第558話 デッドライン

 ついに――

 本当の最終決戦が始まった。これは神さまから与えられた、本当ならあり得ない二度目のチャンスだ。この場合の「神さまから与えられた――」という表現は、修辞的な意味でも何でもなく、そのままの字句通りだ。

 だって今こうして李軍リージュンと再戦できているのは、ウズメさまと広美ちゃん――タタライススキヒメだ――のお陰だからだ。


 神さまが手助けしてくれるのは、いつだって死ぬほど努力した者だけだ。


 今回も、士郎たち国防軍は最後の最後まで必死で李軍に喰らいついた。オメガたちは満身創痍だったし、そこに至るまでに各部隊は甚大な被害を蒙ったが、それでも怯むことなく前進を続けてくれた。知略の限りを尽くし、空からも海からも、この未曽有の強敵に立ち向かった。

 最後には、詩雨シーユーやクリー姉妹など、縁のある者たちまでもが駆け付け、手を貸してくれた。


 ここまで必死に頑張ったからこそ、神々は最後にほんの少しだけ、我々に手を貸してくれたのだ。

 その奇蹟の一滴ひとしずくを、二度目の今回は絶対に、モノにしなければならない――


 士郎はグイと正面を見据える。

 その瞳は、あの覚醒以来うっすらと青く光ったままだ。そう――一度目と異なり、今回の士郎は“げき”として


「――久遠、あれからどれくらい経った?」


 傍に寄り添う久遠に、士郎が訊ねる。

 今やオメガチームはその態勢をすっかり立て直していた。副官の久遠も、いつもと同じようにぴたりと士郎に寄り添ってサポートしている。


「えと……私の時計でおよそ10分だ」


 思ったより時間がかかったな……この場を掌握するのに時間をかけ過ぎたか!?


 とはいえ、さきほど李軍が言ったことが本当なら、この暗黒球体の外の世界では、まだたった10秒しか経っていないことになる。

 この異次元空間の中と外では、時間の進み具合におよそ60倍の差があるからだ。


 今回はこの異常な物理現象を逆手に取って、絶対に窮地を切り抜けてみせる――


「――よし、じゃあ外ではまだ大和の至近弾が撃ち込まれてから、せいぜい10秒から20秒といったところだな……叶少佐、大和の砲撃間隔はどれくらいだと思われますか?」

「……ふむ……私は陸兵だし、砲術の専門家でもないから何とも言えんが……帝国海軍は優秀だ。下手したら1分以内に次弾装填完了となるかもしれん……」

「と、言うことは……厳しめに見積もって、外の世界ではあと40秒後には着弾するかもしれないと――」

「あぁ、つまり、もうとっくに大和は第二射を発砲していて、現在砲弾は東京湾上空を飛翔しているかもしれない……というくらい切迫した状況ということだ」

「だとしても……我々がいるこの異空間の中だけは、残りあと40分くらいはそれに備える時間があると……」

「うむ、そういうことになる」


 これが、時間の進み具合に違いがあるというメリットだ。大丈夫……時間はたっぷりある。焦らずに、この状況を打開するんだ――


 士郎は自分に言い聞かせると、あらためてオメガたちを見回した。


「大和砲弾の着弾までには、あと40分ある。先ほども言ったように、それまでに一仕事片付けたい」

「はい、まずは外の化け物退治ですね」


 くるみがキリっと顔を上げる。


「――そうだ。現在外では、田渕曹長たち特戦群兵士やミーシャが、必死で化け物たちを食い止めてくれている。だが、このままではジリ貧だ。いかな彼らといえど、全滅は時間の問題だろう」


 士郎は、一度目の惨劇の光景を思い返し、クッと歯を食いしばる。ゆずりはが口を挟む。


「えと、曹長たちはまだ生きている、という前提で事に当たるってことでいいんだよね?」

「あぁ。さっきのはあくまで至近弾だから、防爆スーツを着ている特戦群兵士にそれほどダメージはないはずだ。対爆訓練もキチンと受けているしな」


 士郎は、一度目の至近弾でオメガたちが軒並みやられたことを思い出す。もしも彼女たちが特戦群兵士並みの厳しい訓練を受けていたら、あそこまでやられることはなかったに違いない。


 いっぽうあの化け物どもも、至近弾くらいではビクともしていないだろう。李軍の遺伝子改造によって、途轍もない身体強度と再生能力を誇っているからだ。歴戦の田渕たちが苦戦しているのも、まさにそれが理由だ。


 だがそんな化け物どもも、一度目はオメガたちが片っ端から蹴散らした。つまり、あの異形どもの恐るべき能力も、完全ではないということだ。

 もしも奴らが詩雨のように完璧な再生能力を持っていたとしたら、たとえ親玉である李軍が弱っていた状況とはいえ、その身体をどんなに切り刻んだとしても、いくらでも再生したはずだ。


 すなわち、奴らを斃すことは、今回も決して不可能ではない――


「――化け物どもの特異能力は、DNAのメチル化解除が原因だ――」

「そうなのかいッ!?」


 士郎の何気ない言葉に驚愕したのは叶だ。だってそれは、天才叶が長年研究してきた、オメガの特異能力についての根幹に関わるものと同じだからだ。この時の叶はまだ、それを解明できていなかったのだ。

 士郎はきまり悪そうに叶を見つめ返す。


「え、えぇ……まぁ……」

「なんでそんなことを君が――」

「少佐、申し訳ありません……それについては、後でゆっくり説明いたします。えっとそれで――」


 この様子だと、士郎がタイムリープして二度目の戦闘を経験中であることを、どうやら叶も承知していないようだ。だが、今それを説明している暇はない。

 茫然とする天才科学者を尻目に、士郎は説明を続けた。


「――そのメチル化解除のトリガーは、恐らく李軍による奴らへの継続的なエピドラッグ投与だ――」

「なんだってッ!?」


 またもや叶は、泡を吹いて倒れそうになる。異能の仕組みどころか、その発生機序まで……


 士郎は内心申し訳なさでいっぱいだったが、とにかくオメガたちへの最終確認を進める。

 今からやろうとしているのは、とても重要なことだ。まぁ……一度目と殆ど同じ作戦なのだが――


「――そこで、この量子増幅装置エンハンサーに私たちの思念を送りこむ。それによって李軍の思念を上書きして、化け物どもへの働きかけを阻止するんだ」

「思念を……上書き……!?」

「あぁ……強い思念は量子を操るからな。李軍は恐らく、この装置によって自らの思念を増幅し、化け物どもにとってのエピドラッグとなる何らかの働きかけを行っている。それさえ断ち切れば、化け物どもの再生能力は恐らく不活化するに違いない」


 それは、ほんの少し前、ウズメさまがオメガたちに施した神威と同じ概念だ。メチル化解除のカギとなるエピドラッグさえ止めれば、おのずとそのDNAは不活化し、異能は消滅する。


 もちろん一度目も、同じようにこの装置へオメガたちの思念を叩き込んだ。ただしそれは、田渕たち外の部隊が全滅した後だ。

 今回は、彼らが全滅する前にこれに取り掛かる。それによって化け物どものチート能力を断ち、兵士たちを救うのだ――


 李軍の下半身に癒合したそのグロテスクな装置に、完全体オメガたちの強烈な思念が送り込まれたのは、それからまもなくだった。


「ウガァァァァァッ――!!!」


 李軍は、まるで罠にかかった獣のように激しくその身体を震わせ、凄まじい咆哮を上げる。


 この光景も、一度目の時に見たのとまったく同じだ。ただし違うのは、前回オメガたちは、その存在そのものが実体ではなく、思念体だったということだ。

 大和の艦砲射撃によって気絶したオメガたちは、球体の中に留まった士郎といつの間にか同期シンクロナイズしていて、思念体だけで奴と戦っていたのだ。

 そのせいで、形勢が不利になった瞬間、士郎は彼女たちとの同期を解除せざるを得ず、あと一歩というところで奴の頭脳の乗っ取りに失敗したのだ。


 今回は違う。そこにいる完全体オメガたちは、間違いなく実体だ。士郎は無意識に、傍にいた久遠の手を握り締めていた。


「……あ……し、士郎……////」

「あ――っとと……すすスマン……」

「……いや……いいんだ……」


 まったく――俺はこんな時に、何をやってるんだ!?

 士郎は赤面しながらその手を離す。

 久遠はといえば、その手をそっともう一方の手で包み込み、恥ずかしそうに俯きながら、微かに微笑んでみせた。彼女の長髪から覗く耳が、真っ赤に染まっていた。


 士郎は、気持ちを切り替えるように声を張り上げる。


「かざりッ――!」

「はい!?」

「外の様子が見えるか? お前の右眼なら、見えるんじゃないのか!?」

「あ……うん、もちろんだよ!」


 そう――かざりの右眼はなんでも見通す『ホルスの目』だ。


「――見えたッ! 曹長さんたち、形勢逆転したみたい! よかった!!」


 そうか――!

 よし……これで二番目の分岐も成功だ――


 外の化け物どもは、それから程なくして壊滅した。兵士たちは無事窮地を切り抜けたのだ――


「あの……この球体から、まだ出てはいけないのですか?」


 亜紀乃が訊いてくる。彼女は一度目の時、この漆黒の空間をカミソリのような太刀筋で切り裂いた張本人だ。


「あぁ……まだだ。むしろこれからが本番だ。この中にいる限り、外と中の時間差というアドバンテージを維持できるからな!」

「あ――そうか……なのです……」


 そう――忘れてはいけない。次こそが、いよいよ大和主砲弾との対決なのだ。砲弾とこの球体が接触したが最後、想像を絶する大爆発が起こる。それはまさしく、極小ブラックホールの出現と同等の破壊力だ。

 これを防ぐには、大和の砲弾を弾き飛ばすか、この空間自体を消失させるか、あるいは――


 士郎はほんの一瞬、三番目の選択肢のことを考え、そして慌ててそれを頭の中から振り払った。まだだ……それは本当に、最期の最期の手段だから――


「――久遠、時間は!?」

「あれからさらに20分経過だ」


 ということは……第二射着弾まで残り実時間は最大で30秒……下手したら残り20秒しかない。地上で待機している美玲メイリンたちに指示を下すには、デッドリミットだ。喋っているだけで簡単に10秒くらいは経ってしまう。

 士郎は、次元間通信機に飛びついた。


『――美玲! 聞こえるかッ!?』

『はいッ、お待ちしていました!! 既に大和主砲弾が直上に急速接近中ッ!!』


 やはりそうか――

 李軍との力比べで、残り20秒以内で確実にこの異空間を消滅させられる保証はない。やはり二番目の選択肢はナシだ。美玲に賭ける――!


『美玲ッ!』

『はいッ!!』

『今から火器管制データを送る! その通りに砲弾を狙撃するんだ!』

『はいッ!!!』


 今、チューチュー号は士郎の指示どおり東京駅から距離を取り、迎撃した砲弾が爆発しても被害が及ばない位置にまで後退させている。

 もちろんそうなると、米粒大にしか見えない大和の主砲弾を狙撃するなどほぼ不可能だ。一度目の時成功したのは、あくまで美玲たちが砲弾の直撃コース真正面に待ち構えていたからだ。

 音速を超える速度で突入してくる砲弾を、直線上ではなく斜めの位置から撃ち抜くなど、まず不可能だといっていい。


 士郎はそれを、こっちで照準データを送るから、その通りに狙撃せよと言って彼女たちを退避させたのだ。

 ではいったい誰が、その狙撃コースをこの短時間で計算するのだ――!?


 もちろん、それは彼女しかいない。


「――くるみッ! どうだ!?」

「もう少しです――」


 くるみは、いつの間にか


 それはもちろん、お互いに同期するためだ。かざりの眼を通して、接近してくる大和砲弾の弾道をくるみ自身が把握する。そこから、今度はくるみの計算力で射撃諸元を叩き出すのだ。

 完全体となったオメガたちは、今や途轍もない能力の底上げが行われている。もともと脳神経が異常に活性化しているくるみは、それによって今や量子コンピュータに勝るとも劣らない計算力を発揮しているはずだった。

 そのうえ球体の中にいる限り、いかな音速を超えた砲弾といえど、それはとてもゆっくり飛んでいるように見える。時間経過が異なるのだから当然だ。これなら――


「――はい、計算完了しましたッ! 諸元、送りますッ」


 くるみが計算に要したのは、球体の中で約1分間。外の世界では、僅か1秒間だ。叶も手伝って、データがバースト通信でただちに美玲たちに届けられる。


 美玲たちの時間感覚からすると、士郎が「今からデータを送る」と言って自分が「はい」と返事をした直後に、もう送られてきたという感じだ。


『射撃諸元、受領しましたッ!』

『よしッ! 頼んだッ!!』


  ***


 美玲は、信じられない思いで送られてきた射撃諸元を見つめる。


詠晴ヨンチンッ!」

「おうよッ!!」


 砲手ガンナーの詠晴が、串刺しにされた不自由な体勢から、電磁加速砲レールガンのターゲティングを微調整する。自分たちの位置は着弾予測座標から直線距離にして優に300メートルは後退しているだろうか。もちろん迎撃した砲弾の爆発半径に入らないよう、士郎が後退を命じたものだ。

 だがその分、当然ながら射撃そのものは計り知れないほど困難になる。なにせ弾道コースの未来みらい位置に向けて発砲するわけだから、要は命を懸けたビリヤードのようなものだ。


 索敵モニターを凝視していた美玲が大声で叫ぶ。


「――目標! あと5秒で射程内」

「アイアイ」

「耐衝撃アンカー固定ヨシ!」


 機関員の品妍ピンイェンが叫ぶ。


「――有効射程まで3秒前、2、1――」


 ビーッ――!!!

 攻撃目標の砲弾がレールガンの射程圏内に入ったことを知らせるアラームが車内に響き渡った――

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