第二十章
「沙弥、もう終わりにしましょう」
沙弥を真っ直ぐに見つめていた時雨から、静かな、それでもはっきりとした言葉が出る。
「……時雨?」
沙弥から漏れる声は、弱々しく動揺が露わになったものだった。時雨を見つめる瞳はわかりやすいほど震えていた。そんな沙弥を静かに見つめたまま、時雨は言葉を続ける。
「貴女なら、できる。だから、私を終わらせて」
「どうして……、どうしてそんな、ことを」
震える声で沙弥が問うが、時雨はそれに答えることはせずに沙弥の肩を強く押して突き放す。その瞬間、沙弥の目がはっと見開かれる。
「貴女にとって、私は必要のない存在よ。それは、貴女が一番わかっているはず」
優しく微笑みながら言う時雨の言葉は、沙弥にとっては残酷な刃のように突き刺さる。息が詰まりそうになる中、沙弥は呼吸を荒くして整えようとする。
「どうして、どうして……? 時雨、どうして、そんなことを……」
突き放された沙弥はもう一度時雨のそばに近づこうとする。しかし、その足は震えていて、歩くこともおぼつかない様子だった。
「千条亜華音の存在が、キミを変えてしまったのかな、時雨?」
聞こえてきた第三者の声に、時雨は視線を沙弥からずらす。そこにいたのは、目を細めて笑うナナコだった。
「どうしてここにいるの、ナナコ」
時雨が名を呼ぶと、ナナコはふふ、と小さな笑い声を漏らした。
「どうして? そんなこと、思ってないだろう。時雨、キミは何でも知っているのだから」
言いながら一歩ずつ、ナナコは呆然とする沙弥の横を通り過ぎて時雨に近づいた。時雨の真正面に立って、ナナコは笑みを消す。
「キミにとって、千条亜華音の存在はどれほど大きいものだろうね?」
「千条、亜華音……?」
背後で聞こえた小さな沙弥の呟きを逃さなかったナナコは口角を小さく上げる。その笑みの意図が読めず、時雨は眉間に皺を寄せた。
「ナナコ、貴女は何を言っているの?」
「さあね。それはいいとして、時雨。ワタシたちのところに来てくれないかな?」
「ナナコ、私は何度も言ったはずよ。私は、どこにもつかない」
ナナコの言葉に首を振り、時雨はナナコを睨む。睨まれたナナコは表情を変えることなく楽しそうな笑みを浮かべていた。時雨の答えは予想していた通りのようで、「そうだろうね」と笑っていた。
「なら、千条亜華音はどうなる?」
言いながら、ナナコは手の中に赤い光を生じさせて拳銃を作り出す。そして、銃口を時雨の額に向けた。
「キミは何故千条亜華音を突き放さない? つい先ほど、沙弥にしたように」
小さく首を傾げて、ナナコは笑みを交えて時雨に問う。ナナコの背後で沙弥が顔を上げて時雨を真っ直ぐに見つめて、時雨の言葉を待っていた。
「……それ、は」
時雨の口から出たぎこちない声。そして、続かない言葉。ナナコはその反応に、確信を抱いた。
「答えてくれよ、時雨。キミにとって、千条亜華音という女の子はどんな存在なんだい? ワタシとも、沙弥とも、透くんとも違う存在なのかい?」
ナナコは、引き金を引いた。
「時雨さん!」
図書室の扉を勢いよく開けて、亜華音は叫ぶ。図書室の中は誰もおらず、ただ静寂だけが存在していた。夕陽が傾いて、窓から差し込む光は赤く染まっていた。
それを認識した途端、どこか遠くから鐘が鳴る音が聞こえた。亜華音が一歩図書室に入ると同時に強い風が吹き荒れた。
「うわっ?!」
砂埃が混じる風に煽られて亜華音は地に膝をつく。そこは図書室ではなく、赤い月が浮かぶ異空間――アカツキ。亜華音は自分がアカツキにやってきたことを確信して、顔を上げる。砂埃が薄れると、遠くで時雨が走っている姿が見えた。その背後で、銃声と砂が爆撃を受けて柱のように巻きあがる様子もあった。
「時雨さん!」
亜華音は立ち上がって時雨の名を叫びながら走る。その声に気付いたのか、時雨が亜華音の方に向かって何かを叫んでいたが、遠く離れた亜華音にはその声は届かなかった。
「時雨さん! 今そっちに行きま……」
「行かせない」
背後から聞こえた声に気付いた亜華音は振り向こうとした。が、上方から見えた黒い影と人の気配を認識したと同時に亜華音は一歩後方へ跳躍した。振り下ろされた大剣が、亜華音のスカートの端を切り裂いた。
「……ッ!!」
直後、どん、と低い音が地面を鳴らす。亜華音は荒くなる呼吸を整えながらつい先ほどまでいた場所に視線を向ける。そこにあるのは、紫に光る大剣の刃が地面に突き刺さっている光景。地に亀裂を入れるほどの威力を見て、亜華音の頬に冷たい汗が筋を作った。
「……篠江、先輩」
大剣を振り降ろして俯いたままの沙弥が、亜華音の声に気付いてゆっくりと顔を上げる。いつもの無感情なものではなく、険しい表情で沙弥は亜華音を睨んでいた。鋭い眼光で睨まれた亜華音はびくり、と肩を震わせた。
「私は、貴女を認めない」
「え……?」
亜華音から漏れた戸惑いの声を聞いた瞬間、沙弥が亜華音に剣を向けて走りだした。突然向けられた敵意に戸惑いを隠せないまま、亜華音は右手に黄色く光る剣を出して沙弥の剣を受け止めた。ぶつかり合う刃の音は鋭く亜華音の耳に突き刺さり、腕にかかる剣の力は強く亜華音の手が震える。
「篠江先輩! もう戦わないって言ったじゃないですか! なのに、どうして?!」
「貴女が時雨のそばにいるからよ」
沙弥の真っ黒な瞳が亜華音の姿を捉えていた。その瞳に含まれるのは怒りと、憎しみ。そして言葉から向けられる敵意を感じて、亜華音はなお困惑の表情を浮かべる。
「どういうことですか……? 私がそばにいるから、って」
「キミが愛する人のそばにいることが気に食わないんだよ、沙弥は」
亜華音の耳に届いたのはナナコの声。視線をずらせば沙弥の後ろにナナコの姿があった。目の前で亜華音と沙弥が戦っている状況だというのに、ナナコは楽しそうに笑っているだけだった。
「沙弥は時雨と一緒にいないのに、キミは時雨のそばにいる。それが、沙弥にとってどれほど重要なことかわかるかな?」
沙弥の刃を受け止めながら、亜華音はナナコを見つめる。
「篠江先輩にとって、時雨さんが大切な人だっていうことはわかります……。でも……」
亜華音は視線を目の前の沙弥に戻す。沙弥は剣を引くことなく亜華音を睨んだままだった。その眼差しを受け止めて、亜華音は沙弥に問う。
「どうして時雨さんを傷つけようとするんですか?! そんなことしなくても一緒にいることなんてできるのに!」
「貴女が、特別だから」
沙弥は大剣を再び持ち上げる。その隙に亜華音は後方に避けようと跳躍した。
「時雨が、貴女を選んだから」
沙弥の大剣に紫の光が強く灯り始める。見たことのない光景に亜華音は目を大きく見開いた。何が起きるのかはわからなかったが、本能が警鐘を鳴らすように心臓の鼓動が早まっていた。亜華音は左手にも剣を出現させ、沙弥から距離を取ろうと走り出そうとした。
直後、銃声が響く。
「うあぁっ!!」
足に走る激痛。亜華音が右足を視線に向ければ、足から血が流れているのが見えた。それを認識した途端、亜華音の足から力が抜けて地面に倒れ込んだ。
「うっ……!」
亜華音は顔を上げて背後を見る。視界の端で、銃口を亜華音に向けたナナコがにこりと微笑んでいる姿があった。そして、沙弥が振り上げている大剣は強く光を帯びて刃がさらに大きくなっているのが見えた。
「……千条亜華音」
沙弥の低い声が、亜華音の名を呼ぶ。瞬間、大剣が亜華音に向かって振り下ろされた。
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