9-3
……ギャノビーさんは、動き出せば早い。
というか、速すぎる。
マントをなびかせ、ギャノビーさんの駆ける後ろ姿は、まるで、舞台上で軽やかにステップを踏んでいるかのようだ。
だというのに、一瞬でも気を抜いたら、ギャノビーさんの背中を見失いかねない。
つくづく、純血統の〈
この走行が長時間続くとなると、さすがに骨だけれど、数分と
目当ての場所に、着いたらしい。
いや、らしい、と、推量したのは一瞬のこと。
目的の場所は、この地点以外、ありえない。
目にした異様な光景に、そう断じていた。
そこは、広大な屋外駐車場だった。
そして、その宙に、その場所に収まるべきもの……十数台もの自動車が、浮かんでいた。
しかし、自動車が浮かんでいる、という表現が、正しいのかどうか。
それら自動車は、すべて破壊されており、どれひとつとして、まともな形を
まるで、爆発で吹き飛ばされた瞬間、時間が止まり、夜の闇に
空中で静止した
その先端で、鉄塊の列は一端途切れ、そこからやや離れた場所に、破壊された自動車の鉄片が、地面に散らばり落ちていた。
「どうだね、おあつらえ向きの場所だろう?」
なにをか言わんや。
あつらえた本人が、そう言って、こちらにニヤリと笑ってみせるのだった。
ギャノビーさんが持つ、風の神霊が宿る魔法剣によって、結界の破壊を試みた結果が、この光景だろう。
魔法の剣撃は、結界を破壊し、その力場帯にあった一面の自動車をも、衝撃の渦に巻き込んだのだ。
結界の障壁が一瞬で修復すると、爆散した自動車すべては、その見えざる力に捕らわれ、宙に固定される形になったのだろう。
ギャノビーさんが、おあつらえ向き、と言ったのは、僕が結界を跳び抜ける距離に、見当をつけることが、可能になっているからだ。
自動車の破片が、地面に落ち、散乱している場所には、結界の力は、
その距離は、見たところ、五十メートル前後。
ギャノビーさんが、説明してくれたとおりのようだった。
「……結界が、二重に張られている可能性はないでしょうか?」
念のために、確認しておく。
結界を抜けた先で、同様の障害に阻まれたら、僕には手の打ちようがない。
「断言しておこう。その心配はない。うちの魔法専門家たちが、調査、解析済みだよ」
きっぱりと、ギャノビーさんは保証してくれた。
「結界障壁を発生させている魔力の流れは、ひとつだけ。これだけ広域に渡る、強力な大規模結界だ。土地そのものから魔法陣に変えているとはいえ、何重にも障壁を張り、結界を維持するほどの魔力は、ないのだろうな」
逆に言えば、強力な結界ひとつを、半日維持できるだけの魔力は、あるのだろうがね。
と、ギャノビーさんは苦々しく笑い、付け足した。
なら、あとの問題は、結界突破時の呼吸だけか。
ギャノビーさんの魔法攻撃より、〈
瞬間移動同然の超高速で、魔力障壁に衝突したなら、僕の体は、見るも無惨に爆発四散することだろう。
さらに、ちょっとでも間が悪ければ、宙で静止している自動車と同じく、結界の力場に挟まれアウト。
再挑戦の可能性は、ゼロに近い。
まったく、ハードルが高すぎる作戦である。
姫様の命が掛かっていなければ、今すぐ回れ右して、逃げ出しているところだ。
「さすがのニフシェ坊やも、慎重になっているようだな?」
僕の考えを見透かしたように、ギャノビーさんは言った。
「慎重、って言うか……
率直なところを、口にする。
やるしかない、という状況とはいえ、少しでも結界突破の成功率を上げる算段が欲しいのだけれど……。
これといって、有効な方法が、さっぱり思いつかない。
ここは、ギャノビーさんの動きに呼吸を合わせるのが、最善か。
そう
不意に、ギャノビーさんが、すらりと剣を鞘から抜き放った。
魔力の光を帯びた、その細身の刀身が、夜闇に、淡白く浮かび上がる。
風の神霊が宿る、魔法剣──────────。
「では、そんな坊やに、朗報だ」
伊達男を絵に描いたような笑みを浮かべ、ギャノビーさんは儀礼的な剣の構えをとった。
「坊やも知ってのとおり、この剣には、風の神霊が宿っている」
ギャノビーさんの言葉に、僕はうなずいてみせる。
今更なんの確認ですか、と口を挟みかけたのだけれど、ギャノビーさんのことだ。
なにか、秘策があるのだろう。
「その神霊の精神と、坊やの精神を、一時的に
「……直に理解、ですか」
そんな便利技があるなら、早く言ってください。
正直、そうクレームをつけたい気持ちを抑えて、オウム返しで応答する。
こちらの心中を知ってか知らずか、ギャノビーさんは余裕の笑みを浮かべ、軽く剣を振るってみせた。
ヒュヒュンと風を切ったあと、その切っ先を、ピタリと僕の額に向けて、止める。
「では、時間もないことだし、早速、
「え、ちょっと」
待ってください、と言う間もなかった。
視界いっぱいに、流星雨。
光の雨、無音の衝撃と、震動。
とてつもなく大きな、魔力の流れ。
それらすべてが、こちらへ向かって突きぬけてくる。
〈
だが、そう認識した一瞬のうちに、それらすべては、消えていた。
次に感じたのは、脈動と、
ギャノビーさんの魔法剣に宿っている、風の神霊のものだろうか。
はて、神霊も呼吸したり、心臓を脈打たせたりするのかしらん。
などと、
その
と、同時に、自分の感覚に、別の視点が備わっているのを感じる。
僕の両目で見ているものとは別の視界が、ある。
見えているのではないが、
──────なるほど、これが、神霊の精神との
「……よし、問題ないようだな」
ギャノビーさんは、僕のその様子を見て、ニヤリと笑った。
「風の神霊に嫌われ、
「……さらっと、とんでもないこと言わないでくださいよ」
と言うか、そんな恐ろしいこと、お手軽感覚でやらないでいただきたい……!
結界突破のための、唯一の秘策を施されたとはいえ、腑に落ちない気分が満点だった。
そんな気持ちでいると、誰かが間近で、クスクスと笑ったような気がした。
風の神霊が、笑ったのか。
精神が
僕の、ギャノビーさんへの抗議をこらえている気持ちが、
所有者同様、剣に宿る神霊も、おもしろがり屋であるらしい。
「さて、それでは時間も押していることだし、舞台に
ギャノビーさんは、そう言うと、剣を正面に構えた。
そのギャノビーさんの全身から、魔力がうねり上がるように、高まっていくのを感じる。
いや、感じ取ったのは、ギャノビーさんの魔力だけではなかった。
魔法剣の魔力─────風の神霊の魔力も、同じく勢いを上げて高まっていく。
風が、ギャノビーさんを中心に、渦を巻きはじめた。
風をまといながら、ギャノビーさんの身体が、宙に浮いた。
ふたつの魔力は、なおも増大していく。
ギャノビーさんの身体はそのまま高く浮上していき、宙の一点で、止まった。
僕は、魔力障壁へと向き直り、身構える。
もはや、言葉は不要だった。
風の神霊との
目を閉じる。
けれど、風の神霊の視界は、開いていた。
「剣に宿りし乙女の名はシュベルトライテ。戦告げる風を
その不思議な視界の中、ギャノビーさんの声が響いた。
渦巻く風が、極限まで膨れ上がったふたつの魔力へと、
「─────この一撃が、騎士たる少年の道を開かんことを」
ギャノビーさんは、芝居じみた、だが、祈りのこもった言葉と共に、両手で剣を突き出した。
瞬間、すべての音が、止んだ。
WOOOOOOOOOYAHHHHHHHHHHHTAHHHHHHHHHHHHHHHHHHH!
ギャノビーさんの口から、戦士の
溜め込まれた魔力が、魔法剣から、嵐そのものとなって、解き放たれる。
〔今っ!〕
神霊の合図が、僕の心の中で響き渡った。
破壊の嵐が射出されるのと同時だったか、それとも射出後だったかは、知覚領域外のこと。
確かなことは、風の神霊との
僕は、両腕を顔の前で交差させ、〈
魔力の嵐が、結界を
そこを、その瞬間を、飛び抜ける。
結界破壊の衝撃の余波が、超高速で跳躍する僕の身を襲った。
予想していたとおりだ。
このために、頭部を可能な限り守るべく、僕は両腕を眼前で交差させていた。
見えざる衝撃の残り刃が、僕の全身をずたずたに切り裂いていく。
──────────それがどうした!
ヒュボッ
そんな音を耳にしたあと、僕は、前のめりで地面に転がり込んでいた。
すぐに、立ち上がる。
立ち上がったそのまわりには、自動車の部品が、散乱していた。
────なんとか、結界を突破することができたようだった。
自分が
体中の痛みも、無視する。
傷なら、すぐに塞がるだろう。
服がズタボロになってるのは、まあ、仕方ない。
僕は、ギャノビーさんへと振り返った。
いつの間にか、地面に着地していたギャノビーさんは、帽子を取って、
そんなギャノビーさんに一礼してから、走り出す。
風の神霊の視界は、もう、僕には視えなくなっていた。
神霊との
風の神霊に、お礼を言い損ねてしまった。
……すべて片付いたら、改めて感謝の意を伝えることができたらいいけれど。
そう、うっすらと思っているうちに、目的の建物にたどり着く。
─────やれやれ、
さほど距離はなかったというのに、肉体的にも、精神的にも、けっこうなエネルギーを使ってしまった気がする。
結界突破時の負傷は、消えていた。
キャップから奪った〈
身体的なコンディションには、問題なかった。
僕は呼吸を整えて、目の前の、白い、できそこないのピラミッドを
さあ、ここからが本番だ。
周辺の〈気〉の動きを探る。
TV局、イノセント・ネットワークの外部には、伏兵の気配はないようだった。
と、すると、屋内に敵─────たとえば操り人形と化した〈
大魔法による結界の中に
さて、どこから入るとするかな……。
これだけ大きな建造物ともなれば、警備が手薄になるところは、絶対にあるはず。
……相手側の思考を、
自分ならば、まず、どこの守りを固めるか。
正面玄関。
関係者出入り口。
大型機材搬入口。
屋内駐車場出入り口。
各階非常階段出入り口。
基本として、抑えておくだろう場所を、ざっと思い浮かべる。
敵は、まともな意識のない
が、雑魚を相手にしている時間はない。
……ない、のだが、敵を完全に回避できるようなルートを探して回る時間もまた、ない。
走りながら、建物の二階あたり、ガラス張りになっている壁面を見る。
〈気〉を読み取り、敵がいないことを確認。
それから、ガラス張りの壁面へ跳躍しつつ、〈気弾〉を放つ。
〈気弾〉によってガラスは盛大に砕け散り、僕はそこから建物の中に身を躍らせた。
ガラスの破砕音は、遠くの敵の耳にも届いたに違いないから、さっさと移動することにしよう。
侵入した場所は、どうやらTV局内にある喫茶店らしかった。
電源そのものから落とされているから、当然、照明は機能していない。
〈気〉の動きを読んでわかっていたことだけれど、人間の客はもちろんだが、従業員の姿もなかった。
床に、人の死体が無数に横たわっている、という事態も想定していたが、それもなし。
〈
いや、と、今、街中で起こっている騒動を思い出す。
ただ単に、邪魔な人間は、最初から〈
さて、どうするか。
喫茶店の出口がどこか探していると、テーブル席の数々が僕の目に
「……おっと、
思わず、そう
想定していた強攻策でいくより、早く屋上へたどり着ける方法を思いついたのだ。
「お店の人には、悪いことしちゃうな」
なんて、ひとり呟きつつ、テーブル席のほうへ足を運ぶ。
まあ、世界がどうにかなってしまうよりマシだろう。
……とはいえ、ごめんなさい。
見たこともない喫茶店の主に内心謝りつつ、僕は思いついた策を実行することにした────────。
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