9-2

「どうやら、良いタイミングだったようだな、ニフシェ坊や」


そう言って、ギャノビーさんは華麗な動作で、抜き放っていた細身の剣を、さやに戻した。

僕を、文字通り危機一髪のところで救ってくれたのは、その魔法剣。

キャップの体を弾き飛ばしたあの大突風は、剣に宿った、風の神霊の力によるものだったのだ。


「本当ですよ。ありがとうございます。……でも、できればもう少し早く、加勢かせいに来てほしかったですね」


感謝しつつも、死の緊張から解放された反動で、つい、本音をもらしてしまった。


無名ノウネイム〉を叩き潰すと息巻いていた矢先に、九死に一生を得たようなこの為体ていたらく

そんな自分の不甲斐なさに、思わず愚痴っぽくなってしまったというか。


「若者が贅沢ぜいたくを言うのは、感心せんな」


ギャノビーさんはニヤリと笑って、僕に手を差し出してきた。

その手を取って、立ち上がる。


「まさか、若旦那を殺しちゃいまいね?」


「……大丈夫、だと思いますけど」


と、言いつつも、こっちもギリギリ、いっぱいいっぱいだったので、絶対の自信はない。

怪人ベラヒィのように、再起不能となるほどには、〈輝源力ジェネシス〉は奪っていないはず……。

なのだが、キャップをノックアウトするほどには、全力殴打を連打で浴びせてたので、今更ながら心配になってきた。


輝源力ジェネシス〉が窮乏きゅうぼうすると、〈人外アーク〉の回復能力も必然、低下するし。


キャップをちら、と一瞥いちべつし、ギャノビーさんは、ふむ、とうなずいた。


「生きているようだな。上出来、上出来。息があれば、心配いらんだろう」


アバウトにも程がある見立てだけれど、ギャノビーさんほどの人が保証するならば、一応、安心していいだろう。


「ギャノビーさん。今、あそこでなにが起こってるか、わかりますか?」


あそこ、とは、もちろん、目前のTV局、イノセント・ネットワークのことだ。

銀星車輪団アリアン・ロッド〉は、魔力を感知したことから、〈無名ノウネイム〉が陣取る場所を突き止めていた。

ギャノビーさんならば、いくらかの情報で、〈無名ノウネイム〉の最終目的を推測できているのではないか。


「〈不死王〉が行使した、闇の大魔法の再現、と言いたいところだが……」


「─────違うんですか?」


「勘だがね。今回はどうも、行く末が別のようだ」


ギャノビーさんは、イノセント・ネットワークを見あげる。


「坊やは、カガネアくんにしらされて、ここに来たのかな?」


「ええ、それもあるんですけど……。例の護符を通して、えたんです。姫様の、とらわれている姿が」


詳細は省いて、要点だけを伝える。

ほう、と、ギャノビーさんは感心したような声を出した。


「坊やの〈顕現天使エヴァンジェル〉としての力が、護符の魔力と共鳴した、といったところか」


さすが、ギャノビーさんは、推察が早い。


「カガネアくんから聞いたと思うが、あのTV局を中心に、異様な〈力〉の流れが発生中だ。そのうえ……」


どこで拾っていたのか、ギャノビーさんは、ふところから、拳大の石を取りだした。

そのまま、その石を、TV局のほうに向けて投げる。


あまりに自然で、流れるような動作。

だけど、その投擲とうてきは、〈吸血鬼ヴァンパイア〉の超身体能力によるもの。


投じられた石は、凄まじい速度で、空間を裂くように飛んでいった。

その勢いは、僅かにも衰えることなく、イノセント・ネットワークの外壁へ、届くかに見えた。


ところが。


突然、稲光が走り、石は、宙で粉々に砕け散った。


石が砕けたその箇所かしょを中心として、空間に、光が、波紋となって広がる。

だがすぐに、何事もなかったかのように、光の波紋はき消えた。


ギャノビーさんは、僕に、軽く肩をすくめてみせた。


「……ご覧の通り、周囲には、厄介な結界を張られているのだな」


魔力障壁まりょくしょうへき……!

TV局に近づくにつれ、強くなっていた嫌な感覚の正体は、この見えざる結界だったのか。


「魔法のエキスパートに調べさせたところ、力場の厚み幅は、約五十メートル。─────わずか五十メートルだがね。都市の一区画を覆うほどの結界層となると、桁外けたはずれだ。ここまでの規模のものは、一朝一夕、いや、一年や二年では用意できまい。おそらく、ここら一帯、この日、この時のために、相当な年月を費やして、土地そのものから、魔法陣として手を加えていったに違いない。まったく、脱帽だよ」


そう言って、ギャノビーさんは、本当に帽子を脱いでみせた。

無論、感服しているわけではないのだろうが、それでも、驚嘆した部分はあるのだろう。


またも、頭の片隅で、〈無名ノウネイム〉の、余裕の微笑がちらついた。


「結界の解除は、できないんですか?」


単純だが、根本的なことを、ギャノビーさんに確認する。


─────解除可能ならば、ギャノビーさんが、今、ここで手をこまねいているはずはない。

そうは思ったものの、やはり、かずにはおれなかった。


「土地ごと、結界の魔法陣であるわけだからな。残念だが、短時間で、こちら側からの干渉による強制解除は、不可能だ」


「……部分的な破壊も、ですか?」


「そう、それ、そこだよ、ニフシェ坊や」


ギャノビーさんは帽子をかぶり直し、ニヤリと笑った。


「我が方も、指をくわえたまま、結界を眺めていたわけじゃあない。あらゆる〈魔渉力ミストフィール〉と魔力攻撃で、結界の破壊を試みたとも」


「けれど、破壊はできなかった……?」


「肯定と否定、両方だ。破壊はできた。が、一瞬にして修復されてしまった。あの結界には、驚異的な自己修復魔法まで備わっている。わかるかな。。この難題をクリアしないかぎり、あの結界を突破することはできない、というわけだ」


そこまで聞いて、なるほど、と腑に落ちる。

ギャノビーさんが、カガネアさんに例の護符を渡し、僕を捜させたことに。


「つまり、現時点では、僕の〈廻地法かいちほう〉でしか、あの結界を越えられない、ってことですね」


「そのとおり! 結界の破壊直後、一瞬で五十メートルの距離を通過する─────それができるのは現状、坊やをおいて他にいない」


「僕じゃなくても、ギャノビーさんの速度なら、突破は可能なのでは……?」


先ほどの、キャップの冗談じみた超高速移動を思い出しながら、いてみる。

純血統の〈吸血鬼ヴァンパイア〉であるギャノビーさんならば、キャップと同等の動きができるはずだ。


僕の言葉に、ギャノビーさんは口元に苦笑を浮かべ、目を細めた。


「確かに、可能かもしれん。だが、結界を貫通、破壊せしめたのは、吾輩の魔法剣による攻撃だけなのだな。分厚い結界層に穴を空けるとなると、さすがに全力を出さねばならんのでね。剣を振るってしまったあとで動くのでは、どうしてもタイムラグが生じてしまう」


……そうか。

そのタイムラグのうちに、結界を破壊した箇所かしょは、修復しきってしまうのだろう。


「ゆえにこの作戦、結界を通過する者が別にもうひとり、不可欠となる。若旦那か、坊やかで迷ったのだが……そら、あのとおり」


と、ギャノビーさんは、意識を失って横たわっているキャップをあごで示した。


「魔法の護符で探査したところ、若旦那の所在は、はっきり掴めたかと思えば、霧が掛かったように感知できなくなったりで、非常にあやふやだ。それよりは、護符を肌身離さず、持ってくれてそうな坊やを探すほうが賢明と判断したのだが─────ま、若旦那があのザマでは、結局、ニフシェ坊やに頼むしかないというわけだ」


肌身離さず、というフレーズを、妙に強調したギャノビーさん。

─────しいらさんに言われたことといい、僕が姫様に異性として好意を持っていることは、どうやら、みんなにはバレバレらしい。


そのへんは気づかなかったことにして、ギャノビーさんに、大きくうなずいてみせる。


「わかりました。任せてください」


「……いつぞやと、同じだな─────」


飄々ひょうひょうとした調子を急に改め、ギャノビーさんは、真剣なまなざしで僕を見る。


「坊やに、事を丸投げだ。……すまんな」


「やめてください。今度ばかりは、のぞむところですよ。僕はこれでも……姫様の、騎士なんですから」


ううっ、口にするとやはり、照れが入ってしまった。


一方、ギャノビーさんは、僕の言ったことが意外だったのか、一瞬だけ、虚を突かれたような顔をした。

けれどすぐに、ニヤニヤとした笑みを、口元に浮かべる。


「それもそうだ。うむうむ。小生が気兼きがねする理由はなかったな」


気兼きがねくらいは、してほしいですけど……」


思わず、苦笑してしまう。

十七歳の若造に、姫様の命運を預けることになるのだ。


しかも、〈無名ノウネイム〉の目論見は、世界に大破壊級の災厄を招く可能性が、極めて大きい。


気兼きがねどころか、心配、憂慮して然るべきところである。

まあ、僕としては姫様さえ無事なら、あとはどうでもいいので、世界の心配をされても困るのだけれど。


「う…む……」


倒れているキャップの口から、そんな呻き声がもれた。


どうやら、目を覚ましたらしい。

僕とギャノビーさんは互いに顔を見合わせたあと、キャップのほうへ近づいていった。

キャップは、必死に身を起こそうとしていたが、わずかに四肢を動かすのが精一杯のようだった。


─────ちょっと、〈輝源力ジェネシス〉を吸収しすぎたかな?


しかし、さっきの状況では、加減できる余裕はまるでなかった。

なので、しばらく寝たきりになったとしても、勘弁してもらいたい。


「う……ニフシェと、ギャノビーか……」


「失態だな? 若旦那」


キャップのそばにしゃがみこんだギャノビーさんは、ニヤニヤ顔で、容赦のない一言を見舞った。


「まったくだ……面目めんぼくない。─────ギャノビー、どういう状況になっている……? 姫様は、無事か……?」


キャップは短く嘆息したあと、ギャノビーさんにそう問いかけた。

ギャノビーさんはそれを受けて、現在、僕らが置かれている状況を、かいつまんで説明した。


都市まちに〈偽人外フェイク〉が氾濫はんらんし、人々を襲っていること。

敵が結界を張り、なんらかの大魔法を行使しようとしていること。

そして、姫様がさらわれたこと──────────。


すべてを聞き終えたキャップは、無念そうに顔をゆがめた。


「なんということだ……っ。く……、うっ……」


「無理に動こうとしなさんな。坊やの切り札を、まともに受けたのだよ」


「そうか……この感覚……〈輝源力吸収ジェネシス・ドレイン〉、だったか………」


なにかに納得するような声を出して、キャップは、僕を見た。


「……ニフシェ、完全に不意を突かれてたせいで、記憶が曖昧だが、この事件の黒幕はおそらく……」


キャップがそこまで言ったところで、うなずいてみせる。


「わかってます。僕と、同じ存在です」


顕現天使エヴァンジェル〉の〈魔渉力ミストフィール〉、〈輝源力吸収ジェネシス・ドレイン〉。


精神を操られる直前に、キャップは、わずかながらでも、その異能攻撃を受けていたのだろう。


と、いうことは、体調が万全ではない状態で、あのべらぼうな動きだったわけだ。

今更だが、そう考えると、純血の〈吸血鬼ヴァンパイア〉や、〈獣人セリアン〉の身体能力には、空恐そらおそろしさを感じずにはいられない。


……今度、まかり間違って、キャップと戦う羽目になったら、迷わず逃げるとしよう。


「なーに、心配無用さ。どんな相手だろうと、坊やが全部まとめて、ケリをつけてくれるとも」


僕がひとり臆病風に吹かれていると、ギャノビーさんが、至極簡単なことのように、そう言った。


いや、僕としても、絶対に姫様は助けるつもりだけれど。

そんなお使い感覚で、僕にすべての解決を期待するのも、どうかと思う。


「ニフシェ……」


ふと、キャップが、右腕を持ち上げてきた。

満足に動かせぬはずの、右腕を。


その手には、僕の織布しょくふが握られていた。

先ほど、キャップの動きを一瞬だけ止めたときから、絡まったままだったのだ。


僕は、慌ててひざまずき、織布しょくふを受け取った。


「おまえには、迷惑を掛けどおしだ……すまん。─────姫様を、頼む」


その、最後の一言に、胸が詰まる。

僕のような子供に、全幅ぜんぷくの信頼を置いたような声だった。


真摯しんしな、そして、切実な思いから発せられた、そんな言葉に、どのような返答を口にしても、空虚なものになってしまう気がした。


なので、僕はただ、うなずいてみせるしかなかった。


立ち上がり、受け取った織布しょくふに、改めて〈気〉を通し直す。

それから、いつものように首に巻き付け、ギャノビーさんを見た。


「─────さて、そろそろ行くかね? ニフシェ坊や」


僕の視線を受け、ギャノビーさんは、こちらの準備のほどを確認してくる。


最凶の異能、〈輝源力吸収ジェネシス・ドレイン〉は、まだまだ余裕で使える感覚があった。

それに加えて、先ほど、キャップの輝源力を吸収したばかりである。


純血統の〈獣人セリアン〉から得た輝源力は、僕の全身、指の先々までに、驚くほどの活力となってみなぎっていた。


この高エネルギーから練り上げた〈気〉を、〈廻地法かいちほう〉での跳躍に用いれば、通常の倍以上の速度と到達距離を叩き出せそうだった。


結界の突破には、なんの問題もないだろう。

むしろ、キャップの輝源力で〈気〉の力が増幅されているぶん、想像するよりずっと、容易かもしれない。


身体状態だけでいうなら、これ以上はないくらい、万全だ。


「はい、行きましょう。……それで、どういう段取りになるんですか?」


「段取りにもなにも、さっき言ったとおりさ。結界を破壊すると同時に、坊やが通過する。いたって単純だろう?」


ギャノビーさんは、そう悪戯いたずらっぽく笑うと、キャップの顔を覗きこんだ。


「それでは、小生とニフシェ坊やで、一仕事してくる。若旦那には悪いが、このまま待っていてくれたまえよ?」


「……おまえにもことゆだねなければならんというのは、実にしゃくだが。─────俺のことは気にするな。ここで我が身の未熟さを、呪っておくとするさ」


「そう腐りなさんな。どのみち今回の敵もニフシェ・舞禅にしか倒せない。……我々は、最終的にみな傍観者ぼうかんしゃになるしかないのだよ」


まるで、確定事項を告げるように、ギャノビーさんは言った。


その声と表情は、さっきまでの、冗談半分といった調子ではない。


「……ギャノビーさん? それはどういう……?」


だが、さすがに唐突かつ、意味不明な発言だったので、問いたださずにはおれなかった。


「なに、これも、ただの勘なのだがね。同じ時間、同じ場所に〈顕現天使エヴァンジェル〉がふたり。ことの成り行きが必然そうなると思うのが、自然ではないかね?」


まあ、偶然とはいえ、稀少事象レア・ケースのぶつかり合いであることは、間違いないだろう。


けれどギャノビーさんの今の話には、いやその理屈はおかしい、と言いたいところだ。


僕以外の〈銀星車輪団アリアン・ロッド〉メンバーが戦力外になるしかない、というのは、状況から導き出される結果論にすぎないというのに。


それに、今回の敵も、という言葉が引っ掛かった。


今回の敵、というのならば─────前回の敵は、〈災凶竜ラスト・ドラゴン〉のことだろうか?

あれこれ考えが浮かんだけれど、今は、細かいことを吟味ぎんみしている時間が惜しい。


「ところで、結界は、どこから突破するんでしょう?」


ギャノビーさんの言葉はすっぱり聞き流すことにして、多少強引に、そう話を進めてみる。


「任せたまえ、格好の地点を用意してある」


僕の催促さいそくなどお構いなしで、もう少しごとが続くかと思ったが、ギャノビーさんは、素直に応じてくれた。


「では、行ってくるよ、若旦那」


と、帽子のつばに手をやり、ギャノビーさんはキャップにウインクをひとつ。


キャップは、若干うんざりした表情ながらも、それに、うなずいて返す。


ニヤリと笑って、ギャノビーさんはマントをひるがえし、颯爽さっそうと走り出した。


キャップに一礼して、僕もそれに続く。


走り出しながら、下弦の月を見た。

月は大きくかたむいてはいるものの、その空はいまだ暗く、星々のまたたきが支配していた。


──────────夜は、まだ、終わりそうにない。

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