黙示のメディカル・レコーズ(4)

 唐揚げを取りながら高杉が本題を切り出せと促される。「ああ、そうだったな」と返しつつも、目の前の大男の口から発せられるとクリスピーな咀嚼音に、俺の右手は唐揚げへと引き寄せられる。


「んー、あー、実は最近な、実は乳癌の長期治療成績についての論文をまとめててだな。」


 俺はそう答えて唐揚げを口に運んだ。美味い。カラッと揚がったキメの細かい薄めの衣は胡麻油の香りを含み、それを噛み砕くと花火のように鶏の脂が弾け飛ぶ。同時に押し寄せるニンニクと胡椒、生姜、醤油の香り。


「論文……論文!?えぇ、あの荒木先生が?うっわぁ、どういう風の吹き回しですか?どおりでここのところ雨が続くわけだ。」


「ただの菜種梅雨ってやつだろ。そんなんで雨が降るんならサハラ砂漠で執筆してやるよ。俺だって面倒臭ぇがよ、相馬の野郎がグチグチうるせえんだ。」


「データ抽出は誰がやったんですか?先生、俺がいる間はその手のことはぜーんぶ俺にやらせてたじゃないですか。そういうのは苦手だからって。」


「おいおい、まるで俺が面倒臭がってお前にやらせてたみたいに聞こえるじゃねぇか。」


「違うんですか?」


「違ぇよ、あんなもん人間がやるべき作業じゃねえ。お前あからさまに技術スキル使ってデータ集めてただろーが」


電子カルテから情報を抽出するのはとてつもなく骨が折れる。文字列の山から病気の大きさや悪性度、転移の有無、外科手術の出来、抗癌剤の種類などなど、必要な情報を見分けなければいけない。常日頃からデータ整理していればそうでもないのだろうが、そんな余裕などとてもない。砂漠で落としたコンタクトレンズ、その上を日常業務という名の砂嵐が走り去る。そんなコンタクト誰が探すか、新しいの買うわ。最近じゃあ人工知能を使って有益な情報を採掘しようなんて研究も流行っているくらいだ。


 だがこの高杉という男はどういうわけか、いとも簡単にそういった情報を抽出して来た。俺にとっちゃ魔法のようなもんだ。仕事を任せた時には、たいていこの店で好きなだけ飲み食いさせてやったし、研究費から学会参加費を工面してやったこともあった。俺なりのありがたみリスペクトは示したつもりだ。


「データ抽出はお前が抜けた痛手のひとつだよな。今回は佐川にやってもらったよ。お前亡き後、コンピュータ関連の仕事はあいつに引き継いだだろ?」


「お前亡きって、死んでませんよ、俺。しかし佐川ですかぁ……。けっこう時間かかったんじゃないですか?」


「お前さぁ、自分で引き継いどいてしれっとそういうこと言う?」


「後任を決めたのは俺じゃなくて副技師長ですからねぇ……。やめとけって言ったんですよ?」


高杉はやれやれと肩をすくめ、ジョッキを呷った。


「まぁ確かに、とりあえず5年分のデータを頼んだんだが、目を白黒させやがってよ。高杉なら一日でやってくれたぞって言ったらありえねぇって叫んでたぜ。結局データを受け取ったのは2週間後。やっぱお前みてぇにはいかねぇもんだな」


「まぁなんて言うか、コツがあるんですよ、いろいろと。」


俺は「ほう、そういうものか」と相鎚を打つが、それと同時にだがそれならよと疑問が浮かぶ。


「なんでそのコツとやらを佐川に教えてやらなかった?」


「あいつ、物覚え悪いうえにおっちょこちょいですからね。ミスするとまずいんですよ、俺のやり方は。」


どんなやり方だよ、と俺は肩を竦めてビールを飲んだ。爆弾処理じゃあるまいし。


「佐川じゃなくて神谷さんには頼まなかったんですか?医学物理士の。あの人だったらサクッとできるでしょうに」


「あいつは夏に辞めちまったぞ。光弾社に引き抜かれて、今はラスベガスで海外研修中だ。」


「あの医療機器輸入代理店の光弾社ですか?とうとう神谷さんも高給取りかぁ」


 どうやら倍の給料を提示されたらしいぞ。俺がそう言うと、高杉はかぁーと言ってビールを煽った。


「それで、荒木先生がとても珍しく論文を書かれているのは分かりましたが、俺に何の関係があるんですか?追加のデータが必要とか、でしょうか?」


「あー、それな。実は抽出したデータの内2年間だけ、明らかに治療成績が下がってたんだわ。術後照射、ありふれた標準治療で、乳房内の再発率がその期間だけ2倍なんておかしいだろ?」


「確かに……というかそんなありふれた治療の成績で論文書いて、通るもんですか?」


「けっこう受理されるもんだぞ?裏付けデータはいつの時代も必要だ。」


「そういうもんですか……。」


 場合によっては金を出せば受理される学術誌すら存在する。銭さえありゃあなんとでもなる。まったく、嫌な世の中だぜ。


「問題はその2年間の臨床成績だ。そこまで悪いのには何かしら原因があるんじゃねぇかと思ってな。調ってわけだ。」


 へぇー、と言いながら高杉はジョッキに口をつけ、その半秒後にむせ返った。


 まぁまぁ、そんな目で見るな。フレーメン反応を起こした猫みたいな顔になってるぞ。さすがの俺もこんな仕事を依頼するのは気が引けたが、ほかに当てがない。たっぷり10分は悩んで出した結論なんだ。万障繰り合わせの上、引き受けてくれ。


 そんな思いを込めて、俺は口を開けて固まったままの高杉のジョッキに、自分のジョッキを再度ガチャリとぶつけた。


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