第459話 殺意の誤算
抜刀突撃は伝統的に日本陸軍の最も得意とする戦法であり、最もクレイジーな戦法として全世界に知られていた。
もっとも、これ自体は別に日本人の専売特許ではない。遥か古代から、古今東西実に数多くの戦場で、あらゆる人種が無数に繰り広げてきた、古典的な戦法でもある。
ただ、それが主流だったのは、まだ人類が剣や弓矢で戦っていた時代までだ。
銃器類が戦場に登場し、抜刀した騎馬隊が敵前線に辿り着く前に銃弾で皆殺しにされるようになると、抜刀突撃は一気に廃れていく。日本でいえば、長篠の戦で織田信長が武田騎馬軍団を鉄砲3,000丁で退けて以降だ。
それから人類は、泥沼の“銃器戦の時代”へと突入していく。
殺傷力が格段に高まることで死傷者は激増し、武器の射程が延びることによって敵味方の相対距離も広がっていった。
それまで“裏山で”行われていた合戦が平野全体で行われるようになり、やがて街全体、国全体で争われるようになっていった。戦争の範囲が拡大したのである。
当然、犠牲者もうなぎのぼりだ。
戦国時代の初期は、敵味方双方合わせて数十人、せいぜい数百人の犠牲者で決着がついていた戦争が、近代に入ると数千人、数万人の規模に膨れ上がった。さらに現代戦では、数十万から100万人単位の犠牲者が出てしまうのが当たり前となっている。ちなみに、第二次大戦の死亡者数は全世界合計すると約8,500万人だ。
人類は、時代を追うごとに殺戮の度合いを高めてきたのだ。
事実、士郎たちの時代では、過去数十年で既に全世界で数十億人の戦争犠牲者が出ているのが現状だ。
そんな中、不思議なことに日本では、長篠以降も決して抜刀襲撃戦法が廃れなかったのである。
それは、武士の時代からの日本人の精神性なのか、はたまた別の理由があったのか。いずれにしても日本人は、戦場において刀で決着をつける、という戦い方を決して忘れなかったし、捨てようとしなかった。
古い戦場写真を見るとすぐに分かるのだが、明治の頃から日本兵は、歩兵銃の先端に当たり前のように銃剣をつけている。銃床から切先までのその長さは、自分の身長よりも長い。
そう――「槍兵」の発想だ。
では「刀」は誰が使っていたのかというと、将校である。
将校たちは基本的に騎兵であると同時に、歩兵たちと共に突撃する際は、その軍刀をスラリと抜いて、先頭切って前進したものだ。
そうやって敵陣を落としたのが、日露戦争における旅順攻防戦であり、日中戦争における大陸打通作戦の中の数々の都市攻略戦だ。
さらに太平洋戦争では、南太平洋の多くの島嶼戦において、米海兵隊の陣地に夜間の切り込み戦を多数仕掛けている。もっとも、この時は、物量に勝る米軍に殆ど太刀打ちできなかった。米兵たちはこの無謀な襲撃を『バンザイ突撃』と呼び、多くの日本兵が米軍の嵐のような銃撃にその身を晒し、一太刀も浴びせることなく斃れていった。
だが、そうした史実の裏に築かれていったのが、日本兵の抜刀襲撃に対する恐怖心だ。
日本軍と戦った多くの外国軍は、異口同音にその凄まじさを戦史に語り継いでいる。それはそうだろう。日本兵は銃撃をものともせず、次々に自陣に飛び込んで来てはその銃剣や軍刀を突き立ててくるのだから。
人間は、本能的に刃物を最も恐れる。
それは、まだ類人猿の時代から、多くの肉食獣の鋭い牙や爪にやられてきたその恐怖の記憶が、私たち人間のDNAに深く刷り込まれているせいかもしれない。
そして事実、抜刀襲撃を仕掛けてくる日本兵は実に恐ろしかったという。その圧倒的な弾幕で、日本兵たちを陣地に近寄らせなかった米兵たちも、初期の頃は相当やられたのだそうだ。そのあまりの恐怖に、戦場恐怖症になって発狂、後送された海兵隊員も多数に上る。
何せ日本兵の側からすると、一瞬でも躊躇したら敵の鉛玉を喰らってしまうのだ。彼らは敵兵に肉薄すると、問答無用で切りつけ、薙ぎ払った。小銃が一瞬でもジャムると、敵兵たちには例外なく死がやってきた。
だから、戦闘自体は日本軍に勝ったとしても、襲撃を受けた陣地は常に酸鼻を極めたという。腕や脚が切り落とされているのはもちろん、袈裟懸けにされて胴体を無残に切り裂かれた者や、腸が零れた者などが辺り一面に倒れて呻いていたのだそうだ。
それは“戦い”というものの、最も原初的な姿だ。
21世紀は『ミサイルの世紀』と呼ばれるくらい、相手を見ずに戦うのが普通になった時代だ。彼我の距離は数百メートルどころか、数キロ、場合によって数百キロも離れていて、兵士たちは相手の殺気や怒声、悲鳴などを一切聞くことなく戦争を遂行する。
そんな時代にあって日本軍の抜刀突撃は、まさに刀の間合い――手の届く範囲、相手を睨みつけながらでの殺し合いだ。近接戦闘に慣れていない兵士たちにとって、それは何よりも恐ろしい戦法だったのだ。
そしてその恐怖は、間違いなくこの中国兵たちにも襲い掛かっている。
「――士郎っ! 敵兵が引いていくぞっ!!」
久遠が全力で走りながら隣の士郎に呼びかける。
「あぁッ! そうだな! みんな俺たちに恐れをなして逃げ出してるんだ!」
オメガチームが一塊となって抜刀突撃を始めてから、まだ数分も経っていない。だが、進行方向に立ち塞がっていた無数のゾンビ中国兵たちは、今や潮が引くようにその進路を空けていく。それはあたかも、モーセが紅海を断ち割るかのような光景だ。
寄生虫に身体の制御を乗っ取られ、自我を持たないはずの中国兵たちが、なぜこれほど逃げ惑っているのかは分からない。
恐るべき速度で、自分に向かって猛然と突進してくるオメガたちの気迫にたじろいだのかもしれない。
そのオメガたちが、容赦なく必殺の斬撃を繰り出してきて、
彼らが逃げ惑う理由は、きっとそのすべてなのだろう。『
それは、もしかしたら彼らがまだ人間としての心をどこかに残しているせいなのかもしれない。その時の士郎は、きっと無意識にそんな風に感じていたのだろう。彼らはまだ、人間なのだと――
あっという間に、オメガたちは戦闘区域の端に辿り着いた。目の前には、中国軍の督戦隊が阻止線を張って待ち構えていた。その後方には、広大な皇居が広がっていて、さらにそこには、今や無数の群衆が押しかけている様子が目に入る。目的地まで、あともう少し――
「――士郎さんッ!」「士郎きゅんッ!」
「くるみッ! ゆずッ! 任せたッ!!」
圧倒的な人体破壊の異能を持つ二人が、すかさず名乗り出る。士郎は咄嗟に先頭を譲った。その途端――
ガガガガガッ――!!!
ドガガガガガガガガッ!!!
急速接近中のオメガチームを目視した督戦隊陣地から、一斉に猛烈な弾幕が放たれる。刹那、オメガチームはパァッと三次元に散開した。火箭が慌てて追うが、その銃撃は四方八方にその身を躍らせる彼女たちのスピードにまったくついていけない。
弾幕が虚空に散らばった瞬間、くるみが、ゆずが、敵陣地に向けてその異能を叩き込む。
ツゥ――――……ン!!!
大気の密度が急激に上昇する。鼓膜が圧迫され、周囲の音が一瞬掻き消えた。
次の瞬間――
パァァァ――ン!!!
複数の敵兵がその場で水風船のように弾け飛んだ。さらに複数の敵兵が、ガクリとその首を落とし、機関銃座から転げ落ちて頭を掻きむしった。隣の兵士を突然撃つ者、自分の頭に銃口を向ける者――
敵陣地は、あっという間に混沌に塗れた地獄と化す。
ますます磨きがかかっているじゃないか――
士郎はその光景を見て、彼女たちの異能が格段に“レベルアップ”していることを実感する。督戦隊が構築していた阻止線は、あっという間に崩壊した。オメガチームが、あっけなく突破していく。そこを超えれば、あっという間に大手門だ。
「――士郎くんッ! 皇居、入るわ!」
言い放つと同時に、
この時、ひときわ大きく飛び込んでいったのは、もちろん
文は、他のオメガの軽く三倍近い距離を跳躍すると、空中で未来たちを追い越して、一気に大手門の反対側に飛び降りていった。
その直後、ざわっ――と群衆がざわめく様子が聞こえる。あれッ――!?
その時、士郎は嫌な予感がした。
慌てて隣の久遠を見つめる。すると、その瞳がいつの間にか、燃え上がるように青く――青く煌めいていた。
後ろを振り返って、後方からピタリとついてくる
マズい――!
もしかするとこれは――
文たちに遅れること数秒――士郎は慌てて大手門に飛び込んでいった。身体の60パーセントを機械化した、そのオメガに劣らない圧倒的な身体能力で、文の飛び込んだあたりに必死で突っ込んでいく。すると――
彼女はそこにいた。
そして、文のいる位置から数十メートルの間合いを取って、群衆が円状に取り囲んでいる。いや――人々は、彼女から必死で距離を取っているのだ。
考える暇もなく、他のオメガたちもバンッ――と皇居敷地内に着地していく。
殺気が――辺り一帯を支配した。
オメガは、完全にアグレッサーモードを発動していた。そう――すべての生きとし生けるものを殺戮する、その本能を全開にして、その場に降り立ったのだ!
ギンッ――と大気が重くなる。
なぜッ――!?
士郎は、確かに近衛部隊に対し、群衆に向けて事前に甲型弾を撃つよう依頼していたはずなのだ。オメガはもともと「無差別で人間を殺戮する本能」を持っているからだ。
その恐るべき本能に対抗できるのは唯一、『
『甲型弾』は、幽世の血を引く士郎のDNAを元に作り出した特殊麻酔弾だ。これを対象者に撃ち込むことで、オメガたちはその殺意を消失させる。
ちなみに国防軍の兵士たちは全員、この甲型弾に封入されている通称『イスルギワクチン』を投与済みだ。彼女たちが“実験小隊”から格上げされて、実戦部隊に配備されたのは、これによって味方兵士を殺戮しなくなったことがきっかけなのだ。
だが、未だオメガに対して何の免疫も持たない彼ら一般市民には必須なのだ。なのに――!
その時士郎はハッとあることに気付く。
もしかして……弾数が足りなかった!? 今や国防軍の必需品として一定数が配備されている甲型弾であるが、さすがに数万人の群衆すべてに撃ち込めるほどの弾数を、近衛部隊は持っていなかったのではないか!?
あるいは、次々と皇居内に侵入してくる群衆に、対処が間に合わなかったか!?
いずれにせよ――
手遅れだった。
今や皇居敷地内に飛び込んだオメガたちは、その殺戮本能を全開にして周囲を
哀れな群衆が恐れをなして、必死で距離をとっているせいだ。
士郎ははたと気が付いて、自分の腰回りをまさぐる。確か自分もある程度は携行していたはずだ。すると、指先に固い容器が当たる。あった! 甲型弾の弾倉――!
慌ててそれを取り出して……そして士郎は絶望した。それは一連射――せいぜい40発程度しか入っていない。周囲を見回すと、目視だけで既にそこには数千人の群衆がひしめいていた。
「――や……やめろ! みんなッ!!」
士郎はオメガたちに叫ぶが、案の定彼女たちには、既に士郎の声など耳に入っていない様子だ。その美しい顔には凄惨な笑みを浮かべ、一歩、また一歩、群衆の方へ歩を進めている。
そのたびに人々は、後ずさった。
人々と言っても、それは『三屍』に支配され、既に人に非ざる存在である。目は虚ろで、表情には知性の欠片も感じられない。だが――!
彼らは間違いなく、オメガたちを恐れていた。つまり――人間なのだ。ほんの数週間前までは、平和に東京で暮らしていた日本人たちなのだ。
市民たちは、先ほど戦闘地域にいた中国兵たちと同じような素振りを見せていた。迫るオメガたちを恐れ、その恐怖から逃れようと、まるで追い詰められた草食動物のように怯え、肩を寄せ合い、一歩でも後ろに下がろうとする。
駄目だ――ここは皇居だ……市民を、人々を……殺めちゃいけない――!!
その時だった。突然、誰かが人々の前に立ちはだかった。群衆の最前面に仁王立ちになり、オメガと真正面から向かい合う。ほどなく、同じように立ちはだかる者たちが、次々と現れた。
――!?
あぁ……なんてことだ……!
目を凝らしてよく見ると、それは近衛兵たちだった。
それまでこの場所で、必死になって荒ぶる市民たちを押し留めようとしていた、近衛連隊、そして近衛憲兵隊の兵士たち――
その制服は既にズダボロで、顔面を始め露出している部分には無数の殴打痕や擦過創などが認められる。それでもなお……彼らは必死で市民の盾となり、オメガたちの無遠慮な殺意から彼らを守ろうとしていたのだ――
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