起居せし後、生を用いず成す奇は如何に。
祖バッタ(羊)
贖罪を、食材へ
『…子…清子…!』
母の声が聞こえる、
私の意識は朧気《おぼろげ》で、直感的に
(あぁ、これは夢なんだ…)と理解する。
母の声はまだ若い、かなり前の母の夢…またはその記憶といった所だろうか。
辺りはまだ真っ白な空間で、その中には私一人しかいない。
『清子!ご飯!出来たよ!早く支度して!冷めちゃうわよ!』
そうは言うが、どこを歩こうにもまだ辺りは球場を照らすライトのように眩しく、目を開けるのも億劫になる程だった。
しかし、次第に感覚を得た私は自らの体の輪郭を捉え始めた。
夢の中での私、松谷清子はまだ小学校上がりたて位の普通の女の子だった。
この夢は明晰夢だ。意識そのものがハッキリしている夢。でなければここまでリアルな描写は難しいだろう。
眼前には筆舌し難いほどリアルな光景が広げられている。
先程まで朧気にしか聞こえなかった声も今ははっきり聞こえるし、昔住んでいた家の構造も、今は完璧に再現されていて……懐かしいと言うより、ここまでくると少し不気味と言った方が適切な位だ。
「夢」の中で「リアル」という言葉を使うのは違和感があるだろうが、リアルはリアルだ。私がそう感じたんだから、そうなんだ。
窓の近くの机で母が私をまだ急かしている。
「ほら!今日はこんなに上手くできたんだ!ナポリタン!」
陽だまりを受けて、太陽にも負けないくらい明るい笑顔を出す母は綺麗だった。
今も、昔でさえも思う。
女として、嫉妬する程に。
ピピピピッ!ピピピピッ!
規則的な電子音が聞こえる、
(やっぱり夢か…)
名残惜しくも、
先程までの晴れ晴れとした天気とは打って変わって雲のみの空が見える。
私はこの鬱蒼とした天気と気分を紛らわすためにテレビをつける。
殺人、スキャンダル、放火、汚職事件、セクハラ、盗撮、ろくでもない事ばかりだ。
(これじゃあテレビなんて付けない方が良かったかな…いや、いっそ…)
清子が朝ごはんという名の栄養スティックを齧りながら目の端で捉えたテレビは「自殺」を報じていた。
自殺したい人間は拠り所がないからそうしようと思うんだ、仲間が欲しかったと未練を抱きながらこの世を去るんだ。テレビで『仲間』の存在を知らしめてどうする。
きっとコイツらテレビ関係の人間には、報道を受けた側の気持ちなんて………数字さえ取れていればどうでも良いんだろうけど。
「ヤバい、間に合わない!」
テレビを急いで消し、最後の一口を放り込んで玄関から飛び出す。
睡眠時間1時間、1日2食(栄養スティック二本)、毎日残業、残業手当無し
私もあのテレビを見てシンパシーでも感じた方が良かったか?
また、私の長い一日が始まる。
画面を見つめ、怒鳴り散らされ、頭を下げ、唇を噛み締め、画面を見つめ、窓の外を見て、画面を見て━━━━━━━
「あ、」
私のつまらない劇は、そこで幕を閉じる事となった。
今、その舞台裏に横たわる人形の数はいくつなのか、私は数えたくも無いし、数える気にもなれない。
ここはどこだろう?
また明晰夢?だとしたら早く起きなきゃ、私はまだ仕事が残ってるんだ。
時間の検討がつかない、さっきみたはずの、窓の外の景色さえ私は覚えていない。
「━━━どこ、と申されても…答えられる者はここには居ませんね。」
背後からいきなり声が聞こえた、しかし私は声なんて出てない。
「薄々勘付いてるんじゃないですか?」
やっぱり心を読み取ってる。
やっぱりまた夢だろう。今は意識がハッキリている。しかし、目の前の声を発するそれは、男でも女でも、ましてや人間でもない…『思念体』のように思える。
しかし、聞いたことのない魅力的な声を出す物体だ。
「形に意味を求めるのですか?相手が誰であるか、それって本当に重要なんですかねぇ」
「理解できるかどうか、自らを殺さんとする人に自己紹介する人間がいると思う?」
「理解できるかどうか、としたら…理解は出来ませんね。その考えには。私、ずっとここに1人なので。」
思念体は唸り始めた。
「まぁ、あなたの記憶から…私のこれから成す役目に相応しい格好…は…!」
うねりは伸縮を重ねながら、1つの形状を維持していく。
それは…誰もが1度はみとがあるような…形……。
コックだった。
………はぁ?!
確かに、私はコレの言う通り少しずつ察していた。
明らかに足りない睡眠時間と、その割に合わない重労働、過度なストレス…恐らくは過労死の類いだろう。
するとここはあの世、それかこの世とあの世の堺、その辺が妥当だろう。
ならば、なぜコック?
「あなた、何か犯した罪は無いですか?」
「…そんな事する暇なんてありませんでした、まるで、ロボットみたいに」
「……それは、さしずめ『自分の心に素直にならなかった事』辺りですかね…」
「…は?」
何を言ってる?
「確かに、あなた方が生きる上でルールは必要だったでしょう。それに逆らうことを『罪』と呼んでいましたね。」
「…それが何か」
「なんて事ない、それは人間が決めた事です。我々が思う『罪』とあなた方の言う『罪』の見解の相違です。さぁ、どんどん行きましょう、今みたいな感じで!」
それからコイツは数々の『罪』を私に言い渡してきた。
イマイチ会話が成り立たない気がしたが、おおよそこいつのあげた罪は
自分の心に素直にならなかったこと
自分の自由を追い求めなかったこと
自分の仲間を作らず、大切にしなかったこと
独りで生きていると思っていたこと
……随分と「自分」を大切にする事を重んじる。私は今まで……。
「独りではありましたが、そうさせたのは貴女ですよ。それも罪ですねぇ。『差し伸べられた手を払ったこと』」
「一体何なの?!だから何よ!だいたい、手を差し伸べられたことなんて…」
返答する代わりに、そいつは言った
「そろそろ、準備が整いそうですね」
途端に私の見ている景色は反転し、目を開けると…
『ほら!冷めちゃうでしょ!先食べちゃうよ?!』
今朝の、母の姿だった。
私はただ、招かれるままに席へ座った。
『はい、それじゃあ、いただきます!』
「…いただきます。」
私が声を発すると同時に、それらは煙となって消え失せた。
残ったのは、みすぼらしい机と…
「…ナポリタン?」
「贖罪をこねて作った料理、という所ですかね。味はアナタ次第ですよ。」
何が何だか分からない。
罪の告白とか、今朝の夢のちょっとした続きとか、ナポリタンとか…
綺麗なオレンジ色に彩られたナポリタンを、私はフォークに巻き付けて口へ運んだ。
それはまだまだ熱く、久々にまともな、温かいものを摂取する私は息で冷ますことを忘れて口へ運んだ為、舌を少し火傷させてしまった。
『ほら、ちゃんとふーふーしないと!』
母の笑い声が聞こえる。
「母さん…!」
『ん?』
記憶の中の母は、怪訝そうな顔で私の顔を覗く。
「ごめんね…!私、ずっと母さんに嫉妬してた…!」
母は黙って聞いてくれている
「ずっとね、お父さんが死んでから、お母さん1人で、大変だったよね。でも、私はそんなこと知らずに…!介護もろくにしないで東京なんかに、こんな所に来ちゃって…!まだ、恩返せてないのに…!」
母はにこやかな笑顔を見せている、しかし
「でも、恩返せてないのに、母さん死んじゃって…!ずっと後悔してた…!ずっと逃げてた!」
『清子…』
「あんな変なのに『自分を大切に』みたいな事いっぱい言われたけど、無理だよだって…母さんの事が過ぎって、私のせいで早死したんじゃないかなって…!」
母は、こんな娘を見ながらまだ笑顔を送ってくれている。
『気にしてないよ』
ただ、ただ優しい笑顔でそう返してくれている。
「ずっと…謝りたかったんだ…!
私に罪があるなら、それは『自分を大切にしなかったこと』なんかじゃない!」
最後の言葉だけは、あの思念体の様なものだけに投げかけた言葉だった。
私に罪状があるなら、それは
「それは『大切な人を傷付けたこと』なの!」
思念体は、笑顔の様なものを浮かべ、満足そうに消えた。
ここにはもう、みすぼらしい机と、私と、母のナポリタンしかない。
空間はただただ、真っ白だった。
雲のような白さだが、不快感を抱かせない。
そんな雲からか、それとも私の目からか
雨が、数滴垂れた。
オフィス内、
倒れた清子の頬は「delete」を押し続けている。
もうパソコンには何も文字が表示されていない。
もう動かない彼女を心配する者もいない。
ただ、清子の体には、一筋、暖かい日差しが差し込んでいる。
もう動くことは無いにしても、その遺体を発見した女性は一言言った。
「こんな事言うのもなんだけど、一人の女として、嫉妬する位綺麗だったわよ。
あんなに幸せそうな顔で死ぬなんてねぇ。」
起居せし後、生を用いず成す奇は如何に。 祖バッタ(羊) @tamitune370
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