第365話 生贄(DAY9-16)

 撃墜されたパイロットの運命は、常に過酷だ。


 彼らの多くは、仮に生きて地上に降り立ったとしても、その直後からさまざまな苦難に直面する。

 一番多いのが遭難だ。

 密林や山岳地帯、砂漠、あるいは大海原――

 たまたま墜落した場所が人里から遠く離れていた場合、そこは大抵、人が生きていくにはあまりにも過酷な環境であることが多い。

 そもそも撃墜された時点で、パイロットは何らかの怪我を負っている可能性が高いのだ。そのうえ暑さ寒さ、飢え、乾き、そして獰猛な野生動物の存在――

 彼らがこの地獄から生還するために乗り越えなければならない障害は、あまりにも多い。


 次いで警戒しなければならないのは、敵兵や住民の存在だ。

 特に航空部隊は、敵地奥深くにまで入り込んで作戦行動することが多いから、撃墜されたら敵地のど真ん中でした、という可能性は極めて高いのだ。

 そうなると墜落したパイロットは、今度は敵地上部隊や現地住民に追われることになる。彼らは大抵、ものすごく恨まれているからだ。

 爆撃や機銃掃射を受ければ、地上部隊は手も足も出ないことが多いし、蒙る被害も甚大だ。しかも空から地上を攻撃するというのは「無差別攻撃」に近い行為だ。

 もちろん、ピンポイントで特定のターゲットだけを狙う時代になって久しいが、それでも地上でミサイルが炸裂すれば最低でも周囲数十メートルは吹き飛ぶし、その結果、本来は攻撃対象ではないはずの非戦闘員が巻き込まれるケースが今でも後を絶たない。

 21世紀前半、「テロとの戦い」と称して欧米諸国がアラブ世界で繰り広げた無数の空爆は、結果的に無辜の市民の犠牲を無限に拡大し、それによって新たな反欧米テロリストを生み出すという愚かな悪循環を繰り返している。


 話を元に戻す。

 ともあれ、そんなことをやらかした張本人パイロットがフラフラと目の前に落ちてくれば、誰だって復讐しようと考えるだろう。いや、もう少し正確に言うと、撃墜されたパイロットに危害を加えようとするのは、大抵が民間人だ。軍はむしろ彼らを保護しようとする。それが戦争のルールだからだ。


 実際、我が日本でもこうした実例は存在する。

 太平洋戦争末期、日本各地で無差別爆撃を繰り返した米国のB-29重爆撃機。超空の要塞とも呼ばれたこの巨大な爆撃機を、日本はなかなか撃ち落とせなかった。そのうち被害はとめどなく拡大し、戦争末期、硫黄島が占領されるとB-29を護衛する戦闘機まで従えるようになる。

 そうなると今度は爆撃以外にも、その護衛戦闘機が帰りの駄賃とばかりに地上の民間人に無慈悲な機銃掃射を繰り返すようになった。こうして民間人の恨み、憎しみは極限まで募っていった。

 そんな中、たまたま撃墜できることも何度かあり、そんな時搭乗員たちはかなり悲惨な目に遭ったのだという。

 当時は「鬼畜米英」である。住民たちは撃墜された米兵を見つけると、手に手に鍬やナタを持ち、包丁を持って押しかけた。集団で取り囲んでリンチを加え、最終的には殴り殺してしまうこともあったという。ただ救いだったのは、それを見た憲兵隊や警察は、住民の暴力から米兵を守るため、大抵慌てて駆け付けたということだ。

 まぁ一部では、捕まえた米兵を大学病院に送り、人体実験の材料にしてしまったという拭い難い事件も存在する(「九州帝国大学事件」)。だから日本人を聖人君子と言うつもりはないが、裏を返せばやはりそれだけ敵パイロットは憎まれていたということだ。日本の官憲も、別に友愛精神を発揮して彼らを保護しようとしたわけではない。それが国際法上のルールだから、個人的な感情は後回しにして歯を食いしばってそれに従っただけのことだ。


 だが、そんな武士道(騎士道)精神が残っていたのも、その時代までだ。

 20世紀末期から21世紀に入ると、むしろ状況は悪化する。撃墜されたパイロットが、敵地で残虐な扱いを受けるケースが増えてきたのだ。

 特に中東シリアやイラクで猛威を振るったテロリスト集団『ISIS(他に「イスラム国」「イスラミック・ステート」とも呼ばれた)』は、撃墜して捕まえた欧米や敵対する中東諸国のパイロットを、生きたまま火にかけたり、斬首するなどの非人道的な狂気を繰り返した。

 そして大抵の場合、パイロットは処刑する前に酷い拷問にかけられており、動画で懺悔させるなどの政治的プロパガンダにも使われた。彼らはもはや、単なる生贄となったのだ。


 だから大抵の場合、軍用機の乗員は、いざという時のためにさまざまなサバイバルキットや護身用の武器を携行して搭乗している。

 特に戦闘機の場合、脱出する際は座席ごと緊急射出ベイルアウトされるようになっているから、こうしたサバイバル用の資機材は最初から身に着けていて、最低限自分の身を守れるくらいには装備を抱えたまま墜落するわけだ。


 問題は、今回のようにガンシップが撃墜されてしまった場合だ。

 クルーは基本的に機内をウロウロ歩くから、戦闘機パイロットのようにサバイバルキットを常に身に着けているわけではない。大抵は機内の特定の場所にそうした装備品が収納されていて、いざとなったらそれを持ってパラシュート降下することになっている。

 ところが現実問題として、墜落の危険が迫った時に悠長にそんなものを引っ張り出している暇はない。大抵はパラシュートをつけるだけで精一杯。下手したらそのまま機体と運命を共にしたり、何も身に着けずにそのまま墜落直前に飛び降りたりする。まぁそうなったら、十中八九助からない。


 ガンシップのパイロットもそれを良く分かっているから、いざという時はクルーのために最後まで不時着を試みようとする。結果として、被弾した大型機パイロットの死亡率は異常に高い。最後まで操縦桿を握っていた証拠だ。


 ともあれ、仮にそんな彼らが無事に地上に辿り着いたとしたら、今度は戦闘機パイロット以上の困難に直面することになる。

 ガンシップのような輸送機タイプの航空機は、もともと戦闘機のような空戦機動を行っているわけではないから、案外無事に不時着するケースも多い。だが、機体も大きいからすぐ敵に見つかるし、墜落の衝撃で肝心のサバイバルキットを喪失したり、炎上して使い物にならなくなったりすることも多い。

 そうなると、クルーはまさに徒手空拳で生き延びるしかないわけだ。


 そして今、南戦線の敵部隊上空で撃墜されたガンシップは、まさに敵勢力圏のど真ん中に墜落したところだった。

 最初墜落の際の衝撃に巻き込まれることを恐れて遠巻きに見守っていた地上の敵兵たちは、ガンシップが無事に不時着したのを確認するや、今度は逆に機体に押し寄せてくるところだった。誰もが殺気立ち、我先に取り付こうとしている。

 先ほどこのガンシップが、ミニガンで敵部隊を蹴散らしていたことから推察するに、彼らの目的は分かり切っていた。

 クルーをとッ捕まえ、滅茶苦茶に暴行を加えるか、あるいはその場で処刑するか――

 もしくは捕虜にして酷い拷問を加え、生き地獄を味わわせるつもりなのか。


 いずれにせよ、ロクなことにならないのは目に見えていた。この世界の中国軍に「武士道精神」的な概念が存在しないのは、以前から分かっていたことだ。


『――指揮官より南戦線! ガンシップの乗員は半分生きてるぞ! 墜落地点に救援に向かえるかッ!?』


 すかさず士郎から連絡が入った。恐らく作戦指揮所の生命反応モニターで生死を確認したものだろう。

 ガンシップの乗員は全部で8名。まだ4人、生きている――!


「――やってみます! ですが、今からだと到底間に合いませんッ! すぐに敵兵が墜落地点に群がってくると思います」

『今航空救難兵パラジャンパーを差し向けた! それで少しくらい時間稼ぎになるはずだ。その間になんとか――』


 ハッとして見上げると、ヒィィィ――ンという微かな駆動音とともに、救難マグレブが墜落地点上空に突っ込んでいくところだった。すぐに目標地点に辿り着くと上空を旋回し、必死に地上を掃射している。つまり――敵兵が既に墜落地点に押し寄せているということだ。


「亜紀乃さ――」

「私ッ! あそこに行ってきますッ!!」


 田渕が亜紀乃の手を借りようと声を上げた瞬間、彼女はタンッ――と跳躍して、墜落地点に向かった。今こそオメガの出番なのだ。それは、亜紀乃自身がよく分かっている。なんとか間に合ってくれ――!


「――我々も現場に行く! 一個小隊、ついて来いッ!!」


  ***


 ガンシップは半壊していた。

 辛うじて機体の原型は留めているが、大きな主翼の片側は、半分から先が吹き飛んで欠損している。さらに、機体の中央部――ちょうどミニガンの弾倉があった辺り――は大きな穴が開き、胴体はその部分で完全に折れていた。当然それ以外にも、大小さまざまな傷や凹み、そして断裂や欠損が機体中に出来ていて、外から見ると半分くらい機体の内部が吹き抜けで見え隠れしているような有様だ。

 それらの破壊口からは、濛々と黒煙が噴き上げている。


 機体の後方には、延々と地面に擦った跡が続いていた。その導線上にあった家屋はすべて、無残に潰れているか、粉々に破壊されている。不時着痕だ。二度の空中爆発にも関わらず、パイロットたちはクルーを何とか助けようと、最期まで機体の制御を試みていたのだ。

 だが残念なことに、機体先端のコクピット部分は完全に潰れていた。それはつまり、その勇敢なパイロット2名は既に亡くなっているということだ。


『――もっと高度を下げてッ!』

『無理ですよッ! これ以上下げたら敵の銃弾で撃ち落とされちまう』


 墜落した航空機乗員の救難活動を行う航空救難兵パラジャンパーが、捜索救難SARマグレブのパイロットをインカム越しに叱咤しているところだった。といっても、既に高度は100フィートを切っている。

 時折ヴンッ――ピシッ――という唸音が聞こえて、彼らのすぐ傍を敵の銃弾が無数に掠めていることが分かる。既に地上のガンシップの機体は、多数の敵兵に取り囲まれていた。このマグレブが少しでも高度を上げたら、あっという間に奴らはガンシップに群がるのだろう。


 マグレブは、ガンシップの直上を小半径で旋回し始めた。高度を下げられない代わりに、せめて周辺を威圧する。側面に据え付けてある機関砲が唸りを上げて、地上の敵兵を薙ぎ倒す。


『――このままじゃキリがない! 懸垂降下ラペリングするぞ!』

『えッ!?』

『――だから、俺たちは降りる、と言っている!』

『――――!!』


 マグレブのパイロットは、それ以上何も言わなかった。ただ、絶句した――


 軍の航空救難兵は、警察や消防のそれと違って、戦闘中に救出活動を行う。当然作業の最中に敵の妨害があるのが普通だし、現に今だって墜落地点に敵兵が押し寄せ、呵責のない銃撃を延々と続けている。

 だからこそ彼らは、地上の搭乗員たちのところに強行降下を試み、何となれば一緒になって地上で敵を迎え撃つつもりなのだ。

 機体の中からは時折銃火が見える。恐らく生存している搭乗員が機体の割れ目から外の敵兵を狙い撃っているのだ。だが、いかんせん多勢に無勢。そのうち僅かな武器も弾薬が底を突き、そうなったらもはや押し寄せる敵兵を押し返す術はない。そのまま彼らは生身の身体を敵兵たちに晒すことになり、恐らく酷い暴行を受け、そのまま殺されるか、連行される。


 彼らはそんな死地に自ら降りようとしているのだ。

 恐らく降下すれば、最終的に彼らの命もない。ただ単に時間稼ぎになるだけだ。だが、敵地に墜落して大軍に囲まれている搭乗員たちを、航空救難兵たちはどうしても見捨てることができないのだ。


 国防軍は、決して仲間を見捨てない――


 それが、兵士たちの矜持なのだ。

 そして、その思いはもちろん、マグレブのパイロットも同じだ。


『――了解! では、一瞬だけ50フィートまで降下します! それで行けますかッ!?』

『あぁ! 十分だ』


 すぐにマグレブは、両サイドの機関銃を四方八方に連射して地上の敵兵たちを牽制した。そのまま即座に降下態勢に入る。懸垂降下のロープ長には限りがあるから、どうしても一定高度まで機体を降下させる必要があるのだ。救難兵も覚悟を決めているが、パイロットだってリスクは同じだった。


『――行きますッ!』


 そう言うと、パイロットは顔を強張らせながら一気に操縦桿を押し込んだ。

 それを見た敵兵たちは、マグレブから降り注ぐ機関銃に怯むことなく、次々に銃口を上に向ける。カモが自ら降りてきた――とでも思っているのだろうか。地上から、猛烈な弾幕が機体に打ち上げられる。


 ガンガンッ――

 ガガガンッ! ガガガガンッ――!!!


 雨あられと機体に銃弾が当たり、ヴィン――プンッ――と兵士たちを掠めていく。


『――今ですッ!』


 パイロットが合図した瞬間、航空救難兵の2名がロープを伝ってスーッと地上に降下していった。だが――


 その瞬間、マグレブに向かって何かが放たれた。白い白煙を噴いて飛んでいったのは――


『RPG――ッ!!』


 バァァァァァァ――ンッ!!!!


 その時、マグレブが回避行動を取らなかったのは、ラペリング中の救難兵を無事に地上に到達させるためだ。機体が大きく揺れれば、当然吊り下げられている彼らは吹き飛ばされるからだ。


「クソッ!!!!」

「――っきしょうッ!!!!」


 2人の救難兵は、地上に降り立った瞬間、直上のマグレブにRPGが直撃する様を目撃する。

 機体は空中で大火球に包まれると、そのまま地上に墜落していった。パイロットは、自らの責任を果たしたのだ。その命に代えて――


『パラジャンパーより指揮所――マグレブが撃墜された。マグレブ・ダウン!!』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る