アスモデウスの嘲笑


 愛なんて、アタシは知らない。

 だから魔王様が死にかけの赤ん坊を抱いて帰ってきて「娘だ」なんて言いだしたときは耳を疑った。

 そしてその赤ん坊がすくすく育った結果が生意気な人間の娘──エレナ嬢だ。

 アタシは彼女を嫌味たっぷり込めてプリンセスと呼んでいる。

 どこぞの国々のお姫様達みたいなちゃらんぽらんな思考を持っているからだ。


「アス、今日はアムがいないからアスが教えてー!!」

「……えぇ」


 めんっどくせっ! なんでアタシがこんなガキに!

 しかしここで泣き出されたら魔王様に叱られる、というか殺されそうになるので渋々付き合ってあげる。

 でもこいつ、魔法へったくそなのよね~。


燃えよフィア!!」


 プリンセスが呪文を唱えると蝋燭に火をつける程度の火の玉がポッと一瞬出てきて終わった。

 呪文を教えてもこの状態……一体どうすればいいのよ。

 魔法なんて、自然に出来るものじゃないの!?


「アス、もっと分かりやすく教えて?」

「あぁん!!? うっさい!! ちゃんと教えてるわよ!!」


 ──はっ! つい声を上げてしまった。

 見ると案の定大きな瞳をうるうるさせているプリンセス。

 アタシはどうしたものかと考えたが、先日、アムが呟いていた言葉を思い出した。


「ぷ、ぷぷぷプリンセス!!」

「?」

「き、聞きたいことがあるのだけれど」

「なぁに?」

「アンタは、“愛”ってなんだと思う?」


 我ながら、誤魔化すためとはいえ、馬鹿な質問をしてしまった。

 しかし吐き出した言葉は二度と取り戻せない。

 プリンセスはぱちぱち瞬きをして、うーんと考え始める。


「アスはなんだと思う?」

「質問に質問で返すのかよ……。でもそうね、アタシは、ただの幻だと思ってる」

「まぼろし?」

「そう。人間達は愛だの恋だの交尾の理由をつけてあんなに数が増えちゃってるけど。あんな卑劣で、残酷な種族がほざく愛なんざ、ろくでもないもんよきっと」


 そう。あんな最悪な人種に、愛なんて眩しいもん、似合わないのよ。


 アタシは幼い頃、人間に捕まって奴隷として働かされていた。

 その時の人間はアタシ達に地獄を見せた。死んだ方がましだと思った。

 だけど、そんな時──魔王様が現れたのだ。

 魔王様はアタシ達“人間以外の種族”の救世主になっていった。

 そして魔王様に忠誠を誓ったアタシ達はいつしか魔族と呼ばれ、今では人間達といがみ合って暮らしている。

 プリンセスは共存なんて甘っちょろい事を言うけれど。

 そんなの、無理よ。

 人間は自分達と違うものを許さない。

 でも、この子はそれを分かっちゃいない。


「エレナ、ここにいたのか」


 いつの間にかアタシの背後にいた魔王様に背筋が伸びる。

 魔王様、いつも背後に現れるのやめてほしいんだけど……。


「パパー!!」


 プリンセスが魔王様に飛びついた。

 魔王様にこんな事が出来るのは彼女くらいだ。

 するとプリンセスが何かを閃いた様に「あ!」と声を上げる。


「アス、アス! 分かったよ!」

「なによ」

「これ! これが“愛”だよ!!!!」


 プリンセスが私に掲げたのは魔王様の手だった。

 アタシは意味が分からなかった。

 愛? どこが?


「爪、爪! 短くて丸くなってる!」


 確かに魔王様の爪はプリンセスが生まれてから、毎日綺麗に整えられるようになった。

 プリンセスを傷つけないために。


……まさか、それが、愛?


「誰かを想って行動すること! それだけでも十分愛を感じる!」

「……あっそ。じゃ、魔王様もお目覚めになったし、今日のお勉強はここまでね」


 アタシはそれだけ言うと、窓から飛び降りた。

 竜へと変化し、テネブリスの空を舞う。


「……馬鹿らしい」


 それだけ呟いて、テネブリスの城下町へと降り立つ。

 アタシを見て、様々な雌達が黄色い声を上げた。

 ふふ、そう。愛なんていらない。

 ただ、本能のまま生きればいい。

 人間の真似事なんて、アタシには必要ないことなのだから。


 アタシは身体をくねらせながらアタシに近寄ってくる雌達に微笑んだ。

 頭の中にプリンセスの笑顔が小さく浮かんできたけど、強引に掻き消したのだ。

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