探偵は一度 死んでいる

芝下英吾

case01:ペテン師のゾンビ

1:パンデミック

 ゾンビに囲まれた小部屋の中で、女は目に涙を浮かべ、音を出さぬように必死に身を縮めていた。

 部屋と廊下をつなぐ唯一の扉からは唸り声と扉を殴打する音が聞こえる。


 警察署の一角にある資料室。女はそこでたった一人、ゾンビを相手に籠城をしていた。

 扉の前には椅子と机で簡素なバリケードが敷かれている。とはいえ、見るからに崩れそうだ。そう長くはもつまい。

 部屋の中には武器になるものはない。

 窓には鉄格子がはめられ、逃げることはかなわない。

 

 安全な場所を確保するから、ここにいるように。そう言い残して出て行った刑事も戻ってくる気配はない。

 喰われたか、そうでなくとも女は見捨てられたのだろう。

 唸り声に混じって、嫌な咀嚼音が聴こえる。

 

 ふと女は何かで聞いた話を思い出した。

 ゾンビは元人間としての本能を持っていのだが、もともと人間は肉食寄りの雑食性の動物なので、獲物を襲っても殺すのではなく食べることを優先する。つまり獲物は生きながらに喰われるのだという。

 内臓が腹からこぼれ落ち四肢が散らばったゾンビの食べ残し……かつて見た凄惨な光景が脳裏に浮かぶ。苦悶に歪む顔が自分のものと重なった。

 

 ……嫌なことを考えてしまった。と、女は身震いした。

 それと同時に扉がひときわ強く殴りつけられた。

 「ひぃ!」

 両手で抑えた口の隙間から、思わず声が漏れる。

 

 ゾンビが群がりだしたのだろうか。扉の外が勢いづいている。

 2度、3度と打ち付ける音がすると、そのうちにバリケードが少し崩れ、扉がわずかに開いた。そこから青白い手が数本伸びる。

 扉が開きつつあることが分かるのか、ゾンビの声はにわかに大きくなった。

 今にも部屋の中へと飛び込んできそうだ。

 

 もはや、残された時間は幾ばくもないだろう。

 

 「……っ」

 目を見開いてその光景を眺めていた女は、わずかな沈黙の後に、目をゆっくりと閉じると深く息を吸い、吐いた。

 首に下げていたペンダントを外すと、それを両手で包むようにして持ち、少しのあいだ祈りのような仕草をした。

 そして手を開く。ペンダントに小さな穴が開き、そこから錠剤が転がり落ちた。

女だけが知る秘密。致死性の毒薬だ。


 そうしているうちにも扉はゆっくりと、しかし確実に動こうとしている。

 生きたまま貪り食われるか、痛みを知らずに死ぬか。


 もう、選択肢はない。


 女は目を閉じ、深く息を吸い、吐いた。

 そして薬を口に……入れられなかった。

 彼女の腕は何者かによってしっかりと握り止められていたのだ。


 顔を上げた女の前には、目と口がくり抜かれたカボチャを頭に被った背の低いゾンビがいた。白いシャツに黒いベスト。袖から伸びた手は白い手袋で覆われており、素肌は一切見えない。

ゾンビの片手にはドッキリ成功、と書かれた看板。


 「どうも、ゆかりさん。びっくりしました?」

 「へぇ……!?」


 当惑する女をよそに、ジャックオーランタンは彼女の手から転がり落ちた錠剤を拾った。


「なるほど、やっぱりそのペンダントに仕込んでいましたか。しかしながら、かなり精巧な細工ですね。元はピルケースでしょうか」

「あ、あの……」


「――ああ、ところで、なんで圭輔さんが“自殺”に使った薬を貴女が隠し持っていたのか、教えていただけますか?」

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