第2話. 勇者という名の町人A

 とある剣と魔法の世界に、魔王によって滅亡の憂き目にあった王国がひとつ。そこに忽然と現れた一人の青年。彼は類い希な才覚の持ち主であった。その力は魔王すら打ち倒し、青年に『勇者』という称号を与えさせた。

 しかし彼には致命的な欠点があった。

 それは――。


 昼頃。

 王都に厳戒態勢を報せる警鐘が鳴り響いた。衛兵の報告では、オーガの大群が王都へ接近しているとのこと。魔族をまとめていた魔王は打倒したものの、魔族との衝突は未だに続いていたのだ。しかし民がそれによって混乱することはなかった。

 王国には勇者が留まっているからだ。

 が。

「おい、見つかったか?」

「いや、こっちにもいなかった……と思う」

 衛兵達は王都内を駆けずり回り、懸命に勇者を探していた。

 オーガの小規模の群れならば衛兵のみで対処も出来るが、さすがに大群ともなれば話は変わってくる。確実な勝利のためにも勇者の助けが必要だったのだ。

 なのに、いない。

 いったい何処に行ってしまったのだろうか。こうしている間にも敵は王都を目指して近付いてきていると言うのに。

「こうなったら行き先を知っていそうな人に聞くしかないな」

 そうして衛兵達が頼ったのは、かつて勇者と共に魔王討伐の旅をした魔女ドロシー。彼女は勇者と共に英雄の一人として数えられ、今では王城に住まうことが許されていた。

「と言うことで、ドロシー様ならば勇者様の居場所をご存じかと」

「いや、そんなん知るわけないですやん」

「そこをなんとか。勇者様とは幼馴染みの間柄と聞き及んでおります」

「いや、幼馴染みやからって現在地までわかるわけ……」

「そこをなんとか!」

「……」

 衛兵の気迫に押されたドロシーは、読書中だった本を閉じ、とりあえず考えてみることに。そして思いついたのは酒場だった。

 一方、衛兵は納得できない様子。酒場はすでに見回った場所だったのだ。

「でもあいつのことなんで、酒場で愚痴っとるんやないですかね」

「愚痴? 何に対する愚痴ですか?」

「そら、もちろん……」

「おい、そんなことを聞いてる場合か。行くぞ」

 同僚の質問を遮り、衛兵達は酒場へと走る。疑わしくても、今は信じるしかなかったのだ。

 そうして去っていった衛兵達の背中を見送り、ドロシーは読書を再開させる。が、すぐに本から視線を上げ、窓外へ。頭の片隅に浮かんだ疑問。どうしてオーガは王都へと近付いているのだろうか。そこに若干の違和感を覚えたのだった。


 その頃、王都内の酒場に勇者はいた。

「何故だ! 何故モテないんだ!」

 酒を呷り、カウンター越しにバーテンダーを相手に愚痴を零す。

「何故、勇者なのにモテない!」

「さあ、何故でしょうね」

「真剣に聞いてくださいよ! けっこう悩んでるんですから!」

「なら言いましょうか? どうして勇者様がモテないのか」

 バーテンダーがこれに付き合い始めて三ヶ月になる。さすがに仕事だからと割り切れなくなってきた今日この頃。

「はっきり言って、勇者様には致命的な欠点があるんですよ」

「欠点?」

「はい。普通に生きるならば欠点にはなりませんが、勇者としては欠点です」

「それは?」

 ごくりと生唾を飲む勇者に対し、バーテンダーはきっぱりと言い切った。

なんですよ」

「うっ」

「それこそ町人モブAで通用しそうなほどに地味なんですよ」

 この返答を受け、しかし勇者は物憂げに笑う。

「ははは、やっぱりそうですか。それが原因ですか」

 実のところ、勇者には自覚があった。生まれながらの地味な容姿もそうだが、なにより勇者になってからも周囲の反応が以前と変わらなかったからだ。

「おかしいとは思っていたんです。本来ならば国中の女性から黄色い声を掛けられてもおかしくないのに、町を歩いていても声を掛けられない。と言うよりも、勇者だと気付いてすらもらえない。普通に考えてあり得ないですよね。でも、それって僕のせいですか? と言うよりも、みんな僕にもっと興味を持つべきなんじゃないですか?」

「愛情の反対は無関心と言いますからね。毒にも薬にもならない容姿ということでしょうか。いっそのことオーガ顔だったら良かったのに。だったら存在くらいは認識してもらえたでしょうね」

「……ちょっと言葉が辛辣すぎません?」

「現実はいつの時代も厳しいものですよ」

「いや、あなたの冷たい言葉が僕を傷つけているんです」

「とにかく気を落とさずに。決して不細工というわけではないですし、私の知り合いの女性は勇者様のことを親しみやすそうな人と言ってましたよ」

「それ! それですよ!」

「それとは?」

「親しみやすいとか褒め言葉じゃないんですよ。要は知り合いにいそうなありふれた顔ってことでしょ?」

「警戒されない顔ってことですね。充分に褒め言葉じゃないですか」

「でも女性って危険な男に惹かれるじゃないですか」

「それは各個人の好みの問題でしょ。それとも、やはりオーガ顔になりたかったと?」

「ちがう!」

「そうですか。まあ各個人の好みは、言い換えれば地味な男を好む女性も何処かにいるということです。存外、すぐ側にいるやもしれませんよ」

「ふふふ、そうですね。そんな人がいれば、僕も年齢=彼女いない歴という不名誉を負わずに済むでしょうね」

「おや、今までお付き合いなさったことがないと?」

「……聞き返さないでください」

「ああ、これは失礼。無神経でした。交際経験があるのかという質問は、童貞の心を抉る質問でしたね」

「どどど童貞ちゃうわ!」

「ほう。お相手はメスのオーガですか?」

「なんでだよ!」

「地味をこじらせて、せめて産まれてくる子供には特徴を持たせたいと願っているのかなと」

「地味をこじらせてって……。地味の何が悪いって言うんだ! だいたい、本来なら国中の女性からキャーキャー言われてないとおかしいんですよ、勇者なんだから! なのに、この有り様って……。あーあ、どこかに僕と交際してくれる美女とかいないかなあ~」

「さらりと欲望を吐きますね」

「いいじゃないですか。むしろ謙虚なくらいでしょ、王国を救った見返りと考えれば。べつに王女様と婚姻関係になりたいとか言ってるわけじゃないんだから」

「向こうにも相手を選ぶ権利はありますしね」

「……どういう意味ですか?」

「仮に王女様と結婚したら、産まれてくる子供も地味なわけで。そんなの後継者争いから即脱落じゃないですか」

「わからないでしょ! 王女様の遺伝子の方が色濃く出るかもしれないじゃないですか!」

「人生を懸けた博打ですね」

「だから言葉! もっと選んで!」

「でも勇者様が真剣に話を聞けと仰ったんですよ」

「真剣に話を聞くという意味は、相手の心を抉るという意味ではないんですよ」

「ほほう、初耳です」

「僕も初めて説明しましたよ。はあ~……このまま三〇歳になったら、勇者から魔法使いにジョブチェンジすることになるのかな?」

「やはり童貞なんですか?」

「だから聞き返さないでください」

 その時である。

 店の出入り口からの衛兵達が飛び込んできた。そして息も絶え絶えに店内を見回す。

「勇者様! 勇者様はおられますか!」

「こちらに」

 答えたのはバーテンダー。目の前で飲んだくれている地味な客を示した。衛兵達は怪訝に眉を顰める。実のところ、衛兵達は勇者の顔をちゃんと覚えていなかった。やはり勇者と言えば救国の英雄。それだけに容姿を間近で見られる機会など少ない。だから顔を覚えていなかったのだ、と思っていたのだ。ゆえに衛兵達はバーテンダーに虚実を確かめるように目配せ。返答は首肯。どうやら本当に勇者らしい。

「勇者様、しっかりしてください。非常事態なのです」

「ちがいます。僕は勇者ではありません。今日から見習い魔法使いになるんです」

「なにを言って……。オーガの大群が襲来しているのですよ!」

「へえ、それは大変ですね。頑張って対処してください」

「そのような冗談を仰っている場合ではないのです! 今、この窮地を救えるのは、あなただけなのですよ!」

「ふ~ん、だったら僕の名前を言ってみてくださいよ」

「え?」

「それだけ期待する相手の名前くらい知ってるでしょ」

「えっと……。そんなことよりオーガの大群が襲来してるのですよ!」

「ほら、誤魔化した。誰も僕のことなんて興味ないんだ。そのくせにピンチの時だけ助けを求めたりしてさ、都合のいい女みたいに扱うわけだ。あーあ、嫌になるなあ~」

 すっかり拗ねた勇者。衛兵達は一様に思う、めんどうくせえ~と。

「皆さん、知ってます? 僕、国難を救った勇者なんですよ。なのに……」

「大丈夫です。皆、勇者様のご活躍を知ってますよ」

「へえ、知ってるんですか」

「もちろんです!」

「じゃあ、この本のことは知ってますか?」

 勇者は一冊の本を提示する。

 イケメンで良家の出自という完璧な若者を主人公にした冒険譚で、夢見る少年読者と、また違った意味で夢見る女性読者に人気を博している連載小説である。

「これを愛読している女性に言われたことがあるんですよ」

 ――現実の勇者様を見て、正直ガッカリ――

「なんでも地味なことがショックだったらしいですよ。え、でもそれって僕のせいですか? べつに僕はあなたを落胆させるようなことをしたつもりはないんですけど! と言うより、架空物語の主人公と比較するってどうやねん! 悪かったな、田舎生まれで! 悪かったな、イケメンやなくて! けどな、どっちも僕のせいやないからね!」

 一通りの鬱憤を吐き出し、勇者は荒くなった息を深呼吸で整える。

「とにかく僕は悟ったんです。なので、オーガは架空のイケメン勇者にでも頼ってください」

「そう仰らず。皆、勇者様のご活躍を期待しているのですよ」

「どうせオーガを倒してもモテないでしょ」

「そ、そんなことないですよ! モテモテですよ!」

「魔王を倒しても駄目だったのに?」

「うっ……。わかりました」

 あまりこういう手段は用いたくなかったが、致し方ない。衛兵は言った。

「女の子、紹介します。合コンしましょう!」

「負けるとわかってる戦地に赴くわけないでしょ」

「大丈夫です、俺達が引き立て役になるんで」

「……マジですか?」

「全力でヨイショしますよ」

「……」

 数秒の沈黙。

 答えは如何にと緊張した面持ちの衛兵達に対し、勇者はすっと席から立ち上がった。その顔には先ほどまでの腑抜けたものはなくなっていた。

「民の平和を守ることこそ勇者の本懐。大群とは言え、たかがオーガ。僕にお任せください」

「……はい」

 この代わり映えの早さ、さすがと褒めて良いものだろうか。

 なにはともあれ、やる気を出した勇者は颯爽とオーガ撃退に向かったのだった。

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