第7話 聖女の提案

「大変な時である事は、分かっているつもりです。それでも敢えてこちらに立ち寄らせていただかなければなりませんでした。ご無礼を、お許し下さい」


 シホが深く頭を下げる。シホは確かに教会内では最高権力者の一人だが、貴族という訳ではない、特異な存在である。ラインハルトもそんなシホの様子に、どう対するべきか迷っていると、ラインハルトの背後に控えたアルスミットが、シホの言葉を受けた。


「聖女様。敢えて、とは、どの様な……」

「どうしても、ラインハルト様にお伺いし、また、お伝えしておきたい事もございました」


 シホがまた一歩、ラインハルトに歩み寄った。ラインハルトは美しく整ったシホの顔が近づき、無意識のうちに胸が高鳴る音を聞いた。


「ラインハルト様。我々は、レネクルスの関所砦について、調査に参りました」

「調査……?」


 ラインハルトがどうにかその言葉だけを反芻すると、シホは頷き、続けた。


「この度のオード王国の侵攻に際し、レネクルス領の関所砦が初めに襲われ、その際『関所砦が斬られた』という噂が、我々の耳に届きました。ラインハルト様はこの件に付いて、何か見聞きされていらっしゃいますか?」


 殆ど囁くようにして話すのは、何かを意識してなのだろうか。聞かれたくない話題だとするならば、一体誰に聞かれたくないというのだろうか。秘密話とでも言うように、耳打ちされた言葉に、ラインハルトは無言のままアルスミットを振り返った。どうにか聞き取れたのか、アルスミットは首を横に振る。


「残念ですが、シホ様。我々はそうした報告を受けてはいません。その、斬られた、というのは……」


 斬られた、というのは、どういう状況を指すのだろうか。ただ城壁が斬りつけられた、という事では、もちろんないだろう。では、言葉通りの意味だろうか。いや、それもまたない。そんな事が起こるはずがない。


「では、他に何か、常識を逸する様な出来事が、この戦場で報告されてはいませんか?」


 ラインハルトの疑問を掬わず、問いを変えたシホの言葉に、ラインハルトは息を呑んだ。頭の中には、あの剣士の姿が浮かんでいた。炎を纏った、赤い剣を振るう、異様な男。


「……何か、あったのですね」

「……信じていただけるかどうか……」


 ラインハルトはアルスミットをもう一度見た。自分が対峙した男の話を、シホにしていいものかどうか、迷ったからだった。アルスミットが頷くのを確認し、ラインハルトは赤い剣の男……ウファ・ヴァンベルグの話をシホに伝えた。


の男……!」


 シホが明らかな動揺を見せたのは、その言葉だった。シホだけでなく、シホの傍に控えた東方の剣士風の男さえ、目に見えた動揺を見せた。それが彼らがこの地へ赴いた理由なのか、と思ったが、どうやらそうではないようで、かといって、見過ごせる何かでもない様子だった。


 ラインハルトがウファ・ヴァンベルグの特徴をさらに細かく話していくと、二人の動揺は薄れていった。一体、何がどうしたというのか、分からなかったし、シホも男も、それを口にしようとはしなかった。


「炎を……」

「操っている様に、わたしには見えました。それはまるで……」


 魔法のように。そう続けようとして、ラインハルトは言葉を呑んだ。魔法等、かつての統一王国が滅んで後、この世に存在しないことは、子どもでも知っている事だ。世迷い言と思われるに決まっている。


「魔法のように、ですか」


 だが、呑み込んだその言葉を、シホは微笑みながらあっさりと口にした。ラインハルトが圧倒されていると、シホはさらに続けた。


「そのウファ、と名乗る青年の目的がラインハルト様である以上、また現れるかも知れません。ですが、まともにぶつかり合うのは危険です。その彼が、わたし達の想像通りの相手なのだとすれば」

「想像通り、ですか」


 ラインハルトには、シホの言葉の意味が、いま一つはっきりと掴めなかった。その言葉の通りなのだとすれば、シホたちはウファの様な異能の剣士を、他にも知っている事になる。だが、あの様な剣士が、この世に幾人もいるものなのだろうか。


「ええ。ですからラインハルト様。よろしければ我々神殿騎士団も、ラインハルト様の騎士団に同道させて頂く事は可能でしょうか」

「シホ様達が、我々と?」


 そんなつもりはなかったが、ラインハルトは疑いの目をシホに向けてしまった。突然、何を言い出すのか、と思ってしまった。


「ええ。今回の調査に同道させたのは十人に満たない人数です。わたしも含め、全員、ラインハルト様の騎士団の足手纏いにはなりません。通常の戦闘に於いても」


 通常の戦闘、という言葉が引っ掛かったが、シホの言葉には有無を言わさぬ力があった。一体、彼らが何を目的としているのか、全く探り様もないラインハルトは、返答に窮したが、シホは満面の笑みで微笑んでいた。その笑みにも、やはり有無を言わさぬ力があった。


「そのお言葉、あの異能の剣士が再び現れたならば、聖女様であればまともにぶつかり合っても問題はない、と仰っているように聞こえますが?」


 辛辣とも思える言葉をアルスミットがシホの笑みにぶつけた。その真意は、これから向かう戦場に、不確定要素を持ち込みたくない、という戦士の判断だっただろう、とラインハルトは感じた。いくらシホの頼みとはいえ『張子の騎士団』と揶揄される神殿騎士団を伴って向かうには、この先の戦場は本物であり、危険を伴い過ぎた。


 しかし、シホは表情を変えることもなく、


「ええ、その為の、我々です」


 そう言って、兜を被り直しただけだった。

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