復讐とは

いある

すっきりしたくない?

 やぁ。毎度の如く僕は適当に言葉を連ねていくわけだが。今回は復讐というものについてお話しようと思う。復讐という言葉は遥か古来からある。ギリシア神話における神の一柱にもエリーニュスという女神がいる。このようにある意味我々にとって身近でありどこか遠い存在として復讐は位置づけられてきたわけだが、道徳心や教育の面からすると良くないものとしてこの復讐は扱われる。少なくとも我が国日本においては忌み嫌われているものであろう。大日本帝国憲法には平和主義という考え方があり、それと上手く折り合いをつけにくい負の感情であるが故に。

 だが待ってほしい。復讐とは本当にいけないことなのだろうか、間違っていることなのだろうか。断じて否だ。僕はここにそう断言する。そもそも復讐というものは理不尽な不利益や不必要な攻撃などに起因することが多い。そうした被害に対して報復を試みるのは人間として当然のことであり、復讐心を抱くことを否定するのはそうした人々へ対する何よりの冒涜である。苦しみや悲しみ、怒りといった負の感情は本人以外に理解しえない。…え?私には分かる?悪いけどそれは思い込みだ。どれだけ相手に歩み寄り、目線を合わせたとしても相手の心の内部には入り込めない。それはあくまで他人という目線から客観的に観察しているにすぎない。感情的に相手と対話していると君は思っているかもしれないが、その感情は相手に触発されてはいるが結局自分のものに過ぎない。別の人間が他人を完全に理解するのは不可能だ。

 するとどうだ、無責任に復讐を悪しきものとして禁ずるのはなおのこと無責任だ。周りから見たらなんてことないことでも本人は深く傷ついているかもしれないのだ。心の傷は肉体の傷とは違って見えないのだから。さらに言えば傍から見ても深い心の傷であるのならば、本人にとってはなおのこと大きな苦しみのはず。復讐を止めるというのはそれだけで大きな覚悟を持たねばならないものなのだ。人の怒りに干渉しているという自覚はいついかなる時でも失ってはならない。

 そして復讐の倫理的問題というのもおかしな話だ。復讐をすれば相手と同じレベルに落ちるからダメだー!とかいうやつがいるが正直な話僕からすれば頭の可笑しい連中と一笑に付すほかない。そもそも相手が悪いのにやり返したらこちらまで悪者にならなければならないのか。バトルものの少年漫画じゃないが、人を攻撃していいのは人に攻撃される覚悟がある者だけである。自分の都合で相手に復讐心を抱かせておいて殴られたら被害者面とはこんなに都合のいい話も他にはあるまい。

 話し合いだとか暴力に暴力で返すなとか、どこかで似たようなことが言われていたが今一度僕の口からも言わせてもらおう。そんなものは詭弁に過ぎない。所詮力を持つ者が力を持たない者を攻撃し、反撃されないようにするためのプロパガンダ以外の何物でもないのだということを。

 復讐をしても何も変わらない、新たな復讐を生むだけだとか死んだ人が返ってくるわけじゃないとかのたまう連中もいるがそんなもの無視したって問題ない。だっておかしいじゃない。自分が悪い訳じゃないのに被害を被って泣き寝入りなんて。文句は言えるだけ言えばいいし手が届くなら殴ればいい。キミにはその権利があるんだから。

 殴られたら殴り返せ。倍返しじゃないがそれくらいしないと相手はつけあがるよ。

 復讐しても復讐しなくても受けた傷や失った命は戻らないんだ。だったら復讐した方がすっきりするでしょ?

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復讐とは いある @iaku0000

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