第451話 Z旗

 オメガたちのテンションがやたら高かった――というか、元気いっぱいだったのは、最後にくるみが士郎に質問した時、彼がくるみの“夢”を何故かキチンと認識していたからである。


 くるみだけではなかった。

 士郎はちゃんと、亜紀乃が自分の実の妹になっていたことも知っていたし、久遠と台湾で結ばれたことも知っていた。まだ自分が士官学校に入る前にゆずりはに出逢っていて、彼女のことを大切に想っていたことも覚えていたのである。


 それはつまり――いろいろな可能性のある複数の世界線を、彼女たちひとりひとりと士郎自身がしていたことの証拠でもあった。

 士郎がなぜそれらの世界線を同時に経験していたのか、それは分からない。本人によれば、気が付くとそれらの記憶が自分の中にあったのだという。


 いっぽうその後のヒアリングで、士郎と未来みくが今から1万年後の世界で再会していたことも分かった。1万年後――!!

 それを聞いた時の皆の驚きようは、到底言い表せるものではない。しかもその時代の地球は、現生人類ホモ・サピエンスの存続すら危ぶまれていたというのだ――

 だが最も戦慄したのは、その1万年後の地球に、神代未来が生存していたことだ。そう――不老不死とは、そういうことなのである。


 しかもその時の未来みくは「士郎と出逢っていなかった未来みく」と「士郎とちゃんと今の時代で出逢っていた未来みく」がしていたことも判明した。


 叶はその話を聞いてしきりに感心したものだ。

 よくぞそれが、量子論でいうところの重ね合わせ――量子エンタングルメント――の状態だと見抜いたものだ、と。

 それは、し、という仕組みのものだ。そして二人は、まさにその概念を利用して「この世界」の「この時代」に戻ってきたのだという。自分たちが、どうあるべきかということを強く念じ、その結果として、その状態にあるこの世界に戻ってきたというわけだ。

 士郎に『量子論』を教えたのは他でもない、叶である。自分のレクチャーが、彼らの帰還に少なからぬヒントを与えたのだという事実に、叶は軽い感動を覚えたのだ。


 さらに、それによって分かったことがある。

 未来みくがそうだったとするなら、もしかすると士郎もまたその時「さまざまな経験を経た自分」がのかもしれない――ということだ。


 そこから分かることは、たったひとつしかない――

つまり、現在から見た未来みらいというのは、どう転ぶか分からない、無数の可能性がで、している世界なのではないか――ということだ。

 だからこそ士郎は、オメガたちのそれぞれの“夢”を、同時に共有した存在だったのだ――


 それは、他のオメガたちのいわゆる“夢”も、無数にある世界線の可能性のひとつなのだということを意味していた。

 すなわち“夢”はただの“夢”ではなく、彼女たちの未来みらいの現実、実際に起こり得る可能性なのだ。


 オメガたちのテンションがそれによって爆上げしたのは言うまでもない。つまり、彼女たちはただ単に自分に都合のいい“夢”を見ていたわけではなく、本当に存在する未来みらいの可能性を垣間見ていたということになる。


 要するに、くるみはこの先、本当に士郎と結婚して子供を産む可能性があり、亜紀乃は士郎の妹になる可能性があり、久遠は士郎と恋仲になって甘い恋人生活を送る可能性があるわけだ。

 ゆずりはの場合は、過去の出来事が分かったという話だから、この先どうなるかは正直なところ不明なのだが、少なくとも過去のある時期、士郎は楪のことを恋人のように思っていたわけで、だとするとこの先焼け木杭ぼっくいに火が点く可能性は決して否定できない。彼女もまた、俄然やる気になったのは言うまでもなかった。


 つまり、未来みらいは誰にでも平等に広がっていた。


 どの世界線に進むことになるかは、まさにこれからの士郎と、そして彼女たちの選択次第だったのである。

 そのためには、士郎とともに自らが理想とする世界線を認識し、そこに収束していくよう頑張らなければならない。奇しくもそれは、若い恋人同士が思い描く甘い未来みらいを、お互いに語り合うようなものだった。

 そうか――恋人同士が未来みらいを語るのは、二人でその世界線を認識し、そこに収束していくための作業なのだな――と士郎は思った。だからやっぱり、二人の未来みらいが想像できないカップルは、結局別れることになるんだな……と妙に納得してみたり――


 いずれにせよ、未来みくかざりを含め、士郎が今から進むべき世界線の可能性は、少なくとも6本はあるということだ――


  ***


「あー……結構ヒドいね……」


 楪が、半球型のキャノピーに頭を突っ込んで下界を見下ろしていた。


「ゆず、そろそろ降下の準備をしろ」

「はぁーい」


 オメガチームが乗り込んでいるのは、垂直離着陸VTOL強襲降下艇――通称『飛竜』だ。本来空挺部隊である彼女たちにとっては、実験小隊の頃から乗り慣れている馴染み深い航空機だ。

 そのクジラのようなずんぐりとした鈍重な機体の腹部は貨物室になっていて、降下の際には機体底部のハッチが左右に大きく開かれ、そのまま空挺隊員たちを地上に向けて落としていく。

 推進装置は電磁誘導だから、ほとんど推進音を出さないのが特徴で、したがって隠密潜入作戦などには極めて高い親和性を発揮する。そのうえ現在はステルスモードだから、悠々と上空を飛んでいる今のような状況でも、地上の中国軍には一切気付かれていないはずだった。


 飛竜は東京都心部上空をぐるりと一周すると、一旦東京湾上空まで引き返す。今から他の部隊と合流して、都心にしぶとく残る中国軍を一掃するのだ。一大殲滅作戦が開始されようとしていた。


『――群長より通達。総員傾聴せよ』


 飛竜の戦術航空士TACCO席に座乗する新見千栞ちひろの声が、機内に響き渡った。

 士官学校を主席で卒業し、四ノ宮の副官を務める彼女は、オメガチーム結成当初からの戦術指揮官C2である。

 その役割は想像以上に重要だ。常に戦場上空にいて、彼我の位置、敵戦力規模、そこから導かれる攻撃対象の順位付け、脅威判定、部隊への展開指示など、最前線各部隊の戦術指揮を間近でサポートする。

 負傷した兵士の把握・後送指示なども彼女の役割だし、敵の攻勢を受けて劣勢に立たされた部隊を素早く救援するのもすべて彼女の裁量だ。


 要するに、新見が常に戦場全体を俯瞰して適宜的確な指示を出しているからこそ、兵士たちは安心して戦闘に臨めるのだ。そして一番大事なことは、彼女が戦術指揮官C2を務めた作戦は、今まで一度も敗北したことがないという事実だった。

 だからその声が彼女だと分かった時、作戦参加の兵士たちは誰もが大いに志気を上げたのだ。よし――俺たちは、勝つ!


 その音声は、すべての兵士たちの耳に届くよう、あらゆるチャンネルから送られていた。

 ピッ――と回線が切り替わる微かな音が響く。


『――こちらはオメガ特殊作戦群、群長の四ノ宮だ』


 よく通る凛とした声が、首都圏全域の兵士たちの鼓膜を震わす。四ノ宮は、既に空母『赤城』に帰還していた。幕僚長の坂本に指示され、今作戦の総指揮を担うためだ。


『――先日来我々は、首都東京に居座る中国軍の掃討に努めてきた。だが、思わぬ敵の登場により、現在その試みは思うような成果を上げていない――』


 思わぬ敵――というのは、もちろん敵辟邪、アイシャのことだ。士郎たちは、黙々と空挺の準備を整えながら、クッと唇を噛み締める。


『――しかし、ようやくその時が来た。今我々は、反撃の剣を整えたのだ。これより奴らに怒りの鉄槌を下す!』


 その瞬間、ヴン――と兵士たちのボルテージが上がったような気がした。士郎たちオメガチームは、帝国陸海軍の出現と、それを活用した東京湾強襲上陸作戦、そしてその後のアイシャとの激闘の状況を、つぶさに聞いている。そしてその大反攻作戦が、自分たちの不在のせいで思わぬ苦戦を強いられていたことも、もちろん承知していた。


 先ほど都心上空から見下ろした地上の光景は、想像以上に酷いものであった。

 あちこちに丸くクレーターのような焦土が広がっていて、そうでないところにも黒焦げになった無数の遺体や、粉々に瓦礫化した建物の残骸が延々と続いている。いったいどれだけの犠牲が出たのか、想像すらできなかった。

 その時自分たちさえいれば、ここまで酷いことにはならなかったのにと思うと、本当に胸が張り裂ける思いだ。


『――現在我が国は、諸兄の勇戦奮闘によりほとんどの地域で中国軍の掃討を完了している。台湾から戻った水陸機動旅団は大損害を蒙りながらも緒戦で九州全域を解放し、北海道の第7師団は各地で敵戦車部隊と刺し違えてきた。各地の駐屯部隊も、それぞれの管轄区域でよく敵を食い止め、鬼神をも哭く死闘を繰り広げてくれた。改めて感謝申し上げる。だが――』


 四ノ宮は声を張り上げた。


『――首都東京の解放なくして、この戦争に勝利はない! 特に現在、皇居を包囲している中国軍は、我が国の国体の根幹を破壊せんと、その卑劣な刃を未だ研ぎ澄ましている!』


 現在、皇居には数千人の近衛連隊が決死の籠城を続けている。その周囲には未だ数万の中国軍が健在で、さらにその外周、いわゆる山手線の内側地域一帯には、敵味方入り乱れて十数万から数十万の軍勢が各地で激しい市街戦――陣取り合戦を繰り広げていることを、国防軍は把握していた。


『――かくなるうえは、全軍をもってこれを撃滅せんとす! 本作戦には、国防軍のみならず、時空を超えて馳せ参じてくれた帝国陸海軍将兵、そして同盟国である米国からの義勇兵たちも参加している。まさに天下分け目の決戦である!』


 首都圏全域に、兵士たちの熱気が静かに拡がっていった。誰もが、これが最終決戦であることを理解している。前進か、死か――兵士たちの選択肢は、今やこの二つしかない。


『――諸兄らは、既に覚悟を決めていることだろう。この作戦で、生きて還るつもりはないはずだ。だが! そんな諸兄らの先頭には、我が軍の誇る特務兵部隊――オメガチームの7名が先鋒として立つ。各員、オメガに続け! オメガが斃れたならば、その屍を踏み越えよ! 命を惜しむな! 名こそ惜しめ! 本日、天気晴朗なれども波高し――皇国の興廃この一戦にあり! 各員一層奮励努力せよ! 以上だ――』


 一瞬の静寂ののち、割れんばかりの雄叫びが、関東一円に響き渡った。


 その直後、赤城のマストにスルスルと旗が掲げられる。対角線同士を「×」状に結び、左から時計回りに「黒」「黄」「青」「赤」の4色に染め抜かれた、特別な旗だ。


 Z旗――

 それは、日露戦争における日本海海戦以来、日本軍の間で「決戦」の時にのみ使用される、不退転の覚悟を示す信号旗であった。その意味を知らない日本軍兵士はいない――


 Z旗掲揚の映像は、瞬く間に全軍に共有された。もちろん、戦艦大和や駆逐艦冬月をはじめとする連合艦隊各艦、そして関東近郊に展開する帝国陸軍将兵たちにもだ。


 それは、何にも代え難い戦意高揚のアイテムだった。今や全軍のアドレナリンが沸騰していた。


 赤城の作戦室にある大型モニターで、何やら数字がクルクルと回転し始めた。作戦開始に向けた、カウントダウン表示だ。

 既に準備を整えた士郎たちオメガチームも、『飛竜』の貨物室の中で懸垂索にぶら下がっている。そのヘルメットの画像投影装置イルミネーターの端にも、同じカウントダウンが表示され、激しく数字を刻み始めていた。


 東京湾上空には、F-38統合打撃戦闘機JSF部隊も旋回を続けていた。そのコクピットでも、カウントダウンは進行している。

 東京湾沿岸の水中には、チェン美玲メイリン少尉率いる多脚戦車部隊がにじり寄っていた。その棺桶のような狭いコクピットにも、やはりカウントダウンが――


 すべての将兵のそれぞれ目に見える位置に、カウントダウン表示が等しく踊っていた。


「――こりゃスゲエな……いったい何が始まるんだ!?」


 特殊舟艇に乗り込んだエヴァンス兵曹が、どうしても堪えきれずに隣の男に声を掛ける。マンキューソがニヤリと笑ってそれに応じた。


「ようマット、さてはビビッてんな!?」


 エヴァンスは図星と見えて急にあたふたする。


「――そ、そりゃそうだろう!? こんな大作戦、俺は今まで参加したことねぇんだ……お前らだってそうだろ?」

「ま、確かにこれは、滅多に経験できないな。こんなクレイジーな戦争、俺たちの国じゃもはやあり得ないからな」


 エドモンドが、ジッポーの火をボシュッと点ける。その行為自体が、彼らにとっての“この作戦”を物語っていた。

 通常、特殊部隊員オペレーターは戦場で煙草を吸わない。臭いと煙で敵に気付かれるし、痕跡がどうしても残るからだ。秘匿行動を常とする彼らは本来、『サンダース軍曹』みたいな真似はしないのである。

 だが、この大作戦はもはや秘匿行動もへったくれもない。数万の軍勢が正面から敵陣に激突する、由緒正しく伝統的な、大軍同士の決戦なのである。非対称戦争に明け暮れる米国では、今や経験したくても到底叶わないシチュエーションであった。


 彼らの画像投影装置イルミネーターにも、カウントダウンが表示されている。


「――まもなく作戦開始1分前だ。神に祈るかい?」


 マンキューソがマットの顔を覗き込む。


「いや、日本には神さまが800万もいるらしいからな……祈るったって、どの神さまに祈ればいいのか分かんねぇ」

「――だな。じゃあここはひとつ、例のオメガちゃんたちに声援を送っとくか!?」


 そう言うと、SWCCスイックたちは上空を仰ぎ見た。その瞬間、漆黒の機体が数十機、エヴァンスたちの頭上を猛烈な勢いで飛び越していった。次の瞬間――


 空全体に、無数の黒い点がパァッとぶちまけられていく――!

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