9-2
「どうやら、良いタイミングだったようだな、ニフシェ坊や」
そう言って、ギャノビーさんは華麗な動作で、抜き放っていた細身の剣を、
僕を、文字通り危機一髪のところで救ってくれたのは、その魔法剣。
キャップの体を弾き飛ばしたあの大突風は、剣に宿った、風の神霊の力によるものだったのだ。
「本当ですよ。ありがとうございます。……でも、できればもう少し早く、
感謝しつつも、死の緊張から解放された反動で、つい、本音をもらしてしまった。
〈
そんな自分の不甲斐なさに、思わず愚痴っぽくなってしまったというか。
「若者が
ギャノビーさんはニヤリと笑って、僕に手を差し出してきた。
その手を取って、立ち上がる。
「まさか、若旦那を殺しちゃいまいね?」
「……大丈夫、だと思いますけど」
と、言いつつも、こっちもギリギリ、いっぱいいっぱいだったので、絶対の自信はない。
なのだが、キャップをノックアウトするほどには、全力殴打を連打で浴びせてたので、今更ながら心配になってきた。
〈
キャップをちら、と
「生きているようだな。上出来、上出来。息があれば、心配いらんだろう」
アバウトにも程がある見立てだけれど、ギャノビーさんほどの人が保証するならば、一応、安心していいだろう。
「ギャノビーさん。今、あそこでなにが起こってるか、わかりますか?」
あそこ、とは、もちろん、目前のTV局、イノセント・ネットワークのことだ。
〈
ギャノビーさんならば、いくらかの情報で、〈
「〈不死王〉が行使した、闇の大魔法の再現、と言いたいところだが……」
「─────違うんですか?」
「勘だがね。今回はどうも、行く末が別のようだ」
ギャノビーさんは、イノセント・ネットワークを見あげる。
「坊やは、カガネアくんに
「ええ、それもあるんですけど……。例の護符を通して、
詳細は省いて、要点だけを伝える。
ほう、と、ギャノビーさんは感心したような声を出した。
「坊やの〈
さすが、ギャノビーさんは、推察が早い。
「カガネアくんから聞いたと思うが、あのTV局を中心に、異様な〈力〉の流れが発生中だ。そのうえ……」
どこで拾っていたのか、ギャノビーさんは、
そのまま、その石を、TV局のほうに向けて投げる。
あまりに自然で、流れるような動作。
だけど、その
投じられた石は、凄まじい速度で、空間を裂くように飛んでいった。
その勢いは、僅かにも衰えることなく、イノセント・ネットワークの外壁へ、届くかに見えた。
ところが。
突然、稲光が走り、石は、宙で粉々に砕け散った。
石が砕けたその
だがすぐに、何事もなかったかのように、光の波紋は
ギャノビーさんは、僕に、軽く肩をすくめてみせた。
「……ご覧の通り、周囲には、厄介な結界を張られているのだな」
TV局に近づくにつれ、強くなっていた嫌な感覚の正体は、この見えざる結界だったのか。
「魔法のエキスパートに調べさせたところ、力場の厚み幅は、約五十メートル。─────わずか五十メートルだがね。都市の一区画を覆うほどの結界層となると、
そう言って、ギャノビーさんは、本当に帽子を脱いでみせた。
無論、感服しているわけではないのだろうが、それでも、驚嘆した部分はあるのだろう。
またも、頭の片隅で、〈
「結界の解除は、できないんですか?」
単純だが、根本的なことを、ギャノビーさんに確認する。
─────解除可能ならば、ギャノビーさんが、今、ここで手をこまねいているはずはない。
そうは思ったものの、やはり、
「土地ごと、結界の魔法陣であるわけだからな。残念だが、短時間で、こちら側からの干渉による強制解除は、不可能だ」
「……部分的な破壊も、ですか?」
「そう、それ、そこだよ、ニフシェ坊や」
ギャノビーさんは帽子をかぶり直し、ニヤリと笑った。
「我が方も、指をくわえたまま、結界を眺めていたわけじゃあない。あらゆる〈
「けれど、破壊はできなかった……?」
「肯定と否定、両方だ。破壊はできた。が、一瞬にして修復されてしまった。あの結界には、驚異的な自己修復魔法まで備わっている。わかるかな。破壊は可能だが、一瞬でしかありえない。この難題をクリアしないかぎり、あの結界を突破することはできない、というわけだ」
そこまで聞いて、なるほど、と腑に落ちる。
ギャノビーさんが、カガネアさんに例の護符を渡し、僕を捜させたことに。
「つまり、現時点では、僕の〈
「そのとおり! 結界の破壊直後、一瞬で五十メートルの距離を通過する─────それができるのは現状、坊やをおいて他にいない」
「僕じゃなくても、ギャノビーさんの速度なら、突破は可能なのでは……?」
先ほどの、キャップの冗談じみた超高速移動を思い出しながら、
純血統の〈
僕の言葉に、ギャノビーさんは口元に苦笑を浮かべ、目を細めた。
「確かに、可能かもしれん。だが、結界を貫通、破壊せしめたのは、吾輩の魔法剣による攻撃だけなのだな。分厚い結界層に穴を空けるとなると、さすがに全力を出さねばならんのでね。剣を振るってしまったあとで動くのでは、どうしてもタイムラグが生じてしまう」
……そうか。
そのタイムラグのうちに、結界を破壊した
「ゆえにこの作戦、結界を通過する者が別にもうひとり、不可欠となる。若旦那か、坊やかで迷ったのだが……そら、あのとおり」
と、ギャノビーさんは、意識を失って横たわっているキャップを
「魔法の護符で探査したところ、若旦那の所在は、はっきり掴めたかと思えば、霧が掛かったように感知できなくなったりで、非常にあやふやだ。それよりは、護符を肌身離さず、持ってくれてそうな坊やを探すほうが賢明と判断したのだが─────ま、若旦那があのザマでは、結局、ニフシェ坊やに頼むしかないというわけだ」
肌身離さず、というフレーズを、妙に強調したギャノビーさん。
─────しいらさんに言われたことといい、僕が姫様に異性として好意を持っていることは、どうやら、みんなにはバレバレらしい。
そのへんは気づかなかったことにして、ギャノビーさんに、大きくうなずいてみせる。
「わかりました。任せてください」
「……いつぞやと、同じだな─────」
「坊やに、事を丸投げだ。……すまんな」
「やめてください。今度ばかりは、
ううっ、口にするとやはり、照れが入ってしまった。
一方、ギャノビーさんは、僕の言ったことが意外だったのか、一瞬だけ、虚を突かれたような顔をした。
けれどすぐに、ニヤニヤとした笑みを、口元に浮かべる。
「それもそうだ。うむうむ。小生が
「
思わず、苦笑してしまう。
十七歳の若造に、姫様の命運を預けることになるのだ。
しかも、〈
まあ、僕としては姫様さえ無事なら、あとはどうでもいいので、世界の心配をされても困るのだけれど。
「う…む……」
倒れているキャップの口から、そんな呻き声がもれた。
どうやら、目を覚ましたらしい。
僕とギャノビーさんは互いに顔を見合わせたあと、キャップのほうへ近づいていった。
キャップは、必死に身を起こそうとしていたが、わずかに四肢を動かすのが精一杯のようだった。
─────ちょっと、〈
しかし、さっきの状況では、加減できる余裕はまるでなかった。
なので、しばらく寝たきりになったとしても、勘弁してもらいたい。
「う……ニフシェと、ギャノビーか……」
「失態だな? 若旦那」
キャップのそばにしゃがみこんだギャノビーさんは、ニヤニヤ顔で、容赦のない一言を見舞った。
「まったくだ……
キャップは短く嘆息したあと、ギャノビーさんにそう問いかけた。
ギャノビーさんはそれを受けて、現在、僕らが置かれている状況を、かいつまんで説明した。
敵が結界を張り、なんらかの大魔法を行使しようとしていること。
そして、姫様がさらわれたこと──────────。
すべてを聞き終えたキャップは、無念そうに顔を
「なんということだ……っ。く……、うっ……」
「無理に動こうとしなさんな。坊やの切り札を、まともに受けたのだよ」
「そうか……この感覚……〈
なにかに納得するような声を出して、キャップは、僕を見た。
「……ニフシェ、完全に不意を突かれてたせいで、記憶が曖昧だが、この事件の黒幕はおそらく……」
キャップがそこまで言ったところで、うなずいてみせる。
「わかってます。僕と、同じ存在です」
〈
精神を操られる直前に、キャップは、わずかながらでも、その異能攻撃を受けていたのだろう。
と、いうことは、体調が万全ではない状態で、あのべらぼうな動きだったわけだ。
今更だが、そう考えると、純血の〈
……今度、まかり間違って、キャップと戦う羽目になったら、迷わず逃げるとしよう。
「なーに、心配無用さ。どんな相手だろうと、坊やが全部まとめて、ケリをつけてくれるとも」
僕がひとり臆病風に吹かれていると、ギャノビーさんが、至極簡単なことのように、そう言った。
いや、僕としても、絶対に姫様は助けるつもりだけれど。
そんなお使い感覚で、僕にすべての解決を期待するのも、どうかと思う。
「ニフシェ……」
ふと、キャップが、右腕を持ち上げてきた。
満足に動かせぬはずの、右腕を。
その手には、僕の
先ほど、キャップの動きを一瞬だけ止めたときから、絡まったままだったのだ。
僕は、慌てて
「おまえには、迷惑を掛けどおしだ……すまん。─────姫様を、頼む」
その、最後の一言に、胸が詰まる。
僕のような子供に、
なので、僕はただ、うなずいてみせるしかなかった。
立ち上がり、受け取った
それから、いつものように首に巻き付け、ギャノビーさんを見た。
「─────さて、そろそろ行くかね? ニフシェ坊や」
僕の視線を受け、ギャノビーさんは、こちらの準備のほどを確認してくる。
最凶の異能、〈
それに加えて、先ほど、キャップの輝源力を吸収したばかりである。
純血統の〈
この高エネルギーから練り上げた〈気〉を、〈
結界の突破には、なんの問題もないだろう。
むしろ、キャップの輝源力で〈気〉の力が増幅されているぶん、想像するよりずっと、容易かもしれない。
身体状態だけでいうなら、これ以上はないくらい、万全だ。
「はい、行きましょう。……それで、どういう段取りになるんですか?」
「段取りにもなにも、さっき言ったとおりさ。結界を破壊すると同時に、坊やが通過する。いたって単純だろう?」
ギャノビーさんは、そう
「それでは、小生とニフシェ坊やで、一仕事してくる。若旦那には悪いが、このまま待っていてくれたまえよ?」
「……おまえにも
「そう腐りなさんな。どのみち今回の敵もニフシェ・舞禅にしか倒せない。……我々は、最終的に
まるで、確定事項を告げるように、ギャノビーさんは言った。
その声と表情は、さっきまでの、冗談半分といった調子ではない。
「……ギャノビーさん? それはどういう……?」
だが、さすがに唐突かつ、意味不明な発言だったので、問い
「なに、これも、ただの勘なのだがね。同じ時間、同じ場所に〈
まあ、偶然とはいえ、
けれどギャノビーさんの今の話には、いやその理屈はおかしい、と言いたいところだ。
僕以外の〈
それに、今回の敵も、という言葉が引っ掛かった。
今回の敵、というのならば─────前回の敵は、〈
あれこれ考えが浮かんだけれど、今は、細かいことを
「ところで、結界は、どこから突破するんでしょう?」
ギャノビーさんの言葉はすっぱり聞き流すことにして、多少強引に、そう話を進めてみる。
「任せたまえ、格好の地点を用意してある」
僕の
「では、行ってくるよ、若旦那」
と、帽子の
キャップは、若干うんざりした表情ながらも、それに、うなずいて返す。
ニヤリと笑って、ギャノビーさんはマントをひるがえし、
キャップに一礼して、僕もそれに続く。
走り出しながら、下弦の月を見た。
月は大きく
──────────夜は、まだ、終わりそうにない。
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