第4話 日記
裕翔は外へ遊びに行ったので、日菜多は一人でミノルおじさんを探しに行った。
まずは昨日と同じように、家屋を廊下を滑るように渡る。広い家は探すのにうんと時間がかかったが、見つけることはできなかった。
つぎは神社の表側。裏の森は一人で行くのは怖いから、表側にいなければ諦めるしかない。
居ますように、と祈りながら探すと、彼は鳥居の真下に立っていた。
「鳥居の真ん中は立っちゃダメだよ」
ミノルおじさんの浴衣の袖をぐいぐい引く。
「そこはね、神さまの通るところなの」
「物知りだねぇ。詳しいの?」
日菜多は少し考えてから、首を横に振った。
「それしか知らない」
ミノルおじさんはふうんと笑った。
「なんでミノルおじさん、ここに居たの? 朝ごはん食べた?」
「ああ、朝は食べないんだ」
ええっと日菜多は非難の声をあげる。
「朝ごはん、食べなくても怒られないの?」
「前は怒られていた気がする」
「今は?」
「今は、何も怒られないからなぁ。昔は一等、怒られてたのに」
「大人なのに怒られてたの?」
日菜多がくすくすと笑うと、ミノルおじさんは眉を下げて口を曲げて不思議な笑い方をした。あまり愉快そうじゃない。
ただ立っているとじりじりと頭が熱される。おまけに鳥居の真ん中だ。
日菜多は再度、ミノルおじさんの袖を引いて、手水舎の下に移動した。ここならば日陰だし、水の音が心地よい。柄杓で掬って、手を清める。別に手を合わせるわけではないが、それだけで少しだけ涼しく感じられた。
「ミノルおじさんもする?」と柄杓を向けたが、断られた。
手持ち無沙汰になったので、地面に腰掛ける。ここならコンクリートだから、そう服は汚れない。
「君は……」
「うん?」
「あまり元気そうじゃないね。暑さに逆上せた?」
自身の顔が強張るのが、日菜多には分かった。
「どうして? 元気だよ?」
「そう」
日菜多はぱっと顔を上げた。にこにこと笑って否定する。
「裕翔くんが元気すぎるんだよ。ミノルおじさん、いつも裕翔くんと遊んでるんでしょう。だからだよ」
「そう」
どれだけ言い募っていても、ミノルおじさんは「そう」「そう」と淡白な返事しか返さない。
信じられてないのではと日菜多は焦って、言葉を重ね「元気」を主張する。
ミノルおじさんは心底不思議そうに、
「元気なのは分かったけど、なんでそんなにムキになるの? 元気じゃないと、悪いみたい」
首を傾げる彼に、日菜多は怯んだ。
「……悪いよ」
「そうなの」
「だって、日菜多がお腹痛いって言ったら、お母さん、怒るもの……」
「怒るの?」
「前は、怒ってた。最近は怒らない。怒らないで泣きそうな顔するの。大人のくせに」
「そう」
ミノルおじさんはにっこりと笑った。
彼も腰掛けて、背を丸める。日菜多の顔を覗き込んで、にやにやしていた。
「僕と一緒だ」
「……ミノルおじさん、お仕事してないって本当?」
ミノルおじさんはこっくりと頷く。怒られるかと思っていた質問だが、彼の顔色は変わらなかった。
「私も、学校行きたくないの。だからやっぱり一緒だね」
ミノルおじさんはすぐには答えなかった。ややあって「なんで行きたくないの?」と聞く。
日菜多は昨日裕翔にしたように、声を潜めて告白した。
「夏休みの宿題がね、終わってないの。一行日記を、全く書いてないの……1ヶ月分くらい。だって、お休みでも何も書くことないんだもの。家にずっと一人だし、外にも、遊びに行けない。何も楽しいことなんてない」
「楽しいことを書かなくてもいいんじゃないの」
ミノルおじさんは大儀そうに立ち上がった。「おいで」と日菜多の手を引いて、立ち上がらせる。
「日記はただ、その日のことを書けばいい。別に楽しくなくてもいいだろう」
「……何もなかった日は何も書けない」
「何もなかったと書けばいい」
手を引かれて家屋に戻る道を進む。日向に入るとそれだけでむわりと熱気が襲ってきて、嫌でも夏だと実感した。
「1ヶ月分、30個、今から書くことを探そうか。一行ならなんとかなるさ」
「30個! 無理だよ。だって明日か明後日には私、家に帰ると思う。夏休み、終わっちゃうから」
「それじゃあ、目標は今日中に30個だね」
日菜多は引かれた腕を振りほどいて、駆け出した。
「日記と鉛筆! とってくる!」
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