第535話 アポトーシス

 唐突に士郎から同期シンクロナイズをパージされ、外の世界に弾き飛ばされたオメガたち。

 未来みくはポロポロ涙をこぼしながら、士郎がいる黒色の球体を振り仰いだ。


「士郎くん、私の代わりに……自殺遺伝子を引き受けちゃった……」


 それを聞いた叶が眉をひそめる。


「自殺……遺伝子……?」

「そうよッ! わたし……李軍リージュンとの対決で、自分の能力を叩きつけた……その時もちろん李軍も対抗してきたわ……それで……それで……」

「落ち着くんだ未来ちゃん。お互いが能力をぶつけ合って……それからどうなったんだい!? 自殺遺伝子ってまさか――」


 叶は、険しい表情で未来を問い質す。もちろん叶には、未来が咄嗟に口走った『自殺遺伝子』という単語の意味がなんとなく分かっている。

 未来はひぐひぐしながらなんとか喋ろうとする。彼女がこんなに取り乱すなんて、そうそうあることじゃない。その様子を傍で見ていたかざりも、心配そうに未来の肩を抱き寄せた。


「――ひぐ……同じ種類の異能のぶつかり合いは……力の強い方が相手を乗っ取るか、力が拮抗していたらお互いの力を打ち消し合う……私はそれを本能的に理解してた……だから――」

「だから……未来ちゃんは李軍をやっつけようと、全開で能力をぶつけたんだね……」

「……そう……だけど……ひぐっ……」

「思いのほか、李軍の力が強かった……つまり――お互いの力を相殺したんだね……」


 その時、ヂャン秀英シゥインが話に割り込んできた。


「――叶先生、もう時間がない。話は避難しながらでもできる」


 目の前の中空に浮かぶ黒色の球体からは、相変わらず異常な重力場が漏れ出てきていた。その場にいる全員が、心なしか身体を重く感じるのはきっとそのせいだ。


「あぁ――そうでした。皆さん、オメガたちを頼みます」

「待って――」

「未来ちゃん、ダメだ。これは石動いするぎ中尉との約束なんだよ。彼は、もう限界だと思ったら君たちとの同期を断つと言っていた……これは――ここから先は自分に任せてくれ、オメガたちを頼む――という意味なんだ。だから私には、君たちを撤退させる義務がある」

「――でもッ……今の士郎くんは……!」


 未来は、思い詰めたような目で叶をじっと見つめ返した。


「――分かってる。力が相殺した結果、逆進効果リバース・ドライブでお互いの自殺遺伝子が活性化したんだろう?」

「そう! そうなんです。だから――」


「中尉の置かれた状況は分かった。でも、君たちはまず避難するんだ」


 叶は、心を鬼にしてピシャリと言い放った。

 そんな叶を、信じられないという目で茫然と見上げる未来。だが、叶は敢えてそれをスルーして、辺りをぐるりと見まわした。

 既に狼旅団の兵士たちは、残る4人のオメガたちの搬送準備を完了している。叶は秀英と目を合わせると、黙って頷いた。


「――じゃあ先生、我々は先に脱出します。先生も早めに」


 叶からバトンを受け取った秀英は、すくっと立ちあがると、その地下空間全体を見回した。

 それはもちろん、他に連れていくべき者はいないかどうか、見落としはないかどうかの最終確認だ。その鬱蒼とした、深い森のような地下空間には、あちこちに激しい戦闘痕が残っている――


 すると、それら戦闘痕に混じって、秀英の視線の先に幾人もの兵士が斃れていた。それは、オメガチームに同行していたはずの、特戦群兵士たちの変わり果てた姿だった。

 あれほどの精兵が、見るも無残な遺骸を晒している。ここでどれほどの激戦が繰り広げられたのかと思うと、秀英の胸がギュッ――と痛んだ。あの優秀な曹長も、この中に埋もれているのだろうか……

 秀英はあらためてゴクリと唾を飲み込むと、最期まで勇敢に責任を果たした兵士たちに、短く敬礼を送った。


「――さぁ、行くぞ! 時間がない。歩くな、小走りだ!」


 その声に、未来の両脇にいた兵士たちも、彼女を申し訳なさそうに無理やり引きずり始めた。

 身体が……鉛のようだ……と秀英は思った。重力場の影響が、徐々に隠しきれなくなっている――


  ***


 士郎は、すんでのところでオメガたちとの同期を解除パージできたことに、心から安堵していた。


 あの瞬間、未来と共有していた感覚の中に、突如として混じり込んできた違和感。それが具体的に何を意味するのかはさっぱりわからなかったが、ただ「ヤバい」ということだけは本能が察知した。

 だから咄嗟に、士郎はオメガたちとの意識共有を、まとめて切り離したのだ。

 多分、これ以上彼女たちを引き留めておくと、取り返しがつかなくなると直感したからだ。


 今頃オメガたちは、この球体の外の、自分たちのにちゃんと戻っているはずだ。もともと士郎は決めていたのだ。何かあったら、オメガたちをこの異空間からすぐに追い出そうと――


 正直、同期した状態でここまで李軍にダメージを与えられたのなら、もう十分だった。あとは俺が……俺の責任で、李軍を封じ込めてやる――


「――かッ……神代未来は……どうしたッ!?」


 目の前に立ちはだかる李軍が、鬼の形相で士郎を睨みつけてくる。彼の姿は相変わらずおぞましかった。胸から下は、まるで壷のような形をした機械と一体化していて、もはや人間の形状ですらない。

 士郎は負けじと睨み返した。


「彼女は……オメガたちはとっくにここから退避したさ。今から貴様の相手をするのは、この俺だ!」

「ひッ……卑怯者どもめ……! お前はいつもしゃしゃり出てくるが……いったい、オメガたちの何なのだッ!?」


 確かに李軍にしてみれば、いざ決着をつけようとしていた相手が唐突に目の前からいなくなったら、肩透かしもいいところに違いない。残った士郎のことなど、どこぞの馬の骨くらいにしか見えないだろう。

 だが、士郎にも意地がある。


「……俺は……俺は彼女たちの守護者であり、代理人だ。だから貴様の相手は、俺で十分だ」


 思わず大きく出てしまった。

 守護者なんてとんでもない。実際は自分の方が、いつも彼女たちに守られてばっかりだった――

 だが、李軍にはその説明が妙に腑に落ちたらしい。


「――なるほど……あなたは何度か戦場で見たことがあります。確かにオメガたちの部隊の隊長のようだ。ならば相手にとって不足なし――改めて、勝負です!」


 言うが早いか、李軍は再び圧倒的な思念を放ち始めた。もしかして、オメガの隊長ということで、彼女たちを上回る異能を俺が持っているとでも勘違いしたのか――!?


 途端、空間がギュウゥっ――と歪み、士郎の頭はぼぅっとしてくる。亜紀乃によって破壊されたはずの奴の増幅装置は、なぜだかまだ、辛うじて動いている。


 士郎は咄嗟に身構えた。

 先ほど慌ててオメガたちをここから追い出したから、今の士郎には正直、李軍に対抗する術がない。もちろん気合いだけは十分なのだが、李軍が何を誤解していようが、もともと士郎はオメガたちのような異能を持ち合わせていないのだ。だから、李軍に対抗して何かしらのエネルギーを放出したくても、今は叩きつけるものが何もない。

 ど……どうする――!?


 だが、士郎が進退窮まる前に、肝心の李軍の様子が、見る間におかしくなっていくではないか――!

 こ……これはいったい……!?


 いや――もちろん先ほどからずっと、李軍の様子はおかしかったのだ。それは、オメガたちから次々とエピジェネティック攻撃を浴びせかけられていたせいだ。

 その結果、今の李軍はどこからどう突っ込んでいいのか分からないほど、その外見も動作もイカれている。


 だが、たった今目の前で始まった李軍の変化は、それまでのものとは明らかに質的に異なるものだ。

 例えばそれは、奴の指先が次第に短くなって消えていったりとか……

 あるいはその両耳が、次第に小さく消えていったりとか……


 そう――なぜだか奴の身体のさまざまな突起部分、先端部分が、徐々に消えていくのだ――!

 ほら! 今度は奴の「鼻」が、なんだかノッペリしてきた……


 その“現象”は、言葉ではなかなか言い表しにくいのだが……そう、そうだ――これは言うなれば、オタマジャクシがカエルに成長する過程で、その尻尾が次第に短くなって消えていくのを、超高速度再生で見ているような――そんな感じなのだ。


 だがしばらく様子を見ていると、李軍の身体のパーツは、それっきりすべて消えてなくなったわけではない――ということに気付く。

 少し時間が経つと、またその指先や鼻ッ面が再生するのだ。まるで植物がその芽を出すように……

 それは再生しては消滅し、そしてまた生えてくる。これはきっと、奴の『人体再生』能力が関わっているに違いない。


 待てよ――

 オタマジャクシ……この「体のパーツが消える」現象、どっかで聞いたことあるな……確か生物学の授業で……


  ***


 オメガたちを送り出した後、叶は一人残って、目の前の漆黒の球体を睨みつけていた。それは改めて見ると、実に不思議な存在感を放っている。

 「球体」といっても、それは何かボールのようなツルンとしたものが、プカリと浮いているわけではない。どちらかというと、ガス塊のような……つまりその境界面は非常に曖昧で、だからといって雲や霧のようにおぼろげなものでもなく……敢えて言えば、火山の噴煙くらいハッキリした煙が濃縮されて球体を形成しているような……そんなイメージだ。

 これが『特異点』――

 この世界の中に突如形成された――本来この世界にあってはならない――異なる次元の塊……だ。


 この塊は、例えばその辺の床に転がっている瓦礫を一つ投げ込んだだけで大爆発を起こす、極めて危険な存在だ。叶はゴクリ――と唾を飲み込んだ。いつの間にかその額から汗が一筋、タラっと流れ落ちる。


 そして叶の中に、突如として誘惑が頭をもたげてきた。今あそこに瓦礫を投げ込めば、中にいるであろう敵の首魁・李軍を確実に消滅させられる……そうなれば、この戦争は呆気なく終わるのだ……

 だが――


 異なる次元同士の物質が接触することで発生するだろう凄まじい反応は、最も控えめな予測でも、山手線内側一帯を完全に消滅させてしまうという……


 あぁ……駄目だ――

 その代償は、看過できないほど大き過ぎる……

 やはり、今はただ……石動中尉の勝利を信じて待つしかないのか――


 とはいえ、先ほどの未来ちゃんの言葉は、実はかなり深刻な問題を孕んでいた。


 石動中尉が……自殺遺伝子を、引き受けた――!?


 自殺遺伝子とは、『アポトーシス』のことだろうか……

 「引き受けた」というのは、「活性化してしまった」という意味だろうか!?


 アポトーシス――

 これは、多細胞生物の身体を構成する細胞の「死に方」の一種で、いわば“管理された細胞の死”を意味する言葉だ。

 例えば、カエルの幼体であるオタマジャクシが成体に変化する際、最初にあった「尻尾」は成長につれていつの間にか消えてなくなる。その際、消えた「尻尾」はどうなったかというと……別にトカゲのように切り落とされたわけではない。徐々に小さくなって、本当に消滅するのだ。

 他にも例がある。たとえば人間は、胎児の段階ではたいてい手指の間に水かきのような膜が付いているのだが、これが成長するにつれて徐々に消えていく。そして産まれる頃にはすっかり人間らしい指になっているわけだ。


 この「オタマジャクシの尻尾」とか「胎児の手指の水かき」を形作っていた細胞は、適切な時期が来たら計画的に縮小・消滅するようにあらかじめ遺伝子にプログラムされている。

 『アポトーシス』とは、このようにプログラムされた細胞死のことなのだ。


 だから、「死」という言葉こそ使われてはいるが、『アポトーシス』による死とは、どちらかというとその生物の個体をより良い状態に保つため、積極的に引き起こされるものであり、むしろそうなってもらわなければ困る、望ましい「死」の現象なのだ。


 ちなみにその反対の現象のことを『ネクローシス』と言う。これはいわゆる「壊死」――つまり、不慮の「死」、想定されていなかった「死」のことだ。

 こちらの方は、想定されていなかっただけに、その痕跡が残ってしまったりする。「壊死」した患部が、グチャグチャになっていることが多いのは、生物がその細胞死を想定していなかったからだ。


 ともあれ、未来ちゃんの「自殺遺伝子」発言は、恐らくこの『アポトーシス』を引き起こす遺伝子が活性化した――ということなのだろう。

 その原因は極めて明快だ。


 もともと彼女の異能は『不老不死』――つまり「テロメラーゼ」の異常活性だ。それが李軍との対決によって、恐らく逆進性を発揮し、逆に細胞死を促進させるDNA――自殺遺伝子――のメチル化を解除してしまったのだ。


 中尉はそれを即座に察知し、未来ちゃんの胎内にその影響が及ぶ前に、彼女を李軍の影響下から脱出させたに違いないのだ。

 その代わり李軍の前に残った彼が、本来未来ちゃんに発動するはずだったその『アポトーシス』を、引き受けてしまった……

 大方そんなところだろう。


 だが、だとすると事態はかなり深刻だ。


 今こうしている間にも、あの漆黒の球体の中で李軍と対峙している石動中尉は、その肉体がアポトーシスを迎えつつあるかもしれないのだ。いや……


 それは李軍も同様か――

 ただし李軍の場合は、もともとヂャン詩雨シーユーのDNA変異を研究した結果獲得した『人体再生』能力が備わっているから、どこまでアポトーシスと食い合うか分からない。


 ならば、これはそれぞれの肉体を削り合う、かなり壮絶な戦いになりかねない――

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