第583話 マルチバース
これはいったい何だ――
士郎は、驚愕の思いで目の前に広がる光景を凝視する。
狼旅団からの激しい攻撃により『デス・スター』はついにその上殻部分が破壊され、中心部が露出した。すると今度は、そこから想像を絶する化け物が現れたのだ。
そう――それはまさに伝説の怪鳥『
最悪なのは、その
叶はこれを、未来本人のDNA情報を完全コピーした“オルタナティヴ・モデル”だと喝破した。そしてオメガたちは、その
すると巨鴉は、今度はそれ自体がまるでガンガゼ――その本体に比して異様に棘の長いウニの一種だ――のように再度変形したかと思うと、その鋭い棘のような触手を四方八方にいきなり突き出した。そして――
それは、巨鴉に集中攻撃を繰り出していた4人のオメガたちを見事に刺し貫いてしまったのである。
その光景はまるで、串刺し王ヴラド・ツェペシュの仕業のようだった。オメガたちは無残にも中空に磔にされ、今やピクリとも動く気配はない。
もちろん、その様子をつぶさに目撃していた神代未来は、その凄惨な光景に耐え切れず、己の無力に絶叫し、そして滂沱した。
だが、士郎が戦慄したのはそれだけではない。
中空に突き出された棘それ自体が、今度は急激に眩い光芒を放ったかと思うと、さらに四方八方へ凄まじい光の奔流を噴き出したのである。その数は少なく見積もっても七、八本。
実際にはもっとたくさんだったかもしれない。とにかく多数の光条が、まさに巨鴉を中心として、広い空の全周に向けて迸ったのだ。
その時だ――
まるでその光条が空を突き破ったかのように、突如として中空のあちこちに漆黒の穴が開いたのだ――!
穴は
「……吸い込んだ……!? トンネル……!?」
士郎は思わず呟く。だってそう――それはまるで、どこか別の世界に通じるトンネルか、あるいはチューブのようだったのだ。
「――トンネル……だよなぁ……」
隣にいた叶が同意する。どうやら士郎の認識は間違っていなかったようだ。
「ど……どういうことです!? あれは――」
士郎は叶に詰め寄る。
いや、確かにトンネルも気になるが、なによりオメガたちだ。
ピクリとも動かない彼女たちは、もしかして既に絶命しているのかも――という恐怖が一気に士郎に襲い掛かる。
ともかく彼女たちを、一刻も早く助け出してやらなければ――!
でもそれには、あの棘のことを把握しなければならない。ソレは彼女たちを貫いた後、凄まじい光芒を放ち、そして空に穿たれたトンネルに吸い込まれていって……
「分からんが……あの棘は、まさに宙を貫いて空に大穴を開けたように見える……」
「空に大穴って……そんなことできるわけが――」
「だが実際に君も今目の前で見ただろ? ……あれを穴と言わず、何というんだい!?」
確かに叶の言う通りだった。
ガンガゼの……いや、変形した巨鴉の羽毛が一瞬で棘状化した、あの鋭い槍のようなもので貫かれた中空には、今も少しずつ穴が増えつつある。
それはどんどん数を増し、今や穴の数は先ほどの倍以上だ。
このままだといずれ、空じゅう穴だらけになって、まさに蜂の巣状に変化してしまうかもしれない。
そんな光景、およそ人間の想像を遥かに超えている――!
その時だった。
最初にオメガを貫いた数本の棘が、シュンッ――と縮んだのである。
空に穴を開け終わり、棘の役割を終えたということなのだろうか。そのせいで、串刺しのままだったオメガが、つっかえがなくなってドスッとその場に落ちてくる。
「ゆずッ!! くるみッ!?」
士郎は慌てて駆け寄ろうとする。すると殆ど間をおかず、今度は久遠も亜紀乃もドサドサッと落ちてきた。
「久遠ッ! キノッ!!」
士郎は、その惨状に立ちすくんだ。
あちこちに、血塗れのオメガたちが地面に叩きつけられ、転がっているのだ。誰一人、ピクリともしないで――
誰から駆け付ければいい!? 今の士郎には、そんな単純なことさえ、意識して考えなければ動けないでいる。
「――そ、そうだ……まずは一番近くの……」
キョロキョロと左右を見回し、そして士郎はようやく、一番手前に倒れているくるみのところへ駆け付ける。
「――おいくるみッ! 大丈夫かッ!?」
両肩を抱いて助け起こすと、くるみはゴボッとその口から大量に吐血した。
「――し……士郎……さん……」
「……く、くるみッ! 大丈夫だ――しゃべらなくていい……すぐに助け出せなくて……ゴメンな……」
するとくるみはうっすらと目を開け、士郎の方を振り仰いだ。
「――わ……私こそ……すみません……それで、あの……」
「いいから――しゃべると傷に障るから」
パッと見、くるみの身体はちょうど腹部から背中にかけて、あの巨大な棘が貫通していたらしい。
だが、思いのほか彼女の見た目が酷くないのは、間違いなく防爆スーツのお陰だ。その巨大な貫通創は、スーツによってギュッとその破砕孔を塞がれ、内臓の露出を食い止めているばかりか、失血も最低限に留めていた。
当然ながらとっくにモルヒネも投与され、大量のエピネフリンが心臓に直に打ち込まれていることだろう。
だが、だからこそ兵士は自分の戦傷を軽く見てはいけない。これはただ、本来即死してもおかしくない重傷を負った兵士を、スーツのお陰で無理矢理生かした状態にしているだけなのだ。だから、笑顔で会話しながら直後に絶命することだって、この時代にはよくあることだ。
そういえばくるみはかつて、出雲攻防戦の折、腹部に貫通銃創を負って瀕死の重傷に陥ったことがあったっけ――
それほどのリスクを承知しながら、
「……いえ……これだけはどうしても……お伝えしなきゃ……くッ……」
くるみの、その鬼気迫る形相に、士郎の中の直感がアラームを発する。
「――わ、わかった……何があった? 端的に説明してくれ……」
「……はい……あの……あのトンネル……」
「トンネル!? あの棘が空の真ん中に開けた穴のことか!?」
「そ……そう……あれ、ね……たぶん……別の次元に……繋がって――」
そこまで言いかけて、くるみはガクリと首を垂れた。
「……え……くるみ……? おい! くるみッ!?」
別の次元に……繋がっている――!?
あのトンネルが――!?
くるみは確かに今、そう言った……
どういうことだ!?
士郎は、キッとその中空に浮かぶトンネルの入り口を睨みつける。
その穴は本当に唐突に、中空にボッカリとその口を開けていた。そしてさらにその奥は、士郎の位置からだと漆黒のように暗く、まるですべての光を吸い込んでしまうブラックホールの如く、何ものも見えない。ただ……
さっきからその表面部分には、まるでシャボン玉の膜か油膜でも覆っているかのように、虹色の波紋が浮かんでは消え、消えてはまた浮かんでいた。
「――
その時だった。不意を突くように、背後から叶の声が響く。
思わずビクっとした士郎は、慌てて後ろを振り向いた。するとそこには、士郎と同じように久遠を抱きかかえた叶が、恐らく今の士郎と同じような顔でこちらを見つめていた。
彼もまた、久遠から同じようなことを聞いたのだろうか――
遠目だが、久遠もまた、くるみと同様気を失っているように見えた。直後、士郎は何かに気付いたように、慌ててくるみの戦闘服に付いている生命維持装置パネルを操作し、彼女の脈拍と脳波がパルスを刻んでいることを確認する。
大丈夫――気を失っているだけだ……
士郎はそう自分に言い聞かせると、ぐったりしたくるみをそっと地面に寝かしつけた。衛生兵もいない今の状況では、ただそうやって彼女を寝かしておくくらいしか出来ることがない。
その足で、今度は叶の元に駆け付ける。
「中佐――」
「大丈夫……久遠ちゃんも気を失ってるが、なんとか持ちこたえている……」
ガッと周囲を見渡すと、残る亜紀乃と
「――久遠ちゃんによると、あの穴はどうやら異なる次元へのゲートらしい」
叶が呟く。やはり……
「俺もつい今しがた、くるみから聞きました。いったいどういう――」
「多分……
「え?」
「――なぜ、他の誰でもない未来ちゃんがクリスタルに囚われていたのか……ようやく分かったというわけだ」
そう――あの巨鴉の胸の部分に埋め込まれているクリスタルの中には、もう一人の未来が囚われている。なぜ李軍が、他のもっと攻撃力の高いオメガでなく、彼女を捕らえたのか――それがずっと疑問だったのだが、叶はどうやらその答えを見つけたらしい。
「どういうことです!?」
「なぜこの巨鴉――八咫烏モドキが、他の誰でもない、未来ちゃんのオルタナモデルを作り、自らに取り込んだのか――」
「…………」
「未来ちゃんはもともと、ガンマ線バーストなどの途轍もない覚醒現象を引き起こす存在であることは知っているね?」
「えぇ、ハルビンの時も……それから出雲大社の攻防戦の時も……究極にピンチの時、彼女は覚醒するのだと承知しています。その原理や発動条件は不明ですが――」
「あぁ、確かにそれはまだ分からない。だが、確かに言えることは、他のオメガたちには決してそのような能力がないということだ」
そう――彼女は別格なのだ。
神代未来は、本来の意味での“
その能力は、すべての物質を“あるべきかたちに収束させる”……量子エンタングルメントにおける絶対観察者、言い換えれば、神と同等の位置づけを持つ存在なのだ。
それに比べれば、未来以外のオメガは所詮、そのジャンクDNAを活性化させて人間の眠っていた能力を引き出した存在に過ぎない。いわば第二世代オメガなのだ。
未来と未来以外のオメガの間には、これほどの途轍もなく高い壁が立ちはだかっている。
その両者の厳然たる違いを、李軍は既に見極めていたというのか――
「――そして李軍は、とうとう未来ちゃんのその秘められた能力を、リミッターなしで覚醒させることに成功したんだよ。そして――」
叶が一呼吸置き、グイッと士郎を下から覗き込んだ。
「――どうやら奴は、ついに多重次元への扉を開いたんだ。彼女のその量子使いとしての能力を最大限増幅させてね」
――――!!!!
そんなことが……本当にできるのか――!?
というか、あのトンネルの向こうは、本当に別の次元なのか!? 士郎の根本的な疑問に気付いたのか、叶がすかさず口を開く。
「――先ほど久遠ちゃんが指し示すトンネルの向こうに、おぼろげだけど何かが見えたんだ。それはかつて、僕がバヤンカラの洞窟の中で垣間見た光景によく似ていた。つまり異なる次元だ」
――!?
それを聞いた士郎は、思わず反射的に手近なトンネルを覗き込む。それはくるみを貫いた棘が作ったトンネルと違い、その奥は何やら明るい光が射していた。その奥底に見えたのは――
見たこともない光景だった。
そもそもそこが地球かどうかすら分からない。中で蠢く人影も、よく見ると我々
確かにこのトンネルは、別の世界……つまり
「――既に承知していると思うが、この世界を含む全宇宙の
「え、えぇ……よく分かります。そのひとつがまさに、我々がこうやって並行世界に転移できたという事実です。これこそまさに、量子変換によるエネルギー反応だ」
「うむ……そういう、別次元への干渉を垣間見る理論が、『超弦理論』だったり何だりするわけだが、未来ちゃんの能力は理論に留まらない。実際に量子に干渉することによって、我々の存在する世界に穴というか、ゲートを開けてしまったんだ。李軍が狙っていたのは、まさに未来ちゃんのこの能力の覚醒だったんだよ」
つまり――
「つまり、奴の最大の狙いは、この世界と他次元を自由に行き来することだ。それが何を意味するか、分かるね!?」
士郎は改めて、空に開いた無数の穴――チューブを見上げる。気が付くとそれは既に、数えきれないほどその数を増殖させていた。――しかもその穴は、今この瞬間も次々と開いていく。
これはまさしく――
今やこのエリア一帯は、この宇宙に存在する無数の次元世界への“ハブ空港”のような様相を呈し始めていた。
なんという壮観だ――
士郎は、まさに呆けたように空全体を見回した。この穴のひとつひとつが、本当に別の次元、他の世界に繋がっているというのか……
それは少なくとも、未来が自分の能力をセーブして覚醒を妨げているうちは、絶対に成し得なかった事象に違いなかった。
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