恋はブレーキの壊れたダンプカーのように

山咋カワズ

青春・ラリアット・LOVEマシーン


「げぼぉっ!?」


 いつものように高校へと向かう道を歩いていると、曲がり角を過ぎた所で、胴体と頭が分かたれてしまったのではないかと思う程の凄まじい衝撃が首に走った。

 突然の衝撃に視界が一瞬真っ赤にちらつき、そのまま背後へと勢いよく倒れこむ。受け身を取ることすらできず、頭と背中が大きくアスファルトに叩きつけられた。


 なにが、いったい、どうなった?


 仰向けに倒れながら現状を把握しようとするも、あまりにも唐突な出来事に思考がうまく働かない。とりあえず、なんとか動かすことのできる頭を動かせるだけ動かして辺りを見渡してみる。そのうちに涙でぼんやりとする視界が徐々に開けてくる。すると、頭の真後ろに右腕を真横に突き出している様子の女の子の後ろ姿が見えた。


 あまりの緊急事態に、私の灰色の脳細胞が高速で動き出す。

 考えろ、私の身に、一体何が起きた。


 彼女が着ている制服は紺色のブレザーにチェックのスカート。これは私が通っている高校の制服と同じものだ。真っ直ぐに横に伸びている右腕にも見覚えがある。というか、私が曲がり角を曲がった直後に一瞬見えたそれと同じだ。しかしこの位置から眺めると、スカートから伸びるすらりとした色白の脚が目に毒だなぁ。


 最後にパンツの色を確認した後、限界まで真後ろに折り曲げていた首を一旦元に戻す。なるほど。状況から推察するに、どうやらその女の子が曲がり角で突如飛び出し、こちらに向けて強烈なラリアットを繰り出してきたようであった。


『なぜ、こんなことをされたんだ?』


 意識ははっきりとしてきたが、それに伴って混乱はますます加速していく。


 後ろ姿を見る限りではあるが、この女の子には全く見覚えが無い。

 勤倹立行を座右の銘とする私の日常生活において、女性と関わる機会など母親と三つ年の離れた妹と会話するくらいしかない。

 しかも思春期に突入した妹には先日某SNSアプリで推しとか何とか言ってるアカウントをフォローした事を言ったらアカウントをブロックされた後に絶縁を宣言されてしまったため、実質的に母しか私の身近に女性はいない。だから私に気軽にラリアットを交わせる女友達など存在するはずもなく、当然のことながら、このように突然スタン・ハンセン並みのラリアットをされるいわれもない。


 今日は大安であり、雲一つない晴天であり、学校に通わねばならない平日である。いつも通りの平穏な一日。そんな平々凡々な日常の一コマに、スタン・ハンセンが入り込む余地はないはずであった。


 混乱のあまりどうでもいいことばかりが頭に浮かび、思考は都会の川の底に溜まったヘドロのようにぐちゃぐちゃに色んなものが混ざり合う。無理をして後ろに傾けていた首の痛みも相まって、もはや立ち上がることすらままならぬ状況であった。くそっ、なんでこんな事に……。


 そうしてまだ数時間しか経っていない今日一日を振り返り、最後にパンツの色と形状を走馬灯のように考え始めたら、なんかもう全部どうでもよくなってきた。

 もういいや、疲れたからとりあえず二度寝しよう。そう考え、仰向けに横たわりながらゆっくりと瞼を閉じようとしたその時、突然背後から大きな声が響いた。


「せっ、先輩! 1年前から好きでした! 付き合ってください!」


「は?」


 思わず上半身を起こして背後を振り向く。その先には、華奢な外見からは想像もつかない程の俊足で走り去る女の子の姿が見えた。


 あまりにも唐突な走り出しに、何か声をかける余裕もない。私の脳内は既にキャパシティオーバーし、『綺麗なフォームだなぁ、陸上部なのかな?』などと取り留めもないことを考えることで精いっぱいであった。


 尻もちをついたまま数分が経ち、ようやく思考がはっきりとしてきた。なるほど、彼女はどうやら私のことが好きで、それでつい通学路で待ち伏せし、大の男が吹き飛ぶほどのラリアットをしてしまったようだ。


 およそ理解の及ばない出来事ではあるが、起きてしまった以上は仕方がない。春だから、まあこのようなこともあるだろう。すっかり眠気も覚めてしまったので、すっくと立ちあがって、倒れた際に手放してしまった通学鞄の埃を払い、学校へと歩きながら考えを巡らせる。

 

 哀しいかな。私はこれまでの人生の中で告白などされたことがないし、したこともない。だから彼女の告白が正しいやり方であったのかは、正直なところ分からない。


 ただ、彼女にとってその行為は確かな意味があったはずである。

 だって彼女は私から何かを奪おうとしてきたわけでもなく、決闘を挑んできたわけでもなかった。つまり彼女にとってあの行為は、単なる暴力ではなく確かな意味を有した告白であったに違いないのだ。


 混乱と物理的ダメージでなんかすごくふわふわしている頭で冷静に思考を巡らせる。ふと顔をぬぐったら手にべったりとこびりついていた熱く赤い情熱的な液体を見て、鈍感な私も流石にハッと気が付いた。

 先ほどの考えに基づけば、渡されたのがラブレターではなくラリアットで、ラリアットを食らわせてきたのがスタン・ハンセンではなく花も恥じらう乙女であったことなど、恋愛においては些細な一要素に過ぎないのではないか。


 彼女はただ、香しい封筒に閉じ込めた繊細な言葉などではなく、ラリアットという手段を用いて私の心を射止めようとしただけなのだ。


 そんなことを考えつつブロック塀で挟まれた道を歩いていると、そこら中から発情期の猫が呻く声が聞こえてくる気がした。というか、気が付いてみれば、猫のみならずそこら中の生き物が恋に蠢きひしめき合っている。


 今歩いているこの道も、通学途中にいちゃつくカップルで満員電車がごとくになっている。しかも塀の上は発情期の猫で埋まり、道はカップル共で埋まり、空はゴミに恋するカラスで埋まっている。


 空には恋色の桜が舞い散り、ええじゃないかええじゃないかと叫ぶ声が辺りに響く。恋する愚か者共をかき分け踏み越えながら学校を目指す私も相まって、全くもって季節は春のようであった。


 しかしまあ、恋の手段・基準とは多様なものだ。


 色めくカップルの頭部と猫を交互に足場にして飛びながら私は考える。こうして猫と人を一緒くたにして踏み付けていると、なおさらにそう思えてくるような気がする。


 猫は発情期という生物的な機能に従って機械的な恋をする。しかしそれは生物としての本能でありながら、雄猫はより魅力的な雌猫を選んで多種多様なアピールを行い、雌猫は雄猫をなんとも自由な方法で選んでいる。


 例えば、先ほど踏みつけた黒猫と三毛猫のカップルは毛艶が良い相手をお互いに選んでいた。なるほど、より外見的な魅力の高い相手を選んだのだな。納得である。

 しかし今踏みつけた縦縞の猫とお高くとまった長毛の白猫なんぞは、今までに吐き出したことのある毛玉の艶と大きさをずらりと並べて比べることで相手を見定めていた。


 人間の私には意味不明だが、これも猫の間では一つのステータスとなり得ることなのだろうか。わからない。わからないが、かれ彼女は確かにこれで通じ合っていたと踏みつけた今では確信している。それはそれで、そういうものなのだろう。


 そしてまあ、猫と一緒くたに踏みつけている人間共も似たようなものだ。愛する仕草は多様であり、こうして踏んでも蹴っても何も反応も返さない様子は猫と変わらない。


 恋するあまりに内から溢れ出る熱烈さで、愛する相手すら燃やしているのだ。もはや自他の熱で心身が燃え滾り、全身のあらゆる感覚を喪失しているに違いない。

 しかしその熱で相手を焼き焦がすことにより、彼らはお互いの事をこの上なく理解しているのだろう。ヤマアラシのジレンマなどという精神的障害を軽く乗り越え、自分の内側から溢れ出るエゴで相手を燃やすことが相手を理解することに繋がると固く信じているのだ。


 それは理性的な衝動だ。しかし機械的な本能でもある。二元論などという机上の空論は、恋という概念の下ですでに崩壊してしまっている。

 では、あの時私が感じた衝撃は何なのだろう。身体の内側からあふれ出てくるこの衝動をどう言語化すればいいのだろう。頭と、身体と、心が燃え滾るように熱い。この概念を私はどのようにジャンル分けして、どのように整理すればいいのだろう。


 あるいは、この混沌こそが恋なのだろうか。私は、彼女に恋しているのか。


 そんなことを考えつつ春の嵐が如くたむろする恋愛狂い共を踏みつけながら走っていると、徐々に私の通う高校が見えてきた。


 いつの間にか、そこら中に溢れていたカップルやら猫やらは姿を消していた。ええじゃないかの声は鳴りやみ、桜の舞い落ちる音が聞こえそうな程の静寂が辺りを包んでいる。


 地面に着地し、コンクリートの強固な感触を感じながら真正面を見据える。視線の先に広がる我が高校。その正面にまるでパステル画のように浮かぶ校門の傍に、人影が一つだけぽつんと浮かんでいた。


 華奢な外見。見覚えのある白くほっそりとした脚。それは間違いなく、先ほど私にラリアットを打ち込んできた少女であった。


 長い前髪のせいで顔全体を伺うことはできないが、僅かに見える頬を真っ赤に染めながらこちらに身体を向けている。その様子を見ると、どうやら先ほどの告白に対する何らかのリアクションを得るためにそこで待っていたようだ。


 私は彼女のほうを見てほほ笑んだ。それを見て、彼女も私に向けてほほ笑んだ。


 首の辺りが燃えているかのように熱い。


 これが、この熱さこそが私を焼き尽くさんとする彼女のエゴか。確信した。私は彼女に恋をしている。理屈や過程なんてどうでもいい。これが恋なのだ。


 そして先ほどの告白は、彼女なりの私に対する真剣な愛の告白であったのだ。ならば私も、真摯にその告白に対して返答しなければなるまい。


 衝動が身体を震わせる。右手に持っていたかばんはその辺に投げ捨てた。私は今この場で、彼女にこの感情を伝えなくてはならない。


 なぜなら今日は良く晴れていて、しかも大安であるからだ。

 恋する理由なんて、それで十分だろう。


 肩を一度ぐるりと回す。右腕の具合は良好だ。

 そうして、私は答えを待つ彼女に向って勢いよく駆け出した。


 始業のチャイムの鳴る音が、桜舞う春の空に高らかに響いた。

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