第553話 決着

 バァァァン――!!!!


 目の前に叩き落とされてきたのは、李軍リージュンだった。

 士郎を騙し、未来みくを救うと見せかけてその能力を騙し取り、自分だけ高次元に逃れようとした卑劣な男――


 だが、その憎むべき男は、まるでハエ叩きではたかれたかのように、次元上昇の途中で墜落させられたのだ。

 士郎は慌てて辺りを見回す。そして次の瞬間、すべてを理解した。


 その頭上に広がっていたのは、巨大な六芒星ヘキサグラムの魔法陣だった。それがまるでドーム球場の屋根のように、空間全体を覆っていたのだ。

 

 そして、その魔法陣が構成する多角形のそれぞれの頂点に位置していたのは――


「――みんなッ!?」


 そう――そこにいたのは、5人のオメガたち。

 さっきのウズメさまの神威発動以来、士郎の頭の中からは、すっかり未来以外のオメガたちの安否が抜け落ちていたのだ。だって、士郎自身何がどうなっているのか、分からなかったのだから……

 でも……そうか――俺は、ひとりで戦っていたわけじゃないんだ!


「……これっていわゆる結界……なのかな……?」


 叶が呟く。


「結界――?」

「あぁ……だってこれ、まるで虫取り網のようじゃないか……」


 確かに、言われてみればその通りだった。ほんの少し前、5人のオメガたちと士郎によって形作られた六芒星。それがいつの間にか、空間全体を覆っていたのだ。

 李軍はそのちょうどその中心部から次元転移によって脱出を試みて、そしてその魔法陣の網に絡めとられ、あっさり突き戻されたのである。


「――士郎さん! これで良かったですかぁ!?」


 気が付くと、くるみが手を振りながら叫んでいた。

 ふと別の方角を見ると、そこにはビシィッと親指を立てた久遠が仁王立ちになっていた。

 その反対側にはゆずりはが、さらにその隣にはかざりが、その向こう側には亜紀乃が……それぞれ思い思いに決めポーズを士郎に送っているではないか――


「……みんな――!」


 士郎はあらためて、空間全体を見回した。六芒星の魔法陣は、よく見ると上空を覆っているだけでなく、地の底にも張り巡らされているようだった。士郎がいるのはまさのその中心部だ。


 つまり士郎と未来みく、そして李軍は、その結界のちょうどド真ん中に位置していたというわけだ。その中で何が起ころうが、誰もそこからは逃れられない。

 今のように、李軍が異次元に逃げ出そうとしてもだ――


 オメガたちは、その六芒星の六つの頂点のうち五つの角に超然と立っていた。あれ……じゃあ残る一角は――!?

 本来そこにいるべきだったのは士郎だ。その士郎が抜けた穴を埋めていたのは――!?


「――ひ……広美ちゃんっ!?」


 なんてことだ――!


 そこには、あの咲田広美が陶然と立っていたのである。


 宮内庁書陵部陵墓課に勤める官僚にして、日本国を霊的に統治するかんなぎ。そして――その真の姿は、サクヤコノハナヒメとオオクニヌシノミコトの実の娘、タタライススキヒメ――そう、リアル神さまである。

 その神さまが、いつの間にか士郎の抜けた穴を埋め、六芒星の魔法陣を人知れず維持してくれていたのだ――


「……お久しぶりです中尉」

「広美ちゃん……どうして――」


 士郎は、嬉しさのあまり自分の声が上ずっているのを自覚する。だって……だって――


「――だって、ここは私の出番じゃないですか!? まったく……しょうがありませんね……後先考えずにあの男と遣り合うなんて……せっかく皆さんに作ってもらった結界が、消え失せるところでした……」


 広美は、そう言ってちょっと迷惑そうに振る舞ってみせた。だが実際は、その頬を赤らめ、どう考えてもみんなに……いや、士郎に再会できたことを、とても喜んでいるようだった。

 そんな広美の気持ちを知ってか知らずか、士郎は広美に熱烈な視線を送る。


「――い……いやぁ……でもまさか、広美ちゃんが来てくれるなんて……」


 士郎は嬉しさを隠し切れない。そんな顔で士郎がいつまでも自分の方を見つめていることにドギマギしたのか、広美はますます頬を赤らめ、聞かれてもないことをぺらぺらと喋り出した。


「――あ、あの……これはウズメさまの御心なのです。ご自身が去られた後も、あの者たちの面倒を見よと……仰せつかりましたので……」

「――それにあの……私はもともと朝廷に連なる者ですし……だから皆さんに肩入れする立場でもありますし……」

「――皆さんには先だって、皇居を守護していただいた義理もありますし……」


 そんな広美に、士郎はあらためて向き直った。


「――広美ちゃん、本当にありがとう」

「ひゃいっ……い、いえ……その……どういたしまして……」


 実際のところ、広美の出現はまったくもって嬉しい誤算だった。先ほど本人もチラッと言っていたが、それは恐らく、ウズメさまのきめ細かい指示によるものだ。


 もともと彼女にせよウズメさまにせよ、地下街に突入するところまでは一緒だったのだ。それがいつの間にか姿を消していたことには、いったいどんな理由があったのかは分からない。そのせいで、途中不安に陥ったのも事実だった。

 それでも、ここ一番の勝負どころで顕現してくださったのはウズメさまだ。


 恐らくウズメさまは、我々国防軍の状況をつぶさに見て取り、その配下とも言える広美ちゃん――いや、タタラヒメを、こうやってまた差し向けてくださったのだろう。


 叶が声を掛けてきたのはその時だ。


「――ねぇ、広美ちゃん……ひとつ聞いてもいいかな……?」

「ふぇ?」


 もちろん、叶も実に嬉しそうだ。広美に再会できて喜んでいるのは、当然だが士郎だけではない。

 ちなみにオメガたちは、士郎や叶が広美ちゃんに気付くよりももっと前に、彼女が合流してくれたことに気付いていたのだろう。だって一緒に六芒星の魔法陣を維持してくれていたのだから。

 裏を返せば、だからこそオメガたちはあんなに士気旺盛だったのだ。士郎の中に、広美に対する感謝の念がますます広がってゆく。


 だが、次に叶が発した言葉は、再会の喜びを覆い尽くすに十分過ぎるくらい、破壊力を持っていた。


「えと……もしかしてウズメさまと広美ちゃんが途中でいなくなったのって、黄泉の国と関係があるのかい!?」


 ――!!


 『黄泉国』だって――!?


 士郎は、唐突に出てきたその単語に困惑する。

 それは、恐らく日本人なら大半の者が知っている言葉だ。日本神話におけるいわゆる“死者の国”――「ヨミノクニ」もしくは「ヨモツクニ」と読む。


 でも叶は、何で突然そんなことを――


「……叶少佐、なぜそう思われたのです?」


 広美ちゃんが、少し戸惑ったように訊き返してきた。その際、横目でチラリと李軍の様子を確認する。幸い奴は、地面に落ちたままピクリとも動かない。良かった……これなら、少しくらい話す余裕はありそうだ。


「なぜって……それはやっぱり、この地下街に入ってしばらくしたら、ウズメさまも広美ちゃんも姿が見えなくなっていたからだよ……こう見えても、お二人がいなくなってちょっと心細かったんだよ?」


 士郎は困惑する。もともと二人は兵士ではないのだから、途中でいなくなったところで咎めだてする話でもないだろうに……

 もちろん、ウズメさまも広美ちゃんも普通の女の子じゃないから、姿が見えないからといって心配する必要もない。

 だが広美は、叶の指摘にいたく感心した様子だった。


「……さすが少佐ですね……確かに私たち神の血統が地下に入るには、少々厄介な段取りが必要でした。特にここ東京駅地下街は、もともと陵墓でも聖所でもないところですから、清め祓いの地鎮を行わずしての長居は――」

「やはり……」


 叶は、我が意を得たりとばかりに頷いた。だが士郎には、相変わらず二人の遣り取りの意味がまるで分からない。


「す……すみません、それってどういう……?」

「中尉、地下というのはもともと、んだよ――」


 叶が諭すように口を開いた。


「え――?」

「少佐の仰る通りです。地下世界というのは、通常の世界とは異なります。端的に言えば、神々の神威が及びにくいのです。まぁ……俗っぽく言えばそれは、です」


 広美ちゃんが言葉を継いだ。


「中尉は、古事記の黄泉国の記述を……?」

「え……えぇ、一通りは……」


 それは、この日本の国土を創ったとされている、二柱の神、伊邪那岐イザナギ伊邪那美イザナミにまつわる話だ。この二神は実は夫婦なのだが、妻であるイザナミは、火の神である迦具カグツチを産んだため、その陰部に火傷を負って死んでしまう。

 そのイザナミが死んで向かった先がこの『黄泉国』なのだ。


 この話には続きがあって、死んだ妻をどうしても忘れられないイザナギは、その死因となった息子のカグツチを殺したうえで、禁忌を破ってこの黄泉国に入り込み、ようやく愛しいイザナミを見つけるのだ。ところが死者となったイザナミの姿はすっかり腐敗して恐ろしい姿に変わり果てていて、イザナギはそれに恐れをなしてしまい、逃げ帰ろうとする。

 いっぽうイザナミは、自分の姿に恐怖して逃げ帰ろうとする元夫に「恥をかかされた」と逆上し、修羅の如く追いかけるのだ。最後にはイザナギは、黄泉国と現世うつしよを繋ぐ黄泉比良坂よもつひらさかという路に大きな岩を衝立として置き、ようやくイザナミの追跡を食い止めて、命からがら逃れたというお話。


 その時イザナミとイザナギは、その大岩のあちらとこちらにいてお互いに言葉を交わしたという。曰く――


<――愛しい夫よ、こんな酷いことをするならば、私はこれから、一日千人の人を殺すでしょう>

<――愛しい妻よ、ならば私は産屋を建て、これから一日千五百人の人を産ませましょう>


 そうして二人は、日本で初めて離婚しましたとさ――

 という、なかなかに救いのない話である。


 ちなみにそれ以来、この『黄泉国』は伊邪那イザナミノミコトが支配する、死者の国なのだ。


 広美ちゃんが口を開いた。


「――ということで……地下世界というのはイザナミさまが支配される世界なのです。ま、この話を現代風に科学的に説明すれば、ここには『次元の狭間』に通じる通路が開いてしまっているというわけでして……ご存知の通り私たち神と呼ばれる存在は、次元間移動を行いますから、下手に足を踏み入れると時々遭難してしまうのです」


 な……!?


 士郎は、あまりのことに言葉を失う。


「――あ、ちなみに『黄泉国』と『現世』を繋ぐ『黄泉比良坂』ですが……これを読んで字のごとく“坂道”だとは受け止められませんよう、お願いいたします」


 それを聞いた叶が割り込んでくる。


「――それってもしかして……“境界”という意味なのかい?」

「えぇ、さすが叶少佐ですね……仰る通り、『坂』というのは『さかい』――つまり『境目』『境界』のことです。すなわち『黄泉比良坂』というのは、次元境界のことを指します」

「てことは……地下には次元の裂け目があると――!?」

「えぇ……往々にしてそういう場所が多いのです。そして、そこに落ちた者は『死者』と呼ばれます。次元の境目を、永遠に彷徨うからです。そして未来さんの最も深刻な問題は、彼女がその『死者の国』に既に取り込まれているかもしれないということなのです――」


 ――ッ!!


 そうか……叶はこれを聞きたかったのか――

 李軍に強制同期させられて以来、その意識を回復しない未来。途中、なんとなく士郎と繋がったように見えた瞬間もあったが、その幻のような時でさえ、未来はしきりに「生と死」に関わるような発言を繰り返していた。

 さらに、李軍が一瞬だけ口走った「生前の未来の姿を思い浮かべろ」とかなんとかいうセリフ……


 先ほどからずっと、どことなく不安な思いを抱いていた原因というのはこれか――!


 その時だ――


「――中尉、李軍が……!」


 オメガの誰かが鋭い警告を発する。その言葉にハッと中心の方を振り向くと、それまで倒れ伏していた李軍が、ユラリとその身体を起こすところだった。


「李軍――!」


 士郎の中に、またもや烈火の如く怒りが渦巻く。そうだ――俺はコイツを……

 だが、先手を打ってきたのは李軍の方だった。


 カッ――――!!!!


 李軍の全身から、凄まじい閃光が迸る。それは見る間に大光球となって猛烈な勢いで膨らみ、そしてすぐ傍に倒れていた未来を覆い尽くした。


「――いかんッ!!」


 叶が叫ぶ。


「――マズいですッ! この男は未来さんを道連れにッ――」


 広美ちゃんが叫ぶのと、大光球が真っ赤に染まるのはほぼ同時だった。その鮮血のような閃光は、見る間に六芒星の魔法陣を浸潤し、そしてその六つの方角に位置していたオメガたちと広美ちゃんのいる位置まで、瞬きする間もなく到達してしまう。


「きゃあァァァァッ――!!!!」


 オメガたちの悲鳴が折り重なる。


「うおァァァァッ――!!!!」


 刹那――士郎は本能的に大光球の中心に斬りかかっていた。次の瞬間、真っ赤に染まっていた空間の一点から、真っ白な閃光が迸る。それは凄まじいハレーションを起こし、その場にいた全員の視界を完全に奪い去った。

 だが――


 ズブリ――


 士郎は、その剣の切先に確かな手応えを感じる。その瞬間、士郎は確信した。そのまま一気に長刀を押し込んでいって、そして今度は内向きにその刀身をねじるように引き抜いた。一瞬の沈黙――


 ブシャアァッ――!!!!


 直後、空間全体に広がっていた大光球が、一気に収束する。真っ白なハレーションも、それに伴ってあっという間に消え失せた。

 徐々に戻ってくるその視界の中心にいたのは――

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