第一章 異世界 8 『足りない理解』


 冷たい空気がイツキの目を覚ます。

 朝を感じてゆっくりと体を起こし欠伸とともに伸びをする。少し寒い空気に身震いし、毛布を纏ったまま寝台から降りると、何か違和感を覚えた。


「朝日じゃねぇな」


 昇りゆく途中のはずの太陽が、窓からは見えない。前日の朝は上る太陽をはっきり見ることができたというのに。

 部屋を出て広場へ。そこには昨日の朝とは大して変化のない光景が広がる。ネルとルボンが朝食の準備に取り掛かろうとする姿が、笑顔を振り撒くハープ、席に着いてじっと料理を待つパルム、その二人に何やら一所懸命に話をするカインの姿が、そこにある。

 ただ違うのはランドかガームのどちらかの牛人がいることと、ガイル、シル、そしてヒナタの姿がないことだ。ついでにルボンが暴れていないこと。


「―――あぁ! イツキ君! 遅すぎにゃぁ!」


「朝っぱらからうるせぇなぁ」


 顔を見るや否や、騒がしく絡まってくる猫、ルボンを振り払い、本来なら水平線付近に浮かんでいるはずの太陽を頭上に見る。

 やや異様な感覚だが、それもそのはず


「にゃにを言ってるにゃ。もう昼にゃ」


「―――はぁ?」


 朝だと思い込んでいたイツキには驚きの一言だった。

 だが何故朝だと勘違いしていたのか、それは、気温が関係している。

 今の気温は朝だと思うほど少し冷え込んでいる。昨日の昼はもっと温かった。それもヒナタ達が海で遊んでも寒さを感じないくらいの気温だった。

 この世界の季節間隔はわからないが、一日でこうも温度差があると体がついて行かないものなのだ。

 そして、何故昼に起きてしまったのかも考えるまでもなく、長時間睡眠をとっていなかったことと、イツキが初めての布団で寝るときにいつもより深い睡眠に入りやすいタイプであることのせいだ。


「―――てぇ誰か起こしに来てよね!?」


「だってあんにゃに可愛い顔で寝てたら起こすのが申し訳にゃくて・・・」


「やめろっ、恥ずかしいっ」


 てれてれと顔を赤く染めて話すルボンをいろいろな羞恥心を含んだ言葉で抑える。

 それを受けてにんまりと笑顔を作る彼女に呆れを感じたとき、グッドタイミングでネルの一撃が放たれる。

 昨日も見たやつだ、と感心したその一撃は、やはり木製トレーによるものだった。


「・・・ネルぅ、そろそろみゃーの芸風を覚えて欲しい頃にゃんだけど」


「知らないわよ。と言うか知らないわよ」


「知ってにゃ!? それから知ってにゃ!?」


「ずいぶん遅かったけど大丈夫?」


「聞くにゃ! ちょ、ネル!? にゃ!」


 スルーされて騒ぐルボンをねじ伏せてこちらに向き直る。

 それに若干引きつつも、心配してくれるネルに優しさを感じてしまう。


「特に不調ってわけじゃないけど・・・それより、この寒さはなんぞ?」


「今日は朝からシルがいないからよ」


「なんでシルがいないと寒くなる?」


「ここは最北だからもとは寒いのよ。普段はそれをシルが魔法で生活しやすくしてるわけ」


 よく見れば皆の服装が昨日より厚着になっている。

 雪が降るほどではないが、かなり寒い。最北なら夏でも雪が降ってもおかしくはない。降らないのは何故なのか、と考えたりもしたが、異世界の気温事情なんてイツキの及ぶところではなかった。


「魔法ってほんと便利だな」


 などと、改めて魔法の便利性に嘆息していたが、ふと我に返って


「そいや、なんでシルはいないんだ?」


「それがわかんないのよね。朝起きたときにはもういなくて。シルもだけどヒナタもいないのよ」


「ヒナタも?」


 ため息交じりでいつものことのように告げるネルは、少し顔を訝しめ、最後の言葉を強調する。

 現在、イツキの目の届くところには二人の姿はない。

 妙に焦りを感じ始めたイツキはフィリセの話を思い出す。

 最悪の場合は、シルがヒナタに対して敵意を持ってしまうことだが、フィリセとシルは意向が似通っていることから、そのパターンは考えなくても良さそうだ。

 だが、ヒナタもこの異世界を一人で出歩くような迂闊な真似はしない。ヒナタがいないのはシルが関わっているのは確かだ。


「でも心配は必要ないわ」


 深く考え込んでいたイツキにネルが明るい声をかける。


「シルがいなくなるのはしょっちゅうだし、ヒナタはたぶん一緒。ちょっとしたらひょこっと出て来るわよ」


「そうは言ってもなぁ」


 ネルの言葉を信じないわけではないが、異世界での不安は尽きない。

 ほとんどこの世界を知らないイツキは心配になるのも当然だが、それをネルたちに言ってどうにかなるわけでもない。言えば自分たちの素性をうっかりばらしてしまうことにもなり得ないし。


「まったく大丈夫じゃにゃいにゃ!」


 いったん考えをまとめ、とりあえずネルの言葉を信じようとしていたとき、その場にのされていたルボンが熱り立って騒ぐ。


「シルとヒナタがいにゃいとみゃーの仕事が増えるにゃ! そんにゃの絶対許されにゃいのにゃ!」


「あんた普段からシルに仕事押し付けて怠けてるでしょ。・・・待った、さっきなんて言った? シルとヒナタって言ったよね? ヒナタにまで仕事させようとしてたの!?」


「だって人数は多い方が効率的にゃ」


「・・・はぁ」


 自然にヒナタを仕事仲間として数えていたルボンに嘆息するネル。

 イツキ達としては世話になっている以上、そういった手伝いはして当然のことなのだが、ネルにはどうも考えられなかったらしい。

 

「じゃあって言っちゃあなんだが、俺が手伝うよ」


「いやでもっ」


「さすがイツキ君だにゃ。それでこそイツキ君だにゃ。だからこそのイツキ君だにゃ」


「お前喧嘩売ってんの!?」


 迷惑はかけられない、と拒否しようとするネルの言葉を遮り、ルボンが賛成の意を示す。

 その発言がかなり挑発めいてきたので、若干、苛立ちが沸き上がってきたが、それでも考えを改めない。

 ネルの考えに否定はないが、迷惑をかけているのはこちら側だ。それに、今のイツキは何か別のことをして不安を紛らわせたいのだ。だから、


「やるってったらやる。これ俺のマイスタイル」


「まいすた・・・? ほんとにいいの?」


「いいのいいの。やりたいんだって」


 そう言って無理にでも笑顔を作っておきたかった。


 朝食兼昼食は昨日ガイルが作っていた野菜炒め風料理だ。見た目通り簡単で各野菜を一口大に切り、あらかじめ炒めておいた鶏肉と一緒にしばらく炒める。途中で塩胡椒を振りかけて味付けを済ませたら完成。料理ができないイツキでも教えてもらいながらなら簡単にできる。


「―――おっしゃ、ガキども! できたぜ!」


「兄ちゃんもガキだろぉがっ」


「お前昨日から結構俺に突っかかってくるけど何!? そもそも俺はお前のお姉様と同い年だぞ!」


「ガキじゃねぇかっ」


「ちげぇだろ!」


 出来上がった料理を人数分の皿に分配し、配膳しようと、そんなときにカインに絡まれる。

 相変わらずイツキを自分より下に見ようとするカインにイツキも食い下がる。と言っても本気でやりあうなんて大人げないことはしない。

 ここはあえて雰囲気を盛り上げるために、そう振る舞っていた。

 おかげで周りの皆は笑顔を見せる。ただ、一人だけはイツキのことをじっと見つめていたのだが、それはイツキには気付かなかった。


「まぁいいから食ってみろって、うまいからよ」


「っぐむ!?」


 そう言ってカインの口の中に野菜炒め風料理をねじ込む。

 嫌々咀嚼を始めたカインは、味が口のん赤に広がったのを感じ、驚きの表情を見せる。


「なんだよっ、うめぇじゃんかっ」


「んだろ?」


「でもっ、ガイルの方がまだうめぇってのっ」


「そんなこと言われても食ってねぇからなぁ」


「そこがっダメなところなんだよっ」


「理不尽だな!」


 昨日、ルボンのせいで機嫌を損ねたガイルはあれ以来どこかへ出かけているため、彼の料理を食べる機会なんてなかった。

 それなのにこの言われようは何だろうか、などと考える。カインは悪気と言うより素でそう言っているのでより性質が悪い。

 だがそれでも美味しそうに食べている姿を見ると、まだまだ子供だな、なんて思えるから可愛いものだ。



「イツキイツキ! 今日ヒナタは?」


 食事を終えると昨日と同じようにハープが話しかけてくる。だがその内容は昨日とは異なり、この場にいないヒナタのことだ。


「ヒナタはシルと一緒にお出かけ中、かな」


「えー、遅くなる? じゃあ今日はイツキあそぼ」


「ああ、いいぞ。でも片付け終わらせてからな」


「わかった!」


 そんな会話で軽く受け答えしたはいいが、ハープとの遊びには危険が伴う。それに気温も低いので外で遊ぶのは個人的にも避けたい。そこで何か室内でできる遊びを考えよう。

 それも不安をかき消すための手段として用いるために。


 この集落の水場は二種類あり、一つは広い溜め池状で体をさっと流すのに使われるもの。もう一つは料理や洗い物など小さな作業で使われるもの。

 どちらも水の魔石を源としているらしく、出てくる水は究極的な純水であるらしい。

 その水場の一つでイツキ、ネル、ルボンは食事の後の皿洗いに取り組んでいる。


「おい、そこの猫。働け」


「食事の後にすぐ動くのは体に悪いにゃ」


 水場の近くにある浴場からは常に温気が漂ってくる。

 ルボンはイツキとネルに仕事を任せ、そこでうとうとと眠そうにしているのだ。


「ごめん、イツキ。ほっとこう」


「いやでも、こうもゆったりとされるとほっとこうにもほっとけないって言うか、腹が立つ」


「うん、すごくわかるけど、これ気にしてたら終わんないから。・・・あとで縛る?」


「さすがに俺が縛るとこう・・・変な感じにならない? 卑猥な感じにさ」


「なるかしら? ・・・なるわね」


「だろ? だから縛らない。縛る代わりにしばく」


「それはどうかと思うわ」


「いつもやってるのはネルじゃん。―――はい、これ」


「うん、ありがと。―――でも、あれは他の人のためでイツキのは自分のためでしょ?」


「なんか俺が悪人みたいになってるけど、違うよ? 」


「それはわかってるわよ。けど今回はイツキが恨み晴らしにルボンを痛めつけるってことでしょ? それはイツキのためじゃないの?」


「いや、これはどっちかってっとネルのためだよ。今、迷惑してんのは俺もだけどネルもだろ?」


「・・・確かにそうだわ」


「慣れすぎて自分が迷惑かけられてることに気付いていないのか」


「・・・慣れって怖いものね」


「だな。―――はい、これラスト」


「うん、お疲れ様。ありがとね」


「いや、いいって」


 洗った皿の受け渡しを交えながら、取り留めのない話を繰り広げる。

 作業の終了は意外に早く、そこまで面倒でもなかった。が、それでもサボ猫の処罰は執行される。

 結局、イツキのしばくは採用されなかったため、ネルの縛るに決定したのだ。勿論、執行人はネルである。イツキがやると変な感じになるから。

 ルボンは短時間でかなり深い眠りについていたらしく、ネルが縛り上げていることに気付かなかった。

 目が覚めると身動きが取れないことにようやく気付いて暴れるが、その場には既に誰もおらず、クロトが助けに来てくれるまで完全に放置されていた。


 ところで、考えようと思っていた室内遊戯だが、何も浮かばないという結果になってしまった。と言うのも、浮かんだもののほとんどが道具を必要とするものだったり簡素過ぎて楽しめないようなものだったからだ。

 何か何かと考えているとネルの一言。


「昼寝で十分よ」


「それって遊びじゃないやん」


「こういう寒い日はみんなでまとまって寝るのが一番なの。子供達も案外喜んでくれるものよ。それに―――」


 昼寝の有効性を説くネルは経験者のように、その思い出を回想するように、目を閉じて―――にやける。


「ハープの羽、すっごく気持ちいいから・・・」


 息を漏らすように発したその言葉は目的が完全に異なってしまったものだった。

 どうしてだか、その言葉を聞いて俄然その気になったイツキもイツキだ。

 それに対する反論を持ち合わせるでもなく、即座にその光景を想像したイツキはその計画を実行することしか頭になかった。

 そして、


「今日はイツキとお昼寝!」


 ということになった。

 場所はシルとヒナタが生活する部屋の一つ下、ハープとパルムの部屋である。

 カインは体を動かしたいから、と言って同席せず。結果、ハープとパルムとルボンと―――


「て、おい!? なんでお前がいるんだよ!」


 いつの間にかその場にいたルボンに驚き飛び退く。

 ルボンはにんまりとした顔で当然のように説明を始める。


「だってにゃ、イツキ君だけ楽しもうってのは卑怯にゃ気がするにゃ。だからみゃーも混ぜてもらおうと思っただけにゃ」


「卑怯はどっちだよ! 仕事サボって昼寝ばっかしやがって。てか、お前はまた俺の寝顔見に来たんだろ」


「そ、それは・・・違う、にゃぁ」


「今完全に図星突かれて動揺した! どんな趣味だよ」


 帰るように急かしていると、ルボンの腕を引っ張る姿が現れる。


「ルボンもイツキと寝よ。みんなで寝ると楽しいよ!」


 そう言ってイツキとは反対の意見を出したのは笑顔の天使、ハープだった。

 彼女の言葉にはとんでもない語弊があったが、子供の発言だし、天使だし、スルーの方向で。

 ルボンは羽をわさわさ動かす彼女を抱きしめて、イツキに反論。


「イツキ君だっておんにゃの子二人と一緒に寝ようって言うのは変にゃ趣味じゃにゃい」


「言い方悪いな!? 子供ならそういう目で見ないだろ!」


「あーれー? おかしいにゃぁ。イツキ君が動揺してるにゃぁ」


「めんどくさ!」


「イツキはルボンと寝たくないの?」


「いや、そういうわけじゃ・・・おい、顔赤くするな、俺も恥ずかしい」


 段々スルーできなくなってくる語弊に頑張って耐えるも、ルボンの反応のせいで水泡に帰す。

 これ以上、話が飛躍するのは御免なので、討論を打ち切り、ハープの考えに乗るとする。当然、ルボンとイツキの間にパルムとハープが入る形で、だ。


「起きて食って寝てじゃ牛と同じだな・・・。お、羽やべぇ」


 寝付いたハープの羽を触りながら、そんなことを呟く。

 結局、イツキは寝ることなく、常に意識がある状態を保つことになった。

 もともと不安を紛らわすために子供達に付き合っているのに、これでは無駄に考えを巡らしてしまう。だが、逆に今起こっていることを整理する意味では十分に役に立つ。

 そう考えて、この昼寝の時間を過ごした。


 ―――過ごしすぎた。

 時間感覚はわからないが四時間近くはこの状態だ。夜寝れなくなるといけないので起こさなければ、と考え、起こそうとする。

 パルムを起こそうと触れると、彼女は一瞬で目を覚まし、震えながらこちらを凝視。さすがに傷付いた。

 ハープは体を揺すってやるとむう、と伸びをしながら目を覚ます。眠そうな「おはよー」は会心の一撃をイツキに与えた。

 そして問題児、ルボンは―――放っておいた。目覚めるとうるさいのは目に見えているからだ。とは言いつつ、一応体を揺すってやったりもしたのだが、起きない。だから放っておいた。

 彼女が目覚めたときには誰もいないというオチはそろそろ確定してきた。


 元の世界では大体、午後六時くらいだろうか、イツキ達が部屋から出てきたのは。

 その頃には、クロトは今日の収穫を持って貯蔵庫に運び終え、ネルも今日の夕食のメニュー考査を始めていた。

 イツキ達が寝ている間にカインは鍛練場で一人、筋トレ的なものをしていたらしい。泥だらけで帰ってきた彼はこの寒い中、水場で体を洗っていた。

 そして、どこに行っていたのか、ガイルもその場に帰ってきていた。


「おい、シルとあの女はどこ行ったんだよ?」


「それが朝からいないのよ、でも二人一緒だと思うから安心していいと思うわ」


「ああ? どういうことだ?」


 彼の質問に答えるのはメニューを考えていたネルだ。彼女はイツキにしたのと同じ説明をガイルにもする。

 ガイルはネルに対し、より大きな疑問を見せるが、それ以上の質問をしない。


 その姿にイツキは一つの疑念を抱く。

 シルとヒナタの行動を考えているとき、パターンとして二つ可能性が浮かんだ。

 一つはシルとヒナタだけがどこかに用事があって出かけている可能性。その用事には恐らく危険は伴わない。それはフィリセとシルの考えが似ている点から言える。

 だが、この可能性は考え難い。シルほどの人物なら誰かしらに行き先を示しているはずだからだ。

 二つ目の可能性は昨日の昼からいなくなっていたガイルの捜索。一度、その姿を見ているイツキには、シルが誰にも言わずにそういった行動をとることは容易に想像できた。

 だが、ここにもおかしな点はある。それは何故ヒナタが同行しているのかという点だ。仮にヒナタがガイル捜索を手伝うと言ったとしても、シルはそれをさせないはずだ。前述通り、フィリセとシルの考えが似ているのであれば、ヒナタを危険の伴う行動に同行させることはしないからだ。

 さらに、現在、ガイルはここにいる。ガイルはシルの行動の意味を理解していない様子だ。

 これが意味するのは少なくともシル達はガイルとは会っていない、ということで、シル達はまだ帰ってこないということだ。

 ガイル捜索が目的だとしたらだが。

 イツキにとって嬉しいパターンはこの二つの可能性を合わせたもの、つまり、シルがガイルを探すついでにヒナタと外出しようとしたパターンだ。

 このパターンなら行き先を示さずに出た理由もヒナタを連れて行った理由もガイルだけ帰ってきた理由もわかる。そしてしばらくしたら二人とも必ず帰ってくることも。


「シル達はガイルを捜しに出かけたってことはあり得ないのか?」


「あり得ねぇな。大体、俺はシルにどこに行くかもいつ帰るかも言ってあらぁ。シルが俺を探す理由はねぇだろ」


 疑念が確信へと近づいてくる。

 最悪のパターン、そもそもフィリセとシルの考えが全くの別物だったとき、この状況が示すのはシルがイツキ達を裏切っているということ。または、フィリセがイツキ達を騙していること。どちらかしか考えられない。

 しかも、可能性としては前者の方が高いのが難点だ。それはシルがイツキを信じた理由に関わる。

 シルはあえてイツキに敵意を見せ、その反応でイツキが味方か敵かを判断した。それだけでというところが問題だ。普通、イツキの常識の範囲内だが、それだけで疑っていた人を信じることなんてできない。

 これが意味するのはシルがまだこちらを疑っていること。そしてこの状況はこちらがシルにとって不都合な存在に変わった結果なのかもしれない。

 もしもそうなっている場合はヒナタはもう無事ではない。

 だがもし、後者である場合、フィリセの考えに気付いたシルがヒナタを連れ出して助けようとしているのかもしれない。

 フィリセがイツキとの会話の間、何かを企んでいたのは確かだ。それがイツキ達に害のある可能性も十分に考えられる。


 考えても事実どころか対処法も何も浮かばない。イツキは知らなさすぎるのだ。この場所のことも、ここにいる皆の関係性も、何も知らないから、考えがまとまらない。


「ねぇイツキ、夕飯も手伝いお願いしていい?」


 ネルがイツキの思考を停止。彼女は呆然とするイツキを下から覗き込むように見つめてくる。

 はっと我に返ったイツキはネルの顔の近さに驚き、混乱する。


「どうしたのよ? 体調悪いの?」


「・・・いや、そんなんじゃない。大丈夫、だと思う」


 肥大化した不安が心に残って消えない。それが表情にも出てしまっていたのだろうか。ネルが心配そうな顔をする。


 ―――ネルは味方なのだろうか。


「無理しないでよ?」


「ああ、大丈夫。それより今度こそあの猫を働かせないと、て思ってたら来たな」


「にゃんで誰も起こしてくれにゃいかにゃ」


 欠伸をしながら出てきたルボンは文句を言い出す。イツキを起こさなかったのに自分が起こされなくて不満だったらしい。


 ―――ルボンは何かを企んでいるのだろうか。


「働く気になったとは珍しい」


「当たり前にゃ。昨日約束したじゃにゃい」


 昨日の昼のことだ。皆に称賛されていい気になったルボンは夜も料理を振る舞うと言った。その夜も称賛の嵐。結局、毎晩作ると約束してしまったのだ。


「みゃーの手料理が食べられるにゃんてこれ以上に幸せにゃことはにゃいにゃ」


「自画自賛なところうざいけどお前の飯うまいから許そう。任せた」


「任せるにゃ!」


「じゃ、やろっか」


「いや、ネルはもう休んでていいよ。俺らでやるから」


「え、でも・・・」


「いつもやってるだろ? だから今日くらいは」


 実際はネルに食事を作らせるのが嫌なだけ。それに今は色々な行動をしておきたい。その反応を見て知りたい。


「そ、そう? じゃあ、今日は任せるわね。ルボン、ちゃんとやるのよ! ってどうしたの?」


「っ!? にゃ、にゃんでもにゃい・・・」


「調子狂うな・・・」


 ネルに注意を受けるルボンだが顔が赤い。昼からこんなことが多い。イツキに何か感じたものがあったのか。

 そんな不信感を抱いてしまう。


「ははぁん。さては、あんた・・・ふふっ、じゃあ後は任せたわね」


「ちがっ、そんにゃ、ネルぅ・・・」


「ほんと何なんだよ」


 意味ありげな笑みを浮かべるネルとそれに焦り出すルボン。そんな二人が妙に気になる。何を企んでいるのだろう。


「とにかく始めようか」


 ルボンと夕食の準備を始める。ただ彼女の言う通りに従って進めていくだけ。

 自分が何を作っているのかも気にせずに彼女の動きに注意を向ける。一つ一つの意味を考え、ひたすら見つめる。

 普段は怠けているのに夜だけちゃんと働くのは本当に約束したからなのか。

 食材を切るたびに慌てた表情を見せるのは何故か。

 手に触れるたびに過剰な反応を見せるのは何故か。

 昨日はあれほどうまくいっていたはずの料理が順調に進まないのは何故か。

 すべての行動が気になって仕方ない。

 ルボンも本当はイツキ達を敵だと思っているのではないか。

 ネルも何かを企んでいて、潔くこの場から身を引いたのかもしれない。

 もしかしたらクロトも子供達も―――


「にゃ、にゃんとかできたにゃ・・・」


 気付けば作業は終わっていた。


「イツキ君そっち運んでにゃ」


「あ、ああ」


 配膳中、子供達と話すネル、クロトにも目を遣る。牛人二人とガイルにも、エイドとホルンにも。

 この場にいないフィリセはどこで何をしているのか。


「どうしたにゃ?」


 あたりを見回し、フィリセの不在を確認していると、その様子が気になったようでルボンが声をかけてくる。


「いや、別に・・・。それよりフィリセさんは?」


「んにゃ、みゃーも知らにゃいにゃ。いつもにゃらもういるんだけどにゃ」


 ―――本当に知らないのか?


「まぁ、先に食べててもかまわにゃいにゃ。たぶん」


 軽く、曖昧な表現でそう言う。

 イツキの考えが正しければフィリセは必ず何かを企んでいる。それが他の人物を交えて起こすものかどうかはわからないが、近いうちにイツキとの再接触を図ってくるだろう。

 それなら、イツキにも考えがある。


「じゃあ、もう食ってしまおうぜ。腹減ったしよ」


「そーするにゃ」


 食事の間も目を光らせ続ける。いつ何時、誰がどんなアクションを起こすのか、イツキを監視している目を探しながら、会話する者や、ひたすらに食べ続ける者、子供の面倒を見ている者。ありとあらゆる行動に注目する。不審な動きはないか。わざとらしい仕草はないか。注目する。


「―――イツキ、どうしたの? おいしくない?」


 鳥人の少女に話しかけられる。


「いや、おいしいよ・・・」


「そっかぁ。よかった。イツキ怖い顔してたから」


 そう言って少女は笑顔を見せる。


 ―――それは本物か?


「どうしたよっ、兄ちゃんっ。腹でもいてぇのかよっ」


 犬耳の少年が声をかけてくる。


「全然、大丈夫だ」


「んだよっ、心配すんだろぉがっ」


 ―――しているのか、本当に?


「元気だせや、ボウズ! そんなしかめっ面してっと老けるのが早まるぞ」


 牛人の一人が声を荒げ、肩を叩きながら言う。


「精神年齢だけならあんたらよりも上だよ、既に」


「そうかぁ? まだまだ子供に見えるがなぁ」


 ―――何を知っている?


「ほんとに大丈夫か? 調子悪そうだぞ?」


 長身の青年が静かに問う。


「誰かに肩叩かれて痛いぐらいだよ。あとは何も」


「それならいいんだが・・・。辛かったら言えよ?」


 ―――言って何ができる?


 疑念が絶えず、襲ってくる―――――



「―――ああっ、クソっ。疑ってばっかじゃなんもできねぇ」


 食事を終え、足早に部屋へ戻ったイツキは一人、唸りながら思考していた。

 疑いに疑い、考えに考えたが、何一つ解決していない。むしろ、皆に対する不信感が募る一方だ。


「とにかく、えっと、どうすりゃいいんだ? シルとヒナタが帰ってくるのを信じるか? いやでも、フィリセのこともあるし・・・」


 現状、一番怪しいのはフィリセだ。食事の際、部屋に籠って誰とも話そうとしなかった。シルとヒナタがいなくなった日にそうなったのだからより一層怪しい。

 そして何かを企んでいる。イツキはその再接触のための準備をしているのだと踏んでいる。

 何をしているか定かではないが、できればこちらから先手を打っておきたい。

 そのためにイツキがとる行動は―――


「こんな時間に訪問とは、驚きだな。イツキ君」


 エルフとの直談に挑み、ことの真相を聞き出さねばならない。



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