第532話 メチル化解除

 その途端、その壷のような装置全体から、鈍い光が放たれた。と同時に、李軍リージュンの絶叫が響き渡る。


「ごあァァァッ!!! ゲオゥオぉぉぉぉッ――!!!」


 よく見ると、奴の上半身の輪郭に沿って、なにやら電気でも帯びているかのような白っぽいフレアが立ち昇っていた。帯電しているのか!?

 あぁそうか……これは量子の輝きだ――


 それはきっと、ご神体が反応して青い光を放つのと同じ原理だ。このグロテスクな機械が量子増幅装置エンハンサーである以上、ここに存在する量子は通常より遥かに活性化しているはずだ。ヒヒイロカネを練り込んである長刀が、虹色に光る現象と同じ理屈だ。


「……や、やったか――!?」


 士郎は思わず呟く。

 渾身の異能を叩き込んだばかりのくるみが、肩で息をしながら振り向いた。


「ど、どうかな……私としては……李軍に一発お見舞いするつもりで頑張ったけど!」


 そうだ――その“意思の力”が今は一番重要なのだ。量子は、人間の意思の力によってにもその様態を変化させていくのだから――

 そして、目の前の李軍の状況は――やはりくるみの異能によって、何らかの変化を生じさせたものに違いない。


 <記憶喪失アムネシア>のコードネームを持つ彼女の能力は、対象の神経細胞に作用して、体組織中のイオン構造を破壊するという代物だ。その結果、対象は脳神経の活動電位発生を抑制され、その神経伝達そのものを阻害される。

 分かりやすく言うと、脳細胞がショートするのだ。

 当然ながら、脳がショートすれば脳活動は停止するし、神経伝達が阻害されれば「ニューロン」の神経突起を行き交う伝達物質シナプスをも喪失してしまうことになる。つまり――何も考えられなくなるし、何も感じなくなる。

 要するに、あっという間に廃人化するのだ。


 士郎には何となく察しが付いていた。

 くるみが放った異能は、要するに人間の神経を行き交う微弱な電気信号に干渉するものだ。それはある種の“電撃”だ。しかもそれは、エンハンサーによって十分増幅されている……

 だとすれば、生体組織の特定のDNAに対し、何らかの刺激を与えるには十分だろう。


 つまり――くるみが李軍に打ち込んで、そのDNAメチル化を解除するために用いた『エピドラッグ』は……


 「電気」だ――!


 今、李軍の身体は途轍もなく導電性が高まっている。「恐怖」に関連付けられたアセトフェノンによってマウスの臭覚細胞のメチル化が解除されたのと同様に、いま李軍の細胞導電性は、電気刺激に途轍もなく敏感になっているはずだ。


 人間にとって電気刺激というのは実にやっかいだ。

 「感電」といえば、ただ単に火傷を負うくらいだと思いがちだが、そんな単純なものではない。そもそも心臓の鼓動は電気パルスそのものだから、不測の電撃によっていくらでも心臓は停止する。逆に止まった心臓が電気ショックで再起動することを考えればよく分かるだろう。


 そして何よりそれは……物理的に修復できるものではないのだ。李軍の持つ『人体再生能力』は、この場合何の役にも立たない――!


 案の定、李軍はじきに口から泡を噴き始めた。


「――よしッ! じゃあ次は私だねッ!!」


 続いて立ち上がったのは、ゆずりはだ。

 <起爆装置デトネーター>の異名を持つ、オメガ随一の破壊神。その異能を喰らった者は、たちまちその肉体が不格好に膨張したかと思うと、容赦なく破裂して果てる。


 それは、彼女が対象の「アクセル遺伝子」と「ブレーキ遺伝子」を自在に操れることから編み出された攻撃方法だ。

 もともと「アクセル遺伝子」というのは、一般的に癌遺伝子として知られるもので、これが想定外に活性化することで、細胞が異常に増殖してしまう――つまり癌化する――という厄介者だ。

 逆に「ブレーキ遺伝子」とは、その名の通り細胞の異常増殖を抑える働きを持つ――つまり「癌抑制遺伝子」のことだ。

 健康体の人間は、普段はこのブレーキ遺伝子が適切に作用するおかげで癌化を免れているのだ。


 楪が、その右手を真っ直ぐ李軍へ……ではなく、その胸から下が埋まっている、壷のような装置に向けて真っ直ぐ突き出す。

 すると途端に、装置がなにやらゴトゴトと振動し始めた。その装置と一体化していた李軍自体も、それに合わせて全身を小刻みに震わせ始める。次の瞬間――


 李軍の体表面に、無数のひびが入り始めた。

 それはまさしく、数千年もの間、土中に埋められていたミイラの体表のようだ。細かな亀裂がまるでアールスメロンのネットのように縦横無尽に走ったかと思うと、やがてペラペラとその皮膚が剥がれ落ちていく。

 ただ、剥がれ落ちたその皮膚の下からは、すぐに真新しい皮膚がちゃんと再生してくるのだ。そしてまた、それがすぐにひび割れていく――

 それが見る間に何度も何度も繰り返される。もしやこれは……


 細胞分裂が急速な活性化と抑制を繰り返している――!?

 楪の異能が、両極端に作用しているのか……


「ぎゃあァァァッ!!! ぎゃひィィィィッ――!!!」


 李軍がさらなる奇声を上げる。どうやらダメージを与えているようだ。


 あぁ……そうか――

 それはもしかすると、最初にくるみが仕込んだエピドラッグのせいで、効果を倍増させているのかもしれない。恐らく極限まで導電性が高まった李軍の胎内に、楪の異能効果が想像以上に浸潤しているのだ。結局彼女の“思念”も、微弱な電気信号なのだから――


 この現象はたぶん、李軍の肉体の新陳代謝を極限まで高めている。通常人間の全身の細胞が入れ替わるのには、最低三週間程度はかかるのだが、彼の肉体の新陳代謝は、下手をすると60秒かかっていないかもしれない。

 

 オメガたちは、そんな李軍の様子に驚きを禁じ得ない。だって、今や李軍は、まるで爬虫類が脱皮する時のような有様なのだ。ヘビやトカゲが脱皮する映像を、超高速再生で見させられているイメージだ。彼の周囲に、見る間に古い皮膚がうず高く積もっていく。


「――結局コレも、別に怪我してるわけじゃないから、李軍ご自慢の『人体再生』は働かないんだよね!?」


 楪の言葉に、士郎はハッとなった。確かに――


 先ほどのくるみといい、今の楪といい、李軍に対しては、その無敵とも言える能力の隙をついて、実に上手くプレッシャーをかけている。

 致命傷を与えているわけではないが、彼の身体には相当負荷がかかっているに違いない。よし――このまま順に畳みかけていけば……


 その時だった。


「――こッ……こざかしい真似をッ!!」


 李軍の声だ!

 奴は、これほどに追い込まれながらも、なお意識を保っていたのか――!?


「――私は最強だ……この程度のことで、どうにかできると思ったかッ!!」

「ひッ!?」


 楪が、思わずたじろぐ。だが、その前に今度は亜紀乃が立ちはだかった。


「――どうにかするのですッ!」


 刹那――

 亜紀乃はまるで、テレポーテーションとしか思えないほどのスピードで、カンカンカンッ――と装置に肉薄した。と同時に、一瞬その姿が掻き消える。


 えっ――!?

 と思った瞬間、再びガッ――とみんなの前にその姿を現した。数瞬後――亜紀乃の背後で、装置の外殻がズルンッ――と斜めに滑り落ちる。それはまるで、バターナイフでスライスされたかのようだ。

 このカミソリのような太刀筋――

 亜紀乃が、目にも止まらぬ速さで装置を切り裂いたに違いなかった。


 次の瞬間――

 李軍の動きがピタリと止まる。まるで一時停止ボタンを押したみたいに――


「な……何を仕掛けた?」


 士郎が思わず訊くと、亜紀乃は特に表情を変えることなく淡々と応じる。


「――私、いつも自分が加速する時の感覚を、この機械にぶつけてみたのです。そしたらなぜか、あの男の動きが止まりました。でもこれは明らかに身体機能の低下だから、じきに人体再生でリカバリーされそうなのです。早く次の手を――」


  ***


 その激しいバトルの様子は、相変わらず全軍に中継されていた。

 叶のところに、四ノ宮から無線が入ったのはその時だ。叶が配信する映像を逆探知して、ここまで辿ってきたのだろうか。


『――元尚ッ! 生きているのかッ!? 今どこで、何してるんだッ!!』

「や……やぁ東子ちゃん! どう? そっちでもちゃんと見てる?」

『バッカもーんッ!! 貴様、どれだけ心配かければ気が済むのだぁッ!!!』

「あぃたたッ……!?」


 叶は、四ノ宮の剣幕に思わず耳を離す。まったく、もう少しで鼓膜が――

 その様子に、傍にいたかざりが口を開く。


「ねぇ、中佐怒ってるみたいだよ!?」

「あぁ、僕がまだ生きてるのを知って、嬉しくて興奮が収まらないんだよきっと――」

『全部聞こえてるぞッ!』


 またもや雷が落ちる。


『――そんなことより! 今何が起こっているのだ!? 石動いするぎたちは――オメガたちはいったい何をしているッ!?』


 あぁ、そうだった――

 叶は、ようやく思い至る。確かに今全軍に向けて配信しているのは、オメガチームの様子――実際は彼らの感情そのもの――なのだが、それを見ている全軍は、今いったい何が起きているのか、このあとどうすればいいのか、さっぱり訳がわからないだろう。


「――えと……その前に、さっき大和の艦砲射撃を阻止してくれたのは……」


 叶は、まず気になっていたことを確かめる。文に言われてようやく気付いたのだが、もしもあの後ここを五式弾が直撃していたら、恐らく東京は消滅していただろうから――


『……あれは……チェン少尉が体を張ってくれた……旭日殊勲十字章モノだ……』

「……そうか……彼女たちが……」


 叶はしばし瞑目する。殊勲十字章ということは……彼女たちは名誉の戦死を遂げたのだな……叶の胸に、ピリッと小さな痛みが走る。

 だとすれば――やはりここは絶対に、負けるわけにはいかない!


 叶は決意を新たにした。


「――まず、今配信している映像は、僕の頭の中に流れ込んできている、オメガチームの同期感情だ」

『そうなのか!? そんなことが――』

「あぁ、急ごしらえだけど、実験小隊の時にオメガたちの思考分析に使っていた3D画像投影装置と原理は同じだから、大したことじゃない。ちなみになぜ僕が同期できているかと言えば、かざりちゃんが『ホルスの目』を発動してくれて、それを直に僕の脳内に送り込んでくれているからだ……」

『ホルスの目? それは何だ!? かざりはそこにいるのか!? オメガたちは――』


 四ノ宮が、息もつかせぬほどまくしたててくる。余程心配していたのだろう――と叶は思った。なんだかんだ、この人は部下想い、仲間想いなのだ。


「ちょ、ちょっと落ち着いて東子ちゃん。『ホルスの目』については、今は横に置いといてくれ。かざりちゃんは今、僕の隣にいる。残りのオメガは、物理的な肉体は僕の足許に転がっているが、その精神は石動中尉と共にある」

『そ……それはどういう――』

「だから――今中尉と5人のオメガは、並列同期しているんだよ。配信動画にも、さっきからかざりちゃん以外のオメガの声とか視点が映っているだろ?」

『そ……そういうことだったのか――』


 無理もない。このサイケデリックな映像が、人の頭の中の思考をビジュアル化したものだなんて、言われなければ分かるはずもない。

 それでも少し前から、動画の内容はかなり具体化、具現化してきていたはずだ。まるで最前線のアイカメラを見ているようだっただろう? 中尉やオメガたちの交わす会話さえ、キチンと音声化できていただろう?


『――じゃあこの映像は、やはり石動たちのリアルタイムの戦闘コンバット映像ビジョンということでいいのか!?』

「まぁ、ざっくり言うと、そう受け止めて貰って構わない」

『――で、今何がどうなっているのだ!? あの変な生体機械のようなものは、李軍なのかッ!?』

「あぁ、その通りだよ東子ちゃん。あれが――敵の首魁、李軍その人の現在の姿だ」


 その瞬間、戦場全体から「おぉー……」というどよめきのような気配が漂ったのを、叶はおぼろげに感じた。大半の将兵が、初めてラスボスの素顔を認識した瞬間だった。


『ではやはり――石動たちは今この瞬間、奴と最期の決着をつけようとしているのだな!?』

「うむ。彼らは今、『特異点』の中にいるから、僕らは見守ることしかできないけどね……」


 その『特異点』なる現象が、先ほどオペレーターたちが感知した「異常な重力場」のことであると、四ノ宮は即座に理解した。もちろんそれ以上の詳しいことを、叶がかいつまんで補足説明したのは言うまでもない。


「――それで、東子ちゃん。ひとつだけお願いがあるんだ……」

『なんだ? 言ってみろ』

「できればその……ここまで一個分隊でいいから送り込んでくれないか? 今気絶状態にあるオメガ5人の肉体を搬送してほしいんだ。彼女たちが同期を終えた時、戻る肉体を安全地帯まで後退させておきたい」

『……えと……同行していた田渕曹長たちはどうしたのだ?』

「それは……」


 その言葉に、叶は一瞬言葉を詰まらせる。その様子に、四ノ宮も何かを察したようだった。


『……まぁいい。では誰か差し向けよう。それで、肝心の石動はどうやって回収すればいい?』


 その瞬間、叶は再び押し黙った。だが、それに関しては四ノ宮も黙っているわけにはいかない。


『――おい元尚! 石動は……』

「彼は……無理だ……」

『は!? 無理ってどういうことだ!』

「……彼は……石動君だけは、特異点の中にいるんだ。李軍を斃せたとしても、彼がそこから脱出できる保証は……今のところまったくない……」

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