第521話 リフレクタンス

 神は石動いするぎ士郎に、星の守護者たる使命を与えたのだ――

 叶のその言葉に、ゆずりはが今まで見たこともない不安げな表情で彼に詰め寄る。


「ねぇ少佐……どういうこと!? 士郎きゅん、どうなってるの!?」


 叶もまた、今まで見たこともない真剣な顔で彼女を……いや、オメガたち全員を見つめ返した。


「――神は……いや、シリウス人は、この星の生物が姿で、になることを望んでいた。もしそれが適わないのなら、天地創造をやり直すという覚悟さえ持ってね……」

「天地創造を――」

「……やり直す――」

「あぁ、我々人間は、神――いやシリウス人に望まれたかたちに進化できなかった。現生人類ホモ・サピエンスは、どうしても争いを止めることができなかったんだ。それは我々人間の、呪われた宿命だ……」


 結局のところ我々――俗に“思いやり遺伝子”と呼ばれる『YAP遺伝子』を、ネアンデルターレンシスから受け継いだとされる日本人――でさえ、その“争いの本能”は克服できなかったということだ。


 誤解のないように言っておくが、この“思いやり”という心は、決して「座して死を待つ」愚かな選択をすることではない。ひとたび刃を向けられれば、自らの生存を賭けて必死で立ち向かう――それは生物種としての本能であり、“命を持つ存在”として決して捨ててはいけない核心部分だ。


 神が失望したのは、人類が“生存のための戦い”ではなく、“自らの欲望を満たす戦い”をやめなかったからだ。


 人間はこの数千年間、常に自らの領域テリトリーを拡大することにのみ、心血を注いできた。他者を征服し、生態系の頂点に立つことだけを追い求めた。それだけならまだしも、人間たちは「人類種」という、生物学的にはまったく同じ存在である同族同士であっても、その肌の色が違うとか、宗教が違うとか、あるいは思想が違うといった些細なことで相争い、お互いを傷つけてきた。


 そのことに、神は――シリウス人は――失望したのだ。


 彼らシリウス人が地球に関わる理由は単純だ。彼らの母星が、やがて星としての寿命が尽きることを知っていたからだ。

 そのために彼らは、数万年の時を費やしてまで、地球の先住生物たる人類種へ、星の海の一員となるべく高い知性と理性を植え付けようとしたのだ。やがて自分たちが、安心して地球へ移住を果たすために――

 だが……人類は、自分と異なる存在をどうしても認めようとしなかった。それどころか、自分とよく似た存在すら、近親憎悪の感情を剥き出しにし、排斥してきたのだ。

 それはまさに、血塗られた人類の、呪われた歴史だ。


「……だからこそ君たちオメガが生まれた……いったん人類そのものをリセットするためにね……裏を返せば、君たちという存在が生まれたという事実こそが、人類文明の終焉を意味していたんだ。恐らくシリウス人たちは、我々の文明レベルのどこかに、ある種のしきい値を設定していたのだろう。そして我々はその値を超えてしまい……その結果、あらかじめ設定されていたDNAプロトコルが発動してオメガが生まれた――だが、それに横槍を入れてきたのが李軍リージュンだ」


 叶は、李軍を一瞥する。その彼はもはや、鬼の形相で士郎に対抗するので手一杯の様子だ。既にオメガのことなど眼中にない。


 彼のしでかしたことは、まさに神の意思に背くことだ。進化の黄昏を迎え、これ以上生物種として発展する可能性を失った人類に対し、決してマンモスの二の舞を踏むまいと、人工的に“遺伝子の多様性”を組み込もうとした男――

 人類の進化とは、決してそういう意味ではないというのに……


 叶は、そんな李軍の様子に首を振り、構わず話し続ける。


「――君たちオメガは、人間の身体に例えるといわば白血球のような存在だ。異物を排除すると同時に、身体の中にできた癌細胞のような危険物までをも除去する役割を持つ。いつだったか……千栞ちひろちゃんがいい得て妙なことを言ってたっけな……」


 千栞ちゃんというのは、新見千栞中尉のことだ。

 四ノ宮の副官にしてオメガチームの戦術指揮官を務める彼女は、もとより最前線で銃を持つというよりは、戦域全体の統制を務め、大所高所で各部隊のバックアップをするのが役割だ。今でもこの戦場のどこかで、各部隊の指揮統制支援を行っているはずだ。


 そういえば、東京都心に空挺降下して以来、彼女の顔を見ていないな――と未来みくはぼんやり思う。


 新見と仲の良かったくるみが、はたと思い出したように口を開いた。


「……確か、私たちのことを執行者エクセキューターとか何とか……そんな言い方を――」

「あぁ……そうだそうだ……あと“捕食者プレデター”だとも称していたね……少々キツい言葉だったかもしれないが、それはまさに君たちオメガという存在の、核心を突いている……」


 

 新見がそう表現したのはもちろん、オメガたちの容赦ない攻撃衝動を指して言った言葉なのだが、今ならよくわかる。

 人類は、種そのものが、既に“癌化”していたのだ。他者への攻撃衝動をどうしても抑えられない人類は、まさしく人間の胎内に巣食う悪性腫瘍そのものだといっても過言ではない。

 その“癌”を捕食して根絶やしにしようとするオメガたちは、まさにプレデターそのものだ。


「――君たちはまさに、その圧倒的な力で敵を制圧する、実力装置そのものだ。だが、時として君たちの力でさえ、討ち斃せない存在もあるし、勢い余って余計なものを傷つけてしまう可能性だってある。要は、君たちオメガは完全じゃないんだよ」


 叶の言葉に、オメガたちは無言で同意した。

 まぁ、いくらオメガが強いからといって、一人で数千人、数万人の軍勢を薙ぎ倒せるほど無敵超人ではないし、アイシャのような同等クラス以上の異能者を相手にした時も、散々苦労したのは事実だ。


 それになにより、オメガたちにはもともと敵味方識別という概念がなく、一旦戦闘状態に入ると見境なく人間を殺戮するという決定的な欠陥があった。

 まぁ、これも人間側の勝手な理屈だ。もともと人間という生物種を根絶やしにすることが彼女たちの役割なのだから、本来そこに敵も味方もあるわけがない。


 そしてもうひとつ。

 忘れてならないのは、元々彼女たちのように“オメガ”として覚醒した存在は、目の前の6人だけではなかったということだ。

 実際、彼女たちのように放射能耐性を持ち、DNA変異に伴う人外の異能を持った存在――すなわち軍機コード『オメガ』と称される存在――は、国防軍が今まで確認しただけで100人近くに上るのだ。そう――あの広瀬繭のように……

 だが、その大半は自分自身の法外な能力を持て余し、制御しきれなくて自滅していったというのが実情だ。そういう意味では、未来たちのように健康体でその能力を自在に操れるオメガというのは、本当に例外中の例外なのだ。


 だから、叶の次の言葉についても、オメガたちにまったく異論はない。


「――そんな君たちを導いてくれたのが、他でもない……石動いするぎ中尉だ」


 実際、これらオメガが抱えるさまざまな課題については、主に石動士郎の登場によってようやく解決をみる。


 何より、敵味方識別ができなかった問題については、イスルギワクチンの開発によってようやく制御可能となったし、それによって何とかまともな作戦行動を取ることができるようになったオメガたちをまとめ上げたのは、ひとえに士郎の指導力によるものだ。

 彼がオメガたちと精神感応を行えるようになって、彼女たちとの信頼感を地道に醸成してきた結果だ。


 またその過程において、オメガチームは咲田広美という存在――のちに、彼女自身が“神”であることも判明したが――に出逢い、その結果として、異能を持て余して自滅しかけていた大半のオメガたちに対しても、彼女を通じてもたらされた放射能制御技術によってひとまず寛解させるという副産物をもたらした。

 今頃多くの“元オメガ”たちは、軍の医療施設で徐々に回復に向かっていることだろう。


 そう考えると、石動士郎はやはりオメガにとっての恩人だ。彼との邂逅こそが、オメガたちの未来みらいを切り拓いたのだ。


 未来みくたちは、あらためて彼の存在について思いを馳せる。彼がいてくれたからこそ、私たちの今があるんだ――

 叶が話を続ける。

 

「……だから私は、いつか中尉も、君たちを上回る何らかの力を発揮することがあるんじゃないかと思っていたんだ。とりわけ『幽世かくりよ』に転移した時、私は強く確信したんだよ――」


 実際――士郎が次元を跨いだ並行世界の住人の血を引いていることが分かった時点で、彼が『現世うつしよ』世界に留まらない、であることは、皆が薄々感づいていたことだ。


 それが確信に変わったのは、彼が未来みくとともに次元の狭間に堕ち、そこが量子エンタングルメントの世界であることを見抜いて、見事脱出してきた時のことだ。


 その時、そこにいたのは二人の未来みくだ。一人は、士郎と出逢うことなく、永遠の命とともに彷徨う未来みく。そしてもう一人は、皆がよく知る、神代未来だ。


 あの世界では、その異なる世界線を別々に生きてきた二人が同時に存在していた。どちらの可能性もあって、二人の未来みくはそこにのだ。それをきちんと観測し、見事一方に収束させたのは、ほかならぬ士郎だ。

 それはまさしく『絶対的観察者』の振る舞いだ。そして人は、それを為す者を昔から“神”と呼んでいたのだ――


 まぁ、一年前に少尉に任官したばかりの一介の青年が、いくら何でも“神”だとは思わなかったが、それでも人間は昔から、こうした人々を導く特別な能力を発揮できる人間のことを“聖人”とか“預言者”とか、あるいは“かんなぎ”と称して、特別視したのである。


 巫――神の代弁者。神に仕える者。


 特に男の巫のことを“げき”と呼ぶ。

 その字の示す通り、“覡”とは女性の“巫”をすぐ傍で見守る者のことだ。


 いっぽうオメガたちは、ウズメさま曰く、神の意思を執行する“戦巫”――つまり、彼女たちもまた巫女の一種だ。そのオメガたちをいつもすぐ傍で見守ってきた石動士郎は、だからまさしく“覡”そのものなのだ。


 つまり石動士郎は、オメガたちが道に迷った時、その道行きを示すいわば道しるべ、水先案内人であり、彼女たちが進むに窮した時は、その露払いをし、血路を開いてくれる、いわば切先なのだ。


 だから今――

 オメガたちが最大の敵である李軍とこうして対峙している時、石動士郎が覚醒することは、時間の問題だったのだという。


 “覡”のありようは、“巫”によって定まる。彼女たちがそれを求めたから、士郎が覚醒したのである。

 彼の変化は、オメガたちの内面を表すいわば鏡だ。彼がこれほど輝くのは、それだけオメガが彼を必要としているからだ――


 叶の話を聞いたオメガたちは、言葉も出ない。


 みなが彼のとてつもないエネルギーの奔流を見上げ、その姿に畏怖した。だが、彼女たちの胸に去来する感情は、きっとそれだけではない。


 その時、ぽつりと口を開いたのは未来みくだ。


「――わたし……やっぱり士郎くんが好きだ……」


 その言葉に、弾かれたように反応したのは他のオメガたちだ。


「みみみ……未来ちゃんッ! そんなこと言ったら、私だって!」「私もッ!」「私もだよッ!!」


 他のオメガたちの慌てた様子に、だが未来は動じる気配もない。


「……うん……そうだよね……みんな、士郎くんのことが好き。だって、私たちは、もともと士郎くんと出逢う運命だったんだものね……」


 そうだ――彼が“覡”だったのなら、巫女であるオメガたちの目の前に現れるのは、そもそも必然だったのだ。

 そして、自分たちの迷える心、戸惑う気持ち、持て余す感情を、彼が気持ちいいほど吸い上げてくれたのは、やはりそれが、そもそも最初から彼の使命だったからだ。


 もしも運命というものが存在するのなら、士郎と彼女たちが出逢ったのは、まさに必然だったと言っていいのだろう。ここにいる誰もが、それを本能的に感じ取っていた。


 だからこそオメガたちは、彼が“好き”なのだ。


 それは、ただ単にカッコいいとか、憧れるとか、頼れる年上の男性とか、そういったありきたりの感情ではない。

 彼はもはや自分の一部であり、彼がいないと自分が成立しないのだ。だからこそオメガたちは彼を求め、そしてそれ自体が、既に自分たちが生きる理由のひとつにすらなっている。


 その彼が今、その“覡”としての役割をついに発動させた。


 戦巫である自分の盾となるため――

 途轍もない苦難にぶち当たった自分の、道しるべとなるため――


 そう――、彼は覚醒したのだ……


 誰もが、それを“私のため”だと感じた。

 本当のところは、士郎本人に聞いてみなければ分からないが、6人のオメガたちは、それぞれ自分の視点で、石動士郎の覚醒の意味を受け止めた。


 彼女たち一人一人に、士郎と過ごした時間、士郎と分かち合った感情が去来する――


 なぜこんな時に――!?

 もしかすると、第三者はそう感じるかもしれない。だが、オメガたちには分かっていたのだ。石動士郎が覚醒したということは……最期の時が近づいてきたということなのだと――

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