第502話 ライト・マイ・ファイア
これは……いったい何だ……!?
ようやく辿り着いた中国軍司令部中枢。それは、東京駅地下街――通称『八重洲地下街』の最下層に位置しており、そこは長期間の占拠により、往時とは似ても似つかないグロテスクな要塞に作り替えられていた。
そして今、激しい抵抗をかいくぐってついにそこまでやってきた士郎たちは、そのテニスコート二面分くらいの大きさの地下空間に広がる、異様な光景にたじろぐ。
そこには、一面に卵のような、あるいは
それは一見、ニワトリかダチョウの卵のようにも見える。だがよく見るとその表面は、メロンの外皮のような網目状の模様で覆われていた。
さらに一部の球体は、少し半透明で中の物体の様子すら薄ぼんやりと見える。その影が時折ビクビクッと動くさまは、まるで魚類が
そう……それらはもうすぐ生まれるのだ――
士郎は直感的にそれを理解する。
案の定、一部のコクーンは、それ自体がなにやら収縮運動を始めた。それはやがて激しくなり、そして――
その弾性のある繭の頂点部分がニュウッと伸びたかと思うと、ついに堪えきれなくなったように表面に亀裂が入り、やがて裂けて中の液体がドロリと出る。
直後、花弁が開くようにその殻が破け、中からヌルリと出てきたのは、先ほどSWCCの兵士をそのブヨブヨした胴体の中に丸呑みした、あの怪物と似た生物たちだった。
叶が叫ぶ。
「――いかんッ! ここは、化け物の巣だッ」
――!!
士郎たちは、叶の警告に思わず身構える。ふと気になって先ほどの生物を見ると、それは相変わらず健在で、SWCC兵たちに取り囲まれたままだった。ただし、かの精強を誇る兵士たちも、どう対処してよいか判らず攻めあぐねている。
ボコッ……ボコボコッ……
コクーンは見る間にあちこちで孵化……あるいは羽化を始めた。ズルッ……ジュルッ……
得体の知れない生物が、次から次へと這い出てくる。
「ぜ……全員距離を取れッ! アイツに取り込まれるなッ!!」
士郎は思わず叫んだ。
SWCCたちが装備している銃は、米軍伝統の
しかも、士郎たちが持っている、途轍もない切れ味を誇るヒヒイロカネの刀身ですら、その身を切り裂くことができなかった。
要するに、コイツらには銃弾も刃物も、手持ちの武器ではまったく歯が立たないのだ。
そんな化け物たちが、何体も何体も、次から次へと足元ににじり寄ってくる。取り込まれたら終わりだ――
士郎の咄嗟の命令により、オメガたちは弾かれたように跳躍し、バッと後方に飛び退いた。だが、その分怪物たちは、ズイッと前に滑り出てくる。間合いは広がらなかった。
「――少佐ッ! 何とかなりませんかッ!?」
士郎は、無茶ぶりとわかっていながら叶に助けを求める。ようやくここまで来たのだ。化け物たちの繭畑のその奥に見える敵中枢部には、恐らく
叶が応じる。
「――ちゅ、中尉……いくら何でも……今は私にも分からないよ! だがコイツらが何らかの遺伝子変異体であることは間違いなさそうだ!」
またか――
またキメラなのか!? 李軍は、どんな時だって生命を弄んできた。そして今また、こうして得体の知れない怪物を――
それは、まさしく神を冒涜する行為に他ならなかった。はッ……神……!?
士郎は、慌てて周囲を見回す。ウズメさまッ……広美ちゃんッ……!
だが、ここにはそのどちらも見当たらなかった。そういえば、先ほど田渕たちを置いてきた時に、敢えて一緒に来てくれとは言わなかったのだった。それまでは、頼まなくても勝手についてきてくれていたのに、なんでよりによって……
そう都合よく神頼みはできないってことか――
***
何度目かの砲撃によって、ついに自陣を
見渡すと、楊の周囲半径10メートル弱ほどの円形の範囲内に、残存する旅団兵士たちが集まってきていた。もうこれだけしか残っていないのか――
楊はあらためてその数の少なさに震撼する。
楊の前方――すでに敵軍に蹂躙され、完全に制圧されてしまったその眼前の市街地――にも、あちこちに多数の兵士が斃れていた。
兵士と言っても、みな緑色の粗末な軍服を着た中国兵だ。中国兵だが、彼らは敢えて言えば“元中国兵”だ。みな恐ろしい寄生虫『
そんな彼らが翻意したのは、神代
この終わりのない、無益な戦いに終止符を打つために――
自分たちを虫ケラのように扱った、自軍の上層部に一言物申すために――
だがやはり、多勢に無勢は如何ともしがたかった。もはや刀折れ矢尽きて、戦術的に有効な反撃を繰り出す術がない。正直言うと、もはやこれまでだった。
だったら潔く、敵の砲弾に吹き飛ばされよう――
ここに残った兵士たちは、一様にそう考えていた。そうすれば少なくとも“狼旅団の兵士たちは最期まで逃げずに戦った”という事実だけは残る。
結果的に、あの勇敢な日本人将校と自分たちが交わした「背中を護る」という約束は果たせないかもしれないが、それでも面目だけは保てるだろう。
楊はしみじみ思う。兵士たちは、今まで本当によく戦ってくれた。もう十分だ――
ひゅるるるるる――
「――敵効力射、来ますッ!」
若い将校が絶叫する。既にさっきの斉射で前後左右挟叉着弾されている以上、今度の一斉射は確実に自分たちの頭上にドンピシャ降ってくる。つまりこれは、とどめの砲撃だ。
兵士たちは、黙ってお互いの視線を交わす。みな厳しい顔をしていたが、だからといって怯えた顔つきをしている者は、誰一人としていなかった。数秒後、自分たちはこの地上から消え去る。おそらく肉片すら残らないだろう。だが、それでいい――
全員が胸を張っていたのは、きっとその揺るぎない自信ゆえだ。最期まで死力を尽くして戦った者だけに許された、覚悟の境地だ。
次の瞬間――
カッ――!!!!
目も眩む閃光が、辺り一面を覆い尽くした。直後、猛烈な熱気が大火球とともに広がる。刹那――
ぐわわわァァァ――ンッ!!!!
だァァァ――ンッ!!!!
耳をつんざく大爆発音とともに、地面全体がボワッ――と浮き上がった。
兵士たちが掻き消える――
…………
…………
――ィィィィィィイイイイン……
いつの間にか失われていた聴覚が、徐々に戻ってくる。
「――っプはぁッ!!!」
兵士がひとり、思わず息を吐いた。
息を吐いた――!?
生きて……いるのか……!?
直後、大火球が急速にしぼんでいく。その白い閃光の中から、徐々に現れてきたのは、黒々とした大きな物体だ。
旅団兵士たちが、徐々に目を開け始めた。びっくりしたように、周囲をキョロキョロ見回す。
自分の手脚を触ってみる者。頭や顔をゴリゴリこすってみる者。そして、隣にいた戦友が、まだそこにいることを確認し、紅潮した顔でソイツを見つめる者――
「……な……なんで……」
次の瞬間、兵士たちの疑問は一気に氷解する。
彼らの頭上に、黒くて大きな“傘”がかかっていたからだ。いや――それは傘ではなくて……
ガチャン!
突然、金属がぶつかる音が響き渡る。と同時に、陽気な声が頭上からワイワイ聞こえてきた。
「――いやー! さすがに今のは効いたわー」
「これ絶対脳震盪起こしてるネ! 頭グラグラだヨ」
「と、とにかくいったん外に出て、空気吸おー!」
それはあまりにもこの局面に似つかわしくない、陽気な会話だった。
「――これは……
楊は思わず口走った。幻を見るような目で、頭上を見上げる。間違いない――彼らの頭上に覆いかぶさっていたのは、日本軍が誇る最強陸戦兵器、八〇式自律型高機動多脚戦車<改>――通称ゴライアス・バードイーター……
そう――楊たち狼旅団の残存兵の真上には、いつの間にか
よく見ると、その蜘蛛のようなカニのような複数本の脚には、青白い稲妻のような電光が未だにビリビリとまとわりついていた。楊はその仕組みを今一つ知らなかったのだが、きっとその辺の日本人兵士に聞けば、それがなんだかすぐに教えてくれただろう。
それは、どの多脚戦車も標準装備している、簡易型の電磁フィールドだ。これは本来、脚の間にまるで水かきのような電磁ネットを張り、敵歩兵が戦車直下に潜り込まないようにする、いわば対歩兵用の虫よけバリアのようなものなのだが、瞬間的な運用なら今のように爆風や瓦礫を跳ね飛ばす防壁にも使用できる。
つまり――我々狼旅団の兵士たちが、敵榴弾の直撃を受けながらも未だ無事なのは、美玲が彼らに覆いかぶさって、盾になってくれたお陰だったのだ。
先ほどのガチャンという金属音は、多脚戦車のハッチを開ける音だった。その中心装甲殻から、彼女たち乗員がほうほうのていで這い出てくる。
「――やぁ大佐! お待たせしたな……じゃなくて、お待たせしたです」
80歳を超える楊にとって、
その“お嬢さん”が、体を張って楊たちを救ってくれたのだ。それは、一歩間違えたら自分たちが吹き飛びかねない、命懸けの行為だ。飄々とした彼女たちの態度からは読み取りにくいが、それがどれほど勇気ある行為だったのか、兵士たちなら分かる。
「小姐……どうして――」
「あ? いやいや大佐、勝手に玉砕したらダメじゃん! 中尉に許可とったのか?」
「許可……?」
「そう、死ぬことの許可!」
美玲は少しだけ、苛ついていたようだった。その言葉遣いが、だんだん荒くなる。というか、言い直したのは最初の一言だけだが……
「――私は、死ぬときは絶対に上官である
「……」
「私がまだ学生兵だったころ、山で遭難して……結果的に当時学生長だった中尉が助けに来てくれたんだけど、そん時にさんざん怒られたんだ……死んでいいと許可した覚えはない、って……」
楊は、その言葉にハッとする。
「……それ以来、私は絶対に、許可が下りるまでは死んじゃいけない、ってコイツらにも言ってる」
そう言って、美玲は一緒にハッチから這い出てきた
「ま、死にそうだったけどネ!」
「まだ頭クラクラだよー」
そういえば美玲のチューチュー号は、上海中国軍が突如として戦場に現れて以来、楊たちとともに勇戦奮闘していたのだ。だが、いつの間にか楊はその姿を見失っていた。
しかし、彼女たちは彼女たちで、獅子奮迅の活躍をしてくれていたのは言われなくても分かる。その強靭なはずの多脚戦車が、もはやスクラップ同然のような有様だったからだ。あちこち破損し、装甲もひしゃげ、そもそも8本あるはずの巨大な脚も、1本なくなっている。
いったいどれだけの激戦を潜り抜けてきたのだろうか――
だが、美玲はそれでもまだ、戦う気でいる。
「――というわけで大佐! まだ中尉は地下で戦ってんだろ!? だったら地上班も負けてらんねぇぞ!!」
だが、楊がそれに答える前に、先に応じたのは他の兵士たちだ。
「……お……おぉッ!!!」
「ウオォォォ!!!」「――そうだ……俺たちはまだ、負けるわけにはいかねぇ!!」
三人娘は、兵士たちがまるで一皮剥けたように闘志を燃やすその姿を、戦車の高い位置から満足そうに見下ろした。
「いえーいっ!!」「うぉぉぉ!!」「
拳を突き上げ、消えかけた兵士たちの戦意を再び燃え上がらせる。すると兵士たちは、ますます元気になって彼女たちに声援を送った。
この子たちは……
楊の目には、いつの間にか熱いものがこみあげていた。この歳になって、こんな小姐に勇気づけられるとは――
ひとしきりエールの交換が終わると、美玲たちはひょいと車内に潜っていった。
そこに悪魔のような鉄槌が突き刺さったのは、その直後だ。
ガキィンッ――!
ガキガキガキガキィンッ――!!!
敵陣から、巨大な
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