8-2
「しいらさん……?」
「─────あんたに、言っておきたいことがあるの」
まっすぐに僕を見て、しいらさんは、そう言った。
僕に、言っておきたいこと?
とは、いったい、なんだろう。
問いかけようとして、言葉を飲みこんだ。
かつてなく、思い詰めたような、しいらさんの顔。
その表情に、こちらから口を出すのが、はばかられたのだ。
わずかな間のあと、意を決したように、しいらさんが、口を開いた。
「…………あんた、姫様のこと、好きなんでしょ?」
ずばり、図星を指された。
予期せぬタイミングだったので、一瞬、言葉を失う。
だけど、返答は、迷わなかった。
「はい」
「………ひとりの女性として、好きなのよね」
「はい」
「───────ちょっとはためらいなさいよ。……馬鹿」
しいらさんは、そう言うと、目を伏せた。
だが、すぐに顔を上げて、再び僕の目を見た。
「だったら」
そう言いながら、
「姫様のことが好きなんだったら! 自分の命なんかどうでもいいとか、そんな風に考えてるんじゃないっ!」
叱りつけるような声。
いや、実際、僕を叱りつけているのだろう。
しいらさんの目には、涙が浮かんでいた。
胸の内を見透かされた僕は、言葉がなかった。
しいらさんとは、〈
………それでも、わかってしまうものなのか。
いつ、どこで終わっても、
僕が、心の底に、そんな
「あんたは……あんたは、いっつもそう。普段はのっぺりダラダラしてるくせに、
とどめだった。
それは、〈
あの時、他に方法がなかったとはいえ、確かに僕は、自分の命を軽んじていた。
怪人の凶刃が、僕の胸を貫いたときに聞いた、しいらさんの悲鳴を思い出す。
しいらさんは、僕が銀の武器で傷つけられても、死なないことを、知っている。
〔ニフシェぇぇえええええええええええええ───────────────!〕
それでも、しいらさんは、僕の身を案じて、叫んだ。
いったい、どれだけ心配させてしまったのだろう。
僕は、いよいよ何も言えなくなり、しいらさんを見つめ返すしかなかった。
「だから、自分の命を、大切にして。それから、あんたが大切に想う相手の気持ちを、考えなさい。─────そうしなきゃ、相手のひとを、まるで見てないのと一緒よ。自分の命を
…………しいらさんの言葉が、ひとつひとつ、胸に響く。
〔………………………あたしには、そういうの、ないんだな──────〕
自分には、
そして、怪人が口にした、彼女の母親のこと──────────。
目の前のひとは。
しいらさんは、どれほどの悲しみを越えて、生きてきたのだろう。
僕には、想像することもできない。
彼女にはきっと、世界を呪っていい、権利があった。
けれど。
彼女は、誰かを思いやる
そのめぐりあわせに、感謝する。
そして、危地にあってなお、誰かを気遣う彼女の
………それほどの
正直に、誠意を以て、返答する。
「─────しいらさん。僕は、昔、自分の軽はずみな行動のせいで、母さんを、死なせてしまいした」
しいらさんが、息を呑んだ。
「それからずっと、自分の弱さと行動のせいで、誰かが傷ついたり、命を落としたりするのが、嫌になってました。怖いとか、悲しいとかじゃなく、嫌なんです。自分の身近で、自分の目の前で、人が凶事に
しいらさんは、黙って、僕の言葉に耳を傾けてくれていた。
僕を見るその視線が、少し、痛い。
だけど、まっすぐにその瞳を見つめ返して、言葉を続ける。
「馬鹿みたいに強さを求めて、馬鹿みたいに戦い続けてきました。それでも、そうすることで誰かを助けていければ、誰かの悲しみを減らせると思ってました。誰かの
それは、なんて幼くて、
「僕の
そう──────────矛盾して、
「
けれど、自分でも、知らないうちに。
「─────でも、違ったんです。
それこそ、自分勝手な、身の程をわきまえぬ、子供の
それでもそれは、自分でも抑えきれない、やっと気づくことのできた、純粋な
「その
約束するように、僕は笑って、そう断言した。
しいらさんは、僕の長い返答が終わると、軽く、息を吐いた。
「……なによ、もう。すっきりした顔しちゃって。………一生懸命走ってきたあたしが、馬鹿みたいじゃない」
「すいません」
「─────謝るな、バカ」
そう言って、しいらさんは僕に近寄り、僕の胸を小突いてきた。
「今のあんたの話、少し、訂正するわよ」
それから、静かな、優しい声で、言った。
「………あんたは、
しいらさんの目から、涙が、こぼれ落ちた。
その
「だから、胸を張れ、ニフシェ・舞禅。胸を張って、大好きな─────大好きな姫様を、助けに行ってこい!」
「……はい。─────ベアーを、お願いします」
「ええ。行ってきなさい」
そう
体をひるがえし、再び、走り出す。
─────誰かに背中を押される、というのは、なんとありがたいことなのだろう。
全速力で、街を走り、跳ぶ。
疲労など、感じない。
むしろ、全身に満ちているのは、かつてないほどの爽快感だった。
体が軽い。
目についた街灯の柱に向かって跳び、その柱を蹴って、間近のビルへ跳躍。
ビル壁面にあるわずかな凹凸を足がかりに、間近に隣接するビルのほうへ、再び跳ぶ。
さらにそこから、ビル同士の壁を跳び伝い、屋上を目指す。
屋上まで登り詰めると、そのまま、別のビルの屋上に、跳び移った。
空気が、地上にいたときよりも、冷たい。
だけど、その冷たい夜気も、今は、心地よいとさえ感じられた。
そうした跳躍の宙にあって、ふと、視界の
下弦の月。
下界の混乱など、なにもないかのように、ひっそりと、夜空に浮かんでいる。
…………古来より、
月は、うつろいやすいもののたとえにされてきた。
それは、人の心。
満ち、欠け、消える。
それでも─────たとえ朝が来て、その姿がはぐれてしまったように見えても─────月はまた、空を、めぐり来る。
……その時々で、見えたり、見えなかったりするだけだ。
一瞬の感情で、目が
────そうして、見失ってしまうこともあるだろう。
僕も、自分の真実が、ずっと見えていなかった。
けれど、月の
そう…………なにかの訪れ。
ようやく、僕の中で、なにかがはじまるような気がしていた。
それが、本当にはじまるのは。
きっと、姫様を、助け出したときだろう。
ああ、早く、姫様に会いたい。
次々に、ビルからビルへと、跳び移る。
途中、地上で暴れている〈
そして、風に潮の匂いがまじる頃、目的地を、目で
白い立方体で構築された、出来損ないのピラミッド。
TV局……イノセント・ネットワークだ。
集会に行く前に、煌々と外壁を照らしていた照明は、消えていた。
窓からもれる明かりもなく、夜の闇に、その輪郭を浮かび上がらせている。
その外周には、車線の多い道路に沿って、水路と、水辺の景観に合わせた、幅広の遊歩道が敷設されていた。
当然ながら、僕が立つビルの屋上から、直接、跳び移れる距離ではない。
それに、高さも違う。
こちらの位置からでは、TV局の屋上すら、見ることはできなかった。
もっとも、見えたところで、護符の力を通して幻視した光景を、再確認するだけだろうけど。
それよりも─────TV局に近づくにつれ、ずっと、気になっていることがあった。
大きな〈力〉の気配を感じるのだ。
急ぎ、地上に降り立つ。
夜闇に浮かぶ白い巨壁に目を懲らし、全身で〈気〉の流れを感じるように、集中する。
………………伝わってきた感覚は、まるで、泥の川。
不快で、
これはやはり、人為的に発生した、
〈
……またぞろ、〈
あたりには、〈
あからさまに不自然な静寂さで、この一帯は包まれていた。
その静けさに、〈
『いつでも来たまえ、歓迎しよう』
─────そんなことでも口にしそうな、あの余裕ぶりを。
ならば、挑もう。
〈
さて、どこから侵入したものか。
〈力〉の流れが薄そうな箇所を探るべく、感覚を研ぎ澄ます。
その
「!」
凄まじい殺気が、前触れなく閃いた雷光のごとく、突然、前方に発生した。
反射的に、〈気〉を両腕にめぐらせる。
〈
だが、その反応にも、たやすく追いつかれてしまった。
それだけで、爆弾の
間違いなく、両腕の骨には、ひびが入った。
なんとかその程度で済んでくれたのは、〈
が、僕の体は、なすすべなく吹っ飛ばされていた。
そこへ、追撃の拳が迫る。
そう悟り、今度は、先ほどとは異なる〈気〉を、全身に走らせた。
〈
身体を、木の葉のように軽く転化させる気功法。
その
呼吸をはずせば、死、あるのみ。
痛む両腕を、その拳に向かって、必死でのばした。
激痛を無視して、必殺の拳撃を、引き掴む。
拳の勢いを利用し、ぎゅるり、と襲撃者の腕へ、全身を絡めるように、宙で回転。
続けざまに、襲撃者の腕を足場にして、〈
瞬時に、数十メートルほど、敵の間合いから離脱することに成功した。
着地して、襲撃者の姿を再確認し、改めて、
………予想どおりと言うべきか、恐れていたことに、と言うべきか。
そこにあった姿は─────白銀の〈
完全獣身化を遂げた、アウスト・ミッツ・ズィルバーンリッター。
マリア・アルトヴェリア王女を守護するはずの、白銀の騎士……!
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