第387話 リザレクション(DAY9-38)
後日、叶が調べたところによると、驚くべきことに「オド」という名の物質は、かつて18世紀の中頃、化学界において提唱されたことがあったそうだ。
提唱者はドイツの化学者カール・フォン・ライヘンバッハ。彼曰く「オド」とは宇宙に存在するすべてのものから発出する未知のエネルギーで、重さも長さもないが計測は可能――すなわち、観測可能な物理的効果を及ぼす物質なのだという。
その後学術の発展に伴い、この学説はある種のトンデモ理論、似非科学として抹殺されるに至った。今ではごく一部のファンタジー小説などで“魔術の根源”のようなものと間違って解釈され、空想物語の中のコンテンツとして消費されているのみだ。
だが、今になって考えると、ライヘンバッハの提唱したこの理論は、まさに量子論の本質を突いたものだったと認めざるを得ないだろう。
彼が言及した「オド」の性質は、まさに量子そのものだったからである。
そして今、士郎とくるみはその「オド」を交換――より厳密に言うと、欠けてしまったくるみのオドを補充するべく、士郎のそれを彼女に譲り渡す秘儀が行われていた。4次元世界の物理法則に縛られない、7次元存在であるウズメさまの手によって――
それはまさしく、かつてハルビンで
ウズメの手によって、まるで磔刑に処せられたかのように中空に浮かび上がった二人は、その直後まさに粉々になって量子レベルに分解した。
この世界の物質の、真に最小単位であるところの
再び人間の形に再結合しつつあった。
徐々にその靄は、うっすらと光り輝きながら人の形に収斂していく。それは周囲で見ている未来や久遠、そして叶にとってまさに、人類誕生、生命創造のような圧倒的神々しさに包まれたものであった。
創世記1章3節――神は仰せられた 「光あれ」 すると光があった――
あぁ、そうか――
聖書のこの記述はまさに、今のような光景を語っていたのだな……
その場にいた誰もが、そう思ったに違いない。いや、もしかすると巫女の血筋を引いた久遠だけは、古事記の一節の方を思い出していたのかもしれないが……
やがて二人は、まさに生まれたままの姿で――ただし先ほどとほぼ同じ年恰好で――その場に見事に顕現した。無事に再結合を果たしたのだ。その時、二人の全身は、何かの柔らかい光に包まれていて、その輪郭は全体的にうすぼんやりしていたと思う。
「…………」
最初に動いたのは、くるみだった。
彼女は、最初その瞳の焦点がまるで合っていないかのように見えた。だが、時間の経過とともにやがてその中心には光が宿り、しっかりと意思を持ち始めた。
そして、今度は自らの全身をぶるっと一瞬小刻みに震わせたかと思うと、徐々に地表に近付き、やがて音もなくその場に降臨する。
「……あ……」
くるみは、僅かに口を開く。そして、未だ頭上に浮かぶ自らの分身――士郎となるべき存在――をゆっくりと見上げた。
それに反応したのが、今度は士郎の方だ。
彼はくるみの視線から迸る何がしかの光に包まれたかと思うと、やがてその全身の血管に沿うように、何らかの光の流れを、まるで脈動のようにドクンドクンと受け取った。
それが刺激となったのだろうか――やがて士郎もまた、その両目を開け、今度は逆にくるみをゆっくりと見下ろし、じっと見つめる。
その瞬間、彼を包んでいた穏やかな光は一瞬強く煌めき、そしてついにはその肉体をはっきりとこの世界に顕したのだ。
やがて、先ほどのくるみと同じように、彼もまたその肉体をゆったりと地表に降下させ、地に足がついたところでようやくその纏っていた光を脱ぎ捨てる。
気が付けば、それと時を同じくしてくるみもまた、その光を脱ぎ捨てていた。
一同の眼前に現れたのは、恐らく見事オドの共有を成し遂げたと思われる、二人の男女の裸体だった。
「――し、士郎くん……?」
未来が思わず話しかける。
すると士郎が、ゆっくりとその眼差しを彼女に向けた。
「……未来……!?」
「良かった! 士郎くん、なんともない!?」
「士郎ッ!? 大丈夫かッ!?」
久遠も前のめりに声をかける。
「……久遠も……あぁ、大丈夫だ」
その途端、士郎はハッと気づいたかのように周囲を見回した。そして、すぐ隣にくるみが――そう、彼のよく知る、美しいままのくるみが――ぼぅっと立ち尽くしているのを見つけて、心から安堵した表情を浮かべる。
「――くるみッ!?」
その声に、くるみは最初気付かない様子であった。だが一瞬のち、こちらもまたハッとした様子で隣を向く。そこにいたのは――
「……し、士郎さん……!?」
「あぁ! そうだ、くるみ、大丈夫か!?」
「「くるみちゃんっ!」」
一気に周りから呼びかけられ、一瞬くるみは戸惑いの表情を見せたが、やがて自分の身に何が起こったのか理解したようだった。いや、厳密には「オドの共有」などという概念は知らないだろうから、ただ――自分が瀕死の重傷から何らかの手段で蘇ったことだけを――理解した。
「――どうやら上手くいったようですね!」
叶が、驚きと喜びがないまぜになった表情でウズメを振り仰ぐ。だが神さまは、さも当然といわんばかりに人間どもを
「――どうじゃ!? 娘よ……生き永らえた感想は?」
突然上から降ってきた声に、くるみはようやくそこにウズメさまが浮かんでいることに気付く。
「――う、ウズメさま……えっと……私はいったい……」
「うむ。そなたは死にかけておったからの、少しこやつのオドを分けてやった」
「……オド……?」
「……まぁ、それについては後でこの者たちに訊くがよい。いずれにせよ、そなたは助かったということじゃ」
「あっ――!」
その時初めて、くるみは自分が死にかけていたことを思い出した。敵
そうだ……私は確か黒焦げになって……途切れ途切れの意識の中で、誰かに運ばれて……そこから先のことは覚えていない。
唯一記憶にあるのは……そう、士郎さんが私を
そういえば、身体がどこも……痛くない。
あの時、猛烈な熱気に包まれて、私は全身が熱さで爆発するのではないかと思ったのだ。その熱さ――痛みはあまりにも耐え難く、この世の地獄かと思ったくらい……
そう――防爆スーツに包まれていない両手などは一瞬にして燃え上がったほどだ。手指の肉があっという間に炭化して……そんな恐ろしい光景を見ていたら、今度は目が沸騰した。自分でその恐ろしい感覚が分かったのだ。
それを思い出すにつれ、くるみはガタガタと震えはじめた。あまりにも恐ろしい体験だったから、身体が恐怖で引きつり始めたのだ。だが――
その瞬間、横にいた士郎がギュッとくるみの腰を抱き寄せた。すると、あぁ……なんて穏やかで……優しい感覚だろう――
くるみは一瞬にして自分がとてつもない安心感に包まれるのを感じた。先ほど僅かに頭をもたげた恐怖感が、一瞬にして消し飛ぶ。
そしてその時初めて、くるみは自分が全裸だということに気付いたのだ。
「あ……////」
だが、不思議と羞恥心はなかった。むしろくるみは、この自分の美しい裸体を皆に見せたいとまで思った。とりわけ、それは隣に立つ士郎にだ。
士郎さん――そういえば、なんだろうこの感覚……!?
今の私は、士郎さんとどこまでも一緒にいる感覚に包まれている。それはまるで、裸のままベッドで士郎に背中から抱きすくめられているような……そんな甘い感覚――
すると、ウズメが語りかけた。
「娘よ――そなたの身体は今、見事に再生を果たした。こやつは――」
と言って、足元にたまたまいた叶に顎をしゃくる。
「――こやつは何も言っておらんかったがの、そなたの腹には大きな穴も開いておったから、それも元通りにしておいた」
「あッ……あ! ありがとうございますっ!!」
くるみはようやく意識が明瞭となる。そうだ――私は少し前、銃弾を腹に受けて、子宮摘出だ何だと衛生兵クンに迫られていたのだ。そして自分はそれを拒絶した。士郎さんと結ばれることだけを夢見ていたのに、肝心の身体の機能が失われては、元も子もない。
だが、それすらも直してくれたなんて――!?
ウズメがもう一言、畳み掛ける。ただし今度は、本人にだけ聞こえるように、囁き声でだ。
「――それとの……そなたの貞操も元に戻しておいたぞ」
「えっ……?」
「それが望まれたものではないと、そなたの記憶に刻まれていたからの……サービスじゃ」
「…………////」
くるみは、その言葉が意味するところを徐々に理解し……そしてその目には知らず熱いものがこみ上げる。
それってもしかして――私の身体は清らかになった、ということ!?
あの悪夢のような日々さえリセットされ、そして私はもう一度……胸を張って士郎さんの前に……立てる――
「――あの……くるみちゃん……!?」
横から未来が話しかけてきた。
だが、士郎は何かを察したのか、首を横に振る。言わなくていい――
「――いや、何でもない……良かった……元気になって……」
ふと振り返ったくるみに、未来が慌てて笑顔を向けた。
「……う……うんっ! ありがとう未来ちゃん……久遠ちゃんも……」
「あぁ、そうだぞ!? いくらなんでも、心配かけ過ぎだっ」
「きゃっ!」
久遠が嬉しそうに彼女に飛びついてきた。
「もう、どこも具合はいいのか!?」
「うん! なんだか前より元気いっぱい! というか、身体の底からパワーが
それはそうだろう――と誰もが思った。
士郎は痩せても枯れてもオメガ特戦群という特殊部隊の将校なのだ。もともとの身体能力は並の兵士どころではないし、ましてや男性だ。「オメガ」という要素を抜きにすれば、どうしたって女性より男性の方がフィジカルが高いに決まっている。
そんな士郎と「オド」を共有しているのだから、くるみにパワーが漲るのも当然なのだ。
いっぽう、士郎は士郎で別の感覚に戸惑っていた。
ありていに言うと、なんだか自分の身体に欲情しそうなのである。いや、物理的な肉体は、これまでと何も変わらない自分の身体だ。だが、どこか自分の中に“女性”を感じるのだ。
ウズメの話だと、自分はくるみに「オド」を分け与えるのだ、と聞いていたのだが、どこか想像していた感覚と違う。なんだか自分の中に常にくるみがいるような感覚――彼女を常に抱いているような不思議な感覚が、身体中を駆け巡っているのだ。
こんなこと、口が裂けても他の人には言えない――
「――おいおぬし」
「ひゃ! ひゃい!?」
唐突に呼びかけてきたウズメに、過敏に反応する士郎。すると、ウズメはニヤリと笑った。
「ははーん……どうやらおぬし――」
「な! なんですか!?」
「どうやらいらぬ感覚を覚えてしまったようじゃの?」
「どどどどーいうことですかっ!?」
士郎が慌てふためいていることに、他の者たちがあっけなく気付く。バレるのは時間の問題だ。
「――どうもこうも、欲情しておるのじゃろう?」
「「「――!!」」」
それを聞いたオメガたちは、一斉に士郎を見つめる。
「――欲情って……士郎くん?」
「えっ!? そ、そうか!!」
欲情――と聞いて、全裸のくるみに思い至ったのであろう。久遠が、慌ててくるみの前に立ち塞がる。国防軍の戦闘服は、基本各自にイニシャライズされた防爆スーツと装甲で出来ているから、パッと上着をかけてやれるような衣類が手元にないのだ。
だが、全裸といえば士郎だって全裸だ。ということは――
「……し……士郎さん……////」
「ま、まぁ……士郎くんも男の子だから……////」
「……だ、だな……これはしょうがない////」
3人のオメガが、全裸の士郎をまじまじと見つめて、そしてその目をある一点から外せなくなってしまった。
「――ぎゃあァァァ!!」
隠しようのない自らの欲情を3人にまともに見られて、士郎は思わずその場にしゃがみ込んだ。だが、もはや後の祭りだった。既に3人は、顔を真っ赤にして頬を上気させている。
「――これおぬし! 士郎よ!?」
ウズメが嬉しそうに声をかける。
「なななな何ですかっ!?」
「これは良き報せぞ? オドの交わりが正しく完了したことの証ぞ!」
「そ……そうなんですか!?」
「うむ。そして――」
ウズメはそこで、先ほどくるみに何事か話しかけたように、つぃと小声になり、士郎の耳許で囁いた。
「――そして、欲情しておるのはおぬしだけではない。この娘も、こんな涼しい顔――はしておらんか……こんな顔で先ほどから何度もイっておるではないか」
「えっ!?」
見ると、くるみは他の二人と同様、顔を真っ赤にしてはいたが、いつの間にかそれに輪をかけたように全身に汗を滲ませ、全体的に潤んでいるようであった。時折ビクン、ビクンと身体を痙攣させている。
「本当ならばここで一発まぐわってしまうのが一番良いのだがの」
「ちょっ……何言ってんですかウズメさま!?」
「分かっておる……まぁよい。顔でも洗って凌ぐがよいわ」
本当は、今回オドの交換を施したウズメが淫神であったことがすべての原因なのだが、たかが人間たちには、最後までそれを知る由もない。
その時、ポロンとインカムの呼び出し音が鳴った。
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