第31話
「空と海と台地。生きるには、これだけで十分だよな…」
「ちっ、何バカなこと言ってるの!私は靴とスマホがなければ、生きられないのよ!すぐ返して!」
「百歩譲ってだな、これ以外に必要なものがあるなら言ってみろ」
「だから、言ってるでしょ。あたしには…」
「靴とスマホ以外でだ」
泰佑は澄んだ眼差しで希久美に問いかけた。
「えっ?ああ…。強いて言えば、肌が焼けるのが嫌だから日陰が欲しいわ」
「俗人め…」
泰佑はそう言うと、足元の砂をかき分け始める。
「何しているの?」
奇行を慌てて止めに入る希久美に構わず、泰佑は砂を掘り進め、そして一対のパラソルを掘りだした。
「えっ、なんで?」
砂の中から掘り出されたて驚く希久美の足元に、泰佑はパラソルを開いて差し込んだ。
「気付いている人は少ないが、砂の中には、欲しいものがすべて埋まっている」
「ドラえもんのポケットじゃあるまいし、バカバカしい…」
「さて、次は?」
「えっ、まだあり?」
「まだまだ」
「そしたら…やっぱり座りたいかな」
今度は5歩ほど離れた砂を掘り始め、折りたたみのデッキチェアと小さなサイドテーブルを掘り出した。椅子に座った希久美の顔も、今では、驚き顔から笑顔の呆れ顔に変化している。なんとなく楽しくなってきているようだ。
「まだ、あり?」
「まだまだ」
「なんか、飲みたーい!」
泰佑はまた掘りはじめる。今度はクーラーボックスを掘りだした。クーラーボックスから冷やしたグラスを取りだすと透明な深紅色のカクテルを注ぐ。希久美の大好きなカシスソーダだった。
「まだまだ、あり?」
「まだまだまだ」
「お金が欲しーい!」
「馬鹿、それは無い」
しかし泰佑は、クーラーボックスを掘りだした位置から西へ正確に歩測すると、今度はそこからビニール袋を掘りだした。袋には植田正治写真集『吹き抜ける風』とサングラスが入っていた。
「砂のイリュージョン」
「幻想的というほど美しくもないわ」
「残念…」
「でも、確かに想定外ではあるわね」
「想定外っていうのも、楽しいだろう?」
「と言うか…泰佑、山陰海岸国立公園でこんなことして大丈夫なの?」
「広報用の撮影の下見だと言って県の観光課に口を聞いてもらった」
泰佑はもうひとつのデッキチェアを掘りだしている。
「許可をもらった場所だから大丈夫」
「あきれた…」
「余計なことだが…」
泰佑も自らも掘りだしたデッキチェアに横になりながら、言葉を続けた。
「オキクは昼食を取りながら、晩ご飯の献立を心配しているような時がある」
「だから何よ」
「別に…」
泰佑は、昨夜ホテルで別れてから、県と交渉し、さらにこれだけのものをこの砂丘に埋めたのだろうか。希久美は今まで、どの男からもこんな手の込んだセッティングをしてもらった記憶がない。
泰佑の言う通り、サングラスをして写真集を膝に置くと、風の音が聞こえた。目の前に広がる本物の砂丘がサングラスを通してモノクロの世界になる。もともと植田正治の写真は、鳥取砂丘を背景にしてモチーフを撮ったモノクロの世界だ。本物と写真の世界を見比べると、ふたつの世界が融合して頭の中で新しいイメージが広がる。
カシスソーダを口に含み、砂丘の風に身をまかせると、自然と湧き出てくる空想の絵画が青い空に描かれていった。やがて希久美は、空想に満ちたゆたやかな眠りにおちていった。
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