第573話 ホプリーテス

 今や巨大な天体のように戦場上空に浮かぶ死の星デス・スターは、既に1万人以上の兵士を一瞬で蒸発させ、なおも空腹とばかりに地上を睥睨へいげいし、憐れな犠牲者を探していた。


 だが、ようやく兵士たちの大半がデス・スター直下に駆け込んでくる。

 こうなれば、あの指向性エネルギー兵器DEWはさして脅威にならない。天頂部から発砲されているから、そのすぐ足元は、角度的に比較的広範囲で死角になるのだ。


 だが一方で、今度はいつ何時、この密集したエリアに敵の攻撃が撃ち込まれるか分からないというリスクが生じていた。

 そう――これは、半ば「罠」なのだ。それでもとにかく今だけは、あのDEWから逃れなければならない。さもなくば、この先もまた無慈悲な殺戮を甘んじて受け続けるだけだからだ。

 だからあくまでこれは、緊急避難的に集結したもので――

 士郎の焦燥は、極限に達していた。


 オメガたちは、そんな士郎の傍にそっと寄り添う。未来みくが、士郎の肩に優しく手を置いた。


「――士郎くん、今こそ私たちオメガチームが、なんとかするしかないよ」

「まずはあの殻を破って、中に侵入してはどうか……なのです」


 珍しく亜紀乃が意見具申してくる。

 確かに彼女の言う通り、死中に活を求めるのは一理ある。このまま何もしないより、この際あのデス・スターに飛び込んで、内部から破壊を試みるというのは戦術的にアリだ。同時に、中に飛び込んでしまいさえすれば、あの殺人光線を浴びなくて済む。

 ただ……それはそれで相当危険な作戦であると士郎の直感が告げていた。


 いつも比較的涼しい顔の亜紀乃が、なぜ今回に限ってそんな危険リスキーな作戦を提案しているかといえば、理由はひとつしかない。彼女が、田渕たちに助けられたからだ。亜紀乃だけではない。同時に救出されて命拾いしたかざりも、思いは同じだろう。

 その文が、何かを決意したような表情で一歩前に進み出た。


「士郎少佐、私、あの殻を破ってみるよ」


 ――!!


 馬鹿な――!? 特戦群と帝国軍の、渾身の飽和攻撃をすべて跳ね返した、あの強固な殻を破る!?

 確かにあの硬質膜は、恐らく文自身の異能をコピーしたものだ。そういう意味では、もしアレを破れる者がいるとしたら、それは文その人しかいない。だが、同じ硬度を持つ者同士がぶつかり合ったら、お互い潰し合うだけなのでは……?

 ただ……確かにこのままではジリ貧だ。なんとか現状を打開しなければならないのもまた事実だった。


「かざり……無理をするなよ」

「わかった!」


 言うが早いか、文はバンッ――とその場で跳躍する。

 今やデス・スターの基底部は、地上から数十メートルの高さにある。あれを打ち破ろうとするならば、まずはその高度に達しなければならない。


 だが、さっそく<翼を持つ者フリューゲル>の本領が発揮された。文は跳躍すると、その数十メートルを難なくクリアし、そのまま拳をデス・スターの基底部に打ち付ける。


 ズガンッ――!!!


 鈍い音が辺りに響き渡った。直後、文が地上に着地する。彼女の全身は今や完全に硬質化し、黒光りしていた。だが――


 見上げるとデス・スターは、何の損傷も受けていないようだった。


「もう一回!」


 言うが早いか、文は再びバンッ――と跳躍する。直後、再び頭の上でズガンッ! という鈍い音が響き渡り――

 ドサッ――

 文が再び落ちてくる。バランスを崩したのか、今度は半ば倒れ込むような姿勢だ。


「――かざり、無理すんな! 同じ硬度のものをぶつけ合っても――」

「大丈夫だよ士郎少佐! 


 そう言うと、文は三度目の正直で再び跳躍した。次の瞬間――


 ズガゴンッ――!!


 先ほどと微妙に異なる打擲ちょうちゃく音が聞こえたかと思うと、見上げる士郎たちの視界が、僅かな変化を捉えた。デス・スターの基底部にほんの少しだけ……亀裂が入ったのだ!


 ドサリ――

 直後、文が落ちてくる。そう――それは着地ではない。落ちてきたのだ。士郎は慌てて駆け寄る。


「かざり!! 見ろ――ヒビが入ったぞ!?」

「まだまだ……」


 そう言うと、文は再びふらりと立ち上がって、そしてバンッ――と飛び上がった。その直後、士郎の頬に何かがペトリと飛び散る。士郎は何げなくそれを手で拭い……そして驚愕した。


 ――血痕!?

 士郎の頬には、間違いなく血痕が付着していた。これって――!?


 ズガゴンッ――!!!


 再び鈍い音が頭上から降ってきたかと思うと、ドサリと文も落ちてきた。もはや、その異変は明らかだった。彼女の右手の拳が、砕けていたのである――


「おいッ! かざりその手――怪我してるじゃないか!?」

「大丈夫……まだイケる……」


 その凄まじい気迫に士郎は――もちろん他のオメガたちも――思わず息を呑む。


 先ほど士郎が“同じ硬度のものをぶつけ合っても……”と言った時、彼女は「同じじゃない」と言った。それは、こういう意味だったのだ。


 私には、誰にも負けない強い気持ちがある、と――


 ズガゴンッ――

 ドサッ……

 ズガゴンッ――

 ドサッ……


 もう何度それを繰り返しただろうか――

 目の前にドサリと背中から落ちてきた文を、士郎はひしと抱き締めた。

 彼女の両手は、既に滅茶苦茶に砕けていたからだ。その拳は粉砕され、前腕部、上腕部ともに異様に腫れ上がっている。骨折しているのは明らかだった。当たり前だ。同じ硬度のモノ同士がぶつかれば、一方が砕ければもう一方も砕けるに決まっている。

 つまり、デス・スターの硬質膜に亀裂が入るということは、当然彼女の身体も粉砕されるということなのだ。


「――もういい、もう十分だかざり……このままじゃ、お前が壊れちまう」


 だが、文は首を縦に振らなかった。そして――それを先ほどからずっと見ていた他のオメガたちも、文に対して何も言わない。


「――お前たちも何とか言ってやってくれ……このままじゃ――」

「いいえ、これはです」


 くるみがキッと士郎を見つめた。久遠が言葉を継ぐ。


「あぁ、そうだぞ士郎。私たちオメガが膝を屈したら、終わりなんだ……」


 その言葉に、未来も、ゆずりはも、そして亜紀乃も無言で頷く。そうか――この子たちは……

 士郎は絶句する。


 文はそんな仲間たちをチラッと見ると、少しだけ微笑んだ。


「――あと少しで、きっと人が入れるくらいの亀裂ができるからね!?」


 直後、文は再び跳躍した。士郎は、感極まったままその美しい跳躍の軌道を追う。

 すると、彼女はまるで体操選手のように途中でくるりと身体を反転させた。それはまさに月面宙返りムーンサルトのような、優雅で流麗な動きだった。そのまま渾身の足蹴りを喰らわせる。次の瞬間――


 ズガバキッ――!!!


 今までにない破壊音が響き渡った。直後――


 ボロボロボロッ……


 地上に硬質膜の欠片が無数に落ちてくる。それは、彼女がついに自分のやるべき事を果たしたことを意味していた。

 デス・スターの底を、ついに蹴破ったのだ――!


 ドスっ――と地面に落下してきた文は、それっきり動かなくなる。士郎は慌てて駆け寄っていった。


「かざりッ――!!!」


 その脚は、奇妙に捻じ曲がっていた。恐らく何か所か骨折しているのだろうとすぐに分かった。だが、彼女はホッとした笑みを静かに浮かべるだけだ。


「ゴメンみんな……私、ここまでみたい……後は任せるよ……」


 ……――ッ!!


 あまりのことに士郎が声を出せずにいると、未来が寄り添ってきた。


「――さぁ行こう……士郎くん。かざりちゃんが開いてくれた、血路だよ――」


 その時だ。今度は久遠が進み出てきた。


「――待て……私が先に行って、見てこよう」

「え……でも――」

「見ろ……かざりちゃんが開けた大穴――水がこぼれてこないだろ? てことは――」

「そうか! あの球体の中……既に別の物質に変化している!?」


 とういうことは、酸素不足による窒息死の危険に見舞われていた田渕たちも、あわよくば……


「だと思う。だから私が見てくる。実際私は、こんな時くらいしか役に立たないし」

「そんなこと――」

「何かあったらすぐに知らせるから」


 そう言うと、久遠もやはり同じようにバンッ――と跳躍した。彼女もやすやすと基底部に到達すると、そのまま亀裂の端に手をかけ、ストンと中に忍び込んでいった。入るとき、ジジッ――と映像が乱れるように、彼女が不意に掻き消えたのは言うまでもない。

 斥候任務は『不可視化』能力を持つ久遠の、最も得意とする分野だ。内部侵攻への準備が、急ピッチで進む。


 その時だ――

 デス・スターが、グラリと揺れたような気がしたのだ。え――!?


「――今、これ動かなかったか!?」


 士郎の問いかけに、未来も顔を見合わせる。その直後――


 グルんッ――


「――間違いない! コイツ、動いてるぞッ!?」


 それは「動く」というよりむしろ「回転する」と言った方がより正確だ。恐らく角度的にはせいぜい10度くらいの俯角だろうか……確かにデス・スターは、その地軸を傾けたのだ。

 刹那――


 ヒィィィィィ――


 またもやあのDEWが不意に放たれる。直後、凄まじい光条が再び戦場を突き抜けた。


 ボボボボボボッ――


 大火球が大地を舐める。光条が通り抜けたところが、次々に爆発炎上しているのだ。

 もちろん、デス・スターの死角ギリギリにいた自由日本軍や帝国軍部隊は、無情にも蒸発してしまう。角度が変わり、被弾エリアが広がったからだ。

 それを見ていた辺縁の部隊から、動揺が伝わってきたのは言うまでもない。彼らはもう、そこより奥に進むことが出来ないからだ。デス・スターの直下は、既に先行して突貫をかけてきた特戦群兵士たちで満員状態なのだ。


 まぁ、そんな状態でも帝国兵や自由日本軍兵士たちが殆どパニックになっていないのは、さすがであった。とりわけ帝国兵たちは、上官が死ねと言えば死ぬくらいの、鉄の統制が行き届いている。仮に内心途轍もなく怯えていたとしても、彼らは決してそれを表に出さないのだ。


 士郎はそんな彼らに、申し訳ない思いでいっぱいになる。早く……早くこの化け物を退治しなければ――


 すると兵士たちに、少しだけ変化が現れた。デス・スターの直下に最も近い、それこそ士郎たちオメガチームの傍にいた特戦群のある部隊が、なぜだか外側に移動し始めたのだ。

 当然そこに空きスペースができるから、今まで外側にいた部隊が今度は入れ替わるように中心の方へ移動してくる。するとそれに呼応するように、傍にいた他の特戦群部隊もまた、外側に移動し始めたではないか――


 彼らの意図は明白だった。

 デス・スターが地軸を傾ければ、その分多くの兵がDEWの有効射界に露曝してしまう。だから先陣を切って士郎たちの元に駆け付け、結果的に最も安全な一角を占めていた特戦群兵士たちは、辺縁にいた自由日本軍部隊や帝国兵たちが被弾しないよう、その場所を譲ろうとしているのだ。結果――


 いつの間にか、特戦群部隊はすべて、デス・スターの死角から出てしまった。残っている特戦兵は、士郎たち直轄の、いわば従兵分隊だけだ。


 呆気にとられたのは帝国兵たちと、自由日本軍兵士たちだ。

 こういうのは、いちいち部隊長の命令で動くものではない。満員電車での人の動きと一緒だ。立錐の余地もないぎゅうぎゅう詰めの状態の空間では、隙間が出来れば自然そちらに人は流れる。

 困惑顔のまま、こうして帝国兵たちと自由日本軍兵士たちは、いつの間にか最も安全な、デス・スター直下の位置を占めてしまった。


 その時だ。

 再びDEWの斉射が戦場を蹂躙する。


 ジュッ――……


 またもや多数の兵が蒸発していく。あぁッ――……

 だが――


 精強無比を信条とする、オメガ特殊作戦群の精兵たちは、決してむざむざ殺されるために場所を移動したのではなかったのだ。


「――総員! 防爆姿勢にて方陣隊形ファランクスッ――!!」


 各級隊長の鋭い命令が走る。次の瞬間、特戦兵たちは自らが装着していた防弾装甲をパージしたのだ。直後――


 ガチャガチャガチャ――

  ガチャガチャガチャガチャ――


「どッセイッ!!」

  ――ガッ……ゴン!!!!


 一斉に轟くような掛け声が戦場全体に響く。すると、そこにはジュラルミンのように銀色に輝く、巨大な鱗盾が出現したのだ。彼らはパージした自らの装甲を組み替え、簡易的な盾を作ったのだ。これはもともとこの防弾装甲にある機能だ。両肩の装甲は、外して展開すれば元の面積の三倍くらいに広げることができる。


 それは、ローマの重装歩兵ホプリーテスが最も得意としたと言われる、部隊の上面と側面を完全に盾で覆った、弁当箱をひっくり返したような密集隊形だった。

 そのまま低い姿勢で地面にピタリと貼り付く。特徴的なのは、側面を限りなくなだらかにしているところだ。直後――


 ヒィィィィィィィ――!

   ヒィィィィィィィィ――!!


 そのファランクス陣形を組んだ特戦群兵士たちの頭上に、デス・スターのDEWが容赦なく照射される。新たな獲物を見つけ、赤い舌を剥き出しにして襲ってきたのだ。


 次の瞬間、またもやカッ――と兵士たちがハレーションのような強烈な白光に包まれる。だが――


「おぉお――……!?」


 どよめきが、戦場を駆け抜ける。帝国兵と自由日本軍兵士たちは、特戦兵たちの様子を固唾を呑んで見守った。


 やがて……ハレーションが徐々に収まっていく――

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