2-4

ギャノビーさんが引き合いに出したのは、僕が竜殺しをやってのけた時のことだ。


災凶竜ラスト・ドラゴン〉。


大地の精霊、その集合体である巨竜。

あのとき、現世に甦った〈災凶竜ラスト・ドラゴン〉は、龍脈りゅうみゃく……地球上を覆うエネルギーの流れとでも呼ぶべきものを、大きく狂わせる可能性があった。


放っておけば、地球規模で大地震を起こし、世界中のなにもかもを破壊して回っていただろう。


大破壊カタストロフィ〉。


─────そんなもの、特攻してでも、止めなきゃいけないだろう。

実際、止めることができたわけだし。


……けれど、僕と姫様では、立場も、なにもかもが違う。


「ニフシェの心配は、ありがたく思います。─────ですが、もし、あなたがわたくしだったなら、どうします?」


だから、立場が違うというのに。

そんな仮定の物言いは、卑怯だ。


僕の心を見透かしたように、ギャノビーさんはやはり、苦笑する。


「そう頭に血をのぼらせなさんな。なにも、おおっぴらに囮になる、というわけじゃあない」


「それは、そうでしょうけど……」


別に、頭に血を上らせてはいないけど。

ギャノビーさんほどの人に諫められたら、引き下がるしかない。

もとより、僕に意見する資格など、ないのだし。


「それに、先ほどの集会のことも、全部が全部形式だけ、というんでもない。〈銀星車輪団アリアン・ロッド〉を見くびってくれるなよ? 私の手の者とて、無駄に動いちゃおらんのだ」


確かに、〈銀星車輪団アリアン・ロッド〉の面々は烏合うごうしゅうではない。


隠密活動にかけては、ギャノビーさんの部下の人たちは、折り紙つきだろう。


別に、見くびっているわけではないけれど……。

今回に限っては、それらすべてが舞台外の、有象無象うぞうむぞうになってしまう。

そんな気がするのだ。


……だが、僕の直感だけ、というのを根拠に、なにか異を唱えるのも、おかしな話だ。


「──────しかし、ニフシェの心配も、もっとも。……姫様、そろそろ本題に」


僕が憮然ぶぜんとしているのを見かねたのか、キャップがそう姫様に進言した。

姫様は、そうですね、と微笑わらってうなずく。

本題。


まあ、ただ、茶飲み話をするために呼び出されたはずはない。


「ニフシェ。こちらへ」


そう言って、姫様は、自分の近く寄るよう、僕にうながしてきた。

ギャノビーさんへ目をやると、なんだか目が笑っている。


なんだろうな、いったい。


内心肩をすくめて、僕は席を立ち、おそれれ多くも、姫様のそばへと、歩み寄る。


姫様も席を立ち、僕と正面から向かい合うように立った。

姫様は無言だったが、僕は、自然と、片膝を着いていた。


なんというか、雰囲気で。


姫様は微笑むと、僕の頭上に両手をかざしてきた。


いや、違った。

姫様の繊手せんしゅは僕の首筋にのび、ささやくように触れた。

そして気づけば、僕の胸元で、何かが揺れていた。


それは、小さな、反アーチ状の飾り物だった。

サイズ的にはてのひらに収まるほどで、翼を広げる鳥があしらわれていた。


「御守りです」


と、姫様は、また微笑まれる。


「もちろん、普通の御守りじゃないんですね」


立ち上がって、ちょっとおっかなびっくり、飾り物─────護符を手に取る。


わし、だろうか。

淡い銀色の金属で出来た、彫像品だった。

鷲の爪には、白い宝石の珠が掴まれている。


「あまりかわいげのないことを言うものじゃないぞ、坊や。……実際、ただの御守りじゃないがね」


ギャノビーさんが、悪戯小僧のように笑う。


「……その御守りを握って、目を閉じてみてください」


つい、と数歩下がりながら、姫様はそう言った。

僕は姫様の言葉のまま、護符を握りしめ、目を閉じる。


──────────ヒュウン

             

そんな音を、聞いた気がした。

直後、足場を失って、落下するような感覚にとらわれる。








光、光、光。








閃光の炸裂。


目は、閉じているはずだ。

それなのに突然、凄まじい光を、目の当たりにしていた。


だが、それに眩しさや、苦痛は感じない。

むしろ、温かで、安らぐような感覚が、心に染みこんできていた。


……魂で、ている。

そう思ったとき、さらに視界が一変し──────光る宇宙を、た。


轟音が響き渡っているようでもあり、静寂で満たされているようでもある、きらめきのそら


空間それ自体が、海のようにゆらめき、蒼く輝いている。

そして、星々のごとき無数の光が果てなく廻り、流動していた。


その無限の流れから……いや、この空間すべてから、途方もない〈力〉を感じた。


その光景、その感覚。

地球の化身たる、〈災凶竜ラスト・ドラゴン〉を前にしたとき以上の、衝撃と、畏怖いふを覚える。


それから、気づいた。

この空間に満ちた、想像を絶する〈力〉の感覚とは別に、伝わってくるものがあることに。


それもまた、流れ。

空間をめぐる〈力〉の流れとは、異なる感覚だった。


その異質な流れは、三つに分岐しているように感じ取れた。


自然と、意識が、それぞれの流れの先、潮流の源へと、吸い寄せられる。


そこには、鼓動のような、息づかいのような、なにか……存在を知らせるものが─────。

………!

これは──────────。




「ニフシェ」




姫様の声に、目を開ける。


一瞬、護符を通して受けた感覚と、視認する世界とのずれに、強い目眩めまいを覚えた。


「いかがですか?」


微笑む姫様。


「……凄いですね」


とっさには、そんなことしか口にできない。


──────姫様と、キャップと、ギャノビーさん。

護符によって感知できたのは、三人の居場所だった。


三人の姿や、この部屋の光景。

それらすべてを俯瞰したような感覚で、じかに居場所が理解できてしまったのだ。


………魔法装具マジック・アーツ、か。


魔法の産物という、一種の具現化した奇跡は、その存在を知っていても、感嘆せずにはいられない。


姫様は胸元に、翼を持った少女───天使、だろうか───を象った飾り物をつけていた。

色と大きさから察するに、渡された護符と、同種の物なのだろう。


「それは、アルトヴェリア王家に伝わる秘宝のひとつでね。姫と、若旦那と─────」


ギャノビーさんは言いながら、ふところから飾り物を取り出す。

ちなみに、若旦那とは、キャップのことだ。


「─────小生と、坊やの持つ四片で一組。所有者同士ならば、各々がたとえ地球の裏側ほど離れていようと、護符の効力にて〈星霊界アストラル・プレーン〉を通じ、その居場所を知ることが出来る、というわけだ」


どういう原理で〈星霊界アストラル・プレーン〉に繋がるのかは、我々にもわかってないのだがね、とギャノビーさんは皮肉っぽく付け加える。


星霊界アストラル・プレーン〉。


僕たち生者の住む世界……〈物質界マテリアル・プレーン〉と並行して存在するという、純粋な命と、霊的な力に満ちた世界。

……だったかな?

今まで眉唾まゆつば話とばかり思っていたけど、現実に見てしまうと、信じざるをえない。


魔法装具は、精霊郷せいれいきょう・アルトヴェリア王国でも、現存するものは稀少であると聞いていた。


僕も、神経は図太いほうだと思うけれど。

なんというか、こうもあっさり至宝をもらったりすると、なんだかおそれ多くなってしまうというか。


「そうそう、それとこれは、〈銀星車輪団アリアン・ロッド〉の名称にちなんだ、〈運命の輪〉の四神霊を象った一品でもある。……四つを組み合わせれば、ちゃんと輪になるのだな。おもしろかろう?」


愉快そうに、ギャノビーさんは自分の護符をつまんで、ひらひらともてあそんでいる。

……って、今、なにげにさらりと重大なことを言ったような?


「名称の大元って……。じゃあひょっとして、物凄く、大事なものじゃないんですか?」


「ひょっとしなくとも、大事なものだとも」


ニヤニヤと、ギャノビーさん。


「そんな大事なものを、僕に?」


僕がそう言うと、ギャノビーさんはハタと動きを止めた。

それから苦笑のような、意味ありげな笑みを浮かべ、姫様へ視線を向ける。

すると、姫様はそのギャノビーさんの視線を無視するかのように、僕を見て、言った。


「大事なものだからこそ、あなたに託すのです」


なんでまた、どうなったって知りませんよ。

……などと、思わず、不敬な言葉をもらすところだった。

実際には、なんと応えたものか、判断に迷う。


「……まったく。にぶいにも、程がありますな」


僕が言葉に詰まっていると、ギャノビーさんが軽く嘆息した。


「ギャ、ギャノビー……!」


「おっと、これは失言でしたかな。失敬、失敬」


何故だか急に慌てたような姫様に、ギャノビーさんは、ニヤリと笑ってみせた。


そして今度は僕を見て、自分の護符をちらつかせる。


「これが保険だ、というのは、わかるはずだがね?」


「それは、まあ」


万が一、姫様が敵に敗れ、連れ去られた場合、この護符さえあれば、追跡が容易になるだろう。


だけど、それにしたって、どうして僕なんだろう。


「敵はおそらく……いや、確実に、こちら側の世界に通じている。〈銀星車輪団アリアン・ロッド〉のことも、ある程度知られていると考えていい。で、あれば、だ。無名だが、信頼できる者にこれを預けておくのも、ひとつの策というものだ」


ギャノビーさんは、そこで僕を指差してきた。


「その点で言えば、坊やはウチじゃ一番の新入りだ。世間的には完璧に無名の、駆け出しの若造。────実は、坊やが成し遂げた〈竜殺し〉の偉業は、極力伏せることにしている。例の一件は、姫と古参の〈銀星車輪団アリアン・ロッド〉の面々で片付けた、ということで通してるのだな。……気を悪くしたら、すまないがね」


「いえ……」


偉業、って言われてもなあ……。

災凶竜ラスト・ドラゴン〉を倒せたのは、最終的に、無我夢中の結果だったわけだし。

なので、それが功を誇れることなのか、自分でも、疑問符が付く。

なかったことにした、と言われても、気の悪くしようがない。


「白状すれば、坊やの存在は、秘密の切り札にしておきたいのさ。私としちゃ、余所から坊やにスカウトがきたら、困るからな。これには姫も、同じお考えだ」


………………うーん。

ベアーといい、どの人この人、僕を過大評価してるような気がする。


「……ニフシェ。あなたは、一度、わたくしの命を救ってくれました」


姫様が、優しい目で、そうおっしゃった。


「もう一度わたくしを助けてほしい、とあなたに願うのは、無理な相談でしょうか?」


参った。

とはいえ、姫様にそこまで言われて、及び腰のままでいるほど、ヘッポコではないつもりである。

いいえ、と姫様に応え、片膝を着いたまま、右手を胸に当てる。


「ご下命、承りました。……すべては、ご契約通りに」


僕がそう言うと、ええ、と姫様は微笑まれた。


「─────あなたのお気に召すまま、気の向くままに」


「僕は、姫様の騎士でありましょう」


そう、それが姫様と交わした契約内容。


暁の空の下、希われた言葉。

その言葉を受けた時から、僕は、姫様専属の騎士だったりするのだ。


気が向く限りの、自由騎士。

あまりにあんまり、風変わりな契約。


だからこそ、僕はそれに乗ったフシもあるんだけど───────。


姫様の、心の気高けだかさ。

そこにあこがれたというのは、本当だ。


姫様のためなら、命を捨てられる、というのとは、また違う話。

うむうむ、とうなずくキャップと、にやけ顔のギャノビーさんを横目に、立ち上がる。


「よしなに」


姫様が、また、微笑まれた。

この微笑に見合うだけのことは、しなければならない。

それはつまり、全力を以て、事に当たるということ。

……きっとそれが、おとぎ話のお姫様に憧れた子供にできる、唯一の返礼だろうから………………。

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