第7話 愛煙家オードリーと私のバット
「彼女のタバコとの出会いは、戦後間もない頃、兵隊からもらったことだったと言われているわ。
この時点での年齢を調べてしまうと、現代的には色々とまずいんだけど、それは、戦後の混乱期だったから許されたことねえ。
現代の彼女だったら、きっと適齢になるまでは手出ししなかったんじゃないかしら」
妖精さんの話を聞きながら、私は、パーフェクト・レディーを少しずつ飲む。
灰皿に置いたバットは、いつの間にか燃え尽きてしまっている。
彼女は続ける。
「若くして吸い始めた彼女が、早い段階で愛したのが、Gold Flakeという英国系タバコだった。
彼女は、吸い過ぎないようにフィルターとつけて吸ったりもしていたというのだけど、それでも6本を律義に守っていたのは、若い頃だけだった。
多くの挫折を経験している分だけ、抱えているストレスも大きかったんじゃないかしら。
そんな彼女を癒す術の一つだったタバコの本数は、自然と増えもするものだと思う。
最も多い時期には、1日に60本ほど吸っていたこともあったそうよ」
さすがにそこまでヘビーだとは知らなかった私は、驚いて言った。
「すごい本数ですね」
「ええ。でも、どんなに吸っても、あの気品を保っているのだもの。
中には、チェーンスモーカーだとか言って陰口する人もいたにはいたみたいだけど、そんなことは、むしろ言っている方が野暮という者よ。
10本だけせわしなく、コソコソと香りも楽しめずに吸うそこらのニコチン中毒とは違って、彼女は、立派な愛煙家だったと言って良いわ。
香りを楽しむことを忘れない限り、本数は関係ないのよ」
「なるほど」
Moon Riverが流れているのが聞こえる。
一息ついてから、彼女は続ける。
「Gold Flakeは今も続いている銘柄なんだけど、国内ではほぼ入手できないのよねえ。
それができたら、まずうちにも置いていたんだけど」
「確かに、見たことも聞いたこともない銘柄ですね」
「だから、いつかは、彼女の愛した銘柄が楽しめる国に、旅行に行きたいと思っているの。彼女が後半生に愛したKentは、国内でも入手できるのにねえ」
「妖精さんは、本当にオードリーがお好きなんですね」
「ええ」
私は、パーフェクト・レディーを飲み切る。
「今日はゆっくりしたいと思っています。ラ・シャットさんや、他の常連さんともお話ししたいですし、何よりも、この場で癒されたい気分ですので」
「そう。じゃあ、お次は何にしようかしら?」
私は、メニューをめくる。そして、シガーの欄があることに気付く。
「シガーでも試してみようかな。ちょっと高いけど、この場にはぴったりな気がします」
「そうねえ。シガーは、初めてかしら?」
「ですね」
「それなら、ドンさんが来てからの方がいいかも。彼の方が、私よりもシガーには精通しているしねえ」
「ドンさん?」
「とある企業の社長さんで、このバー一の葉巻通と言っても過言ではないわ」
「なるほど」
「いつも、この曜日は22時ごろに来てくれるの。だから、あと1時間ぐらい待てば会えると思うわ」
どのみち今日はゆっくりするつもりだ。それなら、待った方がいいだろう。
「なら、待てますね。その間に、もう一杯飲むとしましょうか」
私は、メニューをめくる。
「それなら、このスコッチを、ロックで頼みます」
「了解」
私は、もう一本バットを取り出して、火を点ける。
やや気まぐれで、ムラがあるバットの味。その味が、身体に染みる。
「お待たせしました」
妖精さんが、ロックを差し出す。
そして、私が手に持っているバットを見て、言う。
「そういえば改めて思ったけど、オサムさんは、バットを吸うのねえ。最近の若い人では、手を出す人は少ないと思ってたけど」
「そうでもないんですよ。この頃は値上げが続いていますから、安くて、同時にしっかり香りを楽しめるバットは意外と人気が戻ってきていて、置くコンビニも増えてきているんです」
「でも、安いからというだけで吸っている訳ではなさそうねえ」
「そう、見えますか?」
「ええ」
それは、そうだ。
私がバットを吸うようになったのは、バットが文壇御用達のイメージが強いからでもあり、私が狙っている小説の賞の名前にもなっている芥川龍之介も、バットを愛していたからでもある。
だが、見ただけで分かるものなのだろうか?
妖精さんは続ける。
「今度は、あなたのバットのお話でも聞きたいわ。話せるでしょう?」
念のため、前に来た後に一通り調べておいてよかった。
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