第十章
「時雨」
時雨の名を呼ぶ、低い少女の声。時雨が視線を向ければ、そこにあったのは紫に光る剣の刃。
「……沙弥」
先ほどまで時雨が立っていたところに剣を叩きつけているのは、沙弥。その手に握られている剣は彼女の身の丈ほどの大きさで、刃も彼女の姿を隠せそうなほど大型のものだった。そんな剣を軽々と手元に引き寄せて、沙弥は再び構える。沙弥の様子を見て、ナナコがくすりと楽しそうに笑った。
「沙弥、あまり激しくしないでくれよ。時雨が傷つくのはキミも嫌だろう?」
「この程度の攻撃を時雨が避けられないはずがない」
「買いかぶりすぎよ、沙弥」
時雨がわずかに苦笑いを浮かべながら言うが、沙弥は動じた様子もなく視線をじっと時雨に向けていた。
「私は事実を述べただけ。時雨が回避可能な攻撃を行った」
沙弥は静かに答える。沙弥の瞳はただ一点、時雨にだけ向けられていた。
「誰かが入ったようだね」
空気の震えを感じて、自治会室の自席についていた芳夜が視線を手元の書類から上方に向ける。応接用のソファで同じように書類を見ていた透も顔を上げ、芳夜の方を見ていた。
「どうする? わたしたちも行くかい?」
「……行くなら一人で行けばいい」
「つれないねえ、透。せっかく誘っているのに」
「つい先ほど大量に見つかった、どこかの誰かが目を通さないといけない書類の整理をしているのは誰だと思っている」
苛立ったような透の口調に、芳夜は肩をすくめた。書類は『自治組織長宛て』と書かれているものばかりだった。
「怖い怖い。じゃあ、わたしが行ってくるよ」
「……好きにしろ」
その言葉を受けた芳夜は、にこりと笑って自治会室を出た。扉が閉まると、透は息を吐き出した。
時雨の黒い刃が、沙弥の紫に光る剣を受け止めていた。金属と金属がぶつかり合う甲高い音が、アカツキの中に響く。
「相変わらず貴女は強いわね、沙弥」
「私は、強くない。貴女のほうがもっと強い」
時雨の言葉を否定しながら、沙弥は大型の剣を振るう。受け止めた時雨の剣がびりびりと震えていた。
「時雨、こちら側に来るつもりは無いのかな?」
時雨と沙弥の戦いを傍観していたナナコが時雨に問う。沙弥の剣を受け止めて払った時雨がナナコに視線を向ける。ナナコは相変わらず楽しそうな笑みを浮かべていた。
「ワタシたちはキミを傷つけたいと思ってはいない。なるべく、キミが綺麗なままで手に入れたいんだ」
「綺麗なまま手に入れたい……ね。相変わらず悪趣味な子ね、ナナコ」
「そう言われるのは慣れているよ。それで、答えは?」
時雨は首を振った。目を細めてふっと笑いながら、時雨はナナコの問いに答える。
「私はどこに属する、ということはしない主義なのよ」
「わかっている」
声の直後、時雨は視線をナナコから上方に向けた。空から、剣を時雨のほうに向けて落ちてくる沙弥の姿があった。
「っ?!」
時雨は後方に飛ぶ。数秒ずれていたら、その大型の剣は時雨の身体を貫いていただろう。大きな音と共に、あたりに砂塵が舞う。
「全く、沙弥はやることが派手なんだから」
時雨たちから離れていた自身の元まで視界を遮るほどに砂塵が舞う光景に、ナナコは口笛を吹きながら笑っていた。そして時雨たちのもとに向かおうとしたときだった。
「君が言えたことではないだろうけどね、ナナコ」
第三者の声にナナコの足が止まる。すでに後頭部に何かが突きつけられている感覚に気付いて、ナナコは肩を竦めた。
「怖いことをするねぇ、『赤月』は。そういうの、よくないと思うけど? ……ねえ、芳夜」
ナナコの後方に立ち、朱色の光を灯している拳銃を突きつけているのは芳夜だった。眼帯をつけていない右目は鋭くナナコの姿を捕らえていた。
「校則違反を続ける生徒には実力行使も必要だと思って。君のような悪い子にはお仕置きが必要だ」
「体罰ばかり与える教育はよろしくないよ。ワタシは褒めて伸びる子だから」
そう言うとナナコは勢いよく振り向いた。その行動に芳夜ははっと目を見開いたが、ナナコの手の中に紅色に光る拳銃が握られているのを見て体勢を保った。
砂塵舞う中、互いの額に銃口を向ける芳夜とナナコ。睨みつけるようにナナコを見つめる芳夜に対して、ナナコの目の端は柔らかく歪んでいた。
「何かの映画のシーンみたいだねぇ。そう思わないかな、芳夜」
「その意見には少しだけ同意できる。けれど随分余裕があるようだな、ナナコ」
余裕の表情を浮かべるナナコに、芳夜はわずかに引きつった笑みを浮かべている。ナナコはそんな芳夜の表情を見て口角の端をくいと上げた。
「ゾクゾクしないかい、芳夜。ワタシは、こういうスリルのあるような日常を求めていた。だから、時雨と出会ってアカツキを知り、魔法を使えるようになったとき興奮したのさ」
「悪いが……悪趣味、としか思えない」
「よく言われるよ」
にっこりと笑ったナナコは、真っ直ぐに引き金を引いた。
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