花ちゃんはそこに座っていた
美津子おばさんの家は広島にある。
うちから新幹線に揺られ二時間、広島駅で乗り換える。そこからまた在来線を乗り換えること2回。郊外に建つその億ションは建築開始時から周りの注目を集めていたらしい。
というのも、建てる際の「杭打ち」に、ぶっとい杭を何本も打っており、世間では「一体何階建てのマンションが建つんだ?」と騒がれていたそう。
まさかこれが一軒家だとは誰も予想しなかったに違いない。
5年ほど前のこと。
高校2年生だった私は、家族で美津子おばさんの家の遊びに行った。
「あら、いらっしゃい」
母さんそっくりな美津子おばさんは昔は誰もが認める美人だったそうだ。
おばさんは昔、病院の事務をしていた。噂によると美津子おばさん目当てに受診していた人もいたらしい。その病院に非常勤で来ていたのが今の旦那さんとの出会いと聞いている。
この一家はちょっと変わっていて、表札も独特だ。
渋川俊朗、美津子、早苗、三郎。
この三郎以外はみんな人間。でも、ゴールデンレトリバーの三郎は溺愛されており、どこからどうみてもただのドラ息子となりきっている。
渋川家では三郎は歴とした家族なのだ。
玄関のドアが開くと、目の前に噴水が見える。
西洋の女神様がツボを持っている。いつも思うのだが、重くない? それ。
「バウッ、バウゥ!」
「こら、三郎! 部屋で待ってなさいって言ったでしょ?」
大きな白い影が、突然玄関に出てきては、驚いてすぐ戻った。その姿を見届けてから美津子おばさんが苦笑い。
「さぶちゃん、人見知りなの〜。心配だから出てくるくせに、怖くなって逃げるのよね」
あの大きな図体で人見知りとは……。本気を出せば人間一人くらいなら
渋川家のリビングに案内された。
吹き抜けで、3階まで見渡せる。立派なおうち、それが第一印象だった。でも……
私は手についた何かに気づいた。
……これは?
さぶちゃんの毛だった。
室内で飼うのであれば、当然だった。潔癖症にはたまらないだろう、息をするのも苦しそうだ。
さぶちゃんはさっきからずっとこっちを見ている。どうやら気にはなるみたいだが、近寄るのが怖いのだ。本当に人間みたい。
「ごめんねえ、さぶちゃんの毛散らかってて。もう少しでさぶちゃんも慣れてくれると思うんだけど」
私はそれより、ソファの下にちょこんと座る、もう一匹の犬の方が気になった。
「ねえ、早苗ちゃん」
ソファでくつろいでいた一人娘の早苗は、テレビからふっとこちらに視線をよこした。
さらさらヘアが、ふわりと揺れる。白いフリルつきのブラウスが、きらりん、と音をたてた。いかにもお金持ちのお嬢様っていう感じ。
「なに?」
「この子は?」
私はその小さなトイプードルを指差した。
「あぁ、この子ね、花ちゃん。私がどうしても、っていって買い取らせてもらったの」
早苗はその時高校一年生、ペットショップでバイトをしていた。
今働いているお店で、どうしても買い手のつかなかった花ちゃんを、早苗が同情で買い取ったのだそうだ。
買い手がつかなかったのは訳がある。それは花ちゃんは片足が無かったのだ。それだけではない、当初の飼い主に暴力を受け、人間というものを信じられなくなるほど心の傷を負っていたのだそうだ。
時間をかけたケアのおかげで、少しは人とも接触できるようになったものの、なかなか売り物としては魅力に欠けていた。
「気をつけてね、花ちゃん知らない人には噛み付くから」
簡単に言うわ、このお嬢さん。
そういうのってもう少し早く言うものじゃないの?
私は昔からの犬好きで、少しは扱いに慣れているという自信はあった。でもそんな怖い話を聞くと、なかなか近づきがたい。
花ちゃんは茶色のもじゃもじゃにつつまれて、綺麗なくりっとした目をこちらに向けて来た。きっと警戒しているのだろう、絶対に手を出してはいけない、いきなり手を出すと犬は怖がって噛み付いてくるのだ。
花ちゃんは片足を怪我で切除しており、動けない。だから、せめて隣に座って、様子をみることにした。
——表札に花ちゃんは入れないの?
とは聞けなかった。
当然だろう、息子のように可愛がっている三郎と、同情で買い取った傷物花ちゃん。扱いの差は歴然となって当然だ。それでも飼ってもらえるだけ幸せなのかもしれない。
私は次第にテレビに夢中になり、隣にいる花ちゃんのことをいつしか忘れていた。
すると不思議なことが起こった。
「あ! 奈緒姉ちゃん、危ない!」
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