Chapter Ⅵ 忘れじの 絶たれた望み 希え。

Ⅵ-158 わがままふたたび、王手の後に

 パチン。将棋盤が聞き心地の良い音を鳴らす。


「これで…終わりです! うふふっ♪」


 オイナリサマの一言を以て、此度の対局も俺の敗北で幕を閉じる。


「さて、約束は守ってもらいますよ、ふふふ…!」


 顔の横で手を合わせて、オイナリサマは楽しそうに笑った。この後を考えると、俺にはそれが悪魔の笑みにしか見えないけどな。


「な、なぁ…二回目は無しってことにならないか?」

「ダメですよ、神様に二言はありません。ちゃんと、お願いを聞いてくれますよね?」

「…分かった」


 オイナリサマの気まぐれで始まった”賭け将棋”。


 勝った方は負けた方に好きな『お願い』を一つできる…というルールで始まったこの勝負だったが、俺は惜しくも敗れてしまった。


 果たしてどんな恐ろしいお願いをされるのか…戦々恐々としていた俺に、オイナリサマは『次の戦いで勝てば帳消しにする』と条件を持ち掛けた。


 将棋の戦局自体は割と五分五分だったから、今度こそ勝ってやると意気込んで俺はその勝負を受けた。…まあ、罠だったんだけどな。


『…え?』

『あら、どうしたんですか? さっきまで自信満々でしたのに』


 二戦目を始めた途端、オイナリサマの打ち方が急変した。最初の戦いよりもずっと上手く、したたかな打ち筋。俺が罠に掛けられたと気づくのにも、そう時間は掛からなかった。


『いや…とっても、だなって』

『…うふふ、ありがとうございます』


 とんだ強欲な神様だ。一度だけでは飽き足らず、二回分の『お願い』を手に入れようと考えていたなんて。


 最初の接戦も俺に二戦目を決断させる為の程良い手加減に違いない。この空間も含めて全部オイナリサマの掌の上だったのだと、つくづく実感させられた。


「どんなお願いにしましょうか、悩んでしまいますね」

「…無茶は勘弁だぞ」

「うふ、保証はしかねますよ」


 …勘弁してくれないのかよ。


 やれやれ…元からな気もするが、今の俺は首を差し出しているのと同じ状況だ。


 『お願い』と柔らかく呼んでいてもその実態はただの命令で、内容がどれほど不服でも神様の力の前に逆らうことは出来ない。


 無理に背こうとすれば、頭の中を可笑しく弄り回されても不思議ではない。ホッキョクギツネ実例の存在を俺は知っているんだ。


「じゃあ、一つ目は早速使ってしまいましょう♪ 大丈夫、神依さんにとってもお願いに間違いないですよっ!」


 元気よくガッツポーズをするオイナリサマ。


 キラキラと輝きに燃える目の色が恐ろしくて…ああ、たまらないな。


「耳を貸してください、ごにょごにょ…」

「…はぁっ!?」




―――――――――




「何なんだ、この格好は…」

「よくお似合いですよ、神依さん!」


 俺は料理をしている。作っているのは御馴染みパスタ料理、その中でも少し難易度が高いと言われているカルボナーラだ。


 ああ…そうそう、卵黄を絡める工程が難しいんだよな。


 ええと、俺は至って普通にカルボナーラを作っている。


 さっきは格好がどうとか言ったが…所詮は料理、普通は精々エプロンを掛けるくらい。そうだろ?


 だから気にすることは無い、気にしてはいけない。


「よし…次は生クリームか」


 フライパンの上でパスタと絡めていく。焼いたベーコンやニンニクともよく混ざっていい匂いだな、順調だ。


 さて、もう少し馴染ませたら卵黄を入れて仕上げるとしよう。固まる前に取り出す。スピードが命だから気を抜けないな。


「……よし」


 卵黄を入れた。このまま一気に絡めて…


「それにしても素敵なですね。さわさわ~」

「わあぁぁっ!? さ、触るな、料理中だぞ!?」

「えへへ、神依さんを美味しく料理してしまいたいです…♡」

「何言ってんだ、なんで急に発情しやがったっ…!?」


 振り解こうとしてもオイナリサマは離れない。とても料理なんてしてる場合じゃないが、俺はカルボナーラ作りを止めるつもりもない!


 ああ、もう少しなんだ、投げ出して堪るかコノヤロー!


「くっ…お皿に、移して…はぁ、はぁ…」

「神依さんのもふもふ…ハァ、ハァ…!」


 俺は断続的に襲ってくる刺激に身を震わせながらも、なんとかまともな形のカルボナーラを作り上げることが出来た。


「よし…最後は粉チーズだな…あっ!?」


 なんだ…これ。尻尾の中に、指が…?


「あら、ここが弱かったり…ふふ」

「ぐ、うあっ、え…や、やめ…」

「ふふ、うふふふふ…神依さん♡」

「あっ――」


 …まさかカルボナーラより先に、俺が食べられることになるとは思わなかった。



「はぁ、とっても美味しかったです…♡」

「分かった、それは良いから早く食べてくれ…」

「ええ、パスタの方ですよね。では…いただきます」


 出来上がってから随分な時間が経ったそれは、かなり冷めてしまっているように見えた。


 オイナリサマのフォークが麺を絡め取るも、やはり固まっていて回しにくそうだ。


「ん…えいっ」

「…汁が飛んでるんだが」


 やれやれ、神様は力で解決してしまった。美味しそうに頬を染めて食べている。嬉しいことは嬉しいが、その妙に色っぽい啜り方は是非とも止めていただきたい。


「…ごちそうさまでした」

「お粗末様でした…ところで、俺はいつまでこの格好のままなんだ?」


 説明が遅くなったな。


 既に察しているとは思うが、今の俺の体にはオイナリサマそっくりの耳と尻尾が生えている。


 色はどちらも雪を思わせる純白で、髪色が黒のままな俺の頭には似合わないのではないだろうか。オイナリサマは気にしていないようだが。


 尻尾にはしっかりと金色の輪っかが装着されている。はて、こだわりでもあるのか?


「言ったでしょう? 今日いっぱいはこの姿でいてください」

「そりゃ…分かってるさ」

「それにしても良くお似合いです。お望みなら、ずっと続けても良いんですよ?」

「いや、遠慮しておく。この姿じゃ、料理がまともに出来ないと分かったからな」


 皮肉交じりに断ると、オイナリサマはしゅんと体を縮めて申し訳なさそうな顔をした。


「それは…でも、ちゃんと理性で抑えれば…」

「思い出してくれ、さっきの行動の何処に理性があった?」

「う……いえ、違います、そうではありません」


 俺の的確な指摘を受けて言葉に詰まったオイナリサマだが、何か彼女なりの主張があるようだ。


 心なしか得意げな顔にも見える、良い予感がしないな。


「ええと…どういう意味だ?」

「そもそも、理性は道具です。本能を抑えつけるものではなく、本能が抱いた欲望を叶えるための手段を探す道具なのです」

「…それで?」

「私の本能は『神依さんを襲いたい』と言いました。理性は『今ここで襲ってしまえばいい』と答えを出しました。…私はそうしました!」


 …頭が痛い。風邪でも引いたかな?


「薬が必要みたいだ、何処に置いてある?」

「神依さんっ!?」


 オイナリサマの目の色が変わる。主に悪~い方向に。


 俺の進む方向に立ちふさがった彼女はすぐさま俺に抱き付いて、涙声で叫び散らした。


「見捨てないでください、神依さんが私の全てなんです、私には神依さんしかいないんです…!」

「あ、あぁ…」


 最初に俺以外を捨てたのはオイナリサマの方な気もするが、言わない方が吉か?


「神依さんが私から離れてしまうなら、もう、私は…ふふ…うふふ…!」

「わ、悪かったって…!」


 後を聞くのが怖すぎて、俺はオイナリサマに屈する。すると彼女の調子はさっきまでと逆転。まるでように、上目遣いで妖しく笑った。


「じゃあずっと、姿でいてくれますか?」

「それは、考えさせてくれ…」

「…そうですか、残念です」


 少し押しが弱かったのでしょうか、と言ってオイナリサマは笑う。


 やっぱり神様の手の中か。


 頭上に生えた耳を触って、未来の自分に触れた気がした。


 腰の後ろの尻尾に触れて、くすぐったさに身体が跳ねた。




―――――――――




 神社の日和は虹鮮やかに、昼も夜も美しい。


「くふふ、神依さん…♡」 


 俺の横に寝転がり、縁側で柔らかな陽の光を浴びるオイナリサマの姿もそれは綺麗だ。


 これでまともな人格をしていたら他に言うことは無いんだが、どうやらそこまで美味しい話は存在しないらしい。


「神依さん、一緒に寝ましょうよー…折角の狐の姿なんですからぁ…」


 まあ、言ってしまえば期間限定の姿だからな。この姿じゃないと出来ないことの一つや二つは有るだろうし、”物は試し”も悪くは無いか。


「じゃあ、そうさせてもらう」

「こっちですよぉ、うふふ…♡」


 とりあえず適当に転がってみると、普段よくやる寝方になった。


 これはこれで楽な姿勢だし日も浴びられる。だけど、イマイチ”狐”って感じはしないな。


「神依さん、丸くなってみてはどうですか?」

「…なるほど」


 丸まり方を知らない俺に、オイナリサマが実演で姿勢の取り方を教えてくれた。…おお、綺麗な円だ。


 可愛らしく縮こまった体と、この姿勢だからこそ強調される大きな尻尾。一見神様らしからぬ儚い可憐さを兼ね備えた眠り方は、俺をしてその視線を惹き付けられる。


 しばらくそれを眺めていた俺は、いつの間にか自分がオイナリサマに魅了されていることに気が付いた。


「神依さん、寝ないんですか?」

「ああ、いや、やってみるさ」


 俺は彼女の姿勢を真似ながら目を閉じる。瞼の後ろに、様々な記憶の中の光景が浮かんでは消えてゆく。


 大体はそう、オイナリサマの魔の手から逃げようとしていた時のものだ。散々力の差を見せつけられ、辛うじて手繰り寄せた助けの手も無駄だった絶望の記憶だ。


 不思議なものだな。


 あんな思いをさせられて、今でもそれを色濃く覚えているのに、それでももう彼女に魅了され始めているとは。


 或いは、それが神様なのかもしれない。


 力で支配するだけでは終わらず、心さえ篭絡しようと侵し入って来る存在。


「いい天気ですね…明日も、いい天気にする予定ですよぉ…」


 面白い寝言だ、森羅万象がその手の中にあるつもりなのか?


「ああ…そうか」


 …気に食わないな。


 俺は精々抗わせてもらう。ただ単純に、このまま心を奪われるのが嫌だから。


 別に構わないだろう。オイナリサマにだって、似たような理由で身勝手にも陥れた奴がいるんだ。


 全部が詰みの王手の後でも…我儘の一つくらいは通させてもらうからな。



「…ん?」


 いつの間にか寝ていた俺は、横で動いた音で起こされた。見てみると、オイナリサマも起きている。


 彼女は俺が反応したのに気づいて、気味が悪いくらいのニコニコ顔で話し掛けてきた。


「…そういえば、もう一つのお願いを伝えていませんでしたよね」

「なんだ、もう決まってたのか?」


 はい、と頷き深呼吸。


 彼女は単刀直入に、俺から策で勝ち取ったもう一つのお願いを口にした。



「神社を作ります、手伝ってください!」



 俺はそのお願いを聞いてから丁度三拍。


「…は、神社?」


 神社の縁側で、疑問の声を上げたのだった。

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