第29章 剣呑
第554話 アクシデント
突如として迸った大閃光。それは見る間に辺りを真っ赤に染めたかと思うと、その場に倒れていた
それどころか、六芒星の魔法陣を構築していたオメガたちにまで、その真紅の閃光は一瞬にして到達したのだ。
オメガたちの悲鳴が響き渡る中、士郎は咄嗟に光球の中心に向け、長刀で斬りかかる。
その切先に確かな手応えを感じた士郎は、そのままトドメを刺すように一気に刃を突き立て、そして引き抜いた。
それは、あの宿敵
ブシャアァッ――!!!!
夥しい鮮血が、噴き零れる。
多くの人々を苦しめ、何人もの人生を狂わせた男。オメガたちだって、何度煮え湯を飲まされたか分からない。そのうえ狡猾にして卑劣。100万の軍勢を率いて我が国を侵略するだけでは飽き足らず、禁忌の実験を繰り返して不当に得た知識を悪用し、ついには人外の異形にまでその身をやつした愚か者。
ソイツをようやく、士郎は屠ったのだ。
もっと早く、こうすべきだった。そうすれば、もっとたくさんの命が救えたのに……
だが、今はひとまず、この悪魔が滅びたことを素直に喜ぼう。
視界が徐々に開けていく。それは、まるでこの戦争が終わって人々の未来が開けていくような、そんな光景だった。
それと同時に、中心部分にうずくまるように倒れる李軍がハッキリ見えてくる。
大きな壺のような装置の上に、ダラリと力なくその上半身を預けている李軍の頭部からは、夥しい流血が認められた。恐らく先ほどの渾身の刺突は、李軍の顔面――ちょうど口の辺り――から頭蓋を貫き、そのまま後頭部へ突き抜けたのだろう。
あの時士郎はズブリと突き刺した後、今度はねじるようにその刃を引き抜いたのだ。敵に最大限のダメージを与えるための、実戦剣術の基本動作だ。
その成果なのか、李軍の顔面はまるでザクロのようにパックリとその傷口を開けていた。もっとも、終盤では既に人外と化していた奴の頭部は、最初から縦に大きく裂けるようにその口が変形していた。それもあったせいかもしれないが、その損傷具合はなかなかに見た目厳しいものがある。
だが同時に、ここまでの致命傷を受けてなお、奴が生きているとは到底思えなかった。それもこれも、奴が手にしていた
ついに――
ついに士郎は、敵将李軍をその手で討ち取ったのだ――!
だが――
「……う……ウソ……だろ……?」
眼前に広がるその光景を、士郎はまるで幻でも見ているかのように茫然と見つめた。
李軍の背後に隠れるようにして、仰向けに倒れている人の姿にようやく気付いた士郎。それはまぎれもなく、未来だった。しかも――
その胸からは、真っ赤な鮮血がドクドクと溢れ出していたのだ。それはどう見ても、つい今しがた出来たと思われる、刀の刺し傷だった。
まさか――
士郎の瞳孔が、急速に散大していく。その全身は小刻みに震え、顔面からは一気に血の気が失せていった。
これはつまり――
李軍を刺し貫いた士郎の長刀が、そのままあろうことか未来までも貫いたのだ。
彼女が斃れていた位置が、ちょうど李軍の真後ろだったことが、それを物語っている。
「……み……未来……なんで……」
かすれた声をようやく絞り出すと、士郎はその場に力なく膝をついた。
異変を感じたオメガたちが、慌てて駆け寄ってくる。
そして一様に、最初そこに李軍が斃れているのを見て喜びを爆発させ、その直後、同じように倒れていた未来を見つけ、悄然と立ちすくむのだ。
だが、その光景を目の当たりにしたオメガたちは、誰一人として「なぜ」とか「どうして」という疑問を口走らなかった。それが士郎の手によるものであることを、瞬時にして察したからである。
士郎が、わざとそんなことをやるわけがない。そんなことは、その場にいた全員が分かり過ぎるほど分かっていたことだ。
つまりこれは……
だが、そんなオメガたちの気遣いが、士郎にとっては却って裏目となってしまう。それが証拠に、士郎は見る間に憔悴し、そして抜け殻になりかけていた。
その時、他のどんな励ましや慰めよりも効いたのは、この一言だ。
「中尉ッ! 何をボーッとしてるんです!? 未来さん、まだ死んだとは限りませんよっ!?」
え――!?
その鋭い怒声に、士郎は弾かれたようにその身を起こし、慌てて声の主を探す。
「――ひ……広美ちゃん……?」
そう――そこに仁王立ちになっていたのは咲田広美だ。いつも中学生くらいにしか見えないほど幼い外形の彼女が、その時だけは途轍もなく凛々しく、そして頼りがいのある大人に見えた。
「……なんで――」
「――なんでじゃありません! 先ほどの私の話を聞いていなかったのですかッ!? 勝手に諦めて、勝手に落ち込まないでくださいッ!」
だが、意味が分からなかった。だって未来は、その胸部に刀傷を受け、夥しく出血しているのだ。それは一見して、彼女の心臓を刺し貫いている。つまり致命傷なのだ。
気が付くと、倒れている未来の傍に叶が膝をついていた。そして、その首筋に手を当てる。振り向くと、士郎をじっと見上げ、そして首をそっと左右に振った。
やっぱり――
「……う……うおォォォ――」
「だからッ! 私が言っているのはそんなことではありませんっ!」
思わず慟哭しかけた士郎をピシャリと遮って、広美が語気を荒げた。
気が付くと、オメガたちが全員、広美を取り囲んでいる。
「広美ちゃん、どういうこと!?」
「私たちにも分かるように説明して――」
「だってもう……未来ちゃんの心臓止まってるよ?」
ほぼ全員、恐らく泣きじゃくっていたのだろうが、今となってはそれも思い出せないくらい、その時は混乱していたのだ。
「――いいですか皆さん……!」
広美が説教モードに入る。
***
「――では最後に、もう一度念押しします」
広美が一同を見回した。
ふんふんっとオメガたちが激しく頷く。士郎も、再度気合いを入れ直して広美を見つめ返した。
「私たちが今から足を踏み入れるのは、
「あぁ、もう十分理解した。だから帰ってこられなくなる可能性の方が高いと――」
士郎が少し焦り気味に応じる。こうなったら、一刻も早く行動したいというわけだ。
「――というわけで、本当に構いませんね!? 皆さん全員が、死者になってしまうかもしれないのですよ?」
「大丈夫! 私たちは、絶対に未来ちゃんを連れ帰る!」
「うん、だから帰れなくなった時の話は正直どうでもいいよ」
「ねぇ、時間がないんですよね!? だったら早く行きましょう」
「そうだね! 早く見つけてあげないと――」
「出発準備完了なのです」
それは、あのイザナギ・イザナミの逸話にある『黄泉国』――つまり『次元の狭間』へ突入する直前の、オメガチームの様子だ。
なぜそんなことになっているかと言うと、広美曰く、士郎が誤って刺し殺してしまった未来は、実はまだ死んでいない可能性があったからだ。
(――だって、彼女の肉体はもう死亡確認しているんだ。なのにどうして……)
(――李軍が最後にヤケクソで転移しようとしたのが『黄泉国』だったからです。タイミングによっては、未来さんの意識体そのものは、既にあちらへ転移していたかもしれません)
(じゃあ目の前のこの遺体は……)
(単なる抜け殻という可能性があります――)
またここでも、“何をもって人間と見做すか――”という命題が浮上してきたわけだ。
でも今回それは、それほど難しい話にはならなかった。
だって結局のところ、人が相手を“その人”と見做すかどうかというのは、相手にその人の自我があるかどうかということに尽きるからだ。
もしあなたがある時突然ネコになってしまったとしよう。あなたという自我を持ったネコは、果たして何者だろうか!?
もちろんそれは、まごうことなくあなただ。そしてもし周囲の人間が、そのネコの自我があなた自身だとキチンと認識すれば、きっとそのネコをあなたとして扱ってくれるだろう。
要するに、肉体とは単なる魂の容れ物なのだ。それが分かっていた古代人たちは、世界各地でミイラを造り、再びこの世に舞い戻ってきた故人が、自分自身の魂の容れ物をすぐに見つけられるようにしたのである。
そう――士郎たちは今、『黄泉国』に旅立ってしまったかもしれない未来を、迎えに行こうとしているのだ。
それは、亡くなったイザナミをどうしても忘れることが出来ず、禁忌を犯して死者の国に迎えに行こうとしたイザナギの逸話そのものだ。
神話では、死して腐敗し、恐ろしい姿に変わり果てたイザナミを見たイザナギは、恐れをなして逃げ帰ろうとする。そんな元夫に逆上したイザナミは彼を追いかけるのだが、結局は黄泉比良坂で大岩に阻まれ、そして二度と逢うことは叶わなかった――
「――くれぐれも、神話の二の舞にはならないように……中尉、頼んだよ」
叶が士郎の手をギュッと握り締めた。その手のひらに、何かを乗せる。
「これは……」
「量子テレポーテーションを使った次元間通信機だよ。『
そう言えば……それは確か、急ごしらえの叶の発明品だ。士郎は力強く頷くと、
「――さぁ、みんな行くぞ! 絶対に、
***
結局士郎たちにとって、
あれほど奴のことを恨み、憎しみ、絶対に許さないと誓っていたのに、いざそれが実現してしまえば、それは数ある戦場での出来事の、ほんのひとコマに過ぎなかったのだ。
もちろん、感慨深いと言えば感慨深い。奴をこの手で討ち取れたのは本望だったし、それなりに溜飲も下がった。
だが、士郎たちはここにきてハッキリと分かったのだ。自分たちにとって、李軍の生死などよりもよほど大事なのは、仲間の生死なのだと――
もちろんそれに気付かせてくれたのは、ある意味李軍だったのかもしれない。奴の生きざまを見て、士郎たちは生命の尊厳、進化の必然、人間存在の意味、そして仲間の大切さを思い知ったのだ。もちろん反面教師として――
それに、結局のところ憎しみを募らせて相手を滅ぼすという行為からは、虚しさ以外の何物も生み出さないということを、士郎は知ってしまった。
だって奴を斃したところで、失ったものは結局取り戻せないのだから――
ここ最近の士郎を突き動かしていたのは、間違いなく李軍への怒りだった。奴を斃して、必ず償わせる――
もちろんそれは、李軍が次から次へと士郎たち日本人の平穏な生活を脅かしてきたからだ。それでも、未来が『
だが、おかしくなってきたのはそれ以降だ。
突如として日本が侵略され、全土に戦禍が広がった。侵略してきた異世界中国軍を退けるため、並行世界にまで乗り込んで戦いを挑んだ。
その結果、明らかになったこととは何だ!?
そう――それは、人類という存在の真実、この世界の本当の姿――
そして、オメガという存在が生まれたことの意味だ。
本当なら、そこで士郎たちは、踏みとどまらなければいけなかったのだ。人類同士で戦うことの無意味さ、愚かさに気付いたのだから――
だが結局、士郎たちは「飛んでくる火の粉を払う」ことに終始してしまった。その結果、戦いは泥沼化し、どちらかがどちらかを滅ぼすしか、この争いに決着をつける方法はなくなっていたのだ。
これでは、あの時と一緒だ。そう――
今からおよそ4万年前、
同じ「人類種」として、似た者同士だったはずの両者が、相手との共存がどうしてもできなくて相争ったのは、結局のところ価値観の違いだったのではないだろうかと士郎は考えている。
両者とも、きっと本当は平和に暮らしたかったのだ。だが、一方はそのために、恐らく
それぞれのやり方は、ほんのちょっとだけニュアンスが異なっていたが、どちらも自分たちのコミュニティに平和と繁栄をもたらしたかったに違いないのだ。
つまり、目指すゴールは一緒で、そこには当然ながら、両者ともに大義があった。
今回の士郎たち日本軍と李軍率いる中国軍の争いも、結局はこのネアンデルターレンシスと
どちらも国家の繁栄とそこに暮らす人々の最大幸福を願っていた。
ただ、それを実現させるための方法論が異なっていただけだ。本来なら、その方法論の違いを、お互いに認め合い、両者がそれぞれ納得できるところまで擦り合わせなければいけなかったのに――
結局士郎のやり方は、ネアンデルターレンシスの存在を絶対に認めず、これを絶滅にまで追い込んでしまった
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