第584話 詭弁

 それは今や、空全体に広がっていた。


 まるで蜂の巣状に、空に無数の穴が開いていたのである。そしてその穴の一つひとつがすべて、ここではない別の世界、別の次元へのゲート、通り道、トンネルだというのだ――


「――つまり、李軍リージュンの最大の狙いは、この世界と他次元を自由に行き来することだ。それが何を意味するか、分かるね!?」


 叶が、思いつめた表情で士郎に問いかける。

 もちろんだ。そんなことが自由自在にできるようになってしまったら、世界の――いや、この宇宙のことわりがすべて崩壊してしまう。

 その時だった。憎んでも憎み切れない男の声が、脳内に直接響き渡る。


<――やぁみなさん……ようこそ。私の創り上げた世界へ……>

「李軍ッ――!?」


 そう――それは、何度斃そうとしても斃せなかった、この世界の、いや……人類の敵、李軍その人の声だった。


<――おや? そこにいるのは叶先生ではありませんか!? あぁ……何と光栄な話だ。私の創り上げたこの完璧なシステムを、よもや先生にも直にご覧いただけるなんて――>

「――李軍……なんだねこれは……!?」


 叶が、苦虫を噛み潰したような顔で空全体を見回す。実際、李軍が今、どこに実在しているのか……士郎たちの視点ではまったく分からない。

 この蜂の巣状の空のどこかなのか、あるいはデス・スターのその中心核に依然屹立する、あの巨大なレイヴン――八咫烏ヤタガラスモドキの中にいるのか……

 李軍の声は、士郎たちの頭の中に、ただ響き渡るだけなのだ。敵の姿が見えないというのは、こうも苛立たしいものなのか――


<――なんだねとはご挨拶ですなぁ……叶先生は、もうとっくにコレの正体――というか、役割を理解されているのでしょう!?>

「……コイツは……次元移動のいわばハブ空港だ……」


 叶が、話を前に進めるためにやむを得ず話に乗る。その心中いかばかりか……


<おぉ! さすがです先生! ……いかにも、ここはあらゆる次元にアプローチできる、いわばポータル空間です。さぁ――先生はどの世界の、どの時間に行きたいですか!? なんならこの私が直接、ご案内いたしましょうか!?>


 李軍はことのほか饒舌だった。もはや完全にこの戦いを制したとでも言いたそうな、そんな自信に満ち溢れた物言いだ。


「……いや、他の世界に興味がないわけじゃないが、今は遠慮しておくよ」

<どうしてですか!? このポータルを使えば、どんな世界にでも足を踏み入れることが出来るのですよ? そうしたら、先生は人類で初めてここを使った先駆者となるのに! その栄誉をなぜ手に入れようとされないのです!?>


 士郎は、今目の前で起こっているすべてのことが気に食わなかった。

 李軍はいかにも、自分の力でこの想像を絶する場所を創り出したような言い方をしているが、元を辿ればすべて、オメガたちを触媒にして創ったものだ。そんなことはすぐにわかる。


「――貴様、なんだか偉そうじゃないか。これ、全部オメガたちの力を使ってできたものなんだろう!?」

<おっと……こっちは隊長さんじゃないですか。えぇ、まぁその通りですよ。基本形はすべて、神代未来みくの能力を使わせていただきました。彼女の、量子使いとしての“万物の構成力”を使ってね>

「万物の構成力……だと!?」

<えぇ、神代未来は、この世界のあらゆる事物を構成することが出来る……いわば万物の創造主です。その彼女に、私は“かくあるべし”という概念をただ送り込んだだけです。そうやってできたのがこのポータルなのです>

「じゃ、じゃあ……やはり貴様の力じゃないじゃないか!?」

<んん? まぁ確かに、細かい部分の構造や仕組みは私にも分かりません。いってみればブラックボックスです。でもホラ、出来たじゃないですか!? ゆえにやはりここを創り上げたのは、私。神代未来やその他のオメガさんたちは、いわばクリエイターが使う道具……そう、ただの道具です。アナタは家を建てた大工に向かって、この家を建てたのはオマエじゃなくて、そこにあるノコギリだ! って言うのですか!?>


 くッ――

 確かに、李軍の言うことは筋が通っている。だが、その言い方はやはり腹立たしい。オメガたちが道具だと――!?

 だが、話に割り込んできたのは叶だ。


「――それは詭弁だな、李軍」

<あ、叶先生……嫌ですねぇ、なぜ詭弁だなどと――>

「だって、オメガはただのノコギリじゃない。彼女たちにしか成し得ない特別な能力があるからこそ、このポータルは出来たのだろう? ブラックボックスを創ったのは、実際には未来ちゃんだし、穴をあけたのは他のオメガちゃんたちだろう? じゃあやっぱりこれは、貴様が創り上げたものじゃない。オメガちゃんたちがいて初めて出来た代物だ」

<……くッ……それは……>


 言い淀む李軍に、士郎はようやく留飲を下げた。叶が畳みかける。


「――李軍、まぁ、自慢したい気持ちも分からんではないが、正直これを誰が創ったかなんて、僕は一切興味ないんだよ。道具とは、誰がそれを創ったかではなく、、ということで価値が決まるものなんだ」


 その瞬間、なぜだか李軍が感銘を受けているのが士郎にも伝わってきた。あれ……さっきからコイツの声が直接頭の中に響いてくることといい、もしや俺は、あのにっくき李軍と同期してしまっているのか――


<――あぁ! なんてことだ……この歳になって、私にこんなことを言ってくださる方はもはや先生しかおりませんよ!? しかも至言ですなぁ……道具とは、誰が創ったかではなく、何ができるかがすべて――まさにおっしゃる通りです!>


 叶中佐――コイツを持ち上げてどうするんです!? 敵ですよ……

 士郎は、叶を横目でこっそり見る。すると、叶はそんな士郎に目配せしてきた。あれっ!? もしかして、何か策があって……


<――分かりました。では、このポータルのできること、改めて先生にご紹介しましょう!>


 ――!

 そうか……まずは敵の性能を見極めること――それはすなわち、敵の目論見、戦略を見抜くことに通じる。士郎のように、ただ激昂して相手と真正面から喧嘩しても、得るものは少ない。


<――見ての通り、このポータルには、ありとあらゆる世界への扉が開いています。えぇ、もちろん五次元以上の世界へも通じているし、無限の並行世界にもリーチしています。それに、私たちがもともと住んでいた四次元世界の異なる時間軸へも、いくらでもアプローチすることができます>


 予想はしていたが……

 あらためてこうやって言葉にされると、その異常性、奴の思考の歪さがさらに際立ってしまう。

 時間も空間も関係なく、どのような世界にも自由に出入りできるということは、もはやということだ。死者は蘇るし、あったことがなかったことにされてしまう。


 それがいかに世界の秩序を揺るがしてしまうか、この男は理解しているのだろうか!?


「――そんなことしたら、その世界の歴史が……螺旋樹の幹が、いつまで経っても確定しないじゃないか!? 世界は、んじゃないのか!?」


 士郎は思わず叫んでいた。

 だが、アイツはそんなこと、意にも介していない様子だった。


<――これはなことを仰る……かつてあなた方は、私の進化に関するアプローチを全否定した――>


 それは、奴が『不死化』したことに対する、強烈なカウンターパンチだ。

 生物というものは、死ぬことで初めて種の多様化、自然淘汰を実現する。死とは、そのための必須のトリガーなのだ。つまり生物とは、死を忘れた途端、進化を忘れ、そして進化を忘れた種がやがて迎えるのは、絶滅しかない――


<――ですがこのポータルがある限り、『不死』は逆に生物にとってのアドバンテージになる。この世界は、人間が理解するにはあまりにも膨大過ぎますからね。50年や100年では、とうてい世界の成り立ちや真実を理解することなどできません。だからこそ不死は必要な条件なのです>

「いや、なぜ異なる世界を覗く必要があるんだ!? 我々は、自らが生まれた世界で生きればいいじゃないか!?」

<――何を言っているのです!? この世界の人々の、いったいどれくらいの人が自らの人生に納得し、満足していると!?>

「……どういうことだ!?」

<どうもこうもありませんよ。じゃあアナタは、世の中の人々がみな、自分の人生に満足しているとでも思っているのですか? 違うでしょう!? たいていの人は、大いなる後悔に苛まれながら、抗えぬ現実に妥協して生きているはずです。口に出さなくとも、多かれ少なかれ“自分の人生、こんなはずじゃなかった”“もっと上手くやれたはず、もしあのとき選択を間違えなければ、もっと幸せに生きていたはずだ”とね――>


 そんなことは――

 確かにそりゃ、自分の人生に100点満点を与えながら生きている人など、そうはいないだろう。


 だって、人生は失敗の連続だ。


 あの時の自分が間違っていた――ということに気付けるのはであって、その当時は当時で必死に幸せを求め、もがいていたはずなのだ。


 結果的にそれが間違いだったと後になって気付いても、人生はやり直しが効かない。


 だからこそ、異世界転生モノの物語が流行ったりするのだ。アレは典型的な“やり直し成功譚”だ。人々は物語の主人公に自分自身を重ね合わせ、その活躍を我がことのように感じ、喝采を送る。

 その奥底に、自分もこんな風にできたらなぁという願望があるのは、逆説的に「現実世界ではどうにもならない」ことの裏返しなのだ。

 主人公無敵設定も、同じ理屈によるものだ。現実世界で負け続けの人生の憂さを晴らすため、物語の主人公には危なげなく勝負に勝ってほしい。そして誰もが彼の驚異的な強さに驚愕し、畏怖し、ひれ伏すのだ。そしていつの間にか主人公と同化したあなたは「いやぁ、それほどでも……」と口では言いながら、内心勝利に酔いしれる――


<――このポータルでは、そのやり直しが効くんですよ!? もしアナタが「あのとき間違っていた」と思えば、その時点まで遡れるんです。そしてもう一度、その場面に立ち向かうことが許される。あるいは、どうやってもこの世界に自分の居場所がないと思えば、思い切って別の世界に行ってしまえばいい。そう――異世界転生です。そこでアナタは、もしかしたら無敵の英雄になれるかもしれない……こんな素敵な選択が、自由自在に行えるんです。どうです? これほど人生が充実すれば、人類はあらためて自らを高めようと、より積極的になれるのではありませんか? これこそが――>


 李軍は一度、言葉を切った。自分の言葉が我々の腹に十分染みわたることを待っているのだろう。


<――これこそがすなわち、新しい生命大躍進です!>


 確かに李軍の言っていることは、魅力的ではある。人々がみな、自分の人生に前向きになれば、人類社会は今とは比べ物にならないくらい躍動するだろう。成功者が増えれば、人口も爆発するかもしれない。個体数が増えれば、当然次なるステージへ肉体を進化させる働きが加速する。


 人類は、長い黄昏の時代をとうとう抜け出すのだ。だが――


「――それも詭弁だよ……」


 叶がぼそりと呟いた。浮かれた気配は、一切認められない。


「――この世界で不満のある者が、別世界でリベンジして成功する? いったいどこから、そんなお花畑の発想が生まれるんだろうね……」

<――え……なんですか? 言うに事欠いて、言いがかりですか!? 先生らしくもないですよ……>


 李軍が困惑したように言い返すが、やや怯えている様子が伝わってくる。


「いや、これは言いがかりでもなんでもない。真実だよ……だって、この世界で失敗した者が、別の世界で成功する? 自分の生まれ育った馴染み深い社会ですら成功できない人間が、右も左も分からない、社会習慣も文化も価値観も……下手したら物理法則までまったく異なるアウェー世界に行って成功する? 本気でそんなことを言っているのかね李先生……」

<――い、いけませんか!? だって環境を変えれば、人は心機一転生まれ変わることができる――>

「そんなわけありませんよ。じゃあ日本で成功しなかった人は、アメリカに行けば成功するのですか? そんなこと、まずあり得ない。むしろ余計火達磨になって、身ぐるみ剥がされて……下手したら命を落としてしまうかもしれない。同じこの世界の、たかが外国に行くだけですらこれほど困難なのに、ましてや異世界で成功? 笑わせますよ」


 士郎もそれには同意だ。


「――確かに、この世界で失敗した人間には、それなりに失敗した理由があるハズだ。こっちで成功を掴みとれなかった者が、異世界に河岸かしを替えただけで成功できるとは、到底思えない……」


 気が付くと、李軍が消沈している感情が漏れ伝わってきた。結局、叶中佐は彼を理屈で論破しようと謀ったのだ。そしてそれは、今のところ上手くいっている。


<……ま、まぁ……異世界での成功失敗については、今は横に置いておきましょう。ちょっと私も、出した例があまりにも子供じみていたかもしれません……そんなことより、そう! 異世界のテクノロジーを自在に入手できるとか、そういった類の話をしましょう。あるいは、科学水準の劣る世界にある程度のクラスターでアプローチすることにより、その世界の住人を凌駕する話とか――!>


 それって、まさに我々国防軍が『幽世かくりよ』世界に侵攻した話そのものじゃないか――

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