第一章 異世界 16 『自分なり』
「―――っっっああ!!! あぶねぇ!」
出発二日前、午後、鍛練場。
何もできないと知ったイツキは、ただひたすら避けていた。何を?
「兄ちゃんっ、ビビってると逆に当たるってのっ」
カインの攻撃を。
「無理だ! 怖ぇよ!」
これはガイルの案だ。
有効な攻撃手段を持たないイツキが戦場に投げ出されて無事でいるには攻撃に当たらないこと。それを習得すべく考えられたのが、ひたすらカインの攻撃を躱す練習だ。
考えたガイルは昼寝中。無責任である。
「ってか、戦場に投げ入れんな! それが問題だろ!」
「何言ってんだよっ」
「はむ!?」
問題の原点に文句を言うイツキだが、当然、誰も反応しない。
天に無視されたイツキの横っ面をカインの尻尾攻撃が直撃。頬が腫れるがすぐに回復。痛みだけが地味に残る。
カインも手加減をしてくれてるのか、攻撃は尻尾だけだ。だが、その尻尾は可愛い見た目とは裏腹に強力だ。人間の骨を簡単に砕くほど。
カインの話によると、カインは尻尾がかなり弱いらしいのだが、とてもそうは思えない。
「ちょ、タンマ! ストップ! ウェイト! 待て! おすわり!」
「んだよっ」
「おすわり!」
「うっせっ」
「いってぇ!」
カインはイツキの必死の訴えに動きを止めるが、さすがに「おすわり」にムカついてイツキを殴る。この世界でも飼い犬に「おすわり」を言う習慣はあるのだろうか。
イツキはカインの拳に反応できず、もろに食らって再び同じ頬が腫れる。治る。気持ち悪い感覚。
「これほんとに意味あんのかよ?」
「ちゃんとやりゃ意味あるだろぉがっ」
「ちゃんとがわからん。正解が。実際やってみ・・・なくていい。参考にならんわ」
正しい特訓の在り方がわからない。そしてガイルとカインの実演は次元が違いすぎて参考にならない。というよりガイルは爆睡中。どうしたものか。
「もっとちゃんと教えてくれる人って言ったら・・・クロトだ!」
「なんで俺じゃダメなんだよっ」
あの優しいクロトなら、きっとちゃんと戦えるように教えてくれるだろう。そう思いついたはいいがそれにはカインが不満げだ。
「なんでって、教え方が悪いのとたまにガチな攻撃仕掛けてくることだ!」
「そんなこたねぇってっ」
「いや、あるね! 『死ねっ』とか『消し飛べっ』とか言ってくんじゃん!」
「兄ちゃんだからいいだろっ」
「よくねぇよ!? てか、俺だからって何!? 納得いかねぇからクロトがいい!」
カインが考えていることはさっぱりわからないし、絶対違う、と思う。教え方も適当なのか素なのか、下手すぎる。
だからこそクロトがいいと懇願するのだが、
「兄ちゃんっ、なんか勘違いしてねぇかっ?」
「んあ? 何を?」
「クロトは喧嘩になるとっ、ガイルでも苦戦すっほど強いぜっ」
「喧嘩じゃないから。・・・でもそう言われると逆に気になるな」
喧嘩発言するカインのこの特訓への意気込みも気になったが、クロトが喧嘩、しかもガイルが苦戦となるともっと気になる。
クロトは見た目頼れるお兄さんで、身長こそ大きいが、喧嘩などの乱暴な物事には関りがなさそう。しかも優しい。とても強いとは思えない。
「だって鬼だぜっ? 亜人の中でもかっなり強い種族だからよっ」
「悪いがおとぎ話か子供だましでしか聞いたことがないんだよ。鬼ってのを」
「そっちの世界のこたぁ知らねぇってのっ。とにかくっ、クロトは俺よか強いって話だっ」
イツキはこっちの世界のことを知らないが、まあそれはいい。問題はどんなものなのか、だが―――
「―――呼んだかい」
「噂をすればなんとやら、のタイミングだな」
噂をすれば影が差す、というやつだ。当人、クロトのお出ましである。
彼は明後日の出発のために、移動手段であるビルドの世話とビルドが引く馬車的な、鳥だから鳥車的な車の整理をしてくれていた。
日差しをバックに下りてきた彼はイツキ達に微笑み、近くまで寄ってくる。
カインの言う強さは感じられない。
「何を話してたんだ?」
「いや、特訓中なんだけどカインの教え方が下手で進まないわけよ。そこでクロトにって思ってたとこ」
「クロトは強いからダメだってんのにっ、聞きやしねぇんだよっ」
「なるほどな」
クロトは腕を組んで頷く。何を考えたのか、爆睡中のガイルの方向へ向かい、
「おいガイル、決着をつけようじゃないか」
「へっ?」
「―――おっしゃあぁ!」
「へぇっ!?」
ガイルのいびきにも負ける小さなささやきのその内容は、クロトが考えたものとは思えないようなことだった。
ガイルがそのささやきに反応して跳ねるように起き上がったことも、イツキの想像外の出来事だ。
「オラぁ! 勝負だぁ! かまえろぉ!!」
「はぁ!?」
「よし! 本気で来い!」
「ちょっ」
「ったりめぇだ!!! てめぇこそ手ぇ抜くなよ!」
「おい!?」
とんとん拍子に進む話について行けず、カインとともにいつの間にか鍛練場の上にいる。
雄叫びを上げるガイル。長身から覇気を飛ばすクロト。両者、完全に戦闘モードだ。
「―――っらあ!!」
先手はガイル。先に飛び出したガイルは、体を捻って拳に力を込め、そしてそのまま全身の重心を前方へ弾丸を打ち出すように、腕を振り抜く。
飛び込んだガイルに反応し、クロトが拳をギリギリで下方へ躱した。躱した勢いでガイルの胴体へ肘打ち、が決まらず、ガイルの膝に往なされる。
すり抜けるような速さだったが、イツキにもここまではなんとか確認ができた。だが、
「見えねぇ・・・。何これ・・・?」
すり抜け向き直った瞬間から、彼らのスピードは徐々に上がっていった。すでにイツキの肉眼では動きが確認できないほどに。
ハイスピードカメラでもあるのなら、ゆっくりじっくりその映像を眺められるのだが、生憎ここは異世界だ。そんなものはない。
イツキが見てもわからないこの戦いは、彼らの自己満足なだけで、
「ストーップ!!! じゃない、やめやめ!!!」
意味のないことなので当然止める。
初め、「ストップ」と言ってしまったことに遅れて気付き、言い直す。英語やカタカナ語が存在しないこの世界で迂闊に口にしたことを後悔、も長くはしていられない。
何事もなかったかのように、止まった彼らを見遣る。「お、止まった」とガイルのおとなしさに驚きながら。
「何してんの!?」
「あんだよ? 文句あんのか?」
「ないわけないだろ!」
「いやぁ、ごめんごめん」
憤慨するイツキをクロトが宥める。止めたイツキにも、それを認めたクロトにも不満げな顔をするガイルだが、ここでも何故かおとなしい。
「俺が示したかったのはだな、戦いは常に状況に合わせて行動することが大事ってことで、教えてもらうもんじゃないってことさ」
「口で言ってくれないとわからんがな・・・早すぎてなんも見えん」
呆れ口を放つイツキに高らかに笑うクロト。
やり方はともかく、彼の言うことには納得だ。勉強とは違い、覚えてどうこうできるものでもない。
『自分なり』の戦い方を見つけなければならない。
「じゃあ、これ意味なくね?」
「そんなことはないさ。本能を研ぎ澄ませる練習だと思って頑張れ」
「マジか・・・」
肉体に疲労は感じられないが、心労は感じる。そもそもカインと関わるだけでかなり。
それなのにこれからもこの訓練を繰り返すと考えると心労で死にそうだ。
「だぁ! もう! やればいいんだろ!」
そう叫んで打ち込んだ一日だった。
場面は移り変わり、その夜。食事後、ある話が進む。これまでイツキが目を背けてきた話だ。
「―――後で、部屋に来て欲しいにゃ」
「え・・・?」
そう言って颯爽とイツキの前から去っていったのは、色々あったルボンだ。
あの色々以来、なんとなく彼女と関わろうとしなかった。それはイツキがどうすべきかを考えられなかったからで、決して彼女の気持ちを無為にしようとは考えてはなかった。
だが、それでもイツキが何も行動に移せないままでいたことで、彼女に何かしらの心配を与えたことは確かだ。
だからこそ、ちゃんと考えたいのだが。
「どうしたものか」
「何が?」
「ひゃいっ!?」
「っ!? 何!? びっくりしたぁ」
立ち去るルボンの背中を眺めながら呟くと、ふと後ろから声をかけられる。その声に不意を突かれ、変な声を反射的に出してしまう。
声をかけた本人はそのイツキの反応に驚く。この集落ではクロトに並ぶ人格者、ネルだった。
「なんだネルか」
「なんだって何よ。まぁいいけど」
ため息交じりにイツキの反応に落胆。イツキも少し気が回らないところを反省。
「で、どうかしたの?」
「いや、ちょっとルボンにな・・・」
ネルの知らない範囲のことを説明する。というのも、彼女もあの現場に居合わせたわけで、何が起こったかぐらいは知っている。ただ、イツキが何を迷い、どうすべきかを悩んでいるかは知らない。
何故彼女に話すのかは、彼女がルボンの親友であるからで、最善の策を教えてくれるだろうと踏んだからだ。
「―――なるほどね」
ネルはすべてを飲むように聞き、ゆっくり頷きながら呟く。腕を組み、老人が如く仕草をするのは彼女の癖だ。
「あたし個人としてはだけどね、イツキにはどういう形でもルボンと一緒になって欲しいって思う。でも、それはイツキの気持ちを無視していいものじゃないし、イツキの好きな人のことも考えなきゃならないでしょ? きっとそれは簡単なことじゃないだろうし、誰かに言われて決められるものではないと思うの。だからあたしの意見は無視して、自分で決めなさい」
「でも、どうやって決めたらいいのかが―――」
「イツキがどうしたいのかが一番大事なのよ」
「―――」
自分がどうしたいのか。
イツキがルボンに対してどういう感情を抱いているのか。この一週間にも満たない期間で、彼女の何を知って、そういう感情になったのか。自分でもわからない。
それを、知りたい。
「そのためには、だな」
ルボンと話す。そう決めた。
「大丈夫そうね」
ネルが大きく息を吐くイツキを見て安心したように声を漏らす。それに対しイツキも笑顔を返す。
「ああ、たぶんね」
「わかりやすいね」
「そう?」
「清々しい顔になったもん。何か見えたっぽいね」
確かにイツキの心は軽くなった気がする。だが、何かが見えたわけではない。
イツキは微笑を苦笑に変え、
「んや、どっちかってっと問題が増えたかな」
「ええ!? それじゃダメじゃん!」
自分がどうしたいのか。それを知る必要がある。そう気付けたことは進歩だが、問題でもあるからだ。
イツキの返事に愕然とするネルに、もう一度微笑を見せ、
「でも、解決方法はある」
ルボンと話すことで、何かがわかるはずだ。イツキに打てる手はある意味それだけだ。
「・・・そう。ならいい結果を期待してるわ」
「それは困るけど任せろ」
「んむ」
結果はどうなるかわからないが、期待には応えよう。そんな意味を込めてサムズアップ。
その仕草に最初は困惑していたネルだが、ここ数日で理解してきたらしく、今、イツキの目の前で同じようにする。
イツキはルボンと話す前に、考えなければならない。
何を? もし以前と同じ展開になったらどうするかを。だが、
「マジでどうしよ・・・」
常に一定の距離を保つ。触れようとしたら避ける。
「ダメだ。気持ちを考えろ。人でなし」
最悪でも、実行されてから対処した方がいい。けど、
「それができてるなら前の時にやってる」
ルボンはイツキよりも力があるのか、イツキは前回、なんの抵抗もできない状態だった。
イツキがこうまで悩むのは女子免疫がゼロなのに加えて恋愛経験もゼロで、おまけにあそこまで明らかだったルボンの気持ちに気付けないほど鈍いことが原因だ。
自分の未熟さをここまで恨んだことはない。たぶん。
「―――で、結局なんも浮かばんかったわ・・・」
入浴中、ずっと考えていたのだが、これと言った対策は浮かばなかった。
このままルボンと顔を合わせてもイツキはまともに会話すらできないかもしれない。そしてそのまま前回と同じようにルボンの暴走に負けるかもしれない。
だが、そんな心配は不要に終わる。
様々な不安を過ぎらせながら訪れたルボンの部屋には、彼女だけでなく、彼女の友人であるネルと、何故かシルが同席していた。
イツキが部屋に入るとその二人はイツキを見遣るが、ルボンは俯いてこちらに目を向けようとしない。
「え・・・と?」
「うん、イツキが来る前に誤解だけでも解いておこうと思って・・・。子供ができるって話」
「ああ、それでシルも?」
イツキの疑問にネルが答え、シルが頷く。
最初、ネルもルボンも子供ができる、という感覚が保健体育以下のレベルだった。そこで呼ばれた特別講師がシルというわけだ。
そして、ルボンは真実を知らされて何かしらのショックを受けたのだろう。
「―――もう寝る」
そう告げて毛布に包まり込んだルボンを誰も止められない。彼女がイツキを好きになったのは原因があったからだ。その原因が勘違いだったと知れば、どうしようもない感情が溢れてくる。
そんなのは当然だ。
「ごめん。なんか余計なことしちゃったみたいで・・・」
「すみません。私も事情を知らずにこんなこと・・・」
「いや、気にすんな。いずれ知ることになったんだし、けじめをつけるのが俺であることに変わりない」
謝罪を述べるネルとシルに、首を横に振り、否定。
イツキの言った通り、この落とし前は彼がつけるべきだ。
「後は俺に任せてくれ」
そう言って二人に退室を促し、二人きりになったその部屋で、ルボンが横たわる寝台に縋るようにしゃがむ。
そうしてしばらくの沈黙の後、ようやくイツキが口を開く。
「・・・なぁルボン。なんつーかさ、俺はルボンが俺のことを好きだって聞いて、まぁ結構嬉しかったんだ」
何を言うことができるだろう。自分が感じたことの何を。
「でも、それで俺がルボンのことを好きだって感じたわけじゃないんだ」
「―――」
自分が何を感じたのか。どうしたいのか。
「もしな、もし、ルボンがまだ俺のことを好きでいてくれるならちゃんと言おうと思う」
イツキのルボンに対する感情は、いつから始まり、どこまで続くのか、それを知りたい。
「だから、教えてくれ。―――ルボンは俺のことをどう思ってるんだ?」
「―――」
イツキはルボンのことをどう思っているのか。それもまだ、わからない。
だけどもし、いつか、イツキが心の底から望む未来が訪れるのであれば、それはきっと、この答えの先である。
「―――好き」
小さく、風の音で薄れるほど小さな音が、しっかりとイツキの鼓膜を震わせた。
声は次第に大きくなってゆき、何度も何度も、繰り返された。
「顔を見ていたい。見られたい。声を聞いていたい。聞かれたい。肌に触れたい。触れられたい。―――一緒にいたい」
その声にはルボンの中の大きな想いが、寂しさが籠っている。
「イツキ君が、好きぃ」
イツキにはその寂しさを知ることはできない。でも、受け止めることはできる。
「―――」
深呼吸し、イツキも自分の気持ちを確認。
何を伝えるのか、
―――決まらねぇ
けど、必要ない。出た言葉はきっと本物だ。
「やっぱ嬉しいわ」
理由はわからない。でも、想いが芽生えたのは確か。
「俺もルボンといるとなんか安心できる。好きってのとはまた違うのかもだけど」
自分が何を感じているのか。
「何て言うか、俺はルボンのこと大切に思ってる」
それは彼女からの気持ちとは異なるかもしれない。
「自分勝手なことを言ってるのはわかってるけど、もしも、ルボンが、待っててくれるなら」
いいのだろうか。彼女の気持ちを知ったうえでこの返事は、人として。
いや、彼女の気持ちを知ったからこそ、この返事を、イツキとして。
「いつかきっと、お前を好きになる」
これが、イツキの『自分なり』の答えだ。
「―――」
縮こまったルボンが震える。小さな嗚咽を交えながら。
イツキの答えが彼女にとってプラスなのかマイナスなのか。それはイツキにはわからない。だが、たとえ今はマイナスでも、いつかプラスに変えてみせる。
そうしたい。まだ、気持ちがはっきりしない。でも、イツキはルボンを好きになりたい。
―――覚悟が決まるまで、待っていて欲しい。
「好きになってくれて、ありがとう」
―――覚悟が決まらなくて、情けない自分を。
イツキは寝台に座り、すすり泣くルボンの背中をそっと撫でた。彼女が泣き止んでも、ずっと。
無意識の世界から落とされる感覚。浮遊感を覚えた瞬間、覚醒する。どうやら眠っていたらしい。
かくんと、頭の下がる動作が首筋に電撃を走らせたが、痛みは残らない。
イツキはルボンの寝台の上で壁に縋るように胡坐を掻いて座り、膝には眠るルボンの頭が乗る形だ。
そしてそのルボンの寝顔と、右肩に感じる温かみを堪能しながら―――
「―――っておい。何をなさってるんですか、ネル殿?」
「あ、起きた?」
イツキの右肩に己の左肩を預けたネルが、小さく驚いたイツキに微笑。
「イツキまで寝ちゃったから起こそうと思ったんだけど、もう少しいいかーって思ってたとこなの」
「だからと言って、なんでわざわざ肩に・・・はっ! まさか、ネルも・・・」
「・・・? ああ、大丈夫。あたしはまだ」
ネルがぶんぶんと手を横に振るのを見て、イツキはホッとすると同時に、自分はモテるのではないかと錯覚してしまった自分に羞恥と殺意が沸く。
「自惚れるなよ、カヤ・イツキ」
と自分に言い聞かせる始末。
それを聞いたネルは不安そうな顔を見せるのだが、イツキはそれに取り合わないでいたい。
「にしても、ルボンがイツキに惚れるのもわかる気がするわ」
「そうか? 俺にはいまだによくわかんねぇんだが」
呟くネルの言葉に反応し、そういえばと考える。
ルボンの気持ちは受け止めたが、原因は聞いてない。否、聞いてないというのは間違いだ。聞いた原因が原因らしくない、と言った方がいい。
子供ができるやらの話で簡単に好きになれるほどイツキには魅力はないと、イツキ自身が言い切ることができるし、もっと言えば時間もイツキを知るほど長くはなかったはずだ。
だが、実際、そんなことはどうでもいい。彼女はイツキが好きだと答えてくれたのだから。それだけで。
「ふぁ・・・。ねっむぅ」
大きな欠伸をして目を豪快に擦る。気付けばもう寝る時間だ。目が乾いて霞む。
睡魔との対戦に挑んでいると、ひそひそとネルからの提案がある。いつもなら焦って払いのける提案だが、今夜だけはその提案を受け入れることにした。
翌朝。いつもと特に変わらない朝だ。違うと言えば、目覚めの場所と同席していたルボンの反応ぐらい。
ルボンが目覚めてまず枕がいつもと違うのに気付き、それが人の腕であることに、しかもそれがイツキの腕であることに気付いたときの驚きはかなりのものだった。
当人であるイツキも今夜限り、と思ってやっていたのだが、こうして目覚めると恥ずかしい。そして想像以上に腕が痺れている。ルボンが驚きで頭を大きく動かすとその痺れから解放される。
状況が呑み込めていない様子のルボンの顔はイツキを見るなり真っ赤に染められ、固まる。
「・・・は? え? え?」
「お、おはよう・・・」
「え? おは・・・え?」
体を起こし、混乱した顔のルボンに照れくさそうに挨拶。が、よく考えたらこの状況はまた彼女に勘違いをさせかねない状況だ。
「あいや、別に何もしてないから! 安心しろ」
とは言いつつ、求めているのは本当に安心なのか、ルボン的には何かした方がよかったかも、などと考えてしまう。そしてそう求められた方がイツキ的にも嬉しいものだ、とも考えてしまう。
「えっとまぁ、昨日あのまま寝てしまったってこと。気にしなさんな」
「うん・・・? わかんにゃい」
「―――!」
照れた顔のルボンが未だに納得のいかない声を漏らすが、その聞き慣れた語尾の復活に若干の落ち着きを感じることができ、安心した。少なくとも彼女はここでは止まらない。
「おーはーよー」
寝台で、正座で向き合う二人に真横から大きな声で呼びかけてきたのは、やはりネルだ。
彼女が部屋に入ってきたことに気付かなかった二人は同時に飛び上がり、その反動で互いに頭突きを食らわす。
ぶつけた額をさすりながら、呆れた表情を見せていることの元凶に目を向け、
「ネルさんや、もちっと優しくしてほしいものだよ・・・」
親友に見られて赤面顔をより赤くしたルボンとは対照的に、イツキは昔話風に愚痴を零す余裕がある。と言うのも、この腕枕作戦はネル発案だからだ。
だが、そのネルはイツキの芸に取り合わず、というより、少々お怒りの様子で
「いや、遅いから! もうみんな起きてるから! 朝の準備終わってるから! 早く食べて欲しいから!」
と、怒鳴る。
それに驚いたイツキは慌てて立ち上がり、軍隊的な敬礼をして部屋を後に―――
「おいルボン。行こうぜ」
「―――!」
部屋を出ようとしたイツキは、いまだ寝台に座っているルボンの手を取る。
パッと顔を上げて驚くルボンだが、すぐにいつもの笑顔を取り戻し、
「んにゃ!」
とルボンらしい返事を返す。
その笑顔と返事に心が晴れたイツキは取った手を引き、改めて部屋を後にした。
「ほーんとわかるわぁ」
と意味深に微笑むネルに見送られて。
再び場面は移り変わり、その昼。鍛練場から帰ってきたシル、ガイル、パルム、カイン、ついでにイツキの五人。
「そう言えばカインってネルの弟なんだよな、一応」
「一応ってなんだよっ」
「いや、似てないからさ。顔も性格も、悪い意味で」
「オレが姉ちゃんよりっダメってことかよっ」
イツキはふと気になったネルとカインの違いについて質問する。
悪い意味で、は冗談だが、顔も性格も姉弟とは思えないほど違う。
ネルは耳が垂れていて、顔もおとなしい雰囲気が溢れる。性格もそのままで、優しく素直な少女だ。
対してカインは、耳が立ち、眉間と鼻先に皺を寄せていて、まるでオオカミのような顔つき。性格も横暴だ。
「でも、髪の色とか目の色は同じだよな」
「親違いなんだよっ。性格は知らねぇけっどっ、顔はそれで納得できんだろっ」
「なるほど、親違い・・・ん!? 親違い!?」
「ああそぉだよっ。俺の父ちゃんは戦闘型ってやつでっ、姉ちゃんはっ・・・何だったか忘れたわっ」
イツキはあまり踏み込まない方がいいところに図らずも踏み込んでしまったことを後悔するが、カインは特に気にしていない様子だ。
『ここの子達は皆、訳があってここにいる』
初めてフィリセと交わした会話でこんな言葉を聞いた。
カインの『訳』にこの親違いであることが関わっている可能性があるのならば、イツキはもっと気を使うべきだ。
たとえカインがそれを気にしていないとしても。
「忘れたって・・・何種類もあるのか?」
「いんやっ、二つだっ」
「覚えとけよ!」
「教えてもらったことがねぇから仕方ねぇだろっ」
「―――」
カインの『訳』が関係しているかもしれない。
またその可能性を失念していた。カイン自身は気にも留めていないが、ネルにとっては触れられたくないことかもしれない。
イツキはもっと気を使うべきだ。
談笑とはかけ離れているがイツキとカインの会話はそれなりにその場を和ませる力を持っていることに気付いた。
カインとネルについての話をなんとなく流し、いつものやり取りを作り出した。基本はイツキがカインにちょっかいを出して殴られるのが普通だ。
かなり痛みを伴う方法だが、その場を和ませることができるなら、怪我が治るイツキにはおつりが来るくらいだ。
そうこうしているとすぐに広場に着く。
広場ではネル、ルボン、ヒナタによって、既に昼食の準備はできている。が、そこに勢いよく突っ込んでいくガイルの姿。
ガイルは巨大なフライパン的なものを取り出して、肉を大きく切り、野菜を千切り、熱したフライパン的なものに次々投げ込む。
豪快に調理する姿はガイルらしいが、そもそも料理がガイルらしくないためその風景はかなり異様。
出来上がった料理を、割れそうな勢いで並べた皿にほぼ均等に配る。それは以前ルボンのせいで食べることができなくなった野菜炒め風の食べ物だ。
ガイルは何故か急に調理を始め、さっと作ったが、その場にいる誰も驚いたりせずにいるので、イツキはそれにも違和感を覚えてしまう。
せめてヒナタだけでも共感できればよかったのだが、一週間の差がそうさせてくれなかった。
「よぅし! いただきまぁす!」
調理風景はともかく味はうまいと評判のガイルの料理だ。楽しみが声になって溢れる。
「―――! ほれふぁふふぁい!」
出来立ての熱さで、舌がうまく回らなかったが、イツキは絶賛。次から次へと口に放り込み、その男飯を味わった。
こういう塩味の聞いた料理はご飯が欲しくなるのだが、案外パンでも合う。ご飯のないこの世界でちょっとした調整でもあるのか、パンとの相性は完璧だ。
「ああ、うまい! うまっ、ゴホッゴホッ!」
「もっと落ち着いて食べろよ。誰も取ったりしないから」
ペース高めで咳込んだイツキの背中をクロトが注意を促しながら撫でてくれる。
いつもならクロトはイツキとは反対側の座席に座っているのだが、今回はイツキが席を移動し、クロトの横に座っている。なぜなら、
「っと、飯に夢中で忘れてたぜ」
イツキを撫でるクロトの手を止め、小声で話しかける。
イツキには力がない。だから、クロトだ。
「クロトに頼みたいことがあるんだが」
戦えないイツキの『自分なり』の戦いをするために―――
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