1-3

人気ひとけのないことを確認し、手頃な路地裏で、地上に降りる。


首に巻いてる織布しょくふを、折りたたんで、懐にしまう。


服装は、ありふれたブラック・ジーンズのジャケットに、ズボン。

僕の見た目は、ばっちり、普通の少年のはずだ。


何食わぬ顔で、路地裏から表通りへ歩き出ようとする。

……そこを、いきなり、真正面から蹴られた。

下腹部直撃、素直に痛い。

さすがに、路地裏に引き下がるほかなかった。


「しいらさん、ちょっと待」


って、と、無体むたいな加害者に訴えるのだが、向こうは動きを止めなかった。


ひょい、と後ろに身をそらして、二撃目の蹴りを避ける。

ぶびゅん、と空気を裂く音がした。


────わあ。

今の、わりかし本気の蹴りですよ、このひと


「……なんで避けるのよ」


「無茶言わないでください。蹴られると痛いんですよ? その靴」


靴の問題じゃないけど、あえて冗談めかした。


目の前の女性は、重たそうな、軍隊ばりのブーツを履いている。

服装は、黒のレザー・ジャケットに、ホット・パンツ。

ニー・ソックスは履いているものの、健康的な太腿を、惜しげもなくさらしている。

だけどスケベ心全開で見とれてると、音速の蹴りが飛んでくるから要注意だ。


……あ、にらまれた。

ギロリと。


美人だけど、少々つり目気味なので、怒りモードでにらまれると、ちょっと怖い。


つかつかつかと、ウェーブがかった髪を揺らしながら僕に詰め寄ると、思い切り胸ぐらを掴んできた。


「蹴られる原因を作るヤツが悪いんでしょ?」


有無を言わさぬその口調。


祈川いのりがわしいらさん。

恐ろしくアグレッシヴな短気さを誇る、十九歳のお姉さんだった。


いつもピリピリした雰囲気を発散させているのだが、実は、お裁縫と料理が大好きな、家庭的お姉さんだったりする。

でもそれを言うと、照れ蹴りの本気蹴りされるので、言葉にはしない方向で。


「ちょっと! なんとか言ったらどうなの!」


お姉さんは、ご機嫌斜めのようだった。


「……えっと、蹴られる原因、ってのは、なにかなー、とか」


「とぼけんじゃないの!」


と、しいらさんは容赦なしに、僕を路地の壁に押しつける。


「派手に暴れちゃって! 今日がどういう日か、忘れてんじゃないでしょうね!」


さっきの狼男の一件でお怒りだった。

どうやら、事の顛末てんまつを、一部始終見ていたらしい。


「忘れてませんよ。だ…」


「忘れてないなら! どういう了見で、人との待ち合わせすっぽかして、どんちゃんやってくれちゃってるのかしらね!」


弁解するスキマもなかった。


「街中であれだけやって、警察の動きが鬱陶うっとうしくなったらどうする気? 大事な日だってのに!」


「先に行っててもらってよかったんですけど……」


「行けたら、とっくに行ってるわよ!」


と、荒々しく僕を突き放すしいらさん。


「あんたが来ないと、ベアーはテコでも動かないでしょ!? 律儀りちぎすぎるったらね! もうっ」


ああ、ベアーはそのへん、融通ゆうづうきかないからなあ。


今夜は、自由行動のあと集合、それから車で移動する、という手筈てはずであった。


僕ら三人組で、車の運転を担当してるのは、ベアーだ。

僕も運転できるけど、街中だと警察に引っ掛かったとき面倒なので、極力きょくりょく運転手はパスしている。


で、ベアーとは誰かと言えば。


様々な経緯があって、僕の従者を自称している、ネイティヴ・アメリカン、ネヴラ族の末裔である戦士のことだった。

僕には雇う気も、尽くされるだけの器もないのだけれど。

部族の掟がどうのとか言って、僕の従者である、ということを譲ろうとしない。


まあ、そんなこんなで、二年くらいの付き合いになるだろうか。

その義理堅さは、ダイアモンド並だ。


僕がいないと、車を動かすどころか、車の前で仁王立ちしたまま、微動だにしないかもしれない。

と言うか、実際に動かないから、しいらさんが僕を捜して回ったのだろう。

って、ちょっと待てよ………。


「と、言うか、しいらさん、電話してくれればよかったのに」


僕だって文明の利器、携帯端末を持っている。


「……着信、確認した?」


「えっ」


しいらさんに半眼でにらまれ、慌てて自分の端末を確認する。

……と、着信どころか、画面が反応しなかった。

要充電状態である。


「えーっと……充電、し忘れてました………」


「そうでしょうよ! 何度も電話したの! 何度も!」


「申し訳ありませんでした!」


鼻息荒く声を荒げるしいらさんに、僕は綺麗にお辞儀して、平謝り。


いやだが、待ってほしい。

僕はつい最近まで、携帯端末を性分に合わないから、持ち歩かなかった。

……と言いたいところなのだけれど、実は使い方がよくわからなかったので、持たなかった。

幼少時に、中国の崑崙コンロンという、山奥で育ってしまった弊害へいがいである。


……車は運転できるんだけどなあ………。


それが必要に迫られ、電話とメールができるようになったのは、ここ一年以内のことなのだ。

だから、こまめに端末の電力チェックとかの癖がついていない。

と、いうようなことを言い訳したかったのだが、怒るしいらさんには、何も言えなかった。


「集会に遅れたら、あたしも一緒に絞られるんだからね! まったく、半端者はんぱものってだけで、一緒に組まされるんだから、たまんないわ!」


そう、しいらさんは、僕と同じで、〈半人外ハーフ〉である。

父親が〈吸血鬼ヴァンパイア〉で、母親が人間なのだそうだ。


「ほら! さっさと行くわよ!」


言いたいことは言い終えて満足したのか、しいらさんはきびすを返すと、風を切るように歩き出した。

これ以上怒鳴られたくないので、僕は黙ってしいらさんに続くことにする。


「まったく。ベアーも、なんだってこんなうすらトンカチに義理立てするんだか」


ぶちぶちとつぶやくしいらさん。

我が事ながら、思わずうなずいてしまう。


「いや本当。なんでなんでしょうね」


実際のところ、十代の小僧に付き従う、ベアーの心中やいかに。

掟だかなんだか知らないけど、どうしてそこまで固執こしつするんだろう。

ベアーの部族のために、僕がいろいろやったことは、確かなのだが。


「……あんたもあんたでね! なんで行く先、向かう先で面倒起こすのよ!?」


話をふりだしに戻してしまった。


しかし、そんなことを言われても困る。

なにも好きで、赤子がさらわれる現場の近くに居合わせたわけではない。


「でも、さっきのは助けないわけには…」


「いちいち人前で暴れるな、って言ってるのよ!」


しいらさんも、成り行きであることは、わかってて言ってるのだろうけど、こくなお叱りである。

けど、異議を唱えるのは、火に油だ。

ここは黙っておくとしよう。


「……その服、ちゃんと洗ってるんでしょうね。集会に誰が来るか、わかってるの?」


今度は服装チェックときた。


しいらさんの目線は、僕のブラック・ジーンズのジャケットに向けられている。

そんなに汚れてるはずはない……と思うけれど?


「いや、これって一品いっぴんモノだから、なかなか洗うに洗えないんですよ」


「冗談。どこが一品ものよ。安物丸だしじゃないの」


バッサリだった。


「あーもうっ! 今度はいいから、次は見た目のいい服着るのよっ。いいわね!?」


「……はい」


しいらさんの服も、礼装には見えないけどなあ、とは思ったけれど。

反論することなど不可能だった。

怒った女のヒトは、〈狼人ウェア・ウルフ〉より怖いのだ。


────やがてベアーの待つ路上駐車場へ。


ベアーは、案の定、車の外で、立って待っていた。

両腕を組んだまま、彫像のごとく立っている。


ベアーは、身長が二メートル近くある、巨漢である。

Tシャツがはち切れそうなほどの筋肉。

精悍な顔つきで、髪は長く、首のあたりで束ねている。

その眼光たるや、獲物を狙う鷹か鷲か。

だが、荒々しい雰囲気は毛ほどもなく、むしろ穏やかな、清涼感を漂わせていた。


「ごめん、ベアー。待たせちゃったね」


「いいえ」


ベアーは短く言って、僕を見つめる。


「────良い風を、まとっておられます」


そう言うと、ベアーは満足そうに微笑んだ。


「また、善行を積まれたようですね」


「……どうだろうね。そうだといいけど」


ベアーは風でもって、人をはかる。

本当に風が見えているのかどうかは、よくわからない。


「なんでもかんでも誉めちゃ駄目よ、ベアー」


ジト目でこっちを見ながら、しいらさんはさっさと車のドアに手をかけている。


「すぐお調子にのるんだから。この子」


出来の悪い弟扱いである。

しかし、お調子のりであることは否定できないかも。


「ニフシェ様は、節制を知っておられる」


車に乗り込むしいらさんに、ベアーは言った。


「過不足なく、物事を収める方だ。────心配はしていない」


随分と過大評価されてるなあ。

そう苦笑しながら、僕も後部座席に乗り込もうとする。

そのとき。


「────────────っ」


視線を感じて、振り向いた。


向けた視線の先。

そこに。

そこに、男が、立っていた。


その、存在感。


風景から浮き上がっているような、錯覚を覚えた。

明らかに、こちら……僕を見つめいている。


男は、汚らしい、枯草色のコートを着ていた。

茶色の、長い髪。

細面の、若々しい顔立ち。

口元に浮かぶ微笑。

優しげな瞳。

その姿はまるで。





まるで、遠い昔に聞かされた、おとぎ話の聖者のようだった。





「ニフシェ様?」


掛けられたベアーの声に、はっと、男から意識が逸れる。


────────────しまった。


心のどこかで、そう舌打ちする。


すぐに視線をめぐらせるが…………。

目に入るのは、普通の人々の、行き交いばかり。

あの男の姿は、どこにもなかった。


……あんな男は知らない。


誰からも、その風貌を聞いたことはない。

だというのに。

なんだ、この胸騒ぎは。


…………………………嫌な予感がする。


何も起こらないといいけど────────。


内心そう呟くが、同時に、皮肉めいた笑い声が、胸の内で響いた。


〈────────わかってるくせに〉


……そう、経験上、わかってる。


異変とは、容赦なく、見境なく、訪れる。


………錯覚にしろ。

今見た男の姿は、その凶兆に思えて、ならなかった。

つい、天を仰ぐ。

────────見上げた夜空に、まる月。


下弦かげんの月、だった。


「どうかされましたか?」


さすがに不審に思ったのか、ベアーも、周囲の様子をうかがって、僕にそう言ってきた。


………無理に、笑顔を作る。


「いや、なんでもないよ」


そう言って、車に乗り込む。

席に座ると、しいらさんが、顔を覗きこんできた。


「……今、なにを見てたの?」


わずかの出来事だったのに、よく見ている。

そういうところは、やはり家庭的なお姉さんだ。


「えっと、月をね。いい月だな、と思って」


ごまかしだが、嘘は言っていない。

僕と同じで、半月ハーフ・ムーン


吉兆である、と自分に言い聞かせたいだけだけど……。


しいらさんは、軽く眉間にしわを寄せて、何か言いかけた。

だが結局、呆れたような顔をしただけだった。


──────お手数かけます、ごめんなさい。


心の中で、手を合わせる。


車が、動き出した。


ゆっくりと、流れていく街並み。

人外アーク〉の脅威が隣り合わせにあるとはいえ、人の日々のいとなみは、平穏なものだ。


そう思いたい。

ときおり、人間のくらい部分が、覗くにしても。


……………………さっきの男の姿が、頭から離れない。


窓の外の風景を眺める。

そして、小さく祈った。


もし、今夜が、誰か必ず傷つかねばならない夜であるならば。

────────────できるなら、傷つくのは、僕だけでありますように、と。


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