第30章 決戦

第575話 ハルシネーション

 先行して突入した二名の斥候兵から、内部の様子に特に危険はなさそうだとの報告を受け、士郎はただちに突入を宣言する。


「よし、全員――この開閉弁を乗り越えて中に侵入せよ。向こう側にも弁があるから、可能な限り早く抜けるんだ!」

「了解――」


 兵士たちが弁を乗り越えるように一斉に飛びかかる。オメガたちはその頭上を、いとも簡単に跳躍して飛び込んでいった。

 異変が起きたのはその直後だ――


 唐突に、背後の開閉弁が完全に閉じられたのだ。次の瞬間――


 その空洞の壁面や床から、ドォッ――と何かが染み出してきた。それはまさに湧き水のように、あちこちからジュワジュワボコボコと溢れ出してくる。

 それだけではない。そのドロリとした液体は天井部分からもダラダラ、ボトボトと垂れ落ちてきたのである。

 すぐに兵士たちの足許に、液体の層が薄く広がっていった。


 グニュン――!


 唐突に、空間そのものが大きく収縮する。その勢いで、中にいたオメガチームと帝国兵数十名は、バランスを失って一斉にひっくり返った。


「ひゃっ!?」

「おぉっと――」


 次の瞬間、嫌な予感が的中する。


「あツっ――!?」


 誰かが小さく叫んだのを皮切りに、兵士たちは自分がどんなおぞましい状況に飛び込んでしまったのかをようやく察した。


 シュウゥゥ――

 じゅうゥゥゥゥゥ――


「――ぅわッ!? なんだこれッ!?」


 兵士の一人が大声を上げる。粘液にまみれた彼の軍服が、白い湯気を立てていた。それだけではない。多くの兵士たちの足許から、白煙が濛々と立ち始めたのだ。


「熱っ! これ、靴がッ!!!」


 見ると、多くの兵士たちの足許が、のっぴきならない状況に陥りつつあった。軍靴のソールが溶け始めていたのである。

 もちろん足許だけではない。床に転がって軍服がドロリと粘液に浸かった兵士たちは、その部分からジュワジュワと白煙を上げていた。


「マズいッ! これ、消化液じゃないか!?」


 士郎は取り敢えず床面から飛び上がる。オメガたちも、その運動能力を発揮して、パンパンッと跳躍した。そのまま可能な限りこの空間を縦横無尽に飛び跳ね、なるべく接地時間を少なくするよう試みる。

 だが――


 帝国兵たちにはもちろん、そんな芸当は出来ない。

 取り敢えず、足を交互にピョンピョン踏みしめるだけだ。だがそんな程度ではどうにもならず、じきに軍靴の裏は完全に溶けてしまった。もちろんこの時点で軍服もボロボロだ。


 阿鼻叫喚の地獄絵図が始まったのはその直後だ。消化液と思われる粘液が、ついに兵士たちの生身に到達したのである。


「ぎゃあァァッ!?」

「うわッち――」

「ひッ……ヒィィィッ!?」


 ついに帝国兵たちは、命より大事な小銃と、それから各自が背負っていた背嚢を投げ捨てた。取り敢えず背嚢を足許に座布団のように敷いてその上に逃れれば、急場を凌げるという咄嗟の判断だ。

 それでも多くの兵士たちは、その溶けた軍靴の下から覗く素足が真っ赤に染まっている。もちろん、先ほどぐらりと揺れたせいで粘液まみれの床に頭から突っ伏した兵士たちは、既に顔面が真っ赤に腫れ上がっている。

 液体に触れた直後はどうということはないのだ。だが、その後数秒経った途端、それらは猛烈に兵士たちを溶かし始める。


「くッそ――」


 士郎は、兵士たちの様子に戦慄した。このままでは、全員消化されてドロドロに溶けてしまう――!


「キノッ!! 向こう側の開閉弁、切り裂けるかッ!?」

「――やってみるのです!」


 今や入口側、出口側とも、その開閉弁はきつく閉じられている。それでも、この状況では元に戻っても意味はない。脱出するなら先へ進むべし――士郎の直感がそう告げていた。


 亜紀乃がパァ――ンと跳躍し、奥の開閉弁に斬りかかる。が――


 ぶわんッ――


 カミソリのように振り下ろした亜紀乃の斬撃は、何だか弾力のあるゴムにでも弾かれたように、いとも簡単に弾き返されてしまった。歯が立たない――!?


 その間にも、兵士たちは深刻な事態に陥りつつあった。取り敢えず座布団代わりに足許に敷いた自らの背嚢が、早くも白煙を上げて溶け始めたのだ。

 その様子を横目で見ながら、亜紀乃が必死で弁に斬りかかる。だが、状況は一向に好転しない。


 そのうち、一人の帝国兵が呻くように呟いた。


「――隊長……お先に……」


 見ると、その兵士は既に、身体の半分以上が焼け爛れていた。消化液をまともに頭からかぶったようで、既に瀕死の重傷だったのだ。

 胸のところに手榴弾を抱えている。


 あッ――


 と思った瞬間、その兵士は恐らく最期の力を振り絞って、身体をうつぶせにした。直後――


 バンッ――!!!


 兵士の上半身が吹き飛ぶ。痛みに耐えかね、自ら手榴弾で自決したのだ。それは、帝国兵の流儀なのだろう。彼が自決したのを皮切りに、立て続けに数名が、やはり同じように手榴弾を抱え込んで次々に自爆して果てた。そのお蔭で、比較的傍にいる別の兵士には、手榴弾の破片は一切飛び散らない。

 それは実に美しく、そして悲壮な自決だった。


 それを見た士郎とオメガたちは、あまりの痛ましさに顔を歪めると、さらに必死で弁の開放を試みる。

 亜紀乃が再び斬撃を繰り出した。

 ゆずりはが、弁の際のところに掌をあてがった。直後、ボワッ!! と壁が大きく膨らむ。壁の中で、彼女の人体破壊が炸裂したのだろうか。だが、表面的にはボコンボコンと大きく隆起しただけで、破裂するまでに至らない。

 やはり、オメガたちの異能を喰らったコイツには、彼女たちの力が拮抗して決定的な損傷を与えられないのか……


 その時だ。


 その胃袋のような空洞全体が、またもやグニョグニョと大きくぜん動する。次の瞬間、それまでどうやっても固く閉じられていた奥の方の開閉弁が、びよんと大きくその口を開けた。


 ――!!


 見ると、先ほど自決して果てた兵士たちの遺骸が、床面の蠕動運動によって徐々にそちらの方へ運ばれていく。

 まさか――自決した兵士たちを「消化した」と思い込み、弁が開いたのか!?


 それはあまりにも忍びない光景だった。だが――


「――今だッ! この機に脱出するぞ!!」


 帝国軍将校が大声で指示を出す。その声にハッと我に返った士郎は、急いでオメガたちと共に開いた弁の方へ跳躍した。帝国兵たちも次々に脱出する。

 そんな感じでようやく“胃袋”から脱し、ふと士郎が振り向くと、相変わらず弁が開閉を繰り返しながら、徐々にその直径を小さくしていた。もうすぐ完全に塞がれる――


 その時、何本かの腕がその弁の向こうから突き出されてきた。まだ兵士が残っていたのか――!?

 慌てて駆け寄ろうとすると、ズルっと上半身が突き出てきて、ゴロンゴロンと兵士が二名、こちら側に零れ落ちてきた。


「――だ、大丈夫か!?」


 士郎が声を掛けると、兵士はクワと顔を上げた。


「――隊長が! 隊長がまだ向こう側に――」


 するとさらに兵士がもう一名、向こう側から突き落とされるように転がり出てくる。この弁の反対側から、誰かが兵士たちを次々に送り出しているのは明白だった。みな結構酷い火傷を負っていて、自力でこの弁を乗り越えることが困難な兵士たちだった。

 まさかさっきの将校が――!?


 すると向こう側から声が響く。


「――石動いするぎ少佐! コイツが最後の一人です。あとは頼みます」


 次の瞬間、弁が完全に閉じてしまった。と同時に瀕死の兵士が一人、ボトッとこちら側に落ちてくる。

 なんてことだ――


 あの将校は自らを踏み台にして、傷つき自力で這い上がれない兵士たちを、脱出させたのだ――


 当然ながら、この弁が閉まれば再び、あの消化液のようなもので彼の身体は溶かされてしまうだろう。

 クッ――


 士郎は、ギリとその歯を食いしばった。


「――全員、このまま奥に進む。動けないものはこの場に残れ。医薬品を置いていくから、帝国兵は絶対に早まるな! 国防軍の薬はよく効くぞ!? では、動ける者は前進だ――」


 それを聞いたオメガたちは、立ち上がれない兵士たちに救急キットを可能な限り置いていく。簡単に説明しておいたから、使い方は分かるだろう。少なくとも痛みは完全になくなり、失血も食い止められるはずだ。


 結局この“胃袋”を無事に脱出できた兵の数は、三分の二ほどに過ぎなかった。最初からこれでは思いやられる。隊長を失った帝国兵たちは、士郎が直接従えるかたちとなった。


 それにしても――

 士郎は一歩一歩慎重に歩を進めながら、必死で考える。


 なぜこの中は、人間の胎内のようになっているのだ!? まさか李軍リージュンのあの半人半機械の下半身の中身が、こんな風になっていたというのか――


 仮にそれが事実だったとすると、士郎たちが進むべきは反対方向ではないのか……だってさっきのあのおぞましい通路が消化器官で、先ほどのあの消化液が迸った空洞がズバリ胃袋だとすると、自分たちはさらに腹の奥の方に進みつつあることになる。ここは十二指腸で、この先は小腸ということだ。つまりこの方向は、間違いなく下腹部行きだ。

 でも人間の身体を制御しているのは結局「脳」なのだから、この『死の星デス・スター』を乗っ取るには、脳のある頭部に向かわねばならない。でも――


 そもそもかざりがこの球体の一番底の部分をブチ破ってくれて中に突入したのだから、自分たちの感覚では尻の穴の方から突入して、上に遡上しているという感覚なのだ。


 どうする――!?

 このまま真っ直ぐ進んでいくか、引き返すか――!? それとも……


 でも、このままむざむざ引き返したら、先ほどの帝国軍将校以下、兵士たちの犠牲が無駄に――


「――ねぇ士郎くん……」


 唐突に声を掛けてきたのは未来みくだった。もちろん、すぐ後ろをついてくる他の帝国兵たちに聞こえないよう、内緒声だ。


「え? あ……あぁ……」


 生返事をすると、未来はさらに小さな声で囁いた。


「――ここ、人間のお腹の中とかんじゃないかな……」

「え……?」

「だって、そんなはずないじゃない。外から見たらこの球体、凄く大きいんだよ……さっきの場所だって、ブリーフィングルームより大きかったよ。そんな胃袋がこの世に存在すると思う!?」


 未来の言い分ももっともだった。オメガ特戦群基地の作戦会議室ブリーフィングルームの大きさは、最大で50人前後の兵士たちが着席して作戦モニターを共有できる大きさなのだ。

 それになにより、ここが本当に人体の内部なのだとしたら、心臓の鼓動音がずっと聞こえているはずだ。なんせ人間の心臓の音というのは、胸に耳を当てるだけで聞こえるのだ。ましてや身体の中なら、ずーっとあちこちに反響していなければおかしい。


「……だからね――」


 未来が、士郎の顔を覗き込んだ。彼を落ち着かせようとしてくれているのが、痛いほど分かった。まったく……何が「少佐」だ――

 こんな状況下で浮き足立っているようでは、佐官などとうてい務まるはずもない。


「――だからね、この状況はきっと李軍がだと思うの」

「……幻ってことか!?」

「うーん……それにしては結構リアルな感じだから、全部が全部幻ともいえないかもしれないけど……だからこれは、意図的に私たちを混乱させるよう、わざと大仰に見せてるんじゃないかな」


 わざと……大袈裟に見せている――!?

 確かに言われたらその通りだ。これはある種の集団幻覚――!?


 実際のところここは何らかの人工物で、ただし俺たちにはまるで何か恐ろしい怪物に呑み込まれたかのような錯覚に陥らせ、判断力を奪おうとしている……


 その時だった。

 帝国兵の一人が、何気なく士郎に声を掛ける。


「――少佐殿! 先ほどは大変失礼をいたしましたッ! は、我々が引き続き斥候いたしますッ」

「あ、あぁ……あ? ちょっと待て、今……階段と言ったか!?」


 士郎は、一瞬聞き逃しかけて、そして慌てて兵士を二度見する。

 それは、先ほど先行して開閉弁の中に突入してくれた、斥候兵二名のうちの一名だった。どうやら無事だったようだ。


「――は、はいッ! 階段であります! ここより前方約20メートルの位置に目視しておる、あのラッタルであります!」


 士郎はその兵士の指さす方向を見て、愕然とする。

 士郎に見えるのは、相変わらずおどろおどろしい人間の胎内のような光景なのだ。確かに兵士の言う通り、20メートル程前方には、なにか管のような穴が開いていて、そこからしきりに分泌液のようなモノが滴っているが、それはどう見ても階段やらラッタルの類には見えない。


 まさか――


 士郎はもう一度、その斥候兵を見つめ返した。年の頃恐らく二十歳前後の、はつらつとして真面目そうな青年伍長だ。とても少佐を担ぐようなタイプには見えない。


「――えと……すまない伍長、君の眼には、目の前に広がるこの光景はどのように見える?」

「は? はぁ……」


 伍長は、困惑顔で士郎を見つめ返す。だが、その直後、ハッと気づいたような顔で背筋を伸ばした。


「しッ――失礼しましたッ! ここは敵の航空要塞の内部と思われる場所で、現在我々はその要塞内に侵入中でありますッ! 現在位置は恐らく敵施設兵站部と思しき倉庫群にて、えと――」

「わ、分かった! ありがとう……すまない……」


 士郎は、ドッと疲れ切った様子で肩を落とした。傍にいた未来が、そっと口を開く。


「――ねぇ士郎くん……どういうこと?」

「あぁ、ここがヒトの腹の中だと思っているのは、どうやら俺たちだけらしい。帝国兵たちは、ここを何らかの人工物だと言っている。俺たちオメガチームと帝国兵たちは、同じ場所を見ているのに、別の光景を見ているんだ……」


 ということは……オメガたちに見えている光景は、帝国兵たちには見えていない、ということか――!?

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