キティ・ペンタグラム

@dormantgomazoa

荒れ野で

【第四章】

荒れ野でnumbers

【登場人物】

日向あおいkitty sunflower


 助けを呼ぶ声が聞こえたら体が勝手に動き出すんだ。どんなに遠くからでも、心の悲鳴は距離も時間も飛び越えて必ずジェリクル・キャッツの下に届くのだと、日向あおいに《宝石のような仲間たちジュエリー・クルー》の力を託してくれたランパスキャットは、いつもそんなふうなことを言っていた。あの愛くるしい毛むくじゃらたちのことは、きっと自分たちがこれからどれほど多くの現実を取り戻せたとしても決して忘れたりはしないだろう。誰よりも勇敢なランパスキャット、いつも明るいスキンブルシャンクス、へそ曲がりのラムタムタガー、クールなミストフェリーズ、心優しいオールドデュトロノミー。あの妖精たちが平和になったポッサムシティに帰ってしまってからは、このあるがままにされていた事象の意味も、霊基隷属におけるノイズの少ない狭いチャンネル帯域を通じて発せられた波長の短いネガティブなイメージの爆発を、同じ深度に存在主軸を推移させているジェリクルたちだけがいち早く察知できるという、賢い人たちの言い回しでしか説明されない。自分たちの身の回りに起きていた数々の奇跡が、全く関係のない人たちの手によってなにもかも難しい理屈で説明されようとしている。

 人を助ける行為に、難しい言葉を使いたくはないと、あおいは思っている。だからあおいはいつだって感じたままに信じるままに動き出す。今も駆け抜けている。

 光のように。二点間を結ぶ光が、取りうるあらゆる経路の中から最短の時間で到達できるルートを選ぶように、あおいは夜へ急ぐ人になる。ブロック塀と電柱の間を三角跳びで駆け上がり、屋根伝いに走る。瓦を一枚蹴るたびに、カスタネットのような乾いたメロディがタン、タン、タン、とリズミカルに足元を追いかけてくる。アパートメントの外壁に飛び移って、配管の留め金をしっかりとクリンプしながら膝のタメと腰のバネを使って勢いよくランジ、屋上にクライムアップ。肩幅にも満たない欄干を使って助走距離を稼ぎ、隣の建物の屋上へ。

 体が燃えるように熱い。

 ふくらはぎがポンプのように心臓に血を送り返す。

 体中に夜空を浴びながら、庭の飛び石を踏むような軽やかさでビルの屋上から屋上へと跳躍を重ねる。複雑な路地や人だかりの中を左右に掻き分けるよりも、空間を上下に省略しながら進む方が、今の自分が発揮できる運動パフォーマンスにとっては、よっぽどスムーズに距離を――時間を短縮できる。

 あおいは位置エネルギーを蓄積しながらぐんぐんとスピードを上げて、トップスピードで高層ビルの縁を蹴った。

 次の足場はない。

 ビルの明かりがまるでディレイのように流れていた。

 彼女の中の位置エネルギーが融け出すように運動エネルギーへと変換されていく。六〇メートル下の、針の穴ほどの雑居ビルの隙間に、重力を重ねたその体を高速で滑り込ませた。あおいはスニーカーの靴底をやすりのようなモルタルの壁に擦りつけて、スライディングの要領で縦に急ブレーキを掛ける。惜し気もなく差し出された運動エネルギーのほとんどが摩擦熱に費やされて、あおいの踵から真っ赤な炎が燃え上がった。

 壁を弾くように蹴って、サイドフリップする。

 霊基隷属上の臨界点に達して相転移した熱エネルギーの渦が回転モーメントに従ってあおいの体を覆い、そして燃え上がる炎のひだのようなオレンジ色のドレスを縫製した。ジェリクル・キャッツ、キティサンフラワーとして《点火》する。

 キティサンフラワーは着地する瞬間、今や無尽蔵に体からほとばしる炎の力を爆発させて、その推進力を使って弾丸のように一直線に雑居ビルの隙間から飛び出した。

 正面には電源の落ちた総合学習塾ビルの分厚い壁が立ち塞がる。だけどもう遠回りなんてする必要はない。そこだ。そこから聞こえるのだ。白熱化したキティサンフラワーの体が時速百キロを超える速度で鉄筋コンクリートを貫く。一つの小さな太陽の突撃に、ビルの構造体はその輻射熱で触れるまでもなくドロドロのマグマのように溶解し、通過の衝撃によって飛沫を散らした。

 左足を深く踏み込む。

 セラミックタイルの床材が焼ける。

 力ずくで慣性をねじ伏せてコントロール。

 重心が高速でスライドする。

 自分の体の中に渦巻く巨大なエネルギーの塊が、凄まじい勢いで移動しているのが分かる。

 握りしめた拳の中にエネルギーが集まる。

 鞭のようにしなる関節と関節の連動。

 燃える拳が、標準を定めたミサイルのように発射された。

 その着弾地点に怪物の姿がある。

 ――人を襲う怪物の姿が!

 一撃で倒せるだけの熱量をこの拳に集めてきた。

 全身全霊全力のパンチだ。

「お天道様は全部お見通しだ!」

 ――ジェリクル、サンフラワー・アタック!

 空気の膜が破れた。

 吹き飛ばした怪物もろとも、キティサンフラワーの体は反対側の壁を突き抜けた。鉄骨がひしゃげ、コンクリートが砕け散る。衝撃波によってエントランス中の窓ガラスが粉々に割れてしまった。排熱するように息をはき出す。どこかの駐車場で誰かの車のセキュリティがクラクションを鳴らしている。

 怪物はビルの残骸の中でその姿を保てなくなるほどのダメージを負って、塗り潰されるようにここからいなくなった。

 あおいは振り返る。チリチリと焼け焦げたブレーキ痕の赤らみに縁取られて、建物の中で少女が怯えていた。

 ――少女が今も怯えていた。

 ドレスの縫製が綻び、キティサンフラワーとしての輝きが色褪せつつある今の自分が、怯える彼女の、ぽっかりと空いた穴のような瞳の奥に滑り落ちていってしまいそうで、日向あおいは、その暗がりの中を覗いてまでは確かめられない。

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