第11話 罪

 違和感はあった。


 何もない掌に、炎を出現させる事等、人の為せる業ではないからだ。それでも『幻覚』は、紅い男の生み出した炎が、ラインハルトの身体を焼く姿を映し出していた。違和感はあったが、ラインハルトはその場で立ち止まった。


 男の左手で立ち昇った焔は、収縮し、火球に姿を変えた。途端、火球はラインハルトに向かって飛んで来た。


 ラインハルトは目を見張った。誤算があった。火球が自分に向かって飛んで来る事は『見て』いたが、連続する映像の中では、その速さまではわからなかった。火球の飛翔する射線上から飛び退るはずだったものの叶わず、慌てて剣の腹を前面に翳した。次の瞬間、凄まじい高温の球体が、衝撃を伴ってラインハルトの肉体を襲った。


 地に足は付いたまま、床を滑り、退る身体を、止める術はなかった。質量を持った炎は重く、ラインハルトの身体を押した。


 背後には燃え盛る炎の壁があり、ラインハルトは身を焼かれる前に、火球の勢いを殺さなければならなかった。身体が浮いて、弾き飛ばされる訳にも行かない。しっかりと足を踏ん張り、どうにか火球の勢いを殺した。直後、その身を屈めたのは、追撃する紅い男の波刃剣を避ける為だ。頭上を紅い剣が行き過ぎる。それも『見えて』いたし、次の行動もわかっていたが、躱しきれず、衝撃がラインハルトの顔を襲った。


 前屈みの姿勢になったラインハルトの顔を、男の足が蹴り飛ばしたのだ。その場に錐揉みして倒れたラインハルトはしかし、素早く立ち上がった。


「そなた……何者だ」


 口の中を切ったらしい。血の味がした。衝撃は強く、耳鳴りが止まない。身体の疲弊はさらに進んでいる。


 そんな状態にありながら、ラインハルトは必死で考えていた。三年前のあの出来事。その時に出会った人々の中で、果たしてこれ程の使い手がいただろうか。もし、これ程の使い手と対峙したのであれば、当然、記憶にあるはず……


「本当に、わからないのか」


 部屋全体を炎に包み、手からは火球を撃ち出す。その異常な行動に対して、ラインハルトは「何者か」と訊いたのだが、男はそうとは取らなかった。沸々と滾る炎の様な怒りは、再び燃え上がった。


「三年前だ。忘れているはずはないだろう。それともキサマら貴族様は、そんなことをいちいち覚えている程、暇ではないとでも言うつもりか?」

「覚えている。三年前の事は確かに。だが、わたしはそなたから恨みを買うような覚えは……」

「ないというのかっ!」


 激昂が響く。それは狂気そのものの、異常とも言える強く、激しい怒りだった。


「キサマは生きていて、誰からも恨みを買う事が自分にはないと、そう言うのかっ!」


 ラインハルトは言葉に詰まった。


 果たして、一切、誰からも恨みを買うことなく、生き続ける事等、可能だろうか。


 人間には感情と、自己本位的部分が必ず存在する。誰かが何かをすれば、人は自分の立場からしか、その行いを見ることが出来ず、感情と自己本位な考えからは、離れることは出来ないのだ。


 それぞれの立場。それぞれの利潤。それぞれの感情。それら全てを満たす行いを、一つも間違うことなく実行する事等、果たして可能だろうか。それならば三年前、自分の主導で行った、あのレネクルス領内の政策転換の中で、目の前の男は、これ程の怒りを身に宿したと言うのだろうか。


「そんな事は神にも不可能だ。よく思い出せ、キサマの行いを。キサマの罪を!」

「ならば……ならばそなたは、あの奴隷解放政策の中で……」


 どん、どん、と、激しく扉が打たれる音が部屋の中に響いたのは、その時だった。次いで「公子っ!」と叫ぶ声が聞こえた。アルスミットのものに違いなかった。


「……覚えているではないか。しっかりと」


 男が笑う。男にもこの部屋の扉が破られようとしている事は伝わっている様子ではあったが、その態度はあくまでも悠然としていた。


 炎の猛る室内は暑く、そんな中で剣を交えたにも拘らず、汗一つ浮かんでいない青白い顔を歪めて笑った男は、焔色の外套を翻した。


「ここは預けるぞ、ラインハルト・パーシバル」


 そう言って男がラインハルトに背を向けると、室内を取り囲んでいた炎が、まるで存在しなかったかのように消えた。


「よく思い出せ、ラインハルト・パーシバル。自らの罪を。それがわからぬまま、キサマを殺すつもりはない」


 男は波刃の剣を鞘に戻した。この場で殺す気はない、という事だ。その気になれば殺せるが、いまは見逃す。そういう事なのだろう。


「待て……」


 何一つ、わかっていない。


 何一つ、解決していない。


 ラインハルトは疲弊した身体から声を絞り出したが、男を留める力はなかった。


「次に会う時までに、全てを思い出しておけ。お前が自分の罪に圧し潰される前に、おれが死を与えてやろう」


 男は歩み、窓際に立った。玉座の間は城でも中層階以上にある。当然、その窓の外は中空だ。


「ああ、そうだ」


 扉を叩く音が激しくなった。軋むような音が混ざり始め、いよいよ破られようとしていた。入口の扉が開けば、騎士達が雪崩れ込んで来る。男にとっては危機的状況のはずだが、あくまでも様子は変わらなかった。


「今日の見事な作戦への賛辞だ。一つ教えてやろう」


 男は肩越しにラインハルトを見た。勝ち誇った笑みが、禍々しい気配を醸す。


「おれの名は、ウファ・ヴァンベルグ。キサマの記憶にも、刻まれているはずの名だ」


 大きな音がして、遂に扉が破られた。騎士が駆け込んで来る、装備が立てる金属音が玉座の間に響いた。


 その直後、ウファ、と名乗った紅い男は、身体ごと窓を割って跳躍した。

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