第36話
タクシーのフロントガラスにあたる雨を、ワイパーが忙しく払っていたが、段々強くなる雨足に、視界も危うくなってきた。
ナミがタクシーを玄関に横づけすると、そこではすでに石嶋が傘を開いて待っていた。石嶋はタクシーの運転手に料金を払い、濡れないように傘を差し出しナミを家に導いた。
「ナミ先生。こんな時間に電話してしまってすみません」
テレサとショットバーで飲んでいたナミだったが、そろそろ帰ろうかとしたところで、携帯が鳴った。
「どうしていいかわからなくて…」
「ちょうど家に帰るところだったからいいんです。ユカちゃんを診ましょう。会った時はなんでもなかったけど…」
ユカの急な発熱に慌てて、アドバイスを求めてナミに電話したのは石嶋だったが、家にまで行って診ようと申し出たのはナミの方だった。
果たして、ゆかは小さなベッドの上で、ぐったりしていた。しかし、ナミが来たことがわかると、喜んで半身を起こし抱っこをせがんだ。ナミは、額や首筋をなぜながら触診で熱を確認し、ベッドの上でユカを腕の中に抱きかかえる。その姿勢で、体温計で熱を測り、眼やのどをペンライトで照らして見て、心配そうに見守る石嶋に言った。
「確かにお熱は高いですが、その他の異常なところは見られません。汗もかいているようですから、とにかく今は、かたく絞ったタオルで身体を拭いて着替えさせてあげましょう。先日処方した解熱剤は、まだ残っていますか?」
ユカのベッドの上から矢継ぎ早にナミは指示を出す。石嶋はバタバタしながら対応した。石嶋が用意したタオルと着替えをナミが受取りユカの身体を拭こうとしたが、その場でじっと見守る石嶋に、ナミが言う。
「紳士はレディの着替えを眺めたりしないものですよ」
「えっ?自分はユカの保護者ですが…」
「やあねぇ、ユカちゃん。ヒロパパったら、デリカシーがないわよね」
ユカにそう語りかけるナミに、石嶋も何かばつが悪くなり子供部屋から出た。
ドア越しから、ユカとナミがなにやら話している声が聞こえたが、声が小さくその内容までは知ることができない。薬を持ってドアの外に立っていたが、しばらくしてもお呼び掛からないので、焦れた石嶋がドアをノックする。
「ナミ先生。薬を持ってきましたが…」
「ああ、お薬ですか。もう必要ないみたいです。しばらくふたりにしておいてもらえますか」
「しかし…」
「ユカちゃんと私の為に、温かくて甘い飲み物でも作ってください」
石嶋は仕方なく台所に退く。
確かココアがあったはずだ。ココアなど作ったことがない石嶋だが、ようやく探し当てたココアの缶を握りしめて考えた。ユカは家政婦が休みの日に限って熱を出す。あれ、ココアを溶かすのは、水か?ミルクか?屋根のひさしをたたく雨音が激しくなった。外の雨は強さを増しているようだ。今夜は、ナミ先生が来てくれて助かった。こんな嵐のような雨の夜に、診てくれる病院を求めてユカを連れ回ることは出来なかった。ところで砂糖は入れなくていいのか?それにしても、ユカはたびたび熱を出す。この前は、風邪だったようだが、今日はそんな予兆もなかった。ユカはこんなにナイーブだったかな。少なくとも兄貴夫婦が生きていた頃はそんな話は聞かなかった。
ココアらしき色に仕上がった液体を、マグカップにサーブして、石嶋は子供部屋に向かった。その時だ。ぴかっと閃光が走ると、しばらくして空気を切り裂くような落雷の音が轟音となって響く。
「キャー!」
子供部屋の中から、ユカとナミの叫ぶ声が聞こえた。慌てて、子供部屋に飛び込むと、ベッドの上でユカとナミが抱き合いながら震えていた。
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