のあだ名通り、そよとも表情を動かさずに頷いた。沈着冷静を常としている性格で、およそ判断を誤るということのない女性である。クラウスが神殿騎士団を辞したとき、彼女に騎士長を託した理由は、この冷静さと、統率力を評価した、と話したが、自分の容姿に自信のないシホからすると、これほど美形なのだから、もう少し感情豊かであれば、もっと美しいだろうに、と考えてしまう。
「いえ。わたしは騎士長の留守を預かっているだけであります。いずれ、騎士長は戻られます。現に、戻られた。」
「ええ。でも前騎士長は、騎士には戻らないと思いますよ。」
にこりと笑ってから、シホは腰かけていた椅子から立ち上がった。と、その途端に身体が傾く。真っ直ぐ立つことができず、倒れかけたところを、駆け寄ったカーシャに支えられた。
「シホ様!」
「……大丈夫……大丈夫、です。ありがとう、カーシャ。」
「……移動中の車内や、こんな夜営の天蓋の中では、休めるとは思いませんが、いまは少しでもお休みください。せめて聖王都に着くまでは。」
シホはカーシャに肩を借りて、天蓋の中に設えた寝床へと歩き、横になった。
エルロン侯に決別を告げた後、シホを旗頭にした神殿騎士団は、カレリアとオードの戦場から撤退を開始した。一個小隊に満たない数の神殿騎士団だったが、国教会の騎士団、それも最高司祭『聖女』シホ・リリシアが率いる部隊が、戦争の終結を待たずに撤退することには、神聖王国側、エルロン侯を旗頭とする神聖騎士団内に、多少なりと動揺を与えた様子はあった。それでも引き止めるものがなかったのは、エルロン侯の指導力の成せる技だろうとシホは見た。厄介な相手だ、と再認識する。
その後、シホの小隊は、後発で戦場に入るよう予め伝えておいた、カーシャ率いる神殿騎士団本隊と合流した。カーシャたちの到着は、エルロン侯には伝えておらず、またシホは、カーシャたちをオードとの戦場に向かわせることを目的とはしていなかった。
「……シホ様。ひとつ、訊いても?」
カーシャに訊ねられ、シホは横になって天蓋を見たまま頷いた。本隊と合流し、本国への帰路にある神殿騎士団は、いまは夜営のために天幕を張っていた。ここは聖女用に設えた、特に大きな天幕だが、中の薄暗さは他のものと大差ない。揺れる明かりに照らされたカーシャの顔に、濃い影が刻まれていた。
「ええ。なんでしょう。」
「シホ様は、こうなることを予想されていたから、わたしに後発でオード入りするように求められたのですか?」
「ええ……わたしは、強くはないので。いろんなことを考えておく必要がありますから。」
やはりカーシャの表情は動かなかったが、少しだけ、驚いたような気配はあった。
シホがカーシャに命じていたのは、クラウス、ルディ、イオリアら『聖女近衛騎士隊』の安否確認と保護、そしてその戦勝品の回収である。カーシャが言った「こうなること」とは、つまり魔剣と『聖女近衛騎士隊』の激突と、勝利までの流れを指すのだろう。当然、シホはそれを予期していた。但し、他にもいくつか予想はしていて、そのための準備もしていた。
「……とにかく、いまはお休みください。魔法で意識と力のみを遠隔地へ飛ばして戦う、などということは、シホ様にしかできませんが、その消耗については、わたしでも推して知ることができます。」
「……ええ。ありがとう、カーシャ。確かに、少しだけ、無理をしました。」
シホは目を閉じて、口元だけで微笑んだ。
ラインハルトの手助けをするため、シホはこの天幕の中で祈りを捧げた。それは教会の指導する信奉の祈りではなく、現実の力を伴った『祈り』であった。
祈りによって遠隔地へ、自分の魔力を飛ばした。それは明確に自分の姿をしてラインハルトを導くと同時に、ラインハルトに、一時的に自分の力の一部を与えもした。
正直なところ、ここまで上手くできるとは思っていなかった。遠隔地へ力を飛ばすことは、可能だろうと自分の能力を理解していた。だが、ラインハルトに力を分け与えるように導くことができるとは、思いもしなかった。
ラインハルトの使う魔剣が『領主』であったことが原因なのだろうか。事実、響きあうような感覚を、シホは抱いていた。これもこれから先の戦いのために、検証を繰り返す必要のある力の使い方であった。
「……あとは、エオリアの安否、それからラインハルト様のお父上、ですね。」
シホは大きく息を吐いた。すぐにでも眠りに落ちてしまいそうなほどの疲労が全身を包んでいたが、これだけは指示しておかなければならない。
「バラート・パーシバル卿と『
「畏まりました。すぐに伝令を聖王都へ送り、準備をさせます。」
「エオリアは……」
「……残念ながら、エオリアは神聖騎士団の引き上げに同道した後でした。後を追い、調べさせましたが、その負傷者の引き上げ隊の中に、エオリアの姿はありませんでした。」
「……それは、どういう意味ですか?」
胸がどきり、と鳴る音をシホは聞いた。
「負傷者の引き上げ隊の中から、幾人かの行方がわからなくなっていました。ダキニからの引き上げ隊も同様です。いなくなっているのは、いずれも手練と言われる騎士や兵士で、不明者の中には、瀕死の重傷を負ったラインハルト様の側近の名もありました。」
「……追跡は?」
「もちろん、手配しております。しかし、現在までに報告はありません。」
シホは浮かしかけた上半身から力を抜いて、また深く横になった。エルロン侯の高慢たる笑みが、閉ざした目蓋の裏に浮かび、消えた。
確かめる術はないが、無関係とは思えない。エオリアはエルロン侯の手に落ちた。いや、或いは彼ら……エルロン侯やあの『博士』が属する組織、『
「エオリアと共に、魔剣フラムも行方がわからなくなりました。申し訳ありません。」
「……いまはエオリアの身柄の安全を優先します。カーシャ。お願いします。」
「畏まりました。手を増やし、引き続き捜索を行います。シホ様は、いまは暫くお休みを。」
言い置いて、カーシャがシホの寝所から離れていく。シホは伝え忘れたこと、聞き忘れたことはないだろうか、と考えながら、歩む速さで近づく意識の暗転を感じた。
ちゃんと勝ってやったから、持っていけ。
その声は、迫る意識の闇の向こうから聞こえた。ぶっきらぼうな物言いでありながら、そこに彼の温度を感じたのは、守らせてくれ、と彼が語ったあの言葉が、シホの中で生きているからだと感じた。
フェンリルの回収を報告した時、カーシャは彼について何も言わなかった。ということは、また彼は、何処かへと消えたのだろう。百魔剣を追って。
守らせてくれ。おれに。お前を。お前たちを。
その言葉と共に、彼に抱き止められた温もりも、まだこの腕にある。また……
「また……すぐに、会えますね。魔剣との、戦いの道の上で……」
呟きながら、シホは深い眠りに落ちた。
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