3-2
「それじゃあ、その男性のほうは、どうなんでしょう。どういう風に女性のほうを見ている感じなのか、わかりますか?」
「男性のほう……。そう、そうですね………」
僕をじっと見ながら、姫様は、思案をめぐらされたようだった。
「……その女性とは、身分も違うということで、近くにいながら、彼女を恋愛の対象として、見ていない節があります」
─────確か、ニネ=ヴィア・マッハー様は、アルトヴェリア王国に連なる、高貴な血筋の方であると聞く。
なるほど、身分違いの恋愛でもあるのか。
またまた、二重に難しい話だなあ………。
思わず、諦念感抜群に、溜息をもらしそうになる。
姫様は、言葉を続けた。
「敬愛の情は感じられるのですが─────その殿方は、そもそも恋愛という概念を、どこか置き去りにしてきているのではないか、と思えるほどの
三重に面倒な話になった。
……恋をするのに理由はない、とはいうが、よくまあ、そんな男性を好きになったものだ。
助言もなにもあったものじゃない、というような気がする。
しかしまあその話だと、どうやら、その男性には、意中の女性はいないらしい。
ならば、ニネ=ヴィア・マッハー様にも、チャンスはある、ということだ。
「………相手がそのような殿方ということもあり、かと言って、女性の側から想いを告げるのも、年齢のことから引け目を感じると言いましょうか……ともかく、ためらってしまうのです─────い、いえ、ためらわれるのでしょう。だ、第一、いきなりそのように言い寄られても、それでは性急すぎて、男性のほうでも困惑するだけなのではないかと、そう不安に思っているようなのです。ですから、できれば、ニフシェの、男性としての意見を、参考までに、そう、あくまで参考までに、聞かせていただきたいのです」
……凄いな、姫様は。
まるで自分のことのように、ニネ=ヴィア・マッハー様のことを、案じていらっしゃる。
できることなら、その熱意に応じられるだけの意見を返したいのだけど─────そういう方面では、僕は人生経験の浅い、ただの子供だ。
それこそ姫様たちに比べたら、海岸の砂浜と、マリアナ海溝くらいの差があるだろう。
年齢の差、積み立ててきた人生の差……。
……あ。
積み立ててきた──────?
「すいません、姫様。もうひとつ、大切なことを聞きそびれていました」
「……なんでしょう?」
「そのお二人は、お付き合い……と言うか、お知り合いになって、どれくらいになるんでしょうか」
「知り合って……そ、それは…………これくらい、でしょうか」
と、姫様は人差し指を立ててみせる。
「一世紀、ですか……?」
どうなんだろうなあ、それって。
百年もの時間があって、女性の想いに気づかないとは、その殿方というのも姫様の言うとおり、相当な朴念仁である。
それとも若造の僕にはまだまだわからないだけで、〈
僕がそう逡巡していると、姫様は困ったような顔をして、言った。
「……いえ、その、ニフシェ……一世紀ではなく、一年、なのです」
〈
姫様もまた、意味ありげに、指なんか立てないでほしい。
………………一年、か─────僕が姫様に出会って、今に至るまでと、同じくらい?
改めて、どうなんだろう、それ。
人間的な恋愛であれば、相思相愛に発展するには、充分な期間なのかもしれないけど。
〈
だが、恋に出会った時間は関係ない、とは、よく聞くフレーズではある。
愛があれば年の差なんて、とも。
かつて、僕の師匠が語っていたことを、思い出す。
〔恋愛の必勝法なんぞ、人生と一緒だっつーの。─────合い言葉は、清く正しく、気合いでガッツだ!〕
………言葉の意味はよくわからないが、凄い自信だった。
要するに、健全な気持ちで、前向きでいろ、ということだろう。
─────さて、僕も、師匠のように、心強そうなことを言えればいいのだけど。
「……正直に言うと、直接お会いしたことがないので、その男性の方のお気持ちは、わかりかねます」
「…………………………………………ええ、それは、当然です」
?
今、姫様がうなずかれるまでに、妙な間があったような……?
気のせいだろうか。
とりあえず、続ける。
「敬愛の情は感じられる、っておっしゃいましたよね。それなら、男性のほうは男性のほうで、その女性の方を、大切に想っていらっしゃるんでしょう。─────でも、もし、女性の方から告白されたとしたら、姫様がお考えの通り、男性のほうは、戸惑われると思います」
「………やはり、そうでしょうか」
姫様の表情が、にわかに
その顔にちょっと心が痛んだけれど、率直な意見も言っておかなければ、まずいだろう。
もちろん、このあとフォローするんだけど。
「だけど、すぐに、大喜びするんじゃないでしょうか」
「え─────?」
いきなり前言をひるがえした僕に、姫様は、驚いたような目を向けてきた。
「男なんて単純ですから。女性から好意を告げられて、嬉しくないはずがありません」
「そ、そうなのですか? そのように、簡単な……」
「簡単で、単純です。僕も男ですよ? 僕だったら、舞い上がって、有頂天になりますね」
……ちょっとばかり、言い過ぎかな?
でもまあ、ここはとにかく、ポジティヴに推していく方向で。
「まあ、女性から告白、っていうのは、極端な話として。……お話を聞いていて、思ったんですけど。問題のお二方は、お二人だけになる時間、っていうのは、あるんでしょうか?」
「─────そう、ですね。二人きりになる、というのは、なかなかないかもしれません」
「……じゃあ、なおのこと、恋のし
「こ、恋のし甲斐、ですか?」
僕の言ったフレーズが、よっぽど幼い子供じみていて、恥ずかしいものだったのか。
言われた姫様のほうが、逆に顔を赤くしてしまった。
うう、だがしかし、ここで僕まで恥ずかしさに負けてはいけないっ。
なんとか頑張って、言葉を続ける。
「だって、身分が違って、会う機会も少ないのに、それでもその方は、その男性のことが好きなんでしょう?」
「そ、そう言われれば、その通り、ですね」
「それって、凄く素敵なことだと思います」
「え……」
姫様の顔が、さらに、赤くなる。
今のは単純に、僕の率直な感想だったんだけど。
そんなに恥ずかしい言葉だっただろうか。
「だから、そのままでいいんじゃないかと」
「……そ、それはどういう……?」
「えっと……うまく言葉にできないんですけど、そのお方は、そのまま、ありのままの、自然なお気持ちで、その男性に接していかれればいいんじゃないか、って思うんです」
姫様は、コクリと、小さくうなずいて、僕に言葉の先をうながす。
顔は赤いままだ。
「普通に、自然に、その男性との思い出を増やしていかれるだけで、きっとお二人の距離も、近くなっていくはずです。……お二人が創られていく思い出には、たぶん、はじめは、それぞれ温度差があるかもしれませんけど。─────でも、誰かを好きになる想いって、熱さがあるじゃないですか」
最後の言葉は、比喩というより、ただの願望。
現実を無視したような、稚拙な理想。
だが、語るべき答を持たない子供の僕としては、それを口にするのが、精一杯。
「熱さ、っていうのは、伝わるものでしょう? それも、熱ければ熱いほど、早く」
けれど、せめて、そうあってほしい、と思う、素直な気持ちだけは、伝えておきたかった。
「だから、きっと、伝わります。お相手の男性が、朴念仁だろうがなんだろうが、関係ありません。いいえ、むしろ、その男性のほうが、逆に女性のほうを、好きで好きで堪らなくなってしまうくらいに、太陽みたいな熱い思い出を、いっぱい作っちゃえばいいんですよ」
勢いで、言い切ってしまった。
若干、若さ故のあやまち感で
が、まあ、直球を投げるのなら
伝えたいことは伝えたのだから、堂々と胸を張っていればいいのだ。
………本当のところは、恥ずかしすぎて、この場で舌噛んで、死んでしまいたいほどだけれどっ!
一方、姫様はといえば、顔はもちろん、耳まで真っ赤にして、硬直してしまっていた。
───────うーん、それはそうだよなあ……、子供の青い
「その、要は、時間の問題じゃないかと。ふたりきりになる機会も少ないのに、一年間の交際だけじゃ、出る結論も出ないと思います。……って、人生経験の少ない僕が言っても、説得力がないんですけど」
気まずくなった空気をごまかすように、そう付け加えてみる。
顔を赤くして固まっていた姫様は、はっと我に返ったように、目を何度かしばたたかせた。
「─────い、いえ、ニフシェの考えは、よくわかりました」
それから、何故だか、嬉しそうに微笑む姫様。
「ええ、そう。そうですね。怖じ気づいて、二の足を踏んでいるだけでは、進展する仲も進展しない。そういうことなのですね」
おお、なんとか、姫様の心象を、プラス方面に向かせることができたようだ?
内心ほっと胸を撫で下ろしながら、
「はい。そのためにも、早くニネ=ヴィア・マッハー様を助け出しましょう。先ほども誓いましたけど、微力ながら、僕も姫様のお力になれるように、頑張りますから」
「ニネを?」
姫様が、予想外の名を聞いた、という感じの、驚いたような顔をする。
あ、しまった。
ニネ=ヴィア・マッハー様の名前は、伏せられた話だった。
だけど、思わず口にしてしまったものは、仕方ない。
「あ、えっと、ご心配なく。ニネ=ヴィア・マッハー様の恋の悩みは、僕の胸の内にしまっておきます。決して、誰にも言いませんから」
「……………………………………………………………………そ、そう、ですか。ありがとう、ニフシェ」
?
また、妙な間があったあと、姫様は、どこかぎこちなく、微笑んだ。
……ニネ=ヴィア・マッハー様の名前を出したのが、まずかったかな。
と、そう思ったとき。
「───────話が違うではありませんか」
溜息まじりに、姫様が、何事か呟いた。
「え? なにがです?」
「なんでもありません」
聞き直した僕に、姫様は、なんというか、むくれたような表情で、ぴしゃりとおっしゃった。
あ、あれ?
姫様、今度は急に、すごく不機嫌になってるような?
……って、怒るのは、当然のことか。
対象をぼかした話だったのに、僕が、ニネ=ヴィア・マッハー様の名前をあっさりと出してしまったのだから。
自分のうかつさが姫様の機嫌を損ねている原因となると、心苦しい、なんてレベルではない。
─────あとの祭りとは思うけど、謝っておかなくては。
と、言うか、謝りたい、純粋に。
「…………申し訳ありません、姫様」
これまた直球で、姫様に頭を下げる。
「ど、どうしたのです、ニフシェ」
ストレートに僕が謝ったせいか、逆に、姫様は、当惑されたようだった。
「配慮が足りませんでした。………今のご相談ごと、名前は伏せたままにしておかなくてはいけなかったのに。─────本当に、申し訳ありません」
そして、もう一度、深々と頭を下げる。
……………………………………………………………反応がない。
やっぱり、すごく怒ってらっしゃるのだろうか。
「──────顔をお上げなさい、ニフシェ」
数拍、間があったあと、姫様がそう声をかけてくださった。
おそるおそる顔を上げて姫様を見ると、そのお顔には、苦笑めいたものが浮かんでいた。
「もともと、わたくしが、まわりくどい話をしたのがいけなかったのです。ニフシェが謝ることではありません。………いえ、まあ、謝ってほしい
……謝ってほしい、箇所?
とは、どこのことだろう。
ニネ=ヴィア・マッハー様の名前を出したことではなく?
というか、このおっしゃりようは、はたして、許してくれているのか、いないのか。
「恋のし甲斐がある、というお話でもありましたしね。……ええ、そう、まったく、そのとおりなのでしょう。恋の空回りも、楽しんだ者勝ち。自分の気持ちが相手になかなか伝わらなくて、やきもきしたりすることも、すべて含んで恋、ということですね」
今度は、ニコニコと笑っていらっしゃる。
………こちらは、なぜ姫様が笑顔になったのか、さっぱりわかりません状態なのですが。
話がひとつふたつ、飛んでいるような……?
「ニフシェの意見は、たいへん参考になりました。もうしばらく、お話ししていたいところですけれど─────」
と、姫様は、部屋に置かれてある時計に、ちらりと目を向けられる。
「……会合から、少し、長く引き止めてしまいましたね。あまり、しいらとベアーを待たせるのも、悪いでしょう。そろそろ戻ってあげてください、ニフシェ」
そしてまた、姫様は、にこりと微笑された。
「あ─────はい、それでは、失礼します」
立ち上がり、深々とお辞儀をする。
いろいろと疑問点が残っているような気がするが、姫様は満足されているようだし、これ以上、僕がなにか言うこともあるまい。
肩の荷が下りた思いで、入ってきた扉へ向かう。
「ニフシェ」
扉の取っ手に手をかけたところに、姫様から、呼び止められた。
「はい?」
「その─────あまり無茶をしないでくださいね。……あなたは、自分のことを
先ほどの微笑は残っていたが、姫様の目には、不安げな色が浮かんでいた。
自分のことを顧みない、最善以上の無茶?
自分では、実行可能なことしかやってないつもりなんだけれど。
「ご安心ください、姫様。僕は基本、危ない橋は渡らない性格ですから」
「……危ない橋なら、飛び越えたうえで破壊するのが、あなたでしょう。この一年で、あなたの
なんと、信用ゼロだった……!
よくよく問題児と思われているらしい。
異論を挟みたいところだけれど、残念ながら、その余地はなさそうである。
「……わかりました。無理と無茶は慎むように、心掛けておきます」
「………絶対に無茶をしない、とは言ってくれないのですね」
姫様は、困ったように苦笑された。
「ですが、その言葉を信じましょう。─────気をつけてくださいね、ニフシェ」
優しい目で、見つめられる。
今度は、こっちが赤面する番だった。
姫様は気さくな方だから、僕などにも普通に接してくださる。
そのせいか、僕は普段、姫様の容姿や、身分のことを気にせずに応対できていた。
けれどふとしたときに、一対一で、こう見つめられたりすると、思わず、意識してしまう。
本当に、その姿は、美少女と言うしかなく─────まさしく、おとぎ話のお姫様そのものだと。
「はい、心得ました。姫様も、どうかお気をつけて」
そんなことを口走って、紅潮していく顔をごまかすように、もう一度、一礼する。
そのあと、扉を開け、逃げるように部屋から退出した。
て、言うか、逃げた。
ええ、みっともなく逃げましたとも。
扉を閉めたあとに、思わず、ふう、と息をもらしてしまったり。
お湯でも沸かせそうなほど、顔が熱くなってる気がする。
なんか心臓の鼓動も、異様に早くなってるし。
「ニフシェ様」
「うわっ」
完全に油断していたところに声をかけられたため、無茶苦茶に驚いて、飛び上がりそうになった。
声の主は、カガネアさんだった。
こちらを見る目は、冷ややかだ。
今の醜態を見れば、無理もなかろう。
でも、姫様の優しげな目の直後にこの視線は、その温度差で、死にたくなってしまう。
「
僕の気分などお構いなしに、カガネアさんは、淡々とした口調で、そう言ってきた。
「……は?」
「ですから、及第点でございます。姫様のお話への受け答え、まずまずと言ったところでございました」
そういえば、そうだった。
先ほどの姫様との会話には、僕の命が掛かっていたのだ。
どうやら、八つ裂きにはされずに済んだようである。
……っていうか。
「部屋の外にいたのに。カガネアさん、話、聞いてたんですか?」
「ええ。しっかりと盗み聞きさせていただきました」
しれっ、とおっしゃるカガネアさん。
いいのかなあ。
そんな行為、
「先ほどのお話、及第点ではございました。が、ニフシェ様には、もっと、女心の
「? まあ、それは、恋愛相談には必要でしょうけど……」
でも、十七歳の僕には、さっきのだけでいっぱいいっぱいだ。
それ以上のことを求められても、どうしようもないというか。
「……ステゴサウルス並の鈍感さですね」
「え?」
「なんでもございません。─────本日はお疲れ様でした」
カガネアさんは、深くお辞儀をしたあと、さっさと歩み去ってしまった。
その前に、なにやら、すさまじい
はて、なんのことにたいしてだろう。
女心の機微、についてのことかな……?
─────そういえば、今日のカガネアさんの言葉からして、ひとつ、不可解なものがあった。
姫様との恋愛相談の前に言われた、男性はいざという時及び腰になる、とか、なんとか。
あれは、男性は恋愛相談になると逃げ腰になる、という意味だったのだろうか?
しかしどうも、それでは、腑に落ちないというか、しっくりこないというか。
なるほどまったく、女性の心というのは、簡単にはわかりかねる。
ひとり軽く首をひねったあと、僕は、しいらさんとベアーの待つ階下へ向かうのだった…………。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます