第76話
希久美が病院に駆けつけた時、泰佑は相部屋の病室のベッドで点滴を受けながら寝ていた。
そばにミチエが付き添い心配そうに泰佑を見守っている。顔見知りである希久美に気付いたミチエは、安心してすこし顔を明るくして声をあげた。
「青沼さん。来て下さったの」
「おばあちゃん。泰佑はどうですか?」
「今は落ち着いて寝ているけど、さっき気がついた時は、これから仕事へいくんだと大騒ぎだったのよ」
希久美は寝ている泰佑の顔を覗いた。驚いた。たった10日間前後でこんなに顔が変わるのか。頬が痩せこけ、あごの線が鋭くなっている。目の周りが落ちくぼんで、若干くすむとともに、肌と唇は荒れ放題。イケメンの残影はあるものの、躍動していた泰佑の面影はまったくない。
「そうですか…。でも命に関わるほどじゃないんでしょう」
「今はそうだけど、退院すれば同じ事繰り返して、いずれは命に関わることになるような気がして心配だわ」
そう言いながら心細くなって震えるミチエ。希久美はその肩を優しく抱いて慰めた。病室のドアが開いてナミが入ってきた。希久美と目で挨拶する。
「そうだ、おばあちゃん。今入ってきた先生が、私の同級生で荒木先生と言うの。科は違うけどこの病院では顔が利くから、困ったことがあったら何でも相談してね」
ナミがミチエの手をとり挨拶した。ミチエは、よろしくお願いしますと言いながら何度も頭を下げた。
「おばあちゃん、ちょっと荒木先生と話してくるから待っててね」
希久美とナミが連れだって病室を出て、廊下にあるベンチで話し始める。
「どうして泰佑だとわかったの?」
「救患で精神科がからんでる予見があったんで、とりあえず私が呼ばれたの。カルテの名前を確認して驚いたわ」
「そう…結局、泰佑はどうなの?」
「患者さんのことは、部外者に話せないのはわかってるわよね」
「いいから話しなさい」
希久美の言葉に有無を言わせない強さがあった。ナミはしばらく考えた後話し始めた。
「まあ、あんたもこの件では部外者だと言える立場でもないしね…。過労からくる自律神経失調症よ。今は、メジャートランキライザー、つまり強力精神安定剤を投与して寝てるけど、目が覚めたら、また仕事に戻るって騒ぎだすでしょうね」
「なんで倒れるほど仕事をしたがるの?」
「いくら精神科の医師でも、診てもいないのにはっきりしたことは言えないわ」
「この前のことが原因とか…」
「あの日以来の変調だったとしたら、可能性はあるわね。とにかく最後の一発が致命傷だったかもしれない…」
「おばあちゃんが、退院すれば同じ事繰り返して、いずれは命に関わることになるんじゃないかって言ってたけど…」
「適切な治療を受けなければその通りね」
「治療って前の話し?」
「そう、心の奥底に行って原因を見つけて、取り除いてあげる。でもこの病院にはそれができる人材も設備もないわ」
「あれ、青沼さん。なんでここに?あっ、ナミ先生…」
ひそひそ声で話しているふたりの前に、突然石嶋が現れた。驚いて立ち上がるふたり。同時に病室のドアが勢いよく開きミチエが飛び出してきた。
「青沼さん。なんとかしてください。泰佑が起きだして、仕事へ行くと言いだしてるんです」
希久美が、石嶋とナミを残して病室に飛び込む。泰佑が、半身起こして、乱暴にも点滴の管を抜こうとしていた。
「このばか泰佑っ!あんた何やってんの!」
希久美の一喝は、泰佑どころか、相部屋のすべての人々を凍りつけるに十分な迫力とパワーを持っていた。
「オキクだ…」
「なに、あたしがいちゃ迷惑?つべこべ言わずに、おとなしく寝てなさい!」
泰佑は、すごすごとベッドに戻り、希久美に言われるがままに布団を被った。
「青沼さん。あなたさすがだわ」
仁王立ちの希久美の背後でミチエが絶賛の拍手を贈る。ナミと石嶋が希久美の剣幕に怯えてその様子を見守っていた。
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