第419話 ジャッジメント

 その時イシスは、恍惚の表情を浮かべていた。

 少なくとも士郎には、そのように見えた。


 自らが発する大閃光――やがてそれは青白光となり、神代未来みくそっくりのその女神は、地表に幾つもの光弾を投げ込んだ。

 その瞬間、地面は瞬時に恐ろしく隆起したかと思うと、まるで液体のようにその表面を波打たせ、波紋となって同心円状に広がっていった。それは、まさに大地が溶岩のように融解した瞬間であった。

 そして地表にあるすべてのものは、無慈悲な閃光によって蒸発した。それは太陽がいくつも地表で爆発したかのような光景だ。


 核爆発――


 それは間違いなく熱核爆発だった。士郎がまだこの世――といっても『現世うつしよ』のことだが――に生を受ける前、米中戦争が勃発し、追い詰められた北京政府は自らの大地を犠牲にして多国籍軍の頭上に戦術核を撃ち込んだ。

 それは、1945年にヒロシマ・ナガサキに原爆が落とされて以来、実に約80年ぶりの悲劇であったが、それ以来、人類はついに核を使うという禁忌を禁忌と考えなくなった。

 賛否両論あれど、戦後日本が世界に向けて真摯に核廃絶を訴えてきたことと、米国を含めた世界の良心が、この「原爆投下」を人類最大の罪だとしてきたことで醸成されてきた“心理的なダム”がとうとう決壊したのである。

 それ以降、主にアジアにおいて核兵器は頻繁に使用されていく。中国は敗戦直前の最後の抵抗としてインドに核を撃ち込んだし、インドはその報復としてやはり中国に核の応酬を行った。

 当時まだ存在していた半島国家は、日本国内に潜入して原子力発電所をメルトダウンさせるという“核テロ”を引き起こし、それを引き金として理性を失ったかの国は、次々に核弾頭を搭載した弾道ミサイルを日本に撃ち込んできた。

 その後、日本の報復攻撃により半島は焦土化したが、その結果として無政府状態と化した半島と、米中戦争の結果四分五裂した中国大陸は大混乱に陥り、その後も時折核物質による悲惨なテロが起きたりもした。


 だから士郎は良く知っているのである。軍に入れば、その当時の実際の現場映像や各種報告・データは死ぬほど見聞きする。核兵器への対処は、軍における最優先事項となったからだ。

 もちろん士郎自身、大陸での戦闘で熱核爆発に近い現象に遭遇したし、『幽世かくりよ』での出雲市攻防戦においても、やはり極小規模な熱核爆発に近い現象を目の当たりにした。

 だから間違えるわけはないのである。今目の前で起こっているのは、間違いなく核兵器による破滅的な大爆発だ――


 すぐ目の前で核爆発が起きたのに、自分たちが搭乗する飛行デバイスに何の影響も出ていないのは驚きを通り越して不思議であったが、それもこのオーバーテクノロジーゆえのチート性能なのだと納得するしかない。

 この謎のデバイスは、もはや士郎が知っている航空機の概念とは完全に異なる存在なのだろう。そんなことより――

 士郎はもうひとつの問題に戦慄を隠せないでいた。


 地上には、敵対するネアンデルターレンシス軍だけではなく、士郎たちと同じホモ・サピエンス軍がいたのではないのか――!?


 先ほどの爆発――まだその爆発は全然収まっていなくて、見渡す限りの大地には方々にキノコ雲が立ち昇っている。大地はマグマのように溶け、辛うじて蒸発・融解を逃れた周辺一帯の巨大植物の大森林は爆風によって放射状に倒れていたが、そこは見渡す限り火炎地獄だ。

 少なくとも士郎が見る限り、そこに動くものはもはや存在しない。


 先ほどまで、あれほどの大軍勢が大地を覆っていたというのに――!


<――なぜ……なぜ味方もろとも吹き飛ばしたッ!?>


 士郎は怒りの思念を脳内に充満させる。この世界のコミュニケーションは、すべて精神感応テレパスによるからだ。


<……あはははっ……だってあなたたちでは決着がつかないから、私を呼んだんでしょっ!?>


 突然頭の中に響いてきたのは、それまで常に士郎と会話を交わしてきた男の声ではない。間違いなくそれは、目の前にまるで十字架に磔にされた聖人のように空中浮遊する、イシスの声だった。

 だが、その声色が完全に神代未来の声と一緒であることに、士郎は激しく動揺する。


<――み……未来なのかっ!? なぜこんなことをするんだッ!? 決着がつかないと、みんな滅ぼしてしまうのか……!?>


 士郎の心の底からの思念に、束の間沈黙するイシス。だが、やがて準備は整ったとばかり、おもむろに声が聞こえてくる。


<――ミク!? ミクって誰? あなたは私のことを知らないの!? そしてヒトを滅ぼしたのは……私がここに呼ばれたからよ!? 滅ぼすとなった以上、どちらも等しく滅ぼすしかない。自分で決着がつけられなかった以上、両方退場するのがルール……どう?>


 どう? という言葉には「私のロジックに何か問題ある?」という挑発的な響きが含まれていた。

 だが、士郎はここで負けるわけにはいかない。


<どうって……なぜ両方滅ぼさなきゃいけないんだ!? というかそもそも滅ぼす必要があるのかッ!? 両者は共存させるべきだッ!! 決着がつかないなら、むしろ停戦させるのが筋だろう!?>


 分かっている――

 自分が青臭いことを言っているのは、十分自覚があるのだ。どういう経緯であれ、自分はこの世界では部外者だ。この世界にはこの世界の、常識とか価値観とか……そういったものがあることも分かっている。

 だが、これは単なる「人付き合い」のいざこざじゃないのだ。

 確かにホモ・サピエンスという「ヒト」と、ネアンデルターレンシスという「ヒト」の付き合い――というか両者の関係性を巡ってのトラブルであることは既に十分理解しているが、ことは生物種の存亡に関わる問題なのだ。

 確かにこの地球上――かどうかもまだ正確には証明されていないが――の、今この瞬間には決着がついていないかもしれないが、これから長い時間をかけてゆっくりとお互いの理解を深めていけば、いつの日か分かり合える日がくるのではないか――!?


 そして、何かを解決する時に「滅ぼす」という選択肢は常に後回し――最終手段にするべきだ。国家間のいざこざだって、最初は話し合いでなんとか妥協点を見つけ出そうとお互いが努力するじゃないか。それが外交であり、文明国の在るべき姿だ。

 そして、実力行使――「戦争」は、常に最後の手段であるべきだ。だからこそ伝家の宝刀――軍事力を行使した瞬間、士郎たち軍人は全力を尽くして「勝ち」を取りに行く。自分たちが前面に出ていくということは、それが外交における最後の手段だと分かっているからだ。

 ここで負けたら、後ろにいる国家や国民が負けることを意味するのだ。


 だが、このイシスの考えはまったくもって理解できない。物事を解決する手段として、実力行使を選ぶなんて――

 だったら人間の理性とは何だ!?

 話し合いを拒み、最初から喧嘩腰で相手に向かっていくなんて、ただのゴロツキ、獣じゃないか。お互いの妥協点を見いだし、共存することこそが、同じこの地球上で生きていく者たちの務めではないか――


<……なるほどねぇ……アナタの考え、キライじゃないわ――>


 え――!?

 もしかして、さっきから考えていたこと、すべて相手に……イシスに筒抜けだった!?

 そうか――精神感応……


<――でも、全然ダメ>


 イシスは言い放った。


<……まず、最終的に共存できると考えているのが甘すぎるわ。だったら何故あなたたちエノシュは、今まで何度も何度もアカーを滅ぼしてきたの?>


 『エノシュ』というのは、恐らくホモ・サピエンスを指す言葉なのだろう。それにしてもこの単語、どこかで聞いたことがあるような……

 いや……今はイシスとの議論に集中するんだ――


<……!? 何度も……? 滅ぼしてきた……!?>

<えぇ――今回で、もう何度目かしら? でも今回はあなたたちの望みを聞き入れて、それぞれのヒト種がある程度進化するまで待ってみたわ……文明が限界に達するまでね……>


 な……なんだと……!?


<――でも結局こうなったじゃない!? 結局ヒトは、別のヒト種と共存できないことが分かった。まぁ……それはもともと分かっていたことだけれど……>

<――そもそも自分と同じ種族同士でも共存できないのだから、他種人類と共存なんて最初からできるわけないのよ――>

<――でも正直なところ、アカーのほうがまだマシだったと思うわ……彼らは少なくとも、この星に負担を掛けないように生きる道を選んでいたもの……>

<――あなたたちエノシュはこの星に寄生し過ぎている。だってアカーの10倍もいるのよ!? この星のすべてを食い尽くす気なの!?>

<――最初はアカーが勝つと思っていたわ。だってエノシュは生物種として弱すぎる……でも驚いたわ。個体の生命力がないと自覚した途端、死ぬほど子供を産み始めたんだもの! 弱くてすぐに死んじゃうから、それを上回る数の子供を産む――確かにそれは発想の転換だったわ。それについては種の生存戦略としてアリだもの……>

<――でも、だからこそ控えめなアカーと大幅に個体数の差がついたんだわ。彼らが気付いた時には、エノシュは増えすぎていた……どんなに勇敢な戦士でも、最終的に数には勝てないわ>

<――そしてあなたたちは、自分たちと似たような存在を絶対に認めようとしなかった。いっぽうで、自分たちとは異なる者の存在も認めなかった。だからどうしても争うことになった……アカーとの諍いは、常にあなたたちエノシュが引き起こしたんだもの……気持ち的にはアカーの肩を持ちたくなるわね>

<まぁでもルールだから――どちらかが覇権を握るまでは、イシスは手出しをしない……その結果、どちらも主導権を獲れなかった……>

<――だから今回の競争はこれでお終い。ゲームオーバー。次の文明に期待しましょ!?>


 イシスはここまで一気にまくし立てた。

 いや――彼女の言葉に一切反論できなくて、一方的に話を聞くことしかできなかったというのが正直なところだ。


 士郎は打ちのめされていた。人類は――

 ホモ・サピエンスは、存在そのものが既に“悪”なのか――


 士郎のような考え方を持つ存在は、おそらくこの世界では皆無なのであろう。種の原初的な本能として、ホモ・サピエンスは別種の人類との共存を望まない。それどころか敵視している。それは恐らく、彼ら――『アカー』と呼ばれているネアンデルターレンシスたちが、いつでも『エノシュ』――ホモ・サピエンスに取って代わることができるほど、その能力が拮抗しているせいであろう。自分たちを脅かす存在は、理屈抜きで排除する――それは、生物種の保身本能としては至極真っ当なことなのだ。


 自分たちとよく似ていて、同時に異なる存在――


 そんな相手と共存しよう――などと考えること自体、種の生存を脅かす危険な考えで、異質な存在……集団、群れの中のいわば『異物』『バグ』なのだ。

 他者を排除しようとするのは、人類種のそもそもの本能なのだ。だが――


 士郎は最後の力を振り絞って、イシスを問い質す。


<――だが……ここで二つの種族を滅ぼすということは……もはやこの星では人類という存在が消滅するということなんじゃないのか……!? そんなこと……生命進化に対する冒涜だ! どんな種も、恣意的に滅ぼされてはならないはずだ――>


 だが、イシスはふふんと鼻で笑った。


<――何を言っているのかしら……!? 先ほども言ったでしょ? これで何回目かって。あなたたちは10万年もあれば再び進化して、また新たな文明を築く。それに、別に原生生物まで戻る必要はない。毎回アカーとエノシュはアカーとエノシュになったところからゲームを始めるの……>

<――あ、そうそう。忘れないうちに言っておくわ。どんな種も恣意的に滅ぼされちゃいけない、とか言ってるけど、エノシュがこれまで地球上の生物種をいくつ滅ぼしてきたと思っているの? それを棚に上げるのは許されないわ。だからエノシュもアカーも、あなたたちが他の生物種にしたように、やっぱり誰かの恣意的な振る舞いで滅ぼされるの。でないと他の絶滅した生物種たちに申し訳ないわ>


 士郎は言葉もなかった。

 いろいろなことが、あまりにも衝撃的で、あまりにも士郎の感情を抉った。


 人類文明は今まで何度も興隆と滅亡を繰り返しているだと――!?

 そしてその文明は、必ずどこかで誰かが「ゲームセット」を宣言し、滅ぼされるのだと……


 では、そのゲームセットを宣言する者とはいったい誰だ!?

 もちろん、今目の前にいるこのイシスという名の、未来にそっくりな子は、どちらかというと執行者エクセキューターだ。では審判者ジャッジメントは――!?


<――決まっているじゃない……それが神と呼ばれる存在よ。ホラ、今もあそこからこの星を覗いているわ>


 そう言って、イシスは空の方を指差した。

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