果ての世界のモノクローム

はろ

1 その朝。

 壁際に埋め込まれた無数の間接照明が、昼も夜もない無機質なこの部屋に朝を知らせる。今日は火曜日、暖かなオレンジ色の光だ。

 自然覚醒を促す疑似太陽光。その明かりが、時間と共に明るさを増していく。

 同時に、部屋中に爽やかな香りが広がった。生理学的に覚醒効果を認められた、人工香料の散布が始まったのだ。その何とも似つかない香りは精神に作用し、脳が持つ覚醒プロセスを否応なしに実行させる。

「……もう火曜日かー」

 起きろ起きろと目に鼻に波状攻撃を受け、桜田ユーリは眉根を寄せてベッドから身を起こした。ぐしぐしと頭を掻く。

「あー、頭痛い」

 目の奥に燻る疼痛、全身の倦怠感、どちらも寝不足から来るものだ。

 何せ、一睡もしていない。昨夜の内に強めの導入剤を貰っておけばと、暗い天井を見つめて何度も後悔した。薬の効きづらい体質とはいえ、あの無駄に広い備品倉庫のどこかには、きっと良く効くものがあっただろう。

 ユーリは一瞬だけ時計に目を向けると、大きく溜息をつく。

 彼は一度目をつむり、今度は大きく息を吸うと、勢いよく吐きだした。

「よっし、行くか」

 うだうだしていても時間は過ぎる。気合いを入れると、急いで朝の準備を始めた。食欲はなくとも、少しは腹に入れておかなければ。

 準備を終えて廊下に出ると、既に幾人かの人通りがあった。部屋の内壁と同じく無機質な白の廊下を、色とりどりの制服が行き交う。

 おかしい。ユーリは内心首を傾げる。結構な早起きをしたはずなのに、この活気は一体。

「お、何だ桜田。今起きたのか?」

 振り返ると、行動スーツに身を包んだ一人の青年が、廊下の隅にしゃがみ込んでこちらを見上げていた。襟のラインがうっすら光っていることから、スーツの機能はオンになっていて、こんな場所で何かの作業の最中らしい。

 クレイン・アートン。整備班に所属する整備士で、ユーリの二つ上の先輩だ。部屋が近くということもあり、普段から共に食事を取るような仲だった。

「今起きた、って、俺としちゃ、随分早起きしたつもりですけど……」

「いや何言ってんだ。お前んとこの隊、とっくに概況説明ブリーフィング始まってたぞ」

「……は?」

 朝の挨拶をすることも忘れ、ユーリは慌てて腰の装備バッグに手を伸ばす。手探り取り出した情報端末PDAの画面には、無数の呼び出し通知が残っていた。

「は……はぁっ? ちょ、ちょっと待って。いやいやいや音鳴らなかったって!」

「貸してみ……おー、見事に音量がゼロになっとるね。呼び出しが無音になるわけないし、こりゃバグだな」

「バグ……バグって! そんな、そんなこと今日このタイミングで……!」

「慌てんのもいいけど。時間、大丈夫か?」

 ぴたりとユーリの動きが止まる。

「これから備品の受け取り証貰って、装備の個人認証設定して倉庫行って……」

「ま、頑張れ」

 言われるまでもなく、ユーリは全力で駆け出した。

 人混みの合間をするする抜けて、走って走ってユーリはようやくブリーフィングルームへ辿り着く。入室ブザーを鳴らすが早いか、自動で開くドアの隙間に両手をねじ込むと無理矢理にこじ開け、

「お、遅れ――」

「謝罪はいい。さっさと座れ」

 土下座の勢いで飛び込んだ先に、厳つい顔に深い皺を刻んだ隊長の強面が待っていた。静かな怒声に冷や水を浴びせられ、ユーリは慌てて近くの空いている席に腰を下ろした。

「さっすが支援班、余裕だな」

「任務中に居眠りすんじゃねえぞー」

 幾人の隊員から、からかい混じりの野次が飛ぶ。

「……す、すみませんでした」

 呟く声は、部屋正面のスライドが切り替わる音に掻き消された。

「どうしたの、いつもは遅刻なんてしないくせに」

 気付けば隣には、見知った金髪が座っていた。ステン・キプリング、ユーリの同期だ。

「いや、それが色々あってさ」

「ふーん。何があったら、初任務の日に遅刻するんだか。あんたが全然来ないから、備品の受け取り証、もらっといてあげたから」

 彼女はどうぞと四つ折りの紙をユーリに手渡すと、こそこそと小さい、それでいて好奇心を隠せていない声色で尋ねてきた。

「で、何があったの」

 特に私語厳禁という訳でもない以上、ユーリの口は軽かった。とはいえその視線は、真っ直ぐスクリーンへと注がれたままだ。

「なんだ、結局ただ寝坊した話じゃん」

 ステンは不満げに、頬杖をついてみせた。

「いや聞いてた? 緊張で眠れなかった上にPDAまでバグって……」

「なんか言い訳っぽいなーその話。たまたまこの日になんて、そんな運の悪いことなかなかないでしょ」

「だから俺も驚いてるんだけどね」

 長年訓練を積んできて、ようやく訪れた待望の日。その出鼻を挫かれたことを今一度思い出し、ユーリは長い溜息をついた。

 目の前のスクリーンは、事前に配られた書類のおさらいに終始している。昨夜の不眠も相まってユーリは思わず居眠りしそうになるが、そのたびにステンの持ったペンの先が手の甲に突き刺さった。

「――最後に、副隊長から一言。新人共に何か言ってやれ」

「はい」

 隊長の言葉に、最前列に座っていた男が立ち上がった。

「これはそう難しい任務じゃないが、だからといって危険がないわけではない。しかし諸君らが学んできた知識や技術、それを臨機応変、最大限に生かせばこれほど楽な仕事はないだろう。……だが特に、支援班だからってぶったるんだ遅刻野郎、お前のミスで誰かが死ぬ可能性を忘れるな。いつでも隣で起こしてくれる美少女がいるわけじゃないんだぞ」

「は……はい」

 ステンや隊員達の笑う中、ユーリは一人小さくなって、顔を赤くした。


 ――引き延ばされた時間の中で、思い起こされるのは今朝の記憶。他愛ないやりとり。同僚や先輩に遅刻をからかわれながら受けたブリーフィング。ステンに貰った備品の受け取り証は、ポケットの中でその使用機会を失った。

 左脇腹に走る激痛に気を取られたまま、受け身も取れずに地面に叩きつけられる。固い地面に背中から落ちて、数瞬、溺れるように息の仕方が分からなくなる。

 視界が明滅する。目の前に広がった青空が黒く縁取られ、赤い斑点が滲んで見えた。

 耳に響く甲高いビープ音は、空間固定の強制停止を意味していた。無情にもゲートは閉じていく。それは、ここが既に転移先であり、元いた世界とは違う場所だということを示していた。

「ステン……!」

 向こうで見た最後の景色は、必死の形相でユーリを突き飛ばす彼女の姿だった。

 脇腹に手をやれば、ぬるりと指先に粘液がまとわりつく。

 恐らくは銃撃。不意を突いた背後からの一発が、行動スーツごと肉を抉り取っていた。起動もしていない行動スーツの強度など、そこらの布と変わらない。

「こんなとこで死ぬわけには……いかないのに」

 まだ、何も為していない。これからだったというのに。こんなところで死ぬならば、これまでの人生は何だったというのか。

 気付けば喧噪が、ユーリを取り囲んでいた。遠くからは金属の靴音が複数、足早に近づいてくる。

「まずい……!」

 逃げなければ。そう思うも、体は動いてくれなかった。辛うじて身をよじるも、怪訝な顔でこちらを見る、現地住民達の姿を視認するのが精一杯だった。

 それからすぐに、鋭利な槍の穂先が首元に突きつけられた。鈍い金色の穂先に、厳つい兜の影が映る。先ほどの金属の足音は、予想通り、この場所の衛兵か何かのものだったらしい。

「貴様、何者だ」

 敵意に満ちた低い声が強く叩きつけられる。最初に聞いた現地語がこれとは、言語習得に割いた時間が報われない。

 しかし、もう限界だった。ユーリの意識は落ちていく。逃走も弁解も叶わぬまま、為す術なく視界が狭まる。衛兵達が何かを言っているが、もう聞き取ることは出来なくなっていた。

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