「これを読まずに死ぬとは情けない」……が……僕は死にましぇんっ!

わたなべ りえ

他薦は人のためならず


 昔々……。


 ラジオからこんな感じのCMが流れていた。

 レコード針かなにかの宣伝だったかなぁ?


 僕が好きな曲がラジオで流れた。

 やったー!

 が、その曲は、数ヶ月後、街のいたるところで流れるようになった。

 なーんだ。。。


 その曲は、ホテル・カリフォルニアだった気がする。

 本当にそのCMで使われていたのか、ちょうどその頃、流行っていたので、自分が勝手に「ああ、これはホテル・カリフォルニアのことか」と思ったのか、なんせ、すごく昔の話だから、正確には覚えていない。

 でも、そのラジオの「僕」は、確かにその時代の若者の代表だった。


 当時の洋楽ツウは、自分の好きな音楽を探すのに貪欲だった。

 まだ日本で発売されていない曲ですら、ラジオ番組に食らいついて聞いていた。その曲がヒットすると、まるで自分が見出したように得意げになったりしたものだ。

 ところが、その曲があまりにも大ヒットして、誰でも耳にするようになってしまうと、逆にがっかりしてしまう。

 つうだけが知っている曲があまりにポピュラーになってしまうと、自分が特別じゃなく、平凡な耳を持つリスナーに成り下がるような気分になるのだろう。

 私はまだ子供で、そのがっかり感は、もう少しお姉さん・お兄さんの世代の若者のものだった。



 が……。


 今の時代、そんな「がっかり感」を持つ若者はいるのだろうか?



 自分が世の中の流行りを一歩リードして、良いものを見出す。

 真っ先に、それがいい! と声をあげ、周りがそれに追随する。

 自分独自の評価が、一種の自己表現であった時代。

 そして、一般受けを、なーんだ、つまらん……と思ってしまう感覚。


 今はどうも「人がいいと言ったものに、いかに早く飛びつくか?」がものすごく大事にされる時代になってしまったような気がする。

 いいと思う前に、他の人の評価を気にして、それで良し悪しを判断しようとしてしまう。

 人の感覚から外れたものを「いい」と言いにくい、仲間外れになりたくない、同じものを「いい」と言って、同類でいたいのだろうか?

 自分の感性を信じない、他人の評価と横並びしたい時代。

 人と同じ、似たパターンが安心感を与える時代。

 飽和したありきたりが求められ、「またこれか」が溢れている。


 だからこそ、「僕」のがっかり感がきっとこの世界を変えるだろう。

 マイナーであることがかっこいい古臭い時代の「僕」が。

 星の数やらPV数が作品の評価だと思い込んでいる人たちに、革命を起こすのは、きっとこの「僕」なんだ。

 そう、どんないいものでも、「またこれか……」は、がっかりなんだ。

 他人に受けるために頭を巡らせるのもうんざりなんだ。

 好きなものを好きと、声を出して言いたいんだ。


「僕」は死なない。永遠に。


 この企画は、「僕」がたくさん集う場所になるんじゃないか? と期待して、参加することにした。

 読者のためではない、作者を宣伝するためでもない、私が、「私ってこういうのが好み!」というためだけの他薦。

 まぁ、その方が魂こもっていていいんじゃなかろうか。

 なーんて、思ったりする。

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