第581話 オルタナモデル

 未来みくが二人存在する――!?


 しかもその一方は、あの巨大なカラスの形をした化け物の腹の中にいるのだ。狼旅団による激しい攻撃のせいで今や化け物の腹部は露出し、そこから剥き出しになったクリスタルは圧倒的な存在感を放ちながら士郎たちの前に立ちはだかる。

 そう――士郎たちはまさにその場から一歩も動けず、釘付けになっていた。


 どうしていいか分からなかったからだ。


 なぜ――!?

 なぜ未来は、あのクリスタルの中にいるのだ……


 じゃあ――今隣にいるこっちの未来はいったい……


 だが、事態は待ってはくれなかった。


 カァッッ――――――――ッ!!!!


 突如として鋭い咆哮を発した巨鴉モンスターレイヴンが、そのまま真っ直ぐ天頂を見上げたかと思うと、その口から凄まじいエネルギーの奔流を噴き出したのだ。


 ガァァァァァァ――!!!!!


 それはまるで軌道エレベーターの如く一直線に空を突き抜けたかと思うと、そのままさらにその先の宇宙にまで突き刺さっていく。

 恐らくその様は、何十キロも、何百キロも離れたところからでも見えたに違いない。直後――


 ガリガリガリッとノイズが聞こえたかと思うと、一瞬士郎の機械化された部分の電流が止まったような気がした。ほんの一瞬だが、気がしたのだ。

 もちろん今のは比喩表現だ。ただ、機械化された腕や脚の中を循環する、ある種の微弱な生体電流が乱れたのは間違いない。


 だが、叶の観測員が読み上げたその報告は、事態がもっと深刻であることを教えてくれる。


『――ただ今の現象については、極少のガンマ線バースト現象であると認められるッ!』


 なんだって――!?

 『ガンマ線バーストGRB』と言えば、かつて未来がハルビン攻防戦の最終盤で見せた現象そのものじゃないか――!!

 失念した方のために極々簡単に復習すると、『GRB』とは天体が寿命を迎えて消滅する際などに発せられる、超強力なγガンマ線の放出現象である。

 ちなみにこれが地球を直撃すれば、恐らく一瞬で粉々になるし、近傍を掠めただけでも途轍もない影響を地球上に及ぼす。

 過去の恐竜絶滅などの原因は、実はこのGRBが掠ったせいなのではないかという説まである。要するに、とんでもなくヤバい現象なのだ。

 ほんの一瞬前、士郎の機械化パーツが不調を来したのは、きっとそのせいだ。


 それをこの巨鴉が引き起こした――!?


 いや……過去の経緯を踏まえると、それはむしろ怪物のクリスタルの中に捕らえられている、がしでかしたと考えた方が自然だった。

 何せ彼女は、過去に一度GRBを実際に放っているのだから――


 士郎は、傍らにいる未来――こちらがいわゆる「1号」だ――を再度凝視する。ゆずりはとくるみが、相変わらず彼女に寄り添っていた。


「――ねぇ未来ちゃん……どうなってるの? あっちの未来ちゃんは何者なの!? 今のは何!?」


 くるみが未来を問い質すが、未来1号は怯えたように後ずさるだけだ。まぁ、未来でなくともあんな風に質問攻めにされては、怖気づくのも無理はない。

 その時だった。


「――アレは…………じゃない……」


 か細い声で未来が何かを口走る。それを聞き逃さなかったのはくるみだ。


「え……? なに!? 未来ちゃん――怖がらないで……さぁ……」


 くるみが、優しいのか厳しいのか分からない感じで食い下がる。すると、未来はとうとう観念した様子でその顔を上げた。


「――アレは……私だけど……私じゃない」

「それってどういう――」

「あの中にいるのは確かに私……だけど、私もまた私なの……」


 それはまるで禅問答だった。

 目が三角になりかけていたくるみを見て、士郎は二人に割って入る。


「未来? どういうことなのか、ゆっくりでいいから言ってごらん?」


 その時ようやく目の前の未来は、そこに士郎がいることを認識したようだった。


「あ……士郎……くん……」

「あぁ、俺はちゃんとここにいる。だから安心して――」


 未来は、不安と安心がないまぜになったような顔で士郎を見つめ返した。


「……私……さっきからふわふわしてて……自分が自分でないような……そんな感覚がずっと続いてて……」


 それを聞いたくるみが再度詰め寄ろうとするが、士郎はそれを黙って制する。今は……未来が自分の言葉で語るのを待つべきなのだ。

 すると未来は、しばらく言い淀んで……それからもう一度口を開く。


「……それでね……分かったんだけど……自分の意識は今はここにあるんだけど……ついさっきは向こうの方にいた……」

「向こうの方に……って、未来の意識がこっちとあっち、行ったり来たりしてるっていうのか?」

「そう――そうなの……だからあっちの私もホンモノだし……今ここにいる私も私……」


 要するに、今士郎の目の前にいる未来も未来本人だし、あの巨鴉のクリスタルの中に捕らえられている未来もまた、本人ということなのか――

 いったいなぜ――


「――それって、クリスタルの中の未来ちゃんは、李軍リージュンによって再構成されたオルタナモデルってことでいいのかな!?」

「叶中佐!?」


 突然一行の目の前に現れたのは、叶元尚その人だった。いったいどうやってここに――!?


「――あぁ、安心してくれ。部隊の指揮はヂャン将軍に託してきたから」


 ――って、あんた総指揮官だろ!?

 というツッコミすら憚られるほど、今は事態が混沌としていた。ここはぜひ、稀代の天才科学者としてこの状況を説明してもらいたい。

 まぁ、そもそもこういう想定外の異常現象が起こる可能性も踏まえて、今回は叶が総指揮官を任せられたのだろう。

 そういう意味では、彼の行動はある意味正しい判断なのかもしれない。


 他にも、どうやってここまで来たのかとか、いろいろ訊きたいことは山ほどあるのだが、今はひとまず目の前の現象を整理したい。

 まずは“二人の未来みく”問題。次いで先ほどの“ガンマ線バースト”問題だ。


「――オルタナモデルって、何ですか!?」


 士郎はまず、耳に引っかかった言葉の意味を問い質す。


「さっき未来ちゃんは、どっちの私も私だ――と言っただろ?」

「えぇ……」


 士郎は再度、傍らの未来1号とクリスタル内の未来2号を見比べる。その外見は本当にそっくりだ。


「――少なくともクリスタル内の未来ちゃんは、あれは再構成されたもう一人の未来ちゃんだ」

「再構成された?」

「あぁ、そもそもこのデス・スターは、量子増幅装置エンハンサーと一体化した李軍が変形して巨大化したものだろ? 奴はそのデス・スターの中で、君たち突入隊に激しい攻撃を仕掛けてきたはずだ」

「え、えぇ……それはもう執拗に……」


 士郎は、マクロファージ……いや、カブトガニ型ドローンが未来に殺到した瞬間のことを思い出す。


「その時、未来ちゃんはそのDNA構成データを恐らく読み取られた。結果、本人と殆ど違いのない、複製品……というか代替品を、量子増幅装置によって造られたんだ」

「代替品? そうか、それでオルタナティヴ・モデル――」

「うむ、オルタナティヴの意味は知っているね?」

「――、何かの代替物……」

「そう、その通りだ。つまりはあのクリスタルの中にいる未来ちゃんは、未来ちゃんであって未来ちゃんでない存在、あるいは未来ちゃんの代わりになるもの、なんだ」


 だから、未来ではないもう一人の未来――未来のオルタナモデル……


「――だが、これは極めて深刻な事態だ」


 叶が真顔で畳みかける。


「どういうことです!?」

「だって、未来ちゃん2号は、完全に彼女のコピーだが、今のところその制御にリミッターは一切かかっていない。未来ちゃんの精神――というか意思自体は、2号にはないのだから当たり前だ……つまり、抜き身の刀剣が、誰でも自在に振り回せるようになっている、というのが今の状況だ」

「抜き身の……刀剣……」

「あぁ、さっきのGRBが良い例だ。未来ちゃんはもともと凄まじい力を持っているんだが、普段は彼女自身の理性によってその異能覚醒を抑え込んでいる状態だ。そのたがが外れたら、いったいどれほどの破壊が周囲に引き起こされることか――」


 その時、未来1号が口を開く。


「――だ、だから……今のは私が急遽あっちの自分に意識を集中して、途中で覚醒を邪魔したの」


 そうか――今のがごく小規模なGRBで済んだのは、未来1号が自分自身のオルタナモデルに同期して、その異能発動をすんでのところで押しとどめたということか――


 そして同時に、士郎は李軍の意図をハッキリと認識してしまう。

 奴の狙いは最初から、未来その人だった。彼女の途轍もない異能覚醒を我が物とするために、まるで3Dプリンターでモノを作るように、未来のソックリさんを創ったのだ。カブトガニ型ドローンが、未来を集中攻撃していた意味が、やっと氷解する。だが――


「でも……あのオルタナモデルはやっぱり……空っぽなんでしょう!? それじゃあ仏作って魂入れずじゃないですか。今のうちに――」

「出来るのかい!? 少佐……」


 叶が、鋭い眼光で士郎を射抜く。


「――オルタナモデルとはいえ、それは間違いなく量子増幅装置によって再構成された、未来ちゃんそのものだ。石動君はそんな未来ちゃん2号を本当に抹殺できるかい?」

「それは……」


 確かにそれは、極めてハードルの高いミッションだった。それに、大きな懸念が一つある。


「――えっと、士郎くん……実はね……私自身の意識が、勝手に向こうに入り込んでしまう時があるの……」

「え……」

「さっきだってそう……マズい、と思ったら、あっちの自分に勝手に意識が入り込んでた……まぁ、だからこそあのエネルギー発動を止められたんだけど……」


 彼女の言う“エネルギー発動”というのは、もちろんGRBのことだ。


「――要するに、今の未来ちゃんはどっちの自分が本当の自分か、その魂が定着していない宙ぶらりんの状態になってしまっているってことなんだ。まぁ……突然自分が二つに分かれてしまったら、誰だって混乱するだろうけどね」

「じゃあどうすれば――」


 士郎は思わず鼻白むが、恐らくそれを知りたいのは当の本人なのだろう。未来は悲しそうな顔で士郎を見つめ返した。


「――士郎くん……今の私は、安全に動作する保証のない電化製品みたいな状態なの……だからそのうち、能力が制御できなくなって何をしでかすか分からない……だったら今のうちに――」

「何言ってるんだッ!?」


 未来が言いかけた恐ろしいプランを、士郎はその瞬間全力で否定した。まただ――


 また……運命の自動修復機能が働き始めたということなのか――


 で、士郎は未来をその手で殺めてしまった。

 それは決して意図的なものではないにせよ、彼女の命を直接的に奪ったのは士郎自身なのだ。

 だからこそわざわざ広美ちゃんに頼み込み、『因果の螺旋樹』にまで辿り着いてようやく二度目の生を今、やり直している。


 未来みくの死なない未来みらいを選択し直すために――


 なのに――!

 これほど選択し直してきたはずなのに、いつの間にかまた、未来をこの手で殺める運命に、迷い込んでいる――!?


 これほどまでに、運命の自動修復が強烈な力を持っているとは――

 士郎の心は、思わず挫けそうになる。結局何をやっても、駄目なのか……


「――ひとつだけ……方法がある」


 叶が口を開いた。


「……要するに、未来ちゃんが向こうの2号の制御を放棄すればいいんだ」

「えと……どういうことです!?」

「さっきのGRB発動といい、未来ちゃんは己の異能の凄まじさを知っているからこそ、その責任感からどうにかしなきゃと思ってしまう。だからその意識が向こうに飛んで行って、自分自身を抑えようとするんだ。でもその行為そのものが、彼女の意識を向こうの個体に同化させる引き金になっている――」


 言ってることは分かる。士郎だって、自分のコピーが仲間に悪さしようとしたら、全力でそれを止めようと足掻くだろう。


「だからね……未来ちゃんには敢えて無責任になってもらう」

「――でも……そんなことしたら、いったいどんな大惨事が待ち受けているか……」

「だから――」


 叶は士郎を遮った。


「――だから、未来ちゃん2号の暴走を、オメガたち全員で何とか食い止めるんだ。要するに、ブレーキの利かなくなった彼女の能力を、真正面から受け止め、これを潰してしまえばいい」


 ――!?


 そんなことが、果たしてできるだろうか……

 そもそも今まで、オメガ同士で戦ったことなどないのだ。もちろん未来自身は、元来攻撃的な異能を持っているわけではない。楪のように派手に相手を爆散させるわけでもないし、くるみのように対象の精神をおかしくしてしまうような、恐ろしい強制力をもっているわけでもない。

 彼女はただ、癒しの力を発動させる存在――


 だがそれでも……

 士郎には、嫌な予感しかしない。


 じゃあそもそもなぜ……李軍はそんな未来の異能を欲しがったのだ――!?

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