第557話 コープスリバイバー

「ひゃあっ!?」


 小さな可愛らしい悲鳴が聞こえたと同時に、士郎は何かをギュッと抱き締めていた。


 未来みくの死なない未来みらいを選択するため、再びあの瞬間に戻ってきていた士郎たちオメガチーム。士郎はついに決断した。

 どうすれば在るべき未来に進めるのか――

 そのための、最初の行動がこれだ。


「――ちゅ、中尉ッ!?」

「おぅ、キノ! 悪いな――今から俺の言う通りにするんだ。いくら力がみなぎっていても、勝手にこの空間を切り裂いちゃ駄目だぞ!」

「あ……はい、わかりましたなのです……」


 士郎が抱きかかえていたのは、亜紀乃だった。それはまさしくお姫様抱っこという奴で、いつもクールで無表情な彼女も、さすがにポッとその頬を赤らめている。


 続いて士郎が飛び込んでいったのはゆずりはのところだ。亜紀乃を抱きかかえたまま、士郎はその右手をパァッと伸ばし、楪の頭を抱きかかえようとする。

 次の瞬間、勢い余って士郎は楪の顎をクイと引き寄せる格好になった。それはまるで、彼女に口づけをするような姿勢だ。


「――えっ!? 士郎きゅんッ!?」


 突然迫られるような感じになって、楪は一瞬困惑し、その直後満面の笑みを浮かべて逆に抱きついてくる。おかげでついさっきまで修羅のような形相をしていた楪は、すっかりその殺気を掻き消してしまっていた。


「――ゆずっ! いいか、落ち着けよ!? まだ攻撃するんじゃないぞッ――」

「うん……わかった♡」


 その場に亜紀乃を降ろすと、今度は久遠に突進していく。彼女はといえば、その長刀を構え、まさしく明鏡止水の境地で激情を爆発させる寸前の様相であったが、これも突然飛び込んできた士郎に抱きすくめられ、一気に戦意を喪失する。


「ひゃっ! し、士郎!? どどど……どうしたのだっ?」

「うん、ちょっとな! お前は俺の副官だから、今から離れずについてこい!」

「――わ……わかったっ」


 その勢いで今度はかざりのところに駆け付ける。


「かざりッ! 合図があるまで、飛び出しちゃ駄目だ――いいな!?」


 そう言いながら、士郎は文の頭を何度も撫でる。ここのところ、どこか壁を作っていたような気配だった文も、これには勝てるはずもない。


「――う、うん。合図待ってるね……」


 そしてくるみだ。くるみは、士郎と一緒に久遠が飛んできたことに、少なからず顔を引きつらせていた。相変わらず分かりやすいな……士郎はふっと微笑むと、飛び込んでいったその勢いで彼女を抱き寄せ、耳元でそっと囁く。


「くるみ――お前が頼りだ……今から絶対に俺のいいつけを守るんだ――」

「は……はぅっ……」


 その瞬間、くるみは顔を真っ赤にしてへなへなとその場にへたり込んだ。その様子を横目で見ていた久遠は「?」マークを頭の上にたくさん浮かべながら、士郎の後について通り過ぎる。


 最後は未来みくだ。

 士郎は、目の前にまだぴんぴんしている未来を発見し、感無量で彼女をじっと見つめた。


「え? 士郎くん!?」

「未来……まったく――心配かけやがって……」


 そんなこと言われても、この段階の未来にはまだ何のことかさっぱり分からないはずだ。だって彼女は、この先自分がどうなるか、まだこの時点では知るよしもないからだ。


 だが、士郎にとってはそんなこと、関係ない。いきなりひしっと彼女を抱き締めると、その後頭部をわしわしと掻きむしった。

 そんな士郎の様子に最初驚いた未来は、そのうち頬を淡く紅潮させ、そして少しだけ笑みを浮かべながら、そのままされるがままになる。


「――ねぇ士郎くん……わたし……このあと死んじゃったんだね……」


 未来が微かに呟く。だが、感極まっていた士郎には、その声は届いていなかった……あるいは、わざと聞こえないふりをしていたのか……

 いずれにしても、士郎は未来のそんな言葉に反応することはなく――


「未来……これからみんなで、をやるぞ――俺を助けてくれるか……!?」


 士郎の言葉に、未来はコクリと頷いた。



 士郎が必死になってオメガたちを取りまとめていたのには、理由がある。

 士郎は思い出したのだ――


 一度目の時、士郎がようやく意識を取り戻したのは、大和の艦砲射撃がこの一帯を襲った直後のことだ。その時点では既に、オメガたちは士郎から得た『オド』を漲らせ、いわゆる『完全体』として李軍リージュンの発する異能を完全に凌駕していた。その勢いで李軍との戦闘を再開し、最終的にこの異空間を突き破って外に出てしまったのである。


 彼女たちの大半が大和の至近弾で吹き飛ばされ、意識を喪失したのは、間違いなく球体の外に出ていたせいだ。その結果、李軍は再び勢いを盛り返す。

 そこから先は知っての通り、泥沼の対決が繰り返され、そして最終的に未来は……


 だから士郎は、とにかく最初はこの異空間から出ないことを選択したのだ。せっかく覚醒したオメガたちが気絶することで李軍が復活してしまうなら、彼女たちを気絶させないルートに入るしかない。


 もちろんそれだけでは駄目だ。士郎が目指すのは、オメガたちの安全を確保しつつ、確実に李軍にトドメを刺すこと――

 ここで下手な色気を出して、李軍を生きたまま捕縛しようとしたのがそもそもの間違いなのだ。


 もちろん奴自身は“条約に則った扱い”をその後求めてくることになるのだが、この時点で奴は徹底抗戦の構えを崩しておらず、したがって現場の野戦将校としては、これを完全に無力化することだけ考えればいいということになる。すなわち――


 奴が命乞いをしてくる前に、これを討つ――


 それにもうひとつ。そもそも現場の状況がここまで悪化したのは、大和の艦砲射撃をわざわざ発砲後に阻止しなければならなくなったせいだ。もちろんそれは、着弾に伴う付随的損害コラテラルダメージが想像を絶すると判明したからであり、これを何とかしなければならなかったこと自体はやむを得ない。

 だがそのせいで、美玲メイリンたちがその命を散らしてしまったのは事実である。ということは――


 この悲劇を回避するには、そもそも艦砲射撃に伴う損害を極小化するか、あるいは美玲たちの狙撃をもっと安全に行わせるか――

 このどちらかしかない……


 そして士郎は今回、これらすべてを絶対に成功させてやろうと固く決意していたのだ――


 そのために鍵を握るのは、この異空間の中と外で時間の進み具合がまったく異なっていることだ。


 士郎は一度目の時の光景を思い出していた。あの時、異空間の中からチラリと見えた外の様子――

 化け物たちを迎撃する田渕たち兵士の動きは、まるで超スローモーションのようだった。李軍本人の言によると、中と外ではおよそ60倍の時間差が発生しているのだという。それはつまり、元の世界の1分間は、この球体の中での1時間に相当するということだ。

 そのことを利用すればあるいは――


  ***


 その時叶は、目の前の光景を驚愕の眼で見つめていた。虹色の奔流を噴き上げ、一瞬その意識を完全に喪失したかに思われた士郎が、見事に自分自身を制御し、オメガたちを完全に掌握してみせたからだ。


 先ほどの士郎の覚醒を見て、叶は彼のことを「この星の守護者」だと思い知ったばかりだ。その彼が、ついにその本領を発揮しようとしている――


 それにしても、叶はこの光景がなんだか二度目のような気がしてならないのである。だって、どことなくこの先どうなるのか、叶の中に記憶のようなものが漂っているのだ。


「うーん……」


 必死になって頭の中を探ってみるが、取っ掛かりになるようなものは何も見つからない。

 これってデジャヴ? それにしては……なぜだか叶は、この直後、大和の艦砲射撃がここを襲うことを知っていたのだ――


「――中尉ッ! 気を付けてくれ! もうすぐここに、大和の艦砲射撃が着弾するッ! ……と思う」

「えぇ、ッ!」


 士郎の間髪入れぬ返答に、叶はますます疑問を浮かべる。その時だった――!


 ズガガガガァァァァ――ンッ!!!!!


 凄まじい爆発音が、辺り一面を覆った。


「――おっと……」


 だが、それだけだった。爆風は一切押し寄せてこないし、ましてや衝撃も一切ない。耳をつんざくその音だけは、少し腹に来たが、実害は一切受けなかった。


「――今のが大和の第一射ですね。至近弾のはずです」


 士郎が、やたら冷静に答える。


「――中尉……なんで……」


 狐につままれたような顔で呟く叶を尻目に、士郎は周囲を見回した。


「みんな、無事だな!?」

「はーい!」「うむ!」「問題ありません」「バッチリだよ」「大丈夫なのです」「士郎くんは平気?」


 オメガたちが次々に無事を知らせてくる。よし――これで最初の分岐は無事切り替わった。士郎はふと、みんなに問いかける。


「ところでみんな、さっきのことは何か覚えているのか?」

「ん?」


 みなが不思議そうな顔をするのを見て、士郎はふっと微笑み、それから息を吐いた。


「――いや……いいんだ。じゃあこれからが本番だ! みんな行くぞ!?」

「「「「「おぉーッ!!」」」」」


 唯一複雑な表情をしていたのは、未来みくだ。だが、ふぅと小さく息を吐くと、気持ちを切り替えるように士郎を見つめ返した。


「――ところで少佐、コレって使えますか!?」


 そう言って士郎が指し出してきたのは、何かのデバイスだった。


「え……? 中尉……どうしてこれを……」

「え、えっと――ぽ、ポケットの中に入ってて――」

「そうなんだ……?」


 それは、次元間通信機だった。もちろん『黄泉国』に突入する時、叶が士郎に持たせてくれたものだ。だが、今の叶はそれを、中尉に渡した記憶がないのだ。そのデバイスは、この異空間の外に置いてきた装備品パックの中に入っていたものだからだ。

 だが、もちろんこれがあれば、外の世界との通信は自由自在だ。


「――大丈夫、使えるよ。少なくとも地上部隊との交信くらいは可能だろう」

「そうですか――ならよかった」


 そう言うと、士郎はいきなり通信を始める。


『――こちら突入部隊、石動いするぎ中尉だ。ゆえあって平文で通信中。受信の移動局は返信を乞う――送れ!』


 束の間の沈黙――


『……こちら3機甲――チェン美玲メイリン少尉! 石動中尉ッ! ご無事でしたかッ!?』


 半分泣いているような、悲鳴のような無線が飛び込んできた。もちろん士郎だって、彼女の声に内心感極まる。良かった……の今、美玲はまだ生きている――!


『おぉッ! 美玲か――コノヤロー……今度ぜったい好きなモノ奢ってやるからなッ!』

『――は……はいッ! ……? ありがとうございます!! えと……(ギャーギャー……)』


 プツッ――

 無線の後半で何やら後ろで騒いでいる声が聞こえてきたのは、きっと彼女の仲間の戦車兵たちだ。あまりにも騒がしくて、一旦無線を切ったのだろう。すぐに通信が回復する。


『ブッ……し、失礼しました中尉! それで、今どちらですかッ!? 敵将はッ!?』

『それなんだが……今からチューチュー号は、ただちに反転退避してくれ!』

『え――?』

『聞こえなかったのか!? 反転退避だ――オマエ、今東京駅の艦砲着弾地点にいるだろ!?』


 一瞬だけ沈黙があった。


『……な……なぜそれを――』

『バーカ、先輩は何でもお見通しだ。どうせ無茶しようとしてたんだろうが……』


 士郎が彼女たちの現在位置を知っていたのは、もちろんの時のことを知っているからだ。美玲――お前の勇猛さと献身はよく知っている……だがな、死んで軍神になっても、俺は嬉しくないぞ……


『……で、ですがッ! このままでは中尉が――』

『俺にいい考えがある! それに……この任務は美玲、オマエじゃなきゃできないことなんだ! 指示に従ってくれるか?』


 二度目の沈黙があった。だが、おもむろに返事が返ってくる。


『――さ……サー! イエッサー!!』

『よし――それでは具体的な作戦要綱を伝える……』


  ***


「……中尉、これは完全に賭けだね……成功する確率は相当低いと言わざるを得ない……」


 士郎から作戦概要を聞いた叶が、重苦しい沈黙を破った。


「分かっています。ですが、これしか方法がありません。自分は皆を信じます」

「……もちろんだ……ここまで来れば、やるしかない。君の言っていることが事実ならね……だけど……」


 叶は、なぜ士郎が急にそんなことを言い出したのか、訝しんだ。

 大和の艦砲射撃がこの球体に直撃すると、山手線の内側がすべて消滅するほどの大爆発が起こるなどと……


 確かに、言われてみればその危険性はあった。この球体の中は、外の世界とは異なる異次元空間だからだ。

 本来別次元の世界というのは、自分たちの四次元世界に隣接はしているけれど、通常その中には絶対にインクルードされない。だから、そのあり得ない存在と自分たちの次元の存在――例えば砲弾など――が激しく衝突すれば、その瞬間等価交換の物理原則が崩壊し、激しい大爆発を引き起こす可能性は十分にあった。要するに、極小ブラックホールの発生というわけだ。

 だが、理論物理学のそんな専門的なことを、叶自身が気付く前に彼が指摘するだなんて……

 しかもそれは、この後急激な重力波変動が起きることで誘発されるのだという――


「――ですから、その現象の元凶である李軍リージュンを、今この場で完全に討ち取る必要があるんです。同時に大和の砲弾を、撃ち落とす――」


 士郎が力説する。叶が不思議なのは、士郎がそう言い切っていることだ。本当に李軍はそんなことができるのか――!?


 だが、またしてもここで叶は、士郎が力説する未来予測を知っているかのようなデジャヴに襲われるのだ。ふむ――


「――分かった。この場の指揮官は君だ。君の決断に敬意を払わせてもらうよ」

「ありがとうございます! じゃあみんな、申し合わせたとおりだ! いけるな!?」


 士郎は、周囲に集まっていたオメガたちをグルリと見回した。

 みなが大きく頷く――

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