蛇神ゴルゴーン


 ミカエル様のペガサスさんの背中に乗り、私達は例の場所に向かった。

 場所はシュトラール王国らがあるベブアック大陸の中心……。

 大陸ガイアへそ。そう呼ばれている巨大な〝穴〟だ。

 

 夜明け前に私達はそこに着いた。

 暗闇である故か、底は見えない。

 ただごうごうと穴は〝未知〟を漂わせていた。

 こんな深い穴の中に身を投げ出してしまったら……。

 ペガサスさんはどうやらこのを苦手としているらしく、穴の中に入る気が無いらしい。

 サラさんが分かりやすく隣で唾を飲み込んだ。


「え、エレナ、これって……」

「うーん、ミカエル様は大丈夫だって行ってたけど。この穴、直径何十メートルあるのよ……」


 うーん、こうして考えてみると海の目に臆さず飛び込んだ私凄い……。

 するとシャドーさんがそっと私とサラさんの身体を抱える。


「私が抱えよう。舌を噛まないように口を閉じていなさい」

「! そ、そうね。それだと安心かも。ちょっと待って、深呼吸するから」


 すーはーすーはー。

 二人分の呼吸音を見守り、シャドーさんは素速く穴の中へと身を投じた。

 随分長くシャドーさんにしがみついていた。

 実際にはどうか分からないが、体感時間は一分程度。

 絶叫系のアトラクションに乗る際の浮遊感がぞわぞわと私の内臓を擽る。

 シャドーさんに声をかけてもらうまで、必死に目を瞑って落下感に耐えていた。

 

「──光、光よ。もう大丈夫だぞ」

「う、まだ落ちてる感覚がする……サラさん、そっちは?」

「無理……」


 サラさんも相当参ってしまったようだ。

 しばらく休憩したい……。

 丁度壁があったので、そこに身体を預けた。

 あ、この壁、ひんやりしていて、気持ちいい……。

 思わず頬ずりをしてしまった。


「──お主らか。私の力を借りたいという不敬者は」

「!」


 瞬時に飛び跳ねる。

 私はその時、何かに驚いて反射的に飛び跳ねる猫の動画を思い出した。

 氷の槍のような声。

 シャドーさんの背中に隠れて恐る恐るその人を見上げた。


「あ、貴女が──ゴルゴーン様ですか」


 高さ二十メートルはあるのではないだろうか。

 上半身は人間、下半身は蛇の巨大な女性がそこにはいた。

 私が身を預けていたのはその女性の下半身の表面だったようだ。

 あまりの大きさに言葉を見落としてしまう。


「そうとも。我こそが絶対神の一分身、蛇神ゴルゴーンである。ミカエルからは今話を聞いた。して、お主らの頼みを、お主らの口から改めて聞こう」


 毒々しい色をした髪が揺れる度にぞわぞわしてしまうような音が流れる。

 その赤く蠢く瞳は長く凝視してはいけないものだと本能が叫んだ。

 しかし、美しい神だった。

 いつの間にか、周りには灯りが点り、そのぼんやりとした光がゴルゴーン様の妖艶さを演出しているように思える。


「ゴルゴーン様、私はエレナと申します。この度は私の国であるテネブリスへの進軍を止める為にどうかその眼をお貸しください」

「──私の眼、とな」


 ミカエル様の進軍を止めるための策は簡単な話、ゴルゴーン様の「眼を見た相手を石化させる」という能力を使って、物理的に戦争を止めるというもの。

 そんな簡単に行くのかと思うけれど、もう他に手はないし……。

 かと言って、べブアック神話からゴルゴーン様は人間の醜さのあまり大陸の臍に逃げたという伝説もある。

 確かにこんなに美しかったら、どんな人も醜く見えちゃうのかな。


「それで?」

「へっ?」

「神に願いを請うのだ。それなりの対価はあるのだろうな?」

「…………、」


 えぇ、ミカエル様!? 話が違うんだけど!?

 ど、どどどどどうしよう! 今の私、何も持っていないよ……。

 でも進軍はもうすぐ始まる。もしかしたらもう始まっているかもしれない。

……もう、差し出せるものなんて……。

 

 するとそこで、ゴルゴーン様がクスクスと笑う。


「ゴルゴーン様?」

「ふふ、許せエレナよ。少し意地の悪いことを言った」

「え?」

「──お前には借りがある。今回に限り、喜んでこの眼を貸してやろう」


 ゴルゴーン様が私の目の前の地に手のひらを置いた。

……乗れ、と?

 靴を脱いで、そこに乗せてもらう。

 そしてゴルゴーン様は私を顔に近づけた。

 うわぁ、近くで見るとやっぱり綺麗な人だなぁ。


「我が子越しにお前の事は見守ってきた。私は人間は嫌いだが、お前の事は好んでいるぞ」

「あ、ありがとうございます……? えっと、ゴルゴーン様。我が子、とは?」

「あぁ、知らぬのか。私はこの世全てのドラゴンの親。この世で最初にドラゴンを産んだからな。故に、お前には我が子を二匹も救われているということだ」


 そ、そうだったんだ! ルナやレイがいるのは、この方のお陰なんだ……。


「それに、だ。今回の騒動は私の同神のせいでもある。同じ分神として、始末をつける手伝いはすべきであろう」


 ん? どういうこと?

 意味が分からず首を傾げると、ゴルゴーン様は眉を顰める。


「ミカエルから聞いておらぬのか? ふん、あいつめ……上の失態は不必要に漏らさぬという訳か。相変わらずあざといヤツよ」

「上の失態?」

「エレナ、お主は三十四年前まではルシファーがミカエルの鎖で封印されていたのは知っているか?」

「はい、それは教えてもらいました」


 えっと、分かりやすくまとめてみると……。

 人間の誕生と共に絶対神セロ・デウス悪の根源セロ・ディアヴォロスが生まれて、

 百年前にミカエル様が悪さをする悪の根源をやっとの思いで拘束して、

 三十四年前にその悪の根源に逃げられちゃったんだっけ。

 そして今のシルフさんに至る、と。


「ルシファーは冥界で封印されていた。しかし三十四年前、ヤツが逃げ出すきっかけを与えた神がいたのだ」

「神?」

「冥界の神ハーデスだ。あの阿呆は人間の女に心を奪われた挙げ句、その女がどこぞの王妃になると共に己の役目を一時期放棄したのだ。そのせいで冥界は大混乱に陥った。逃げ出すのはさぞ容易かったことだろう」

「! それって、」


 もしかして、ペルセネ王妃とヘリオス王が結婚した時のこと?

 つまり、ルシファーが逃げ出した一因がハーデス様ってことか!

 蜘蛛の巣のような髪の毛に隠された整ったお顔を思い出し、苦笑する。

 確かにハーデス様、ペルセネ王妃にかなり心酔していた様子から仕事を投げ出したくもなるのかも……。


「ハーデス様には一度お会いしたことがあるので、想像できました」

「なに? あやつが地上に現れたというのか?」


 半信半疑なゴルゴーン様に事の顛末を話すと、興味深そうに話を聞いてくれた。

 海の目に飛び込んだ話も好評だった。

 どうやらゴルゴーン様は私と同じ冒険話好きの気配がする!

 話を終えると、彼女は少しだけ羨ましそうだった。


「そうか。結局あの阿呆は、好いた女を傍に置いているのだな。最近真面目に仕事をしているとは聞いていたが、そういう訳か。私はこんなじめじめとした穴で独りだというのに」

「ゴルゴーン様……」


 私はゴルゴーン様の親指を抱きしめる。


「よかったら私、またここに来ますよ! 今度はレイやルナと一緒に! 私の大好きな冒険記を読み聞かせましょうか?」

「!」


 ゴルゴーン様の顔が分かりやすく輝いた。

 しかしハッとなって、そっぽを向く。


「ふ、ふむ。うん、まぁ、殊勝な心がけではあるな。必ずだぞ。神に嘘をついたら怖いぞ」

「はい、分かりました。じゃあ今は、私に協力してくれますね?」

「う、うむ……元々そういう話だったからな。よかろう!」


 でも一つ問題がある。

 どうやってゴルゴーン様をここから運び出すか。

 こんなに大きいなら、注目は嫌でも集めることが出来るからそこは問題ないだろうけど……。

 それを彼女に相談すると、どうやらいい案があるらしい。


「エレナよ、ミカエルの天馬は連れてきておるか?」

「あ、はい。上で待機してくれていると思います」

「そいつの蹄を使えば問題は解決だ」

「蹄?」


 ゴルゴーン様にその蹄の使い方を教えてもらい、私達はすっかり明るくなった空を駆けた。


 待っててね、パパ。

 今、約束を果たしてみせるから!

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