暴食の怪物


 ──はらが、へった。


 一人の男はそう思った。とにかく腹が減った。なんでもいい。何か食べよう、と。

 しかし周りには食べ物など何もなかった。飲み物も、その辺に流れている下水しかなかった。

 皮膚が骨に吸付いているような身体の人間なんて珍しくない。友人も、妻も、我が子も、皆そうだった。とぼとぼ歩いて、歩いて、ひたすら歩いて、食料を探す。自分よりも肥えたネズミが足の間を通り過ぎていった。


 そして、大通りに人混みを見つけた。見てみると、たまたま通った馬車に慈悲を懇願している群れだった。馬車の護衛役だろう屈強な体つきの兵士に次々と人々が切られていく。子供が地面に膝づいて泣いていた。


 一方、男は何も出来ないまま、ぼんやりと少し離れたところでそれを眺めていた。馬車の小窓から中に入っている人間の様子が見える。それはそれはご立派な三重顎をしている主人、妻、息子の三人家族だ。兵士の怒号によると、彼らはオウゾクらしい。豚のような彼らはネズミのような男を見ると、指を指して嘲笑した。男は自分が馬鹿にされていることに気づいていたが、何も感じない。ただただ、馬車が強引に群がった人々を轢いて進んでいくのを眺めていた。


 そうして馬車が去ると、男はまた歩いた。しかし今度は行先があった。自分の家だ。木の板で不器用に組み立てられている家。おそらく誰かが思い切り叩けば、すぐに壊れてしまうだろう。男はそっとその家に入ると座り込んだ。体力が限界だった。

 

 ──しかし、ここでふと違和感を覚える。


 いつもうるさい我が子がやけに静かなことに気づいたのだ。妻の気配もしない。ハッとなって家を探してみたがいなかった。家の裏に行ってみると、雑草に囲まれて二人は息絶えていた。男は、そんな妻と我が子を見て泣くことはしなかった。ただただ、無意識に口角が上がって──







 ──


 





***




 暗闇の中、エマは勝手に頭に流れてくる数々の記憶に発狂しそうになった。脳内で聞きたくもない咀嚼音が聞こえる。泣きながら、今まで大切だったものを咀嚼する苦痛。大切な人が食料に見えてしまった時の恐怖。何十人もの記憶が一気に浮かんできて、頭を抱える。


「──っ、そう、これが……あなた達の、罪なんだね……」


 気付けば目の前に何人ものやせ細った人々がエマを見つめていた。彼らは唇を噛みしめ、静かに涙を流しながらエマをただただ見つめている。エマは拳を痛くなるほど握りしめた。


 ──私には、想像も出来なかった存在。

 ──どこの国にも王族貴族に見捨てられた地域があると聞いているけど、今までどこか他人事のように思っていた。

 ──シュトラールはどうなんだろう。……分からない。私は今まで、王女として何を学んできた?

 ──こういう人達を助ける為に、国はあるはずだ。権力の強い人間だけの世界なら、国は必要ないのだから。……私は、彼らに何か言えることはあるのだろうか?

 ──思いつかない。こういう時、パパならなんて言う?


 すると一人の男がエマに一歩近づく。


「……、……もう、」


 男の瞳は泥水のようだった。エマはすぐに彼の頼りない足を支えるために彼の腰に手を回す。男は、そんなエマの耳に口を近づけた。


「──、もう、おれたちみたいな、ばけものはうみださないでくれ……」

「……!」

「たのむ。アンタ、オウゾクなんだろ!? どこかは知らないが国を動かせる人間なんだろ!? 自分達がゴミのように扱われた怒りや妻や子供が死んだ絶望よりも、食欲が湧き出るような化け物を、もう、二度と……」


 エマの両肩が強く掴まれる。男の身体がわなわな震えていた。男の背後にいた人間達も、皆が自分達に出来る精一杯の懇願の姿勢をとる。

 エマはそれを見て──力強く、頷いた。


「約束するよ。このエマ・バレンティアの目が届く範囲で、暴食の罪を民に犯させることはしない。あなた達の想いは、私の魂に今確かに刻みつけたから──!」

 

 男はそのエマの言葉を聞くなり、何かを呟いた。そうして黒煙がエマを中心に一気に晴れていく。エマはいつの間にか足が地についていることに気づいた。ノブナガがエマの顔色を窺っている。


「エマちゃん? 大丈夫? なんか黒いモヤモヤは消えたみたいだけど……」

「……。……うん。自分がまだ勉強不足だって突きつけられてきたよ」

「エマ……」


 ペルセネが我慢できないとばかりにエマを抱きしめる。エマは「大丈夫だよ」とペルセネを安心させる為にほんの少しだけ見栄を張った。ペルセネの温かい胸の中を抜け出すと、エマはにっこり自分なりの覚悟を見せる。


「おばあちゃん、もう行くね。私の都合で遅れたし、急がないと。リュカを助けに行く」

「! ……、……そう。分かったわ」


 エマとノブナガ、そしてアモンがペルセネに頭を下げた。エルピスも釣られてエマ達と同じ動きをする。そうして、一行は迷宮の入り口へ走っていった。ペルセネはそんなエマの後ろ姿にたまらなくなる。


「エマ!! もう、しばらくは会いたくないからね!! どうか、どうか──!!」

「!」


 エマが振り返る。にっと笑って、「分かってる」と返事をした。一行は足を止めなかった。骸骨達の案内によって、ひたすら前へ進んでいく。ハーデスが震えるペルセネの肩を己の胸に引き寄せた。


「大丈夫だよ。あの子達なら」

「……えぇ」

 

 そんな二人の背後で、ケルベロスが悲しそうに一鳴きした。



***

当作品のリメイク作品「黄金の魔族姫」も連載中。よかったらそちらもどうぞ!

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皆さん、紹介します。こちら私を溺愛するパパの“魔王”です! 風和ふわ @2020fuwa

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